ロブと裸祭り
さえざえとした朝の空気を引き裂いて、けたたましい鐘の音が鳴った。
それと同時に声をあげて極寒の湖へと駆けだす裸体の男達。
肌を指す湖水の冷たさ。それを紛らわせようとしているかのごとく、叫び、吠え、泳ぎ回る。
跳ね上がる水飛沫。冬の寒気に身を晒され、氷の結晶になりそうな勢いだ。
八回目の鐘が鳴る。男達は待ってましたと言わんばかりに、湖岸へと殺到し始めた。
「FUCKING COLD!」
細身ながらも鍛え抜かれた身体を震わせながら、ロバート・アイスマンは母国語で毒づいた。
纏わりつく湖水に寒風が吹き荒び、来日してきたこの白人の体を芯まで冷やしていく。身に纏う一丁の褌すらも凍結しそうなこの寒さ。これで雪が降っていたならこの程度の発狂具合では済まなかった事だろう。
「何じゃ何じゃ若いのに情けない。ロブ、お主もアイスマンを名乗るなら、この程度の寒さで根を上げるでないわい」
「やかましいぞクソ爺……そういう台詞は達磨のように着込んでいるそれを脱いでから言いやがれ」
枯れ枝のような体を防寒具で達磨の如く膨れ上がらせているこの白人の老人。白い長髭を垂れ流した物語の中の魔法使いを思わせる彼の名はウィズリー・ウェイトリーという。ミスカトニック大学にて考古学と民俗学を教えているこの老教授、現在は旧神なるマイナーを超えたマイナーな神格に関する情報を求めて世界中を飛び回っているのだった。
とは言え、此度の旅路は旧神の情報を感知して……という訳ではない。ここ日本にて知り合い、色々と世話になっている天間教授の付き添い……というか、物見雄山気分でこの金鶴村を訪れたのであった。
それだけならばまだいい。もとより探求しているのは人知れぬ神格。とかく情報がないこの旧神なる存在を追うには、世界津々浦々を根気よく歩き回らねばならない。こういった古めかしい伝統の残る村などには、思いもよらぬ伝承が残っているものである。とにかく足を使わねば、老教授の求めるものは手に入らないのだという事を、助手であるロブは十分に理解していた。
しかしだからといって、何故自分がこの村の祭りに飛び入り参加しなければならないのか。言い出しっぺの老教授がぬくぬくとしながら甘酒なんぞを啜っている姿を、ロブは恨めしそうな目で見つめた。
「は、は、は、はっくしょん!」
「おい大丈夫か、ナンベ」
「な、なんとか……」
奥歯をガチガチと鳴らしながら、震える手で眼鏡をかけなおしているのは南部智男。取材旅行の中で知り合ったこの青年もまた、老教授の無茶ぶりに付き合わされた犠牲者の一人である。
ロブと同じく褌姿。その裸体には、時計の秒針を交差させたような意匠のその十字架を身に着けている。一見するとどこにでもいそうな特徴のない青年に見える彼だったが、実のところとんでもない爆弾を抱えていた。
アメリカ生まれのキリスト教系過激派新興宗教、聖受難教会の信奉者なのである。聖書に書かれたことが全てだと考えているこの宗教カルトは今の俗世に迎合しきったキリスト教宗派を激しく非難、悪魔の企みを打ち砕き人々の過ちを正すべく日夜はた迷惑な活動を精力的に行っていた。
異教の芸術や聖書の教えに合わない古物を激しく敵視している彼ら。つい最近も、信者がアメリカの博物館に忍び込んで非常に貴重な恐竜の化石を破壊しようとして捕まったと話題になっていた。曰く「地球が生まれたのは六千年ほど前なのは確定的に明らか。二億年も前に存在した生物などありはせず、これは悪魔が我々を惑わそうとするために生み出した紛い物に他ならない」から破壊しようとしたとのこと。
幾ら非難されようと同じような問題行動を繰り返すこのカルトを真っ当なキリスト教宗派は当然非難したが、代表者たるトンプソン神父はどこ吹く風。それどころか「自分達こそが正しいのだこの不信心者共めが」と言わんばかりに中指を突き立てるような言動を返す始末である。
