第26話 氷見翔弥 ―交差した夢の先に―
氷見翔弥は、人の言葉をよく覚えているタイプだった。 中学2年の春、テニスコートの片隅でふと耳にしたあの一言は、今も胸の奥に残っていた。 ――「俺の夢は、ワールドカップで優勝することなんだ」 言ったのは赤江光陽。 別に友達ではなかった。同じ中学だったが、3年間同じクラスにはならず、サッカー部とテニス部で顔を合わせる程度。 でも、グラウンドとコートが隣だった分、挨拶くらいは交わしていた。
「赤江ってやつ、いつも本気だよな」 誰かがそう言っていた。実際、赤江は走るのも蹴るのも、熱量が他の部員と違っていた。 だからあの言葉――“ワールドカップ優勝”――も、ただの夢物語とは思わなかった。むしろ、氷見にはまぶしく見えた。 自分には、そこまで言える目標があるだろうか? その日から、氷見の中に妙な感情が芽生えた。 ライバル心のような、焦燥のような、憧れのような。 ――テニスじゃないスポーツを選んでいたら、俺はどうだっただろう? しかしその赤江が、3年の春を境にサッカーグラウンドから姿を消した。 何があったのかは分からない。誰にも聞けなかった。 だからこそ、氷見の中であの言葉だけが、ずっと宙ぶらりんのまま残り続けていた。
高校入学式の日。 式も終わり、帰ろうと下駄箱を目指す途中、ふとグラウンドの方からボールの音が聞こえた。 目を向けると、何人かの生徒がサッカーをしていた。 その中に、見覚えのある後ろ姿――。 (……あれ、赤江……?) 近づくことはせず、ただ遠くから見ていた。 どうやら誰かとPK対決をしている。 サッカー部でもないのに、どうしてグラウンドで? 疑問は残ったが、あえて確かめることはせず、そのまま帰路についた。 数日後。 朝の校内放送が流れる。 「1年生の葵玲央です。俺たちはサッカー部を創設しようとしています。今日の放課後、グラウンドで待ってます」 “サッカー部を作る”。 言葉だけでなく、それを本当に行動に移す奴がいる。 さらに、その顧問候補が1年生の数学の授業を担当している有屋紫乃だと知った。
昼休み、数学の授業の後、氷見は紫乃を訪ねてみた。 「先生、本当にサッカー部作るんですか?」 紫乃は少し驚いた顔をしたが、すぐに穏やかに答えた。 「ええ、彼ら、本気なのよ。赤江君もね、もう一度サッカーを始めたみたい」 (赤江……やっぱり) 氷見の胸の奥に、じんわりと熱が灯る。 あの夢は、まだ終わっていなかったのか――。
放課後、氷見は「見学だけでも」と教室を出てグラウンドへ向かおうとした。 しかし、その途中、体育館の方からざわざわと声がするのに気づく。 「……何だ?」 少し迷った末に、体育館の入り口へと足を運ぶ。 中を覗き込むと―― そこには赤江光陽。そして、もう一人、目を引く少年がいた。 (……あいつが葵玲央か) フットサルの対決は、佳境に入っていた。 熱気、ぶつかり合い、勝負への執着―― 見ているだけで、心臓が高鳴った。 あの頃とは違う。 俺も、もう傍観者じゃいられない。 赤江がもう一度夢に向かうなら―― 俺も、俺自身の答えを探したい。 氷見は静かに体育館を後にした。 その足取りは、さっきよりも少しだけ力強かった。 (俺も、始めてみるか。サッカーを) 新たな部の、新たな仲間たちと共に。




