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マルシェシリーズ

マルシェにて。

作者: 名紗すいか



 縁結びの神様がいるという神社の境内。今日は恋愛成就を祈願する参拝客ではなく、カラフルな屋根がいくつも立ち並び、たくさんの人でにぎわっていた。

 いい匂いを立てる料理の屋台や、可愛らしい雑貨や小物、そして――手作りのアクセサリー。


 縁日とはまた違った魅力に溢れている――マルシェ。


 いわゆる手作り市。

 ざっくり言ってしまうとフリーマーケットだけど、骨董品は並んでいても、いかにもがらくたっていう物はほとんどない。

 私はまず鳥居の下で配られているパンフレットを受け取り、目当ての出品ブースの位置を確認した。


「えっと、コウくんのところは……――あっ、あった!よかったぁ」


 彼が今回も参加してくれていることに、ほっと胸を撫で下ろした。

 コウくんが作るアクセサリーは私の好みのど真ん中で、毎回毎回悶絶必死のたまらないものを作ってくる。それこそ、私のために作ってくれてるんじゃないかって思うくらいに。

 だけど完全に趣味で作っているから、数も少なめでネット販売もしていない。

 足を運ばないと買えないっていうところも、彼の作品の魅力の一つだった。

 他のマルシェやフリマに参加しているのを見かけたことはないから、春と秋の二回、この場所でしかあの素敵なアクセサリーたちに会えないのが惜しい。

 すぐにも向かいたい気持ちを抑えて、せっかく神社に来たのだから、まずは参拝を済ませることにして、私は一人、マルシェを満喫するために境内へと足を進めた。



 昔から可愛い小物やアクセサリーが大好きだった。特に手作りで、ぬくもりある物が。

 高価でなくてもいい。だけど量産品には特に何も感じることはなかった。

 自分好みのアクセサリーを作ろうと材料や道具を準備して挑戦した時期もあったけれど、残念なことに私は不器用らしく、思い描く物を形にすることはできなかった。

 だからこうして近場のマルシェやフリマや手作り市を巡る。それが私のささやかな趣味だった。

 それは二十代も終わりに差しかかった今でも変わらない。


 ――誰に、馬鹿にされても。たとえ似合わなくても。


 嫌な記憶が浮上かけたとき、


「あ!架帆かほさーん!こっちこっち!」


 パステルグリーンの屋根の下、テーブルに身を乗り出すようにパイプイスから立ち上がり、私に向かってぶんぶん手を振る青年の姿が見えた。

 見慣れたカジュアルなジーンズ姿に、相変わらずの弾ける笑顔。

 彼の屈託ないその表情に、ほっと和んで笑みがこぼれた。

 だってあれじゃあ、飼い主を見つけてしっぽを振る犬みたい。

 私はコウくんに呼び止められるまま、元々行く予定だった彼の出品ブースへと砂利を気をつけながら駆け寄った。


「コウくん久しぶり」


「お久しぶりです!今日も架帆さんが来てくれると思って、新作たくさん用意しましたよ〜」


 コウくんがテーブルにずらりと並べられたアクセサリーたちを両手を広げて示し、いたずらっぽく笑った。

 どうです?可愛いでしょ?と言わんばかりの得意そうな顔。

 アクセサリーもだけど、君が可愛いよ、と思う。

 私はすっかり顔馴染みの常連客たがら、彼はこうして気さくに話しかけてくれる。ただ商売上手なだけなのかもしれないけれど、それでもとても癒された。

 新作だと言って彼が指差すコーナーでまず、最初に目に飛び込んできたのは、生花で作られたバレッタだった。

 時期柄、桜ものが多いけれど、これは違うみたい。


「これ可愛い〜!」


「どうぞどうぞ、手に取って見てください」


 彼にそっと手渡され、その透明で繊細な花の集まりをしげしげと眺めた。無色のと淡いピンクの花が織りなす色合は、完全に私好み。さすがコウくんだ。

 他をざっと見たところ同じ物ないみたいだし、これは買いだなぁ。


「これ、紫陽花?」


 たぶん紫陽花をプリザ液でプリザーブドフラワーにしてから、UVレジンで硬化してある。

 だけど知識はあっても、こんな風に作れないんだよなぁ。


「そうです!紫陽花、綺麗ですよね〜。花言葉はあんまりよくないけど、俺は好きですよ」


 よくない花言葉もあるんだ。知らなかった。


「……でも、私も好きだなぁ」


 同意するように呟くとコウくんがちょっと慌てた。

 『花言葉がよくない』は、失言だったと気づいたんだろう。私はあんまり花言葉なんて気にしないからいいけれど、売れそうな商品を否定することは言わない方が得、かな?


「あ、ほら、架帆さんの髪は長めだから、バレッタ、どうですか?」


 私はこのバレッタをしている自分を想像した。けれど、似合っているとはどうしても思えなかった。

 休日に家でつけてるくらいなら、誰にも迷惑かけてないし、許されるよね?

