魂の旋律を叫べ
「――理花、起きてっ、ほら早く!」
「うぅ、痛い……」
聞き覚えのある無邪気な声だった。頬を軽くぺちぺちと叩かれて仕方無く身体を起こすと、
「やーっと起きた。お寝坊さん」
「……あなたが幻聴の子なの?」
淡い褐色の肌に簡素な生成りの服をまとった、快活そうな異国の少女が立っていた。
純黒の長髪と同じ色のくっきりとした深淵な瞳が印象的だ。
ふと、自分の周囲を見渡して驚愕する。爛々と主張する太陽の下、一面の砂漠が広がっていたからだ。
「ここはアタシ達が生まれた、そして忘れられない思い出の場所」
「……私はこんな所、知らない」
「覚えていないだけだよ」
「そんなのどうだって良いよ……!」
立ち上がって少女と向き合う。私のほうが僅かに頭の高さが上だった。
「あなたは知ってるんでしょ?あそこは一体どこ!?何で私はあんな所に居たの、何でイカが森で襲って来るの、何で――人の形をした鳥が喋ってるの!?」
癇癪を起こしたみたいにまくし立てる私の頬を、大粒の涙が伝っていく。
少女は、そんな私を見つめてゆったりと目を細めた。
「あの世界は“ガイア”――アナタが居た世界とは異なる進化と発展を遂げた、もう一つの地球」
「もう一つの地球……って何?」
「世界はね、一つだけじゃないの。例えば今日のお昼はカレーが良いかラーメンが良いか迷うとするでしょ?
その時点で最低でも二つの世界が同時に存在する。カレーを選んだ世界と、ラーメンを選んだ世界ね。
可能性のその数だけ世界があって、宇宙もある。そしてそれは無限なの」
「……じゃあ私は、同じ地球だけど違う地球に来たって言うの?」
訝しげに見つめると、彼女は僅かに肩を竦める。
「そんなとこ。それから理花を襲った“あれ”はイカじゃないよ、彼らは外宇宙からやって来た異次元の存在」
「異次元?」
「いわゆる、宇宙人ってやつ」
「宇宙人って本当に居るの!?」
「あなたの住んでた地球にもずっと昔から居るよ?人間のふりをしてるから分からなくて当然だけど」
「宇宙人ってあんな凶悪なイカだったんだ……」
昔の映画で観たコミカルで可愛らしい宇宙人のイメージしか無かった私は、先程のグロテスクな怪物の姿を思い出し、露骨に顔をしかめた。
「だからぁ、違うってば!イカはただの“器”なの。本来の彼らには実体が無いから。彼らはこの惑星のルールを破った無法者。きっと人を食べたり……色々したりして、自分のエネルギーを高めるために来たんだと思う」
「へぇ……ルールとかがあるの?」
「どの平行宇宙においても、この惑星に力を持ち込むことは許されないわ。それは理花の居た地球でも同じこと。エネルギーの存在である彼らがこの惑星に直接介入するためには、三次元的な入れ物が必要なの」
「それってつまり……え、えっと、どういうこと?」
「……つまり彼らは目に見えない幽霊みたいなもので、あのイカは幽霊が乗るためのロボットってこと!」
それ以上の説明は私の理解力の許容範囲外だと悟ったらしい。
彼女はそれきり閉口してしまった。
私よりも少し歳下だと思うのに、何だか随分と難しいことを言う子だ。
(ってあれ……?私いつの間にかこの子の話しを信じちゃってる)
眼前の少女の顔をちらりと窺う。
この子の雰囲気は独特で、言葉にも妙な説得力がある気がする。
突飛なことばかりなのに何故だかそれを信じさせるだけの要素が、彼女にはあるのかもしれない。
それとも、やっぱりこれも夢――?
「夢だよ。“ここ”でのことも、今までの地球での暮らしも全部ね。この世の全ては――夢。
現実とは、理花が現実と認識しているものに過ぎない」
「……私の心が読めるの?」
少女は微笑む――と同時に、周囲の景色が大きく渦を巻いて歪み出した。
沢山の絵の具がぐちゃぐちゃに混じり合うみたいな、混沌とした不安定な世界だ。
私は目を瞑って彼女へ叫ぶ。
「っ、これ何!?」
「――ねぇ理花。命として誕生する前、魂として存在する前のことを憶えている?」
呼ばれて目を開くと、そこにあったのは沢山の星々が並ぶ世界だった。
多くの人々が写真や動画でしか見たことの無い広大な宇宙空間に、私達はふわふわと浮かんでいたのだ。
太陽を囲むように、大きさも色も異なる恒星達が螺旋状に配置されているその光景に、私はただ圧倒されるばかりで言葉を失う。
――ああ、眼前に耀くあの紺碧の惑星はきっと地球だ。
「アタシ達は、この宇宙を駆ける一粒の星くず。散らばった夢のカケラ。
夢の体現であるアタシ達が夢を見た――それが命の始まり。人生は流れ星のように、儚く美しいものなのよ」
少女が言うと、暗黒のキャンバスに色とりどりの流星群のシャワーが降り注ぎ、私達の視界いっぱいに光線が広がっていく。
それを見つめる彼女の瞳は、水面のように艶めいていた。
「あなたは……誰?」
「アタシはかつてあなただったモノ。あなたの過去、記憶の残骸。そして――あなたの守護霊だよ」
直後、周囲の世界が再び大きな渦を巻き始めた。
それと同時に強い引力に身体が後方へと引っ張られ、私はゆっくりと彼女の元から離されていく。
「そろそろお別れの時間みたいね」
――待って、まだ“彼”のことを聞いてない!
「それは彼自身から直接聞いたほうが良いよ。アタシは理花のことなら何でも知ってるけど、何を教えても良い訳じゃないもの」
――また逢える?
「忘れないで理花、あなたの波動が下がればアタシの姿は消えてしまう。こうして会話することも困難になるわ。
正確には見えなくなるの。いつも傍には居るけど、あまりにお互いの波動領域が違い過ぎると繋がれない」
「だから、自分を見失わないで」
――あなたの名前は?
「アタシはイヴァンカ。創世の書より“エヴァ”と呼ばれた者」
やがて私は身体ごと深い渦中へと飲み込まれ、そのまま彼女の姿は見えなくなった。