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庭園

作者: 夕月永羽

東屋から見える景色はいつもと変わらない。広い庭にポツリとたつ木の休憩所は、私にとって唯一心の安らぐ場所だ。

まだ少し冷たい、優しい春の風音。遠くから聞こえる、春を告げる鳥の鳴き声。都会の中にありながら、そんな事さえも忘れさせてくれる。

今日も多くの人がこの庭にやって来ているが、誰もこんな辺鄙な場所までやってこない。やってくるのは、私の前にあるクッキーの臭いに誘われた鳩ぐらいなものだ。

(平和なことだ)

柄にもなくそんな考えが浮かんでくる。実際に、風に揺られて擦れ合う葉っぱの様子を見ながら、鳩と戯れて過ごす時間は、とても平和な時間だと思う。

遠くの国で起きるテロも、空腹で死んでいく子供たちも、不謹慎かもしれないがここでは無縁な話しだ。

おや、賑やかな声が聞こえだしたと思ったら、誰かやって来たようだ。

振り向くと、四人組のお年寄り柄にもなくやって来ていた。全員が首からカメラをぶら下げている。彼らはおしゃべりをしながら、東屋ににカメラを向ける。私という存在があるにも関わらずだ。彼らはひとしきり写真を撮ると、またどこかへ行ってしまった。全く不謹慎な連中だ。肖像権というものを、彼らは知らないのだろうか。

彼らが去ってしまうと、またもとの静寂な環境が戻ってきた。フワリと風にのって一枚の葉っぱが目の前を通りすぎていく。なんの葉っぱだっただろうか。一瞬だったので、よくわからなかった。でもどことなく懐かしいような気がした。チクリと頭の奥が痛む。それがなぜなのか私にはわからなかった。

タンタンと人の足音が聞こえる。今日はよく人がくる日だ。それだけ、来演者が多いのだろう。

やって来たのは一人の少女だった。クリーム色のワンピースの上に薄いカーディガンを羽織っている。

その少女は、私を見ると、小さくお辞儀をした。少女は無表情だったが、その動作はとても愛らしかった。

普段私はここで人と話すことをしない。自分から話しかけないし、一人でいる私に誰も話しかけようとはしないからだ。私はこの場所の静かな時間が好きなので、それはとても嬉しいことだった。

そんな私であったが、何を思ったかこの少女と話して見たいと思った。だから自分でも驚いたことに、私の方から少女に話しかけていた。

「どうですか、ここで一緒にお茶でもしませんか?」

最初少女は少し迷ったようだった。当然だろう。私だって知らない人にいきなり声をかけられれば警戒する。ましてや彼女は高校生くらいだろう。無視されても私は彼女を責めることなどできない。

だが、彼女は無視することも、逃げ出すこともせずに私の前へと座った。

こうして見ると、少女はとても儚げで、危うい存在に見えた。軽く風が吹いただけで、砂の塔が消え去るように、いなくなってしまうのではないかと思えた。

そう思わせているのは、彼女の無表情さだ。クールに見えるそれが、この庭にミスマッチなのだ。まるでヨーロッパお姫様が、茶室に現れたようだった。

「君は一人で来ているのかい?」

とりあえず当たり障りのないことを聞いてみる。

少女は黙ってそれに頷く。誘いには乗ったものの、まだ警戒しているようだ。

「すまないね。いきなり声をかけたりして。自分でも不思議なことに、君と話がしてみたくなったんだ。ああ、そうだ。よければクッキーでもどうぞ。紅茶もまだあるね」

少女はありがとうございますと言いクッキーを口に運ぶ。それから美味しいと呟く。

少女の声はとても綺麗で、耳に優しく響いた。

「いい声だ。名前を教えてくれないか。もちろん、君が答えたくなければ、答えなくていい」

「瑠璃川でさ。貴方は?」

「私は・・・」

答えようとして、続きが出てこなかった。なぜ出てこないのだろうか。ついさっきまでわかっていたはずだ。

「もうーー」

戸惑っている私をよそに、瑠璃川嬢が口を開く。彼女にとってたまたま話しかけた私の名前など、どうでもよいのだろう。

「もうすっかり春ですね。これさっきそこで拾ったんです」

瑠璃川嬢は、ワンピースのポケットから小さな花びらを机の上に置く。ピンク色の、ハート型に見える花びら。瑠璃川嬢が取り出したのは、桜の花びらだった。

頭の奥が、また痛みを発する。だが、先ほどと違い嫌ではない痛みだ。

「数ある花の中で、私は桜が好き。綺麗な花が咲き、葉っぱになって、色づき、落ちていく。けして同じ姿を見せない様は、人の一生のよう。だから見ていて飽きない。だから私は、桜が好き」

瑠璃川嬢は表情を動かさずに言う。

それを聞いて私はなぜ彼女に声をかけたくなったのか、わかった気がした。

そして私自身が探していた、私の名前も。

「ありがとう。短い間だったけど、君と話ができてよかったです」

体が少しずつ軽くなっていく。もうあまり時間がないのだろう。

「君のおかげで、探し物が見つかった」

意識が遠のいていく。それでも、最後に彼女に市ってもらいたいことが、伝えたいことがあっる。

「私の名前は・・・」

最後まで瑠璃川嬢は表情を変えなかった。

彼女に届いたのだろうか?それはわからない。そうであればそうであればいいと思う。それが私の生きていた唯一の証なのだから。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



気がつくと、目の前で話していた男の人はいなくなっていた。成仏したのだろう。彼を縛っていた未練の糸がほどけたのだろう。何がきっかけでほどけたのかはわからないけど、最後の彼の表情はとても幸せそうだった。

私はそっと立ち上がり、東谷を出ていく。彼が食べていたクッキーも紅茶もどこかへ消えてしまったようだ。私はもときた道へと戻っていく。

スーっと暖かい風が頬を撫でる。なぜかそれが「ありがとう」と言っているように感じれた。

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