 休みの日くらい、誰にも気を遣わずに好きな物に囲まれていたい。家の中でなら似合ってなかろうが、文句を言われる筋合いはないんだから。

 値段は千二百円。

 適正価格かはわからないけど、かなりお値打ちだと思う。

 紫陽花のめしべにつけられている小さなラインストーンはスワロフスキー。それにバレッタの金具部分も、造りがしっかりとしている。


「架帆さん綺麗な黒髪で天然のゆるふわだし、今の服装にもこれ、絶対に似合います!」


 お世辞でも、コウくんが言うと嫌みじゃない。営業トークに、素直にありがとうと返せてしまえる。

 だけど私のこれ、休日仕様だからなぁ。

 私は今日の服を見下ろして苦笑した。

 色はシックだけど、春物のワンピースにショートブーツ。冷え性なのでカーディガンも羽織っている。

 会社では髪をひっつめにして、黒ぶち眼鏡にパンツスーツで武装しているから、知り合いが今の私を見たら気が触れたのかと思われそう。


「あ、押し売りみたいになってました!?邪魔しませんから、どうぞ自由に見てってやってください」


 口を閉じてイスに座ったコウくん。目が行ったり来たり、そわそわしている。

 品物をよく見ようと髪を耳へとかけたとき、コウくんは「あ!」と、嬉しげな声を上げた。


「なに?」


「いえっ、なんでも!……あ、じゃなくて。……そのピアス、してくれてるんだなぁって、思って」


 照れなのか、近くにあったパンフレットを開いて読むふりを繕った。だけど茶色い髪の毛の隙間から、うっすら赤い耳が覗いている。

 やっぱりしてきてよかった。こうして作り手に喜んでもらえたんだから。

 そう、思おうとしたけれど――、



『いつまでそんな子供だましのピアスしてんだよ』


『あはっ、先輩〜。それ全然似合ってませんよ?』



 記憶の底に滞留していたその冷ややかな言葉たちが、こんなときでも鮮やかに胸の奥を切りつけた。

 小さな、赤い薔薇のつぼみのピアス。

 これはいつもたくさん買ってくれるからと、コウくんがオマケでくれた物だった。

 嫌な思い出とともにあるのに、絶対に捨てられない。

 だって同時に、コウくんのはにかんだ笑顔を思い出すから――。


「……架帆さん?どうかしたんですか?」


「ううん。……これと、これ、あとこれも買おうかな?」


 ごまかして、気に入った物をすべて彼に手渡した。


「嬉しいな〜。今日もこんなに買ってくれて」


 コウくんが楽しげに電卓を弾いて出た金額を払い、品物は紙袋に入れてもらった。

 数は多くても小さい物ばかりだから、たいしてかさばることはない。


「ちょっと他も回って来るから、またあとでね」


「はい、いってらっしゃい。浮気はほどほどにしてくださいね〜」


 浮気だなんてと、くすくす笑いながら私はその場を離れた。



 このマルシェには、飲食系、物品系以外にも、体験型の出展も存在する。

 小さな子供たちがアロマキャンドルやら木の実でリースやらを作ったりしているのは見ていると、ほっと癒されると同じくらい、なんでか切なくなる。

 家族や友達と来た人や恋人とのデートで訪れてる人が多くて、私みたいなお一人様はほぼいないから。

 この年にもなると友達もほとんど結婚していて、家庭が忙しいと思うと気軽に誘いにくいし、付き合ってくれる彼氏もいない。


「だけど子供は、可愛いなぁ……」


 子供は好きだ。子供は可愛い。

 だけどそこに至るまでの過程が果てしなく遠い。だいたいまず、相手がいない。

 ここって縁結びの神社なのになぁ。毎回参拝してるのに、ご利益なかったなぁ。

