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疫病神

 闇の中、存在しているのは座布団に正座している童女(わらし)ただひとり。

 閉ざされたまぶたがかすかに震えた。

 誰かが童女を呼んでいる。

 呼ぶ声が、聞こえる。

「わらしは、ここよ」

 ぼんやりとした眼が現れて徐々に焦点を結んでいく。

「よんでいる。おしごと、いかないと」

 立ち上がった童女は、見えない闇床を踏んで歩く。

 切り替わった景色の先は、古めかしい墓場を演出した薄暗いお化け屋敷の一角。そこから続く細道の奥に男がひとり。叫びながら早足で童女のもとへ向かってきていた。

「座敷童! いるんだろう! 出てこい!」

 童女を呼ぶ声。呼んでいたのはその男だった。

「わらしはここ」

 答える声が届いたのか、ようやく童女に気づいた男が走り寄る。

 男はぼさぼさの髪に、無精ひげ。よれよれになったポロシャツにスラックス。悪臭すら漂ってきそうなほどの不潔さ。

 落ちくぼんだ眼窩にこけた頬、筋張った手の甲と折れそうなほど細い指。見るからに病的で、一見死者とも見紛うほど。

 だが唯一影の中に埋もれている眼だけはやけにぎらついて、この男の命を凝縮してそこに宿らせたようだった。

 男は童女の前まで来ると、ニタリと口元に笑みを浮かべた。

「ようやく出てきたな。さあ、さっさと俺に憑いてるやつをとってくれ!」

 挨拶もなく、ただ要求を突き付ける男。童女はコテンと小首をかしげた。

「おしごと?」

「そうそう、お前の仕事だろう? だからさっさと祓ってくれ」

「おだちんは?」

「駄賃? 化け物のお前にはそんなもん必要ないだろうが。今までタダでやってきたくせにいきなりなに言ってるんだ。わけわかんないこと言ってないでとっととやることやりゃあいいんだよ。お前の仕事なんだからさ」

 童女はふるふると首を振った。

「ちがう。おだちんのないのは、おしごとじゃない」

「この餓鬼っ。いいかげんにしないと怒るぞ。俺はちゃんと調べてきたんだからな。しらを切ろうとしたって、そうはいくか。お前は今まで一度も金をもらったことはない! さあ! 観念してとっととやることやりやがれ」

 男が振り上げたこぶしが童女に振り下ろされる。

 だが童女はするりと横に避けて、こぶしは空を切る。

 男の顔が赤く染まる。こめかみがひくひくとひきつった。

「このやろうっ」

 再び振り上げられた男のこぶし。けれどそこで男の面に驚愕が浮かぶ。

「動けねえ!? お前なにしやがった」

「おしごとじゃないなら、わらし、かえる」

 男の問いに答えずに、そのまま放置して童女は闇の中へ帰ろうとする。

 それを引き留めるようにヒヒヒヒという耳障りな笑い声が男の背後から。

「ヒヒヒヒヒ、あーおもしれぇ。いやはやいきなり俺の住処に押しかけてきたときは正気を疑ったもんだが、あんな秘境に入り込んでくるだけのことはある。まったく、あんたは楽しませてくれる。ここに来るのを邪魔しそこなったときはどうなることかと思ったが、さすが俺が見込んだエサだ。期待通りにやらかしてくれやがったぜ」

 童女の前に姿を現したのは、ボロボロになった布を巻きつけた疫病神(やくびょうがみ)だった。風貌は男とよく似ており、布からのぞく手足もまた同じように枯れ木のように細かった。

「やくびょうがみ、このおじさん、きにいったの?」

「おうよ。ヒヒヒヒヒ、封印を解いてくれた上に、こんな楽しいことやらかしてくれるんだから、お気に入りもお気に入りってやつだぜ」

「じゃあ、はなれるつもりはないのね」

「もちろんさ、童女がなにやったって無理だぜ」

「ううん。わらしのおしごとじゃないから、なにもしない」

「おう、話がわかるぜ。だよなー、無償で働くわけないよな。俺だって、こうやって憑いてるのは、俺の仕事なんだから、他のやつにとやかく言われる筋合いもないしなー」

「おしごとのじゃまはしない」

「助かるぜ」

「でも、わらしをよびとめたのは、なぜ?」

「そりゃこいつがまた同じことをしでかして、気が変わった童女が俺のことを引っぺがしたりしないように、こいつと童女に釘を刺しておこうかと思ってな。無理に引き離そうとしたら命の保証はしないぜ、ってな、ヒヒヒヒヒ」

