欲望にその身を焦がせ
緩慢とした意識の中を溺れていた。
全身がまるで鉛みたいに重怠いのに、頭だけはふわふわと回る。
苦しくて身じろぐと、柔らかいものが気遣わしげに頬を撫でた。
――何となく“彼”だと思った。
火照った私の身体を鎮めるように柔らかな被毛が肌を滑っていく。
すると過敏になっていた神経のせいでぞくりと鳥肌が立って、熱い吐息が思わず零れた。
「ふ……」
その刺激に驚いて見開いた世界に広がったのは、美しい白の鳥。
木の根に胡座をかく彼の温もりに抱かれていたのだと、やがて分かった。
私は乾いた唇を微かに動かす。
「夢の中で女の子に逢ったの。その子と一緒に砂漠に行ったり宇宙を飛んだりしたんだよ、信じられる?……イヴァンカは世界は全部夢だって言ってたんだ。
ねぇアエトス……これも夢?」
「“彼女”がそう言うなら、その通りなのだろう。しかし貴女も私も――今はここに居る」
アエトスはそう言って、私を抱く腕に力を込めた。
「……うん」
彼のもこもこの感触が剥き出しの肌に当たって心地好い……と、そこで重大なことに気付いた。
「な、何で裸なの!?」
いつの間にか、私は生まれたままの姿になっていた。
彼に包まれているから大事な箇所は隠れるけど、ジャングルで全裸になるだなんていくらなんでもちょっと野性味が溢れ過ぎだ。
一体どうしてこうなったんだろう。
「貴女の吐瀉物や排泄物で汚れたので悪いとは思ったが――全て脱がせた」
「えっ、吐いたの私?」
「三度程」
「……もっ、漏らした?」
「そうだ。幸いこの先を進んだ所に水場があったので、洗って乾かしてある。だから大丈夫だ」
大丈夫だ、という部分をやけに協調している。安心させるためだろうか。
(全然大丈夫じゃない、むしろ女子として色々終わった!)
「うぅ……もうやだ」
「……理花、泣かないでくれ」
堪えきれない様々な感情が濁流のように押し寄せてしまう。
発熱の苦しさも相まって、私は幼子のように鼻を啜った。
アエトスは酷く困った様子で、だけどそれでも手の甲を器用に使って涙をごしごしと拭ってくれる。
「どうして……私を助けてくれるの」
「貴女が私を助けてくれたからだ。覚えていないだろうが――私は貴女によって、魂の意義を与えられたのだ」
「あなた……人間じゃないよね?」
「“彼女”と同じく、私は霊体の存在だった。以前からずっと貴女の周りを漂っていたのだが、この世界に来た際に物質的な肉体を得たらしい」
「じゃあ、アエトスは私と同じ地球から一緒に来たんだ?」
「貴女とともに在ることが私の至高だ」
何だか少しだけ嬉しくなる。見知らぬ土地でたった一人ぼっちでは無いのだと、そう思ったからだ。
「あの子、私の守護霊なんだって……知ってたの?」
「そういう存在が貴女とともに在るのは感じていたが、あまり彼女のことを詳しくは知らない」
「そうなんだ、イヴァンカはアエトスのこと良く知ってるっぽかったけど」
「彼女は上級霊――獣の私と彼女では、在るべき場所が違う。
彼女は私を認識出来たかもしれないが、私が彼女の姿を捉えることは不可能だ」
それに――と言い掛けて沈黙する。
じっと見つめて先の言葉を促すと、彼は明後日の方向に顔を逸らして呟いた。
「正直、貴女のことしか見てなかった」
「え……」
「貴女以外のあらゆる存在や事柄はどうでも良かったからだ。以前の世界では、日々を過ごす貴女の姿を片刻も見逃さぬように、寝食や入浴に至るまで――その様子をいつも観察していた」
私はごくりと唾液を飲む。
「そ、それってストーカー……」
呟いた瞬間、アエトスが大きく身じろぎする気配がした。
それから暫らくの間を置いた後に、
「……すまない」
と、重々しく唸る。
「私はしょせん下賎な獣だ。だからという訳では無いが……人間の排泄などに特別な感情を抱くことは無い。
以前から貴女を通して人間の習性を学んだので、ただの生体活動の一環と思っている。だから、気に病む必要は――」
「ちょ、ちょっと待って、もしかしてお風呂だけじゃなくトイレに入ってる時も私を見てたの!?」
「………」
「ウソでしょう……?」
「……すまない」
「……消えたい」
疲労感でぐったりと彼に頭を預けた。今日はもう本当――色々とあり過ぎる日だ。
全てに突っ込んでいたら精神のほうが先に参ってしまいそう。
「もうしばらく休息を取るべきだ」
「うん……私もそう思う……」
そろそろ色々な意味で限界だ。取りあえず、体調を治すことに専念しよう。
アエトスの逞しい腕の中で、芋虫みたいに身体を丸めて目を瞑る。
きっと考えなくてはいけないことがたくさんある。
これからどうなるのか、どこへ行ってそして何をすれば良いのか。
どうやって――帰れば良いのか。
もし、現実と信じている世界が夢だとしたら?
夢だと思っていたことが、本当は現実だったのかもしれない。
それでも――この世界で怪我をすれば痛いし、熱が出れば苦しいのだ。
お腹も空くだろうし、物を食べれば排泄だってする。
誰かに抱き締められれば――何故だか切なくて、泣きたくて堪らなくなる。
だって生きているから。
この場所が夢だろうと現実だろうと、私は確かに生きているのだ。