 そんなことを思いながら歩いていると、手水舎の陰で迷子を発見してしまった。

 こんな出会いは、どうなのか神様。

 フルーツジュースのカップを両手で持った小さい女の子が、涙目できょろきょろしている。その手首から伸びていてるリードの先には、女の子の倍はある大型犬がお座りをしていて、大人でも安易に話しかけにくい状態に陥っていた。

 運営の人を呼んでくるべきかな。

 でも、このまま目を離すのも心配。


「……どうしたの?パパとママは?」


 涙を溜めたパッチリした瞳が、こわごわと私を見上げた。

 かなり可愛い子だ。犬が構えてなかったら、誰かに連れて行かれてたかもしれない。

 なるべく目線が合うようにしゃがむと、犬が警戒しながら私をじろじろと見つめてきた。

 しばらくの膠着状態を経て、敵ではないとわかってくれたのか目線は外れて、女の子を慰めるようにすり寄った。

 ちょっと怖い……けど、案外平気?


「パパかママ、どこにいるかわかる?」


 努めて優しく訊いてみても、女の子は俯いてしまってなにも話そうとしない。

 二、三歳って、たぶんしゃべれるよね?

 子供いないから、上手な接し方がよくわからない。

 女の子は立っていることに疲れたのか、とうとうしゃがみ込んでしまった。


「ここで、パパとママを待ってる?」


「……うん。なーこと、まつ」


 女の子はやっと返事をしてくれた。

 彼女の言う『なーこ』とは、この大型犬のことらしい。

 だけど待つことは決まっても、親に彼女の居場所をどう知らせればいいんだろう。


「――あれ?架帆さーん?なにして……」


 女の子と犬と一緒に途方に暮れていると、コウくんの声と砂利を踏みしめる靴音が聞こえてきた。


「あ、コウくん。お店は?」


「ちょっと、……お手洗いに。店番は隣の店の子に頼んであるんだけど……。あの、その子って、まさか……架帆さんの、こっ、ここ子供だったり……?」


 コウくんが変な誤解をして青くなっている。


「違う。迷子」


「あ、迷子。と、犬?」


 ほっとしたり、不思議そうにしたり、コウくんの表情が忙しい。


「うん。飼い犬だと思う。この子を守っているみたいだから。私はここでこの子たちを見ておくから、コウくんは運営さんに伝えてアナウンスしてもらってきてくれない?」


「わ、わかりましたっ!」


 小さな子の一大事とばかりに、コウくんは急いでくれたらしく、ほどなくして迷子のアナウンスが流れてきた。

 あまりに目立つ大型犬という特徴があったおかげか、すぐにパパママがこの場所まで走ってきた。ついでにもう一匹同じ種類の大型犬がいたことには、ちょっと驚いた。

 涙の再会を果たした女の子と両親。と、犬たち。

 大したことはなにもしていないけれど何度もお礼を言われて、いいことをした気分で彼らを見送りコウくんと合流した。


「よかったですね〜」


「うん。コウくんもありがとね。タイミングよく来てくれて、助かった」


「いえ。とんでもない。……それより俺は、心臓が止まるくらいびっくりしましたよ。架帆さん、いつの間に子供が、って」


 コウくんの青い顔を思い出して、ふっと笑みがこぼれた。


「私だってあのくらいの年の子がいてもおかしくない年なんだから、そんなに驚かなくてもいいでしょう?」


「そうですね……、はは」


 コウくんは愛想笑いでごまかした。

 私って、結婚できない女だって思われているのかなぁ。

 否定できないけれど。


「コウくんって、年いくつだっけ?」


「えっ。……今年二十……三に、なります、かね」


 なんか、気まずそう。

 私が今年三十代になるから、変な気を遣っている?