そんなはた迷惑なカルトを信仰している南部だが、彼自身はどちらかというと穏健派である。強制された祈りは真の信心を生み出さないと考える彼は、異教の過ちは自然に目が覚めるまで待つべきとの考えの持ち主であった。
とは言え。それはあくまでも周囲に被害をもたらさない場合に限られる。他の信者同様、悪魔の邪悪な目論見に対しては我が身を犠牲にしてでも阻止してみせるという気概を持ち合わせていた。
さて、そんな彼が何故異教の研究をしているロブ達と一緒に行動しているのかというと。それは彼の正義感が引き起こした行動の自業自得ともいえる結果であった。
とある村にて血生臭い儀式が今も続けられているとの情報を得た彼はその祭儀を阻止するべく立ち上がったのだが、どうしても仕事時間との兼ね合いが取れない。そこで彼は、正義を貫く事を決意。思い切って仕事を辞め、自費で必要な物を集めてその村に向かったのであった。ところが、彼が信頼していたその情報源はなんとエイプリルフールのネタであったのだ。当然の事、彼はただただ仕事を失っただけ。その村で知り合ったロブが老教授の助手をしていると聞くな否や、自分も雇ってほしいと老教授のもとに押し掛けてきたのである。
他宗教の研究をしているウェイトリー教授のもとで、果たしてこの熱心な聖受難教会の信者がやっていけるのかと疑問に思ったロブであったが、意外や意外。異なる宗派の研究に関しても、非常に熱心に取り組んでいた。もっとも、「敵となる悪魔を知らねば有効な対策は立てられない」が故に学んでいるだけで、異教の教えを認めた訳ではないようであるが。
また、意外な事に老教授の研究対象である旧神について、南部は強い興味を覚えているようだ。今まで収集した情報から、旧神が天使や唯一神に近しい扱いを受けている事から、異教から見たキリスト教の天使や神の姿を現しているのではないかと妄想を膨らましているようだった。
そんな二人の若者に、あたたかな甘酒を手渡すのは知的な印象を受ける眼鏡姿の女性。
「ご苦労様です、これをどうぞ」
「あ、有難うございます美慧さん!」
「有難いっちゃ有難いが……今はアマザケよかアルコールが欲しい……」
紙コップからかじかんだ手に伝わる暖かさに癒される裸身の男二人。
「いや災難だったね、君達」
苦笑するのは白髪がようやく混じり出した小太りの紳士。鳥取大学の民俗学者である天間悟郎教授は、その教え子である立花美慧と共にまだ見ぬ日本の風習を求めてこの村にやってきたのだった。
そしてその後ろには、東欧系と思わしき黒髪の白人女性と小学生くらいの背丈の子供。新興魔女カルトの車輪党に所属する魔女ドビーと、彼女が旅の中で保護したという魔王イリアの二人組だ。一見すると少女にしか見えない白子の少年、イリアは初めて口にするであろう甘酒に目を輝かせている。一方、ドビーはケラケラ笑いながらロブと南部にタオルを差し出した。
「ほんとに残念だな~。女子禁制でなかったら私も参加したかったんだけどね~」
流暢な日本語を話す黒い瞳の美女にロブは「嫌みか貴様」と返そうとして、止めた。皮肉なんかじゃない。ドビーは本心からそう思っているのだ。ナコト計画なる世界の不思議を収集、記録するプロジェクトに参加しているこの魔女は、世界の奇祭を求めて世界中を飛び回っている。そして、可能な限り現地の祭りに参加して実体験をレポートに残してきたのだから。
「本当に残念じゃのう、イリ坊や。年齢制限がなければ男子たる儂らも参加してたんじゃがな。あ~残念じゃ」
こくこくと頷くイリアはともかく、この老教授の言葉はとても本心とは思えない。ロブは嫌みの一つも言ってやりたいところであったが、まずは体を温めない事には唇をうまく動かす事もできない。