「おしごとならやるけど、おしごとじゃないならやらない。ただそれだけ。ほかのことは、わらし、しらない」

「なるほどなるほど。仕事ならやってたのかー」

「そう」

 童女がこっくりとうなずく。

 それを見た疫病神はわざとらしく大げさに右手で胸をなでおろしてから、浮かんでもいない額の汗をぬぐうようなしぐさをした。

「ひょー危なかったー。でもそうだよなー、仕事じゃないならわざわざこんな面倒なことやらないよなー。ヒヒヒヒヒ、ちゃーんとお仕事してる童女はえらいぞー」

 疫病神が褒めるように童女の頭をゆっくりと撫でる。

 それを童女はおとなしく瞑目して受け、ほんのわずかに口の端が持ち上がる。

「ありがとう。わらしおしごとがんばる。やくびょうがみ、このおじさんからはなれたくなったらいって。わらし、てつだう」

「タダでか? ヒヒヒヒ」

「ちゃんとおだちんもらう」

「俺はなんも持ってないぜ?」

 童女はふるふると首を横に振ると、固まったままの男をすいっと指差した。

「おじさん」

「おお、なるほど! そうきたか。ヒヒヒヒヒ、りょーかいりょうかい。もっとも俺はこいつのこと気に入ってるから、童女に手伝ってもらうような事態は起きないな。でも気持ちだけもらっとくぜ。ありがとうな」

 疫病神はそういうと再び男の中へと沈み込むようにして消えていった。

 代わりというように、それまで存在を無視されていた男の口から抗議の声があがる。

「なに化け物同士で勝手に話進めてるんだよ! 仕方ねえ、駄賃やるから、この疫病神をとっとと祓ってくれ」

「むり」

「こっちが折れたんだからおとなしくいうこと聞いとけよ!」

「いや」

「駄賃さえ払えば仕事するって言ったのはお前だろうが! つべこべ言わずにやることをやればいいんだよ、お前の仕事だろう」

「もう、やくびょうがみとけいやくした。でおくれたおじさんのまけ」

「そんなもん破棄すりゃ済む話だろうが」

「むり。おじさん、やくびょうがみのこうぶつしってる? こうぶつがないと、わらし、よべない。おじさんいがいのおきにいりがみつからないと、やくびょうがみははなれない」

「それを早く言え! 要するに疫病神が気に入りそうなやつに押し付ければいいってことだろ。それを知ってたらこんなとこまで来なくて済んだってのに。まったく使えない化け物だぜ」

「それじゃ、わらしはかえるね」

「おい待て、帰るのは俺の体を動けるようにしてからにしろ!」

 男に返事をせずに、童女は一歩さがって闇の中へもどっていく。

 完全に童女の姿が消えると、男の金縛りが解けて体の自由を取り戻した。

 悪態をつきながら、男の足はお化け屋敷の出口へと向かって動き始める。

 念願の厄介払いができると考えたのか、その足取りは軽かった。

「やっと見つけたんだ。宝の山は誰にも渡さない。あれは俺のもの。疫病神がなんだってんだ。ようやく手に入れた宝を化け物になんか渡すものか。あの宝は俺だけのもの――」

 欲にとりつかれた男は妄執する。

 おとずれるはずのない未来を。

 得るはずのない富を。


 疫病神の好物は、人間。なかでも封印を解いたものや、愚かなものは大好物。

 好物でもって呼び寄せることしかできない童女には、その好物と一緒にいる疫病神を自力ではがすことは不可能だ。

 無理やりはがすためには、死神に頼んで首をはねるしかない。だが童女には死神に支払えるような報酬の持ち合わせはなかった。

「しにがみにおねがいするのはたいへん。おしごとじゃなくてよかった」

 闇の中、ひとり呟いた童女は、ゆっくりと目を閉じた。


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