「アクセサリー作家にはならないんだよね?」


「はい。俺のは完全に趣味の範疇なので。この春からやっと社会人です。……コネ入社ですけど」


「え!?お祝いしないと」


 ついそう言ってしまったけれど、私は年に二回会うだけのただの常連客だったことを思い出した。

 どの程度のお祝いをしたらいいんだろう。

 なにかご馳走する?だけど二人きりで食事なんて、したことがないのに、いきなりはおかしいだろうか?

 だけどコウくんは嬉しげに私の手を両手で握って、上下にぶんぶん振った。


「お祝いしてくれるんですか!嬉しいな〜!いつが暇ですか?架帆さんに合わせますよ」


 こうも喜ばれてしまうとお祝いは後日に決定したも同然で、となると初めてマルシェ以外で会うことになる。


「……来週の日曜日なら、たぶん」


「日曜日ならオッケーです。だから、あの、連絡先とか交換できればと……」


 そっか。連絡先も、なにも知らないんだ。

 コウくんの、本名も知らない。年だってだいぶ違う。友達というのも、なんか違う気がする。

 なのになんでだろう。異性でこんな風に気負わず話せる相手、他にいない。

 私はバッグからスマホを取り出し、思わず苦笑した。

 スマホカバーも、コウくんの作品だった。

 私のそばにはいつも、コウくんが心を込めて作り出した物たちが寄り添っていて、だから彼自身を知ったつもりでいたんだ。

 歩きながら連絡先を交換しかけたところで、コウくんの出品ブース前まで到着した。

 どうやらお客さんがいるみたいで、接客をしてくれていたお隣の女の子が早く来いと手招きしている。


「架帆さん、連絡先またあとで!一人で帰らないでくださいね!絶対ですよ?」


 涙目で言われた。


「わかったから、行っておいで」


 コウくんのアクセサリーが売れると私も嬉しい。自分が好きだと思うものが、見知らぬ誰かにも受け入れられていく様子が、とても。

 だけどそばで眺めていたら邪魔になるから、また少し浮気しに出かける。

 緑色の小鳥のブローチ、ドライフラワーのリース、丸みの帯びた小さな木の椅子、猫の絵のポストカード、苺のタルト……。

 結構あちこち浮気をしまくった。

 最後にコウくんへの差し入れをかねて、あの迷子の女の子が持っていたのと同じフルーツジュースを二つ買った。

 パステルグリーンの屋根を目指して、砂利に気をつけながら歩く。

 だけどまた別の人たちが、コウくんのアクセサリーを眺めていた。

 少し待とうかと踵を返しかけたところで、男の方の声がもれ聞こえてきた。

 その瞬間、貼りつけられたかのように、私の足はぴたりと動きを止めた。


「こんながらくたみたいなアクセサリーが一個二千円?買ってくのは本物の宝石も買えないような、馬鹿みたいなやつだけだけだよなー」


 その言葉に驚きすぎて、呼吸を忘れた。

 そこにいたのは、二度と顔も見たくないと思っていた元カレだった。

 隣に、彼女もいる。私の後輩。

 嫌でも毎日顔を合わせないといけない、あの子が。


 ――なんでここに?


