辺境伯の知略と懊悩
戦いの裏側です。
グラナダ要塞攻略戦、1日前。会議用の天幕は怒号が飛び交っていた。その周辺には要塞側から放たれた密偵が聞き耳をたてていたのである。怒り心頭の表情で天幕を退出するアルフェンス伯の姿を見て、潮時と判断して密偵は要塞への帰還を始めた。自らが泳がされているとは一切気づくことなく。
要塞周辺の地図には、背後に回りこむ間道、上流の浅瀬と徒歩で渡河可能な場所。近衛騎士団の各連隊長の人間関係や、第ニから第四までの連隊長は、以前の連隊長が団長の後退を認めなかったため、罷免されており、次席の、もしくは積極的に新たな団長を支持した大隊長が繰り上げで任命されており、統制が取れていないことなど、事細かに調べあげていた。怒声を上げる合間に筆談で会議は進んでいく。
エレスの考えた策は東方の兵法書に基づいて書かれていた。曰く、反間計、調虎離山、金蝉脱殻、囲魏救趙、そして背水の陣。
筆談の最初に書かれた言葉、口では全軍で攻める。反対は許さないなどと大口をたたきつつ告げた内容は、天幕周辺に密偵が潜んでいること、仲間割れを偽装し、敵を油断させる・・・反関間計
自分の手勢だけで渡河し退路も自ら断つ。(筏も築城の資材とする。築城の速度を上げるための処置でもある。)これにより敵はかさにかかって攻めてくるだろう。仲間割れを起こしている敵を各個撃破の好機と読むはずだ、河周辺で戦うことで要塞と敵兵力を分断する・・・調虎離山
ここからが今回の策の要である。オルレアン勢とアルフェンス勢は上流の渡河地点から川を渡る。オルレアン勢はサヴォイ伯を護衛し、間道を通って要塞の背後から侵入する。トゥールーズ侯から、王都の兵の割符を調達しているので、王都からの援軍名目で要塞に入り、サヴォイ博が第五連隊を説得し、要塞を乗っ取る。ここまでを日暮れまでに実施してもらいたい。アルフェンス軍は、ラーハルト勢の救援を行う。ただし、あまり早く撃退すると要塞奪取ができない可能性がある。よって日が暮れ始める頃を見計らって攻撃を仕掛けること。そして両軍が動いていることをさとられないために、バルデン勢が本陣を守り、同時に兵が減っていないことを偽装する・・・金蝉脱殻
要塞と兵力を分断し、各個撃破する・・・囲魏救趙
そのことによって敵軍を崩壊に追い込み、心をへし折ったうえで、絶対的指揮官のサヴォイ伯による説得で、近衛騎士団を取り込む。
そして一番過酷な戦場を担当するラーハルト勢。戦いに臨む地形は、水を前に、山を背にするが上策とされる。それを、山(要塞)を前に水を背にしている。常道を逆に行く戦場で生き残れるはずがないとの批判は当然出た。兵は死地に置けばすなわち生きる。ラーハルト勢の精鋭は近衛騎士に引けは取らない。野戦築城で防備も整える。水堀と土塁の陣を使ったいわば籠城戦である。背後の河から攻められる危険はない。局地的に見れば、有利な地形で戦えるのである。なにより、夕刻まで持ちこたえればアルフェンス軍が救援に来るのだ。どうやって負けるんですか?と笑みすら浮かべてエレスは言い切った。アルフェンス伯は泣き笑いの顔で、
「もう付き合いきれぬわ!わしはこれにて失礼させていただく!」
と怒声を上げ、完璧な礼を施し天幕から退出していった。
同様にオルレアン伯も部下を率いて退出してゆく。
ミリアム嬢がなにか言いたげな表情を浮かべたが、エレスと目線だけを合わせて伯に従って退出した。
歴史に残る決戦が幕を開けた。戦いに参加するものは、勝利後に得られるであろう名誉を想像し気を高揚させ、またあるものは、自らの武名が上がることを望む。報奨を約束された兵たちの士気は高かった。そしてある者は、自らの双肩にかかる責の重さに、一人身震いしていたのである。
後日アルフェンス伯嫡子ウォルト卿はこう述懐している。こんな策は智者と言われる父でも考えつかない。よく、ナガマサ殿やトモノリ殿が、うちの殿は昼行灯とぼやいていた。しかし、この人が昼行灯ですごせる世を見てみたいと思ってしまった。いや、この人を昼行灯にしないと、恐ろしくてどうしようもないと。後で聞いたところによると、ナガマサ殿が持っていた兵法書を一時期読みふけっていたことがあるとのことだった。今度、自分も借り受けて読んでみたいと申し出、快諾されている。
---要塞詰めの兵の回顧録より抜粋---
戦いの翌朝、オルレアン伯令嬢ミリアム殿が辺境伯の居室に入り込み、騒ぎを起こされたようだ。関係者は、やれやれまたかの一言で済んでおり、ラーハルト家の底しれなさに畏怖を覚えた。
負傷者には治癒魔法が施され、戦闘に耐えられない者は後送された。近衛騎士団の負傷者は、このまま要塞に留め置かれるようだ。
この戦いの戦死者はまとめて埋葬された。3倍以上の兵を一手に引きつけて戦ったラーハルト勢は過去最大の損害を受けており、戦死者は100近くにのぼった。会戦の戦没者の名前を彫りこんだ石碑を立てるようにと辺境伯から希望があったそうだ。無論、敵味方の区別なく。
出撃の前夜、仮に置かれた墓碑に辺境伯が現れた。裏山の頂上付近に生えているという月光花と一献の酒を供え、戦没した兵を悼み落涙したと伝えられている。
三十六計から引っ張ってみましたが、違和感あったら消すか、書き換える可能性あり。
次回は、王都に向け進軍開始となります。