高く、遠く飛ぶ前には助走が必要だ
鮮やかな作戦や、勝利にも、すごく地味な準備があります。
泥のような眠りから目覚めた。腕の中にフカフカの暖かいものがいる。シリウスか・・・?うん、黒い犬耳、かわいい。癒される。
「主殿、おめざめか?」
「おう・・・ってシリウスよ、お前その姿は……?」
そこには10歳位の犬耳少女がちょこーんと座っていた。こんな服がうちの補給物資にあったのかと悩まされるが、黒いゴスロリ風のワンピースをまとっている。なんだこれかわいい。頭を撫でつつ耳をもふもふしていた。スカートの裾から伸びているしっぽがパタパタと揺れている。やたらほんわかとする寝覚めだった。ドアが開くまでは。
「エレス・・・どこからそんな幼女を連れ込んだの?そもそも連れ込むなら私が先約」
「え~とだな、こいつはシリウスなんだが・・・」
「そう、そんな苦しい言い訳が通じるとでも?」
ミリアムの手に魔力が集中されてゆく。まて、そんなもんぶっ放したら部屋がどうなると思ってんだ!?
「知らない。浮気者を粛清する」
「まて、話せば分かる」
「・・・・ていっ」
やたら軽い口調で放り投げられた魔力弾は、シリウスが指一本で無力化した。つつくだけで霧散するとかお前も一体どんだけ・・・?
「へえ、狼の体より魔力操作が楽にできる。けど、体力がかなり制限されてるみたい。多分同じ年代のこども並」
「狼の状態でもたいがいな魔力だったがな。なんか戦術級以上の魔法すら使いこなしそうだが」
「ほんとにあのわんこだったの・・・?なんか魔力の内包量が人間離れしてるから適当につついてみたけど」
「だからそう申しておる。主殿の番いとはいえ、我が従うは主殿のみ。無礼は控えられよ」
「つがい・・・?」
「子をなす相手はつがいと言わんのか?」
「エレス、この子とてもいい子。私達の子どもとして育てよう」
「シリウス、こいつとはつがいじゃない。俺につがいはいない」
「え、けどあのやかましい人間どもが、奥方様って」
「あー、あいつらこっちがいくら訂正しても直しやがらねえ・・・」
頭を抱えてぼやくとミリアムがドヤ顔で言い放った。
「こうやって外堀を埋めていくのがとても大事」
「まてこらあああああああああああああああああ!!!!」
「ふむふむ、ママの言うこととてもためになる」
「「今なんて言った(の)?」」
「え、主殿のつがいで、我は子供になったんでしょ?だからママと」
「・・・・とうっ」
ミリアムは蕩けそうな笑顔で犬耳少女を抱きしめていた。
「主殿、とりあえず、つがいとは仲良くするのが群れを乱さない大切なこつ」
「ああ、もう勝手にしやがれ・・・」
起き抜けだというのに疲れきってベッドに倒れ込もうとした時、扉をノックする音が聞こえた。
シリウスを抱きかかえたままミリアムがドアを開けると、伝言を持ってきた兵がのけぞっていた。
確かに見ようによっては、辺境伯一家のだんらんに踏み込んだように見える。子供がちーっとばかりでっかいがな。
「どうした?何かあったか?」
「はっ!行軍の日程を決める会議がそろそろ始まります。第三会議室までご足労願います」
「うん、ご苦労さん。下がって良い」
「はっ!失礼いたしました」
ミリアムを伴って会議室へ移動する。シリウスは仔オオカミモードで、いつもの定位置、俺の頭にしがみついている。なんか最近心がささくれ立つようなことが多いので、このもふもふは俺の魂を浄化してくれるような気がしているのだ。
会議は滞り無く進んだ。物資の補給と兵員の補充、負傷者の手当を行う。期間は10日間。王都周辺の諸侯への調略。王都の情報収集。やることは山積している。執務室に移動するよう言われ、俺に割り振られた部屋は書類の山がこぼれ落ちんばかりの高さを持って、俺を迎えていた。こんな歓迎はいらねえ・・・
王都周辺の諸侯への手紙にサインを入れ、封蝋でフタをする。サインを入れ、封蝋でフタをする。サインを入れ、封蝋でフタをする。サインを入れ、封蝋でフタをする。サインを入れ・・・・いかん、気が遠くなってきた。少し外の空気を吸ってくるとアランに告げ、執務室を後にする。
中庭に降りるとなんか怒声が聞こえてきた。
「素振りの速度が落ちておるぞ!そんなことで敵が倒せるか!このXX野郎!」
「「「サー!イエスサー!」」」
「貴様らが近衛騎士なんぞおこがましい!ウジ虫で十分だ!わかったら返事をしろ、このオークのキXXX野郎どもが!」
「「「サー!イエスサー!」」」
罵倒の声と、なんかやたらと揃った掛け声。見事なコール&レスポンスだ。
「サヴォイ伯、なかなか興味深い訓練ですな」
「おお、辺境伯殿。ここではわしは軍曹とお呼びください」
「そ、おう、承知した。で、軍曹、こりゃ一体どんな訓練なんだ?」
「はい、とりあえず腕の筋が切れるまで素振りです。兵を極限状態に追い込みます」