 絶対にこの場所で会うことなんてないと思っていたのに。


「えー?そこまで言ったら可哀想ですよ〜」


 彼女がおかしそうに笑う。

 足が震えて、一気にあの日のできごとが甦った。






 彼に呼び出されたのは、まだ寒さの残る休日の昼間だった。

 会社近くのオープンカフェ。

 店員の顔と名前が一致するほど、普段からよく利用する店でもあった。

 だからいつものスーツで行くか迷った。だけど休みの日に、そんな格好をしているのは変だからと、悩んだ末に無難な外出着で出かけた。

 だけど仕事するわけではないから、眼鏡もしていないし、髪も下ろしていった。慌てて茶色のショートブーツを履いて、同色のコートを羽織り。


 私はすっかり、忘れていた。コウくんがオマケでくれた、薔薇のつぼみのピアスをしていたことを――。


 彼はオープンテラス側からすぐに見える位置に座っていたので、見つけるのは早かった。

 彼は自分の見せ方をよく熟知していた。私服はいつも洗練された大人の格好だった。

 私は店内に入ると、当たり前のように彼の正面にかける。それが私の定位置だったから。

 見慣れた女性店員は、注文しなくてもたぶんいつものカプチーノを持ってくる。


「話って、なに?」


「……別れて欲しい」


 家を出るときには予想していなかった言葉を、まっすぐに突きつけられた。

 別れなければならないほど、関係が破綻していたとは思えない。だって、彼との結婚を意識していなかったと言ったら、嘘になる。


「……なんで?」


 純粋に理由を知りたいと思った。

 だけどその言葉が、彼には別れを拒む響きに聞こえたらしい。

 ひそめられた眉から、かすかな煩わしさみたいなものがにじんだ。

 そのささいな変化だけで、ああ、もうだめだなんだ、と唐突に理解した。

 理由はまったく、わからなかったけれど。

 気を落ち着けるために、カプチーノに口をつけた。――髪を耳へとかけて。


「いつまでそんな子供だましのピアスしてんだよ」


 それは冷たく吐き捨てるような口調だった。

 前からそう思っている節はあった。けれどここまで直球で言われたことはなかった。

 ああ、そっか。この人は今、私のすべてを否定したんだ。根底から、ことごとく。

 なにも言い返せない私の前に現れたのは、彼女だった。若さと自信に溢れて、清楚かつ上品にそつなくまとめた服を着て、ダイヤのピアスをつけて。

 ずっと前からそこが彼女の居場所だったかのように、彼の隣の椅子へと腰を下ろした。


「彼女と、結婚することになったから」


「……結婚?結婚を考えるって、いつから付き合ってたの?」


「まだ付き合ってるとは……言ってないだろう。まずは架帆が別れることに頷いてくれないことには」


「先輩。ごめんなさい。だけど私たち、愛し合っちゃったんです!」


 彼女には切々と、さめざめと訴えてきて、彼は後ろめたさを隠して終始無言。

 彼女からはここで私が引き下がらなければ、愛のためにという大義名分で、殺されてしまいそうな恐ろしさを感じた。

 それはミステリー小説の読みすぎかもしれないけれど。

 裏切られたことへのショックもあった。だけど彼のあの一言が、一番心を傷つけた。

 別れることに、すぐに同意した。

 続くはずがない。

 だって、価値観が違うんだから。

 あからさまにほっとした様子の彼とは違い、彼女は店から出ていくとき、無邪気に嘲笑してきた。すれ違いざま、私にだけ聞こえるように。


「あはっ、先輩〜。それ全然似合ってませんよ?」


 薔薇のつぼみのピアスを見ていた。だけど服装を含めて、全てをけなされたのかもしれない。

 私ごと、全部。

 羞恥で真っ赤になった。それとも、真っ青だったんだろか。

 散々傷つけられて、最後にまた、深い痛みを残していった。


 後から同僚に聞いた話だ。彼女は実は、常務だか常務だかの血縁者なんだと。

 だけどそんなこと、もうどうでもいい。

 二人とも、二度と、プライベートでは係わり合いになりたくはなかった。




 ――なのに、なんでここにいるの?




