喪失に咽び泣け
歪んだ表情を浮かべる青年は、不快そうに鼻を鳴らす。
「当然、あんたを匿っていたこの婆さんと弥七も同罪。打ち首の刑だろうよ。あんたらの命を引き換えにすれば、この村は勘弁してもらえるやもしれんな」
お婆さんと弥七さんを、交互に睨み付けながら言う。
「こやつらには関係無い、差し出すのは妾一人で良いであろう?」
「無理だな、一蓮托生だ。この二人はそれだけのことをしたんだ。
もし悪僧に見逃されたとしても、オレ達が決して許しはしない。村の奴ら全員で処刑してやる!」
「……そうか。ならばそなたと参る訳にはいかぬ」
眉間を寄せた天子が青年を見上げる。すると彼は、急に焦った様子で身体を強張らせた。
「何、だ……身体が、動かん……」
「案ずるでない、霊気を流しているだけだ。そなたには強い力だろうから少し眠ってもらうことにはなる」
天子が青年の額に掌を置くと、途端にその身体はぐしゃりと倒れ込む。
気を失ったらしい青年を眺めながら、天子は深い溜め息を付いた。
「すまぬ、よもやここまで悪僧が追って来るとは。妾がこの村に留まったばかりに、大層ことになってしまった……」
「いいえ。何も知らされなかった天子様に非はありませぬ。全てわっちと弥七とで、あなた様の御身を隠し通そうと決めたこと」
憤りを含む天子の視線が、正座するお婆さんへ落とされる。
「やはり村人同士の小競り合いというのは偽りだったのだな?この妾を謀ったのか、婆殿」
「廉潔な天子様のこと、事実を知れば真っ先に飛び出して行こうとなさったでしょう。可愛い娘を悪僧に渡して喜ぶ親など、どこに居りましょうか?
わっちはもう二度と、家族を失いとうないのです。例え……村の人間が何人犠牲になろうとも」
毅然と答えるその顔には、固い決意が感じられる。いつもの穏やかな微笑みはもうどこにも無かった。
天子が言葉を詰まらせると、お婆さんは腰を動かして床のむしろを引き剥がし、小さな地下収納から風呂敷包みを手に取る。
それを大事そうに持って立ち上がり、弥七さんへ差し出す。
「お前は天子様を連れてお逃げ。ここもいつ襲われるか危ういだろうからね。
いずれこうなるやもと、僅かだが用意しておいた食料だ。二人でどこか遠くに身を潜めて、達者に暮らしなさい」
「…………」
「なっ、何を言っておる。妾はどこにも逃げ隠れたりはせぬ。大体、婆殿はどうするつもりだ」
「老いぼれに旅など出来ませぬ。それにわっちはこの地で骨を埋めると決めております。さぁ弥七、早くお行き」
お婆さんが語尾を強めた。ぎゅっと口を結んだ弥七さんは、膝を落とし床に伏せると、額を付けながら深々と座礼する。
まるでお別れの挨拶をしているかのようだ。
「……弥七」
弥七さんに顔を上げさせたお婆さんの指が、彼の前髪を掻き分けた。
晒された榛色の瞳を愛しげに見つめて、幼子にそうするみたいに、何度も何度も頭を撫でやる。
「お前と出逢ったのはきっと天の思し召しだ。満足な暮らしはさせてやれなかったけど、立派な優しい子に育ってくれた。
お前はいつまでも自慢の息子だからね。天子様をしっかり守るんだよ」
膝の上でこぶしを握り締めて頷く弥七さんの眼差しには、強い意思と覚悟の色が宿されていた。
どこか焦った風に天子が口を挟む。
「そのようなこと許さぬ、認めぬぞ!村人や婆殿を身代わりに出奔するなど、申し訳が立たぬではないか!
ど、どうしても逃げるというなら婆殿もともに参ろう?ほれ、妾はもう歩けるのだから弥七が婆殿を背負ってやれば良いのだっ!」
言いながら天子が大袈裟に足踏みして見せるも、すぐに重心をふらつかせてその場に崩れてしまう。
立つことは出来ても、まだ彼女の足は完治していないのだろう。
天子は俯いて顔を歪ませる。
「……だ、大丈夫だ。走るのは難しくとも、歩くことなら」
「天子様」
「大丈夫だと言っておるのだっ!」
「天子、いい加減聞き分けなさい!」
「……っ」
怒声にびくりと肩をすくませた身体を、優しい抱擁が包み込んだ。
どこか堪えるように目蓋を閉じて自分を抱き締めるお婆さんの姿に、天子の瞳が大きく揺らめく。
年老いて曲がったお婆さんの背中に両手を添えると、天子は流れる一筋のもので頬を濡らした。
「嫌だ……妾のことを娘と申したではないか。妾達は家族では無いのか?
