大好きな『彼』と犬井さん
オフィスビルの中に紛れ込むようにして、日和の好きなその店は存在する。
大通りを右に曲がって、裏路地を左に。こじゃれたレストランを真っ直ぐ行って、右に曲がれば、お目当てのお店にたどり着く。
扉を開ける。ドアベルは鳴らない。
「こんにちは、犬井さん」
「……こんにちは、日和さん」
カウンターにいるマスターが挨拶してくれる。少し素っ気なく感じるけれど、これがこの人の性格だと知れば、今では違和感を感じることはない。
中に入ると、『にゃあん』と甘えるかのような声が聞こえた。日和は思わず笑顔になって、カウンターに座る。
そして、となりの椅子に座っていた一匹の猫の頭を撫でた。
「こんにちは、クーちゃん」
クー、と呼ばれたラガマフィンの雄猫は、ゴロゴロと喉を鳴らして日和の来訪を歓迎した。今日も今日とて愛くるしいこの猫は、このお店の看板猫である。
「……今日、は、何飲みますか?」
「じゃ、いつものお願いします」
犬井はこくりと首を縦に動かして、準備をし出す。
『いつもの』と言って分かるくらいには、日和はこの店『ひなた』の常連となっていた。
「くーちゃん、いい子にしてた?」
飲み物が来ない間、日和はクーの喉を撫でたり、背中を撫でたりする。
ラガマフィンであるクーは性格も穏やかで、人懐っこい。フワフワの灰色の長毛は、絹のように滑らかで手触りは最高だ。毎度毎度美しい。
恐らく犬井が毎日ブラッシングをしている賜物なのだろう。大切にされていることがよく分かる。
「……はい、日和さん。いつもの」
「わぁ、ありがとう!」
日和の『いつもの』キャラメルラテが、静かにカウンターに置かれる。日和は瞳を輝かせて、一口口に含んだ。クリーミーなミルクとキャラメルの味はぶつかり合うことなく調和していて、日和は思わず恍惚としたまま、ほふぅと吐息を溢した。
「やっぱ、犬井さんのキャラメルラテが一番好きかも」
「……どうも」
素っ気ない態度。だけど、耳の端が赤くなっているところを見ると、照れているようだった。なんだか犬井の秘密を日和だけが知っているような気がして、思わず『ふふっ』と笑った。
「にー」
「はいはい、忘れてないよ」
『無視しないで』とでも言うように、クーが日和の膝に乗る。流石に成猫であり、元々ラガマフィンという種が中型~大型種であるため、膝の上に乗られると結構な重みを感じる。
だけど、それでも進んで膝の上に乗ってくれるのは、日和にとって嬉しいことであった。
フワフワの背中を撫でる。ゴロゴロという喉を鳴らす低音が店のBGMに紛れ込み、規則的に尾がパタリパタリと弧を描きながら動く。
「……最近、忙しかったんですか?」
「そうなんです。大学で、実習があって。癒されにきました」
日和は、近くにある国立大の看護学部に通っている。丁度、初めての実習が昨日終わったところだった。
「……まだ、忙しいんですか?」
「もう実習終わりましたから、これからはまたたくさん遊びに来ます!」
「にゃー」
「クーちゃんとも遊びたいし」
日和が視線を下ろすと、クーも日和を見上げていた。
アーモンド型のブルーの瞳による上目使い。大きな耳の飾り毛や、長いおひげ。美人さんだなぁと思いながら、喉を撫でてやった。途端に目は糸のように細くなり、更に頭が後ろに仰け反る。
何故、猫とはこうも可愛らしい存在なのだろう。猫好きである日和ははふぅと感嘆のため息を溢した。
犬のように飼い主に忠実な訳じゃない。気紛れで、たまに素っ気ないところもある。だけど、そんな姿がたまらなく愛らしい。
この気紛れに動く尻尾に惑わされたい。
この綺麗な瞳で見つめてもらいたい。
気に入ってくれるのなら、どんなことでもしてあげたい。
ふんとそっぽを向いていたのに、帰る頃になって寂しそうに鳴く姿を見て、身悶えしない人が一体いるのだろうか。
日和は、帰る頃になると寂しそうに鳴き、日和の足に頭をスリスリするクーに何度『あと10分』という言葉を使っただろう。
魔性とか、小悪魔という言葉は、人間に使うべきではなく猫に使われるものだと、日和は常々思っている。
「最近寒くなってきましたね」
「……風邪、気をつけてください」
「私はほら、体力には自信ありますし!それに看護師目指しているから、負けません!」
「…………でも、寒い格好はしないようにして下さい」
「ふふ、ありがとうございます。犬井さんも、気をつけてくださいね」
「……ありがとう、ございます」
「にゃあ~」
「うんうん、クーちゃんも気をつけようね」
ゆっくり、時が流れていく。
幸せだなぁと実感しながら、日和はクーを撫で続けた。
突発的に書きたくなりました。猫カフェいきたい。