第25話 魚住大輔―静かなる流れの中で―
魚住大輔は、常に凛としていた。 背筋は伸び、言葉は丁寧、所作は洗練されている。 幼い頃から家の流派・魚住流の華道を学び、客人の前に座す姿には、若きながら気品と重みがあった。 だが――彼は「静かなだけの人間」ではなかった。 心の内側には、誰よりも繊細に流れる“感情の水脈”がある。 それが少しずつ、彼を変えていくことになる。
高校入学時、魚住は迷いなく華道部の入部届けを提出した。 自然な流れだった。いずれは家元の後継者として生きると決まっている。 しかし、そんな静かな生活に、突風のように現れる男がいた。 神田照真――幼なじみにして、全くもって自分とは逆の存在。 声が大きく、物言いはストレートで、考える前に動く。 彼は言った。 「なあ魚住、フットサル部ってのがあるらしい。サッカーっぽいし、面白そうじゃね?」 魚住は一瞬、目を細めた。 「……僕は華道部に入ったはずなんだが」 「え? 兼部すればいいじゃん。どっちか辞めろって言われたら、そん時考えればいいし」 「……また無責任な……」 呆れた。だが、断り切れるほど、照真という人間は軽くない。
昔からそうだった。勝手で破天荒に見えて、妙な説得力を持っている。 結局、魚住はフットサル部に入部した。諦めに近い感覚だった。 けれど――。 初めて味わう、試合の緊張感。 パスが通った時の快感。 ゴールネットが揺れた瞬間の歓声。 華道とは異なる形で、“心を整える”ことの喜びが、そこにあった。 魚住は運動神経も良く、センスも高かった。 あっという間に試合でのポジションを掴み、エース格と呼ばれるまでになる。 それでも、目立とうとはしなかった。 得点よりも連携、ドリブルよりもパス。 神田の自由すぎるプレーにバランスを与え、他の先輩たちとの調和を図る。 気づけば、彼はフットサル部に欠かせない“陰の司令塔”になっていた。
――だが半年後、部を支えていた3年生6人が引退した。 残されたのは神田と魚住、たった2人。 部は「フットサル研究会」へと格下げされた。 神田は笑っていた。 「ま、来年勧誘すりゃ何とかなるっしょ」 魚住もまた、静かに頷いた。 「……その時は、僕も協力しよう。どうせ最後まで付き合うつもりだったしな」 そして迎えた翌年の春。 新入生たちがぞろぞろと校内を歩く中、魚住はまた華道部の活動に戻っていた。 しかしある日の朝、校内放送が流れる。 ――「サッカー部を作りたいと思います。本日、放課後グラウンドにて説明会を行います」 思わず手が止まった。 サッカー部。新一年生。名前は――葵玲央。 神田が口を開く。 「へぇ……そっちから来るか。これは見に行くしかねぇな」 いつもの無計画な笑顔。 魚住は一度ため息をついた。だが次の瞬間には、立ち上がっていた。 「分かったよ、行こう。ただし、また暴走したら止めるからな」 「ハハ、分かってるって」 照真の背中を追いながら、魚住はふと、自分でも意外な感情を抱いていた。 ――楽しみだ、と。 ただ静かに生きるはずだった自分が、今ではスポーツという“もう一つの道”に足を踏み入れている。 それを面白いと思っている。 花とボール、静と動。 どちらも、自分という器を満たしていく――そんな気がしていた。