真の家族とは、ずっとずっと一緒に暮らすものなのだぞっ」
「家族だからこそ、あなた様には幸せになって欲しいのです」
お婆さんがくしゃりと破顔して答えたその直後のことだった。
天子の眼前で、細かく弾けるような血飛沫が舞い散ったのは。
「ふざけるな……村人が犠牲になっても良いだと?やはりしょせん余所者ということか。
昨日殺されたのはオレのたった一人の妹だったんだ……!」
ふらりと起き上がった青年が鬼のような形相をしながら、お婆さんの背後で小刀を振るったのだ。
青年の手にある真っ赤な絵の具を垂らしたみたいに染まる刃先に気付いて、天子はゆっくりと身を離す。
「婆殿……?」
お婆さんの首からは、おびただしい量の血が吹き出していた。
天子の瞳が大きく見開かれる。
ひゅーひゅーと唇を震わせながら、お婆さんが天子の頬へ手を伸ばす。そして掠れ切った小さな声で呟いた。
「……て、こ様……行き、な……っ」
最後まで言い終わらないうちに、やがてがくりと頭を項垂れた。
「ば……婆殿?そんな、婆殿、婆殿!目を覚ませ、十亀っっ!!」
天子はお婆さんの名前を呼び、その身体を激しく揺さぶり続ける。
けれどお婆さんはぐったりと天子の身体に寄り掛かり、光の途絶えた薄目を開けたまま、身じろぎさえすることは無かった。
「ウソ……」
泣き叫ぶ天子の傍で、私も両手で自分の目を覆った。
これは夢の中の出来事だと思っていたのにそうではないのだと気付いた。
ああそうだ――この悲劇を、かつて私は見たことがある。
今の私じゃない別の私だった頃に。
身体が小刻みに震え出す。喉からせり上がる熱い何かを、必死に抑えた。
この夢は――――私の過去だ。
先に動いたのは弥七さんだった。
後ろから体当たりして、よろけた青年をさらに床に叩き付ける。
その拍子に手から離れた小刀が、弥七さんによって外へ投げ捨てられた。
低く唸る青年の腹部に馬乗りになると、ふーふーと息を荒げて青年の顔や腹を殴る。
殴りながら、泣いていた。
どれくらい殴り続けただろうか。
もう青年はぴくりとも動かなくなってしまい、微かに漏らしている呼吸音が聞こえるだけだ。
青年から離れ、弥七さんは風呂敷包みを取って身体へ巻き付ける。
お婆さんと抱き合ったまま放心する天子に近寄ると、物言わなくなったお婆さんをちらりと見下ろしてから、天子だけを抱え上げた。
どさり、とお婆さんの身体が崩れる音が響く。
「……離せ、十亀が、十亀がぁっ!」
喚いて暴れる彼女をしっかりと抱きとめて、弥七さんは横たわるお婆さんの身体に一礼をする。
その後、すぐさま走り出した。
「きっとあそこの山を越えて行くつもりなんだ……」
村の裏手にある、鬱蒼とした山のほうへ向かった二人の後を追い掛けた。
外はすっかり仄暗い。お婆さんの小屋は村の外れに建っているから、他の誰かに出くわす心配は無いはずだ。
走りながら振り返ると、遠目に村の様子がうっすらと見えた。
数名の僧兵達が家屋を襲い、出てきた村人を容赦無く斬り捨てている。
恐怖と混乱で逃げ惑う人々の絶叫が、こちらにまで木霊していた。
思わず顔を逸らす。あんなの私なんかにどうしようも出来るはずが無い。
言い訳じみた言葉が次々に頭に浮かんでは消えていく。
何も悩むな。見捨てていることには変わり無いのだから。
大昔の日本では、寺の僧侶が武士のような高い戦力を持ち、貴族と同じくらいの権威を振るっていた時代があったのだという。
まざまざとそれを見せつけられた気がして恐ろしかった。
振り切るように私はただひたすら走り続けた。