「だったらこれ、欲しい?」


「わたしはいりませんよ〜。だってぇ、偽物なんて身につけてると、自分の価値も下がっちゃうもの」


 彼に摘まみ上げられていたパールのペンダントが、テーブルの上へと雑に捨てられた。

 ほかのアクセサリーとぶつかって、音を立てる。もしかしたら傷がついてしまったかもしれない。

 コウくんは対応に困った顔をしていた。他の客は露骨に避けていくし、周囲の出品者たちも苦々しい顔をしている。

 乱暴に扱われた商品は、傷がついていたら当然売り物にはならない。

 彼らはここに並ぶ商品を、傷がついても構わないがらくただとはき違えている。

 コウくんにあんな顔をさせてしまったのは、きっと私だ。

 あのとき彼らに言い返さなかったから。

 きちんと否定しなかったから。


 だったら、私がけじめをつけないと。


 震えていたはずの足は、いつの間にかつかつかと彼らへと一直線に向かっていた。

 ありったけの力で、言い放つ。


「そこの空気が読めない馬鹿二人!」


 馬鹿という自覚はあるのか、そろって振り返った彼らの顔面に、私はフルーツジュースをぶっかけてやった。


「うわっ!?」


「きゃっ……!」


 果実百パーセントのどろっとしたジュースを浴びた二人は、それをしたのが私だと理解すると、それぞれ怒りの表情を浮かべた。

 だけど彼の前で猫をかぶっている彼女は、公の場では無に等しい。

 そして彼は私に少しだけ負い目を感じているから強く出られない。

 私はなにか言う暇を与えず先制して吐き捨てた。


「この、恥知らず!偽物?価値?ここにあるのはがらくたなんかじゃない!商品なの!傷をつけたら売り物にならないことぐらい、子供だってわかるわ!買いたくないものを買えとは言わない。だけど――人が精魂込めて作った物を馬鹿にするなら、初めからマルシェに来るな!!」


 私の怒声に、水を打ったようにあたりが静まり返った。

 彼が顔を赤くしてなにかを言い募ろうとしたとき、コウくんがパチパチと手を鳴らした。――拍手だった。

 その隣でアクセサリーを売っていた女の子も、その隣も。ついには様子を窺っていた、お客さんたちまでもが。

 水面に波紋が広がるように、拍手が重ねられていく。

 だってここにいるのは、純粋に人の作った物を見たり買ったり、たまに作り手の人とおしゃべりしたり、そうして楽しみたい人ばかりなんだから。

 分が悪いと思ったのか、純粋にジュースまみれだったのが気持ち悪かったのか、彼は彼女の手を引きその場を離れて去っていく。


 ――覚えてなさいよ。


 鋭く睨みつけてきたその目が、そう語っていた。

 彼が一度だけ、振り返る。

 なにか言いたげなその瞳から、私は目を逸らした。

 そうして嵐の過ぎたあとに、妙な一体感があたりを包み込んだ。

 ほっとして、またマルシェを楽しむ雰囲気が戻ってきた。


「……架帆さん。俺のために、ありがとうございます」


「ううん。あの人たち、私の……知り合いなの。だから、ごめんね。――みなさんも、お騒がせしてすみませんでした!」


 頭を下げると、みんな「いいよいいよ」と優しく許してくれた。

 だけどジュースをかけたのは、やっぱり過ぎだったと思う。

 しかも公共の場で人を罵ってしまった。

 でも後悔はしていない。

 ただ相手が悪い。プライベートでのできごととはいえ、だ。

 さすがにクビはないにしても、部署は異動かもなぁ。

 これまで顔を合わせることが憂鬱だったから、むしろよかったと思わないと。

 だけどそれより、


「商品は大丈夫だった?」


「はい。見た感じ大丈夫そうですけど、売るのは気が引けるから下げておきました」


「弁償しようか?」


「そんなっ、悪いですよ!」


 コウくんがぶんぶん首を振った。こちらは無理強いできる立場ではないから、ここは引くしかなさそう。


「架帆さん、でもさっきの人って……彼氏、ですよね?」


 コウくんがおずおず尋ねてきた。


「……元ね。――あれ?でも紹介したこと、なかったはずなのにどうして……」

 