「ほうほう、なるほど」
「次は、中庭をよしというまで走らせます。何周とかいつまでと期限を区切りません」
「そうか、精神力を養うんだな」
「左様、辺境伯は兵士の訓練をよく理解しておられる」
「なに、貴公の老練の手管、ぜひ私も学びたいものだ」
「くくくくくくく」
「ふふふふふふふ」
周囲で素振りをする兵が、大量の運動とは別の汗を垂らし始めていることを、俺達は気づいていなかった。
ノリノリで語り合う訓練メニューを語り合ううち、兵たちの目から光が消えていったのである。
そして、息抜きと言うにはかなり時間が過ぎた状態で執務室に戻り、アランからの冷たい目線に耐えながら、サインと封蝋作業に戻るのだった。
要塞での仕事を初めて1週間、手紙攻勢はある程度の成果を残し、日和見からこちらに付く諸侯の数は日を追って増えていた。このまま主街道を進むと王都に1日の距離で小さな宿場町がある。そこで会盟を行う手はずとなっている。
さて、近衛騎士団のブートキャンプは仕上げ段階に移っていた。
「近衛騎士団は最強だ~♪」「「「近衛騎士団は最強だ~♪」」」
「俺達を倒せる奴はいない~♪」「「「俺達を倒せる奴はいない~♪」」」
「ぶっ殺せ!!」「「「ぶっ殺せ!!」」」
「殲滅だ!」「「「殲滅だ」」」
なんかやたら物騒な歌を歌いながらサヴォイ伯を先頭に中庭を走っている。
号令とともに伯が足を止め、兵たちが所定の陣形に整列してゆく。一糸乱れぬ見事な足取りだ。
「傾注!!」
「「「サー!イエスサー!」」」
「いいか、只今を持って貴様らはウジ虫を卒業する!貴様ら、いや貴公らは騎士だ!」
「「「サー!イエスサー!」」」
「貴公らの誇りは一度地に堕ちた。だがこのわしの訓練を耐え抜き、貴公らは輝きを取り戻した!
わしは貴公らを誇りに思う!我が息子たちよ!」
「軍曹殿ーー!」「教官殿ーー!」「親父ーーー!!」
やたら暑苦しい叫びが飛び交う。ってかこれってあれだよね?洗脳?それもすっごい悪質な・・・
「最後に問う、貴様らの得意とすることは何じゃ??」
「「「殺せ!殺せ!殺せ!」」」
「我らの行く手を阻む敵はどうする?」
「「「殺せ!殺せ!殺せ!」」」
「王家の敵が現れた、どうするんだ?野郎ども!」
「「「殲滅!壊滅!全滅!」」」
あー、なんかこっちでも野郎どもって煽ってるよ。なんか騎士の品性がとかいろいろ突っ込まれたがいいのかこれ・・・?って物陰から見物していたら見つかったのか、サヴォイ伯がイイ笑顔でこちらに近づいてきた。
「辺境伯殿、近衛騎士団の訓練メニューを打ち上げてござる。良かったら一言いただけますまいか?」
「マジデスカ、何も考えてなかったぞ・・・」
「そうですか、では、こやつらに稽古をつけていただけませぬかのう?」
「へ?」
「辺境伯の武勇は我ら骨の髄まで理解しております。何しろ先だっての戦いではこてんぱんにやられましたからの」
「いやいや、正直に言おうか。俺は近衛騎士団の武勇を畏れた。故にあのような策を弄した。同数以上の兵を揃え、打てる手は全て打ったうえで、さらにペテンにはめたのだ」
「皆、今のお言葉を聞いたか!我らの武勇と、辺境伯閣下の知略とが合わされば、まさに天下無双!」
なんかやたら盛り上がりだした。まあ、士気が高いのはいいことだ。
「では、閣下に稽古をつけてもらおうぞ!希望者前へ!」
「「「おう!」」
いつの間にか、従卒兵が俺に木剣を差し出している。受け取ると、前に進み出た騎士と向かい合った。合図もなく体ごとぶつけてくるような突きを受け流し、そのまま剣を跳ね上げる。素手になっても組み付いてくるので、柄で顎を打ち抜き昏倒させる。次が上段に剣を振りかざし飛び込んでくる。剣先で叩いて軌跡をそらし、胴をなぎ払う。
おっと、3人で同時にきたか。向かって右の騎士をすれ違いざまに叩き伏せ、体の向きを変え手前の騎士を弾き飛ばし、二人がぶつかって身動きが取れなくなったのを順番に叩き伏せる。なんか取り囲まれた。とりあえず、動揺の気配を見せる騎士に向け突進し、そこを突破口にして包囲からぬけ出すと、そのまま時計回りに包囲網を逆に叩き伏せてゆく。その場にいた騎士たち全員がいつの間にか木剣を持ちどんどん飛びかかってくるのをなんか楽しくなってきたので次々と叩き伏せていった。
「ふんぎゃあ!」
なんか間の抜けた悲鳴が聞こえたのでふと相手を見るとサヴォイ伯が真向から面を打たれ気絶していた。止めるべき指揮者を失った騎士団は、ひとり残らず俺にのされる羽目になった。
訓練が終わった後のはずの近衛騎士団に怪我人多数、サヴォイ伯も訓練に熱が入りすぎて負傷。デスクワークほったらかしてノリノリで剣を振るっていた俺は、執務室でアランに正座させられて説教を受ける羽目になったのである。どうしてこうなった・・・
近衛騎士ブートキャンプ