甘酒を口にする。心地よい甘みと温もりがロブの体に染み渡った。
「裸祭りは元々、懺悔と鎮魂の為の催しだったのですよ」
壮年の紳士が穏やかな口調で切り出した。
ここは浅野神社の境内。先の祭りの舞台である八頭湖を見下ろす形で立っているこの神社にて、ロブ達は自らが放り込まれた祭儀についての謂れを取材していた。
一行は金鶴村に辿り着いてまず、村の祭りに関する情報をこの神社に求めたのだが、その時この紳士、神主の天瀬氏は祭りの準備の真っ最中。祭りが終わるまでは手が離せないと語りつつ、折角だから参加して行かないかとのお誘いを老教授が勝手に受けたのが先の顛末であった。
寒風吹き荒ぶ冬の日。チラホラと白いものが空から舞い降りてきていたが、高台にある神社には子供達の元気な笑い声が響いている。祭りはいまだに続いていた。始まりを告げる男衆の荒々しい禊の儀が終わってからは、出店が並び、祭囃子が鳴り響く縁日の様相を呈していた。
「あの湖の守り神となったウガヤ姫も、元々は怨霊として恐れられていたようでしてな。彼女を鎮める為に始められたのがあの裸祭りなのですよ。今では寒風に身を晒し、ウガヤ姫に病魔に侵されない強い身体を授けてくれるよう願うものへと意味が変わってしまっていますがね」
「怨霊信仰……となれば、そのウガヤ姫様は元は人間であったとのいうことですかな?」
「その通り。あの祭りはこの村の暗い過去に関わっているのですよ」
「それはどのような……」
取材を進めようとしていたウェイトリー老と天間教授、双方の言葉が途切れる。神社の外から、祭りの喧騒とは全く別の声が拡声器を通して響き渡ったのだ。
『女性差別反対! 古い因習反対!』
ヒステリックな女性の声に賛同者の歓声が重なる。
一体何が起きているのかとロブ達が湖岸に続く石段の下を覗いてみると、数人の中年女性が横断幕を手にデモ活動を行っていた。ハレの日になんて場違いな奴らだとロブが呆れていると、一団は鳥居を潜り、ずんずんと石段を登って境内に到着した。
リーダー格と思しきふくよかな中年女性が、神主にメガホンをびしっと突きつけて言い放つ。
「さあさ神主さん! 時代錯誤な男尊女卑の思想を捨て去り、裸祭りを我々女性達に解放なさい!」
「……米代さん。悪いですが、祭りのしきたりを決めるのは私ではないのです。そもそもこの祭りで女性が禊に参加できないのは……」
「言い訳無用! そんな権威主義に塗れた言葉に我々は屈しない! 男女平等こそが都会のスタンダードだと私達は何年も前から主張してきたではありませんか! いつまでそうやって古いしきたりに縛られているのです! ねえそこの方々?」
「え? その流れで僕らに話を振るんですか見知らぬ御婦人方?」
唐突に話の矛先を向けられたことに戸惑う南部。
「貴方達、都会の偉い先生なんでしょう? 祭りの取材にくるってご近所ネットワークでキャッチしていたの。ねえ皆さん? 今時女人禁制なんて時代遅れだとは思いません? 男女差別ですよ男女差別。これは許されざることでしょう!」
捲し立てる米代氏に、まったく困ったものだと言わんばかりに頭を抱える神主。
このままでは取材が進められないと考えたのだろうか、神主は今まで浮かべていた柔和な笑みを搔き消し、不快げな表情で米代氏に対峙する。
「こんな事を言うのは神職に付く者としてどうかと思いますが、あえて言いますよ? 貴女方にそのような資格があると本気でお思いか?」
「な、何ですか差別ですか!」
「半年前まで貴女方が何をしていたか、忘れたとは言いますまいな。人前で裸体を晒すような野蛮な風習は即刻止めろと。数年に渡って祭りの永久的な中止を訴えてきた貴女方が、今更掌帰して祭りに参加させろなど何とも都合のいい……自身の行動を顧みず、差別差別と喚きたてれば物事が通るなど、とてもよい大人のとるべき態度とは思えませんな」