「えっ、あ、そう……でした?」


 あ、とぼけた。

 じっと見つめると、コウくんは目を逸らして、だけど素直に白状した。


「……実は、架帆さんがあの人と一緒にいるところを、見たことがあって……」


 なんだ、そういうことだったのか。


「声かけてくれればよかったのに。いつ?」


「……去年のマルシェの、少し前です。その……ピアスのときの」


 気まずげに私の耳を視線で示した。

 彼に子供だましとけなされ、彼女に似合っていないと傷つけられた、薔薇のつぼみのピアス。

 指でいじりながら、なんでもないように苦笑してみせた。


「振られたときにもしてたんだけどね、これ。……似合ってないって言われて」


「なっ、嘘だ!似合ってないわけありません!だってそれは、架帆さんのために、架帆さんを想って作ったものなんだからっ!――って、うわっ、俺、なに言って……」


 コウくんがあわあわし出した。赤くなった顔を、手で隠す。だけどその赤さを隠せていない。

 これが私のために作られた物だなんて、少しも気づいていなかった。

 しかも、私を想ってって……。


「これ、オマケじゃなかったの?」


 悪あがきをやめたコウくんが、まっすぐ真剣な面持ちで向き合った。


「だって、彼氏がいたのに、架帆さんを想って作ったなんて言われて、素直に受け取ってくれましたか?」


 どうだろう。受け取らなかったかもしれない。


「架帆さんが振られたの、俺のせいですかね……?」


 肩を竦めて、私より背が高いのに上目遣いをしてくる。

 仕草は申し訳なさそうなのに、不思議と口元は嬉しそう。


「なんでコウくんのせい?」


「薔薇のつぼみの花言葉を、知ってた、とか……?」


 薔薇のつぼみにも花言葉があるのか。知らなかった。

 すぐにスマホで調べようとしたら、コウくんがすかさず止めに入った。


「だめっ、やめてください!今は無理!心の準備がっ……!」


 スマホがコウくんの手に渡った。なぜか彼のジーンズのポケットに突っ込まれる。

 これまでの言葉や行動だけでなんとなくわかってしまったけれど、彼なりに予定があるみたいだから触れずにおいた。


「あの人、花言葉なんて知らないと思うよ。私が振られたのはコウくんのせいじゃない。私の趣味をよく思っていなかったみたいから、価値観の違い」


 出世との天秤にかけられて捨てられたことよりも、そちらの方が私には大きかった。


「……俺は、俺の作る物を笑顔で褒めてくれる優しい架帆さんが、そのままのあなたが、その……好きです。最低ですけど、あんなやつと、別れてくれてよかった。……ごめんなさい」


「ううん。謝らないで。――ありがとう」


 好きだと言われたことは、純粋に嬉しい。


「あいつらがなにか仕返ししてきても、絶対に俺が架帆さんを守ります!……絶対に。どんな手を使っても。だから俺とっ――……あぁっ!しまった!急すぎてなにも用意してないんだった!」


 コウくんは大慌てでテーブルの上に並ぶ商品を、あれでもないこれでもないと言いながら手に取っては首を振る。

 だんだん涙目になっていく彼の様子に、どう声をかけるべきか迷った。


「違うんです!予定ではまず生活の基盤が整ってから、架帆さんを彼氏から略奪するつもりでっ……!長期戦覚悟だったから、まだなにも用意してなくて!」


 色々と言いたいこともあるけれど、とりあえず待てばいいんだろうか。

 そう思っていると、くいくいとスカートを引っ張られた。

 振り返ると、迷子だったあの女の子が、ずいっと右手を差し出してきた。

 握られている紐から浮かぶのは、赤いハート型の風船。

 また迷子になったのかと心配したけれど、なーこもちゃんと傍らにいて、パパママも少し離れたところでこちらを見つめていた。


「おれい」


 瞬きながらしゃがんでそれを受け取ると、女の子はにこっとして、なーこと一緒にパパママのところへと駆けていった。

 わざわざ私を探して、お礼をしに来てくれたみたい。

 この年になって、風船をもらうとは思わなかった。

 ぷかぷか宙に浮かぶ風船を眺めて笑っていると、進退極まったコウくんに肩を引き寄せられてまっすぐ向き合った。

 危うく紐を離してしまいそうになったけれど、なんとか持ちこたえる。


「……っ、す、好きです!」


「……あ、ありがとう」


「俺と付き合ってください!」


「えっと……」


 言葉に詰まっていると、


「……だめ、ですか?」


 うるうるした目に自分が映る。もうさすがに若いとは言えなくなってしまった、私の顔が。


「私がいくつなのか、知ってる?」


「知ってますよ?もしかして……年下は嫌ですか?」


「ううん、そうじゃなくて。私、だいぶ年上だよ?わかってる?」


「わかってなければ、こんなこと言いません。本気です。だって、ずっと好きだったんです。年に二回、架帆さんに会えるのが楽しみで、アクセサリーを作って………。年齢とか抜きにして、考えてみてくれませんか?」


 私がコウくんと同じ年齢だったら、なにも悩むことなく頷いていた。

 だけど三十を目前にすると、付き合った先のことを考えてしまう。

 彼はまだ若い。純粋に恋愛だけをしていられる時期だ。私の焦りに付き合わせられない。――なのに。


「俺、結構しつこいですよ?今振られても、絶対また告白します。架帆さんが折れてくれるまで、何度でも。それに今度は指輪を作ってきます。架帆さんの好みは熟知してるから、嫌でも受け取っちゃうような、指輪を」


 コウくんが私の左手と風船の紐を取った。薬指に、紐をしっかりとくくりつけてはにかむ。


「せっかくの可愛いお礼が、飛んでいかないように。こうすると可愛くないですか?」


 自分の薬指から伸びた紐は、赤いハート型の風船をコウくんとの間に浮かべている。


「……うん。可愛い」


 唇からそう言葉がもれた。

 彼となら、同じ物を可愛いと思える。それに、私の好みを否定したりしない。

 年齢とか結婚とか関係なしに、少しだけ立ち止まって、恋をしてみてもいいのかもしれない。

 ここに留まる、この風船みたいに。

 そういうちょっとの余裕がないと、きっと続かないんだろう。


「……気に入ったら、もらおうかな」


 目を丸くしていたコウくんが、私の言いたいことが伝わったのか、破顔して両手を握ってきた。


「えっ!本当ですか!?やっ、やった!――みんな、やりました!」


 みんな?と思って、あたりをぐるりと見回した。

 まったく気づいていなかったけれど、周囲に人だかりができていて、私たち二人を包むようにあたたかい拍手が巻き起こった。

 どうしよう。恥ずかしくて死にそうだ。


「照れてる架帆さん、可愛い」


 照れてるんじゃなくて恥じ入っているのに、コウくんは本当に嬉しそうににこにこしている。


「これからもずっと、架帆さんのためにアクセサリーを作ります。だって俺の創作意欲の原動は、架帆さんの笑顔だから」


 可愛いのはどっちだ、と言いたくなった。


「だけどまずはペアリング!楽しみにしててください!」


「気に入ったら、だからね?」


 念押しすると、彼は自信満々で頷いた。


「はい!」


 次のマルシェでは、そのペアリングをつけて、二人でコウくんの作ったアクセサリーを売っているのかもしれないと思うと、自然と顔がほころんだ。


 なんだかそれは新鮮で、とても素敵な未来だったから――。




お読みいただきありがとうございます!

コウくんが必死に隠した薔薇のつぼみの花言葉は『恋の告白』です。

ちなみに紫陽花は『移り気』だったりします。だけど『家族団欒』という、いい意味の花言葉もあるそうです。





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― 新着の感想 ―
[良い点] ほのぼのとして、春が待ちどおしい作品をありがとうございます。 [一言] ……コネ入社ですけど ➡コウくんが常務より上のコネ持ってたら、辞めなくて済みますね。
[一言] コウくんが可愛すぎてキュンキュンしました!!! 花言葉って素敵ですよねぇ(*´∀`) それを、作品に隠すという、、 素晴らしすぎて辛いです泣 また、機会があったりましたら続編等出していただ…
[一言]  男女間は難しいです。
2017/01/14 14:40 退会済み
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