「そ、それは……ですが神主さん、あの時まで私達は知らなかったのです! ウガヤ様が本当に実在しているなんて思ってもいなかったんです! おとぎ話の存在だとしか……」
それまでの高圧的な態度から一変、米代氏は嘆願するかのような様子で神主の前に跪く。
「どうぞ私達にも禊を受けさせてください! 裸祭りがどんな意味を持つものかをあの出来事の後で初めて知ったのです! なにとぞ、なにとぞ……」
そのやり取りを眺めていた教授達の目が鋭く光る。「ウガヤ様が実在する」。その言葉が民俗学者の好奇心に火をつけたのだ。
「そこの御婦人……ちょっといいかね?」
「あ、はい」
デモ集団の最後尾でオロオロしながら事の成り行きを見守っていた主婦の一人を、天間教授は呼び寄せた。
「君達はウガヤ様が存在していると信じているのかね?」
「……都会の人には信じられないでしょうね……大学の先生方は頭がいかれているとお思いでしょう?」
「いやはやそんなことはない。むしろ私達は世間でオカルトと呼ばれているような出来事の実在を信じていてね。何があったか、教えてくれませんかな?」
「……祟りです」
「ふむ?」
「神主さんの言う通り、私達は半年前まで祭りの禁止を訴えて活動していたんです。十年程前に都会から引っ越してきた千鶴子さんという方がいたのです。現在の女性の在り方等について教えてくれたのも彼女でした。そんな彼女には裸で行われる田舎の風習は野蛮に思えたのでしょうね。何かにつけて禁止するべきだと息巻いていたんです。その音頭を取っていた千鶴子さんが半年前に怪死したんですよ。とても普通の死に様じゃありませんでした。あれは祟りとしか言いようがありません」
「奇怪な死に方、ですか……それはどのような?」
「……申し訳ありません先生。思い出したくないんです。口にすらしたくない……あんな死に方」
「まあ、無理せんでも構いませんよ。しかし成程。貴女方も祭りに反対していた以上、同じ目にあうかもしれないと怯えているという訳ですな?」
「はい……皆不安なのです……祭りに参加すれば、ウガヤ様に許してもらえると思いまして……恥知らずだとは思いますが、例え自業自得ではあってもあのような末路を辿りたいなどと思う人間は決していないはずですから……」
うなだれる彼女を他所に、天間教授の横で話を聞いていたウェイトリー老はロブと南部を呼び寄せる。
「何とも興味深いことになったぞい。ウガヤ姫という存在が実在しているとなれば、民俗学者として調べずにはいられん。お主ら、この祟りとやらについて調べてくるんじゃ」
「何で俺達が……」
「任せてください教授! 悪鬼悪魔魑魅魍魎、怨霊悪霊死せる魂どんとこい! ありとあらゆる邪悪から無辜なる人々を守るのが聖受難教会信徒の務め! ウガヤ様なる怨霊を調伏し、必ずや人々を恐怖から救い出して見せましょう!」
ロブが苦言を呈す前に、南部が胸を叩いて了承する。声高に宣言したせいだろう、米代氏一同に囲まれ地獄に仏とばかりに拝み倒されたとなれば、今更「俺はやりません」などとはとても口に出せないロブであった。
怪死したという田沢千鶴子の自宅はひっそりと静まり返っていた。デモ隊の女性達から聞いた話によると、彼女は一人娘と二人きりでこの特徴のない一軒家に住んでいたという。ロブはチャイムを押した。反応は返ってこない。ドアノブに手をかけてみる。
「……留守か」
「今は年頃の娘さんが一人きりで住んでいるんだろうし、セキュリティはしっかりしているだろうさ」
「祭りにでも行ったんじゃないのか?」
「どうだろうね。母親が無くなってまだ半年……僕だったら塞ぎ込んで浮かれた気分に離れないなあ」
「不謹慎ってか? どうにも俺にはそういう感覚が分からん。気分が塞ぐんだったらパーッと祭りで発散すべきだと思うがね」
「君には情って物がないのかな? もし血の繋がった肉親が亡くなったらと考えたら僕ならとてもそんな気になれないな。ましてやここの娘さん、父親が蒸発してからずっと親子二人きりで寄り添い合って生きてきたんだろう? そう簡単には立ち直れないと考えるのが普通じゃないか」
「ん~……そんなもんなのかね……」
「親不孝者だな、君は……」
南部に呆れた視線を向けられるも、ロブには今一ピンとこない。きっと、南部の両親は息子に十分な愛情を注いでそだててきたのだろう。南部の口癖でもある「強制された祈りでは真の信仰心は育たない」との言葉は、確か彼の両親の受け売りであったはずだ。息子に自分達の信仰を押し付けない理性的なふるまいは聖受難教会等という過激派カルトの信者とは到底思えない。
一方ロブの両親はというと。父はアルコール中毒の暴力親父、母親はそんな旦那に愛想をつかして新しい男を作って出ていった。この父にしてこの母。元より良い母親であるとは言えなかったためか、母親が出奔した時は捨てられたショックなどよりも乱暴な父親を押し付けられたという苛立ちの方が勝った。父親の方はというと気に入らない事があると幼いロブを酒の勢いでよく殴りつけてきたのだが、ある時酔っぱらった状態で足を滑らせ頭を強かに打ち、そのまま帰ってくることはなかった。
両親が両方消えてロブに残ったのは不思議な解放感だった。スラム街でのストリートチルドレン生活は苦しかったが、少なくとも鳥籠の中にいるよりははるかにましに思えたものだ。親からよくしてもらった覚えのないロブにとって、親子の絆というお題目は中々に理解しがたいものであった。
「しっかし、どこに行ったんかね? 詳しい話は当事者にしか聞けって言うからわざわざここまで来たってのに」
「帰宅するまで待っていた方がいいと思うごぶっ!」
ロブの隣にいた南部の姿が突如地面へと吸い込まれた。田沢邸の前であーだこーだと話し合っていた彼らの後ろから、突如として体格の良い一人の少年が体当たりをかましてきたのだ。背中にもろに衝撃を受け真正面から倒れた南部を逃さんと言わんばかりに少年は駱駝固めで責めたててくる。
「もう逃がさんぞこのストーカー野郎ども! 大人しくお縄に付きやがれ!」
「ギブギブギブ!」
タップされるもレフェリーはいない。見事な関節技を決めながら、しかし少年の顔は技をかけている南部ではなくロブの方に向けられていた。
「まさか二人食いだったとは思わなかったが、てめえの顔もしっかり覚えたぞ! この小さな村から逃げられると思うなよ!」
「……別に逃げる理由なんざないんだがな」
「ちょっとちょっとロブロブロバート・アイスマン! なんでそんなに冷静に物事を見守っているんだ! はよ助けて折れる折れる!」
「バッキバキに折ってやるよお! 二度と龍子ちゃんに近付けないようにしちゃるからな!」
「僕が何したってんだだだだだ!」
「てめえの胸に聞いてみろおッ! ここ数日怪しい男が龍子ちゃん家を伺ってるって学校で噂になってんだからなおいッ! まだしらを切るようなら駐在さんの所にてめえをぶちこんでやるッ!」
「その時は君も一緒に駐在さんに引き渡す事にしようかね」
突如として。少年のものとは異なる新たなる声がロブ達にかけられた。
一同が一斉に声の主へと振り向くと、見知らぬ男がそこにいた。一般的な日本人と比べれば高身長。均整の取れたスタイルの良さと裏腹に、しかしその顔はどこまでも醜悪だった。どことなく疲れたような陰のあるその中年の男は、庭先で暴れる珍獣を見るような瞳を一同に向けている。
「何者だ、あんた?」
「ここの家のものだよ、一応は」
思ってもいなかった言葉に、技をかける者とかけられる者、その双方がきょとんとした目で男を見つめるのであった。
「ほんっとにすんませんっしたあああ!」
「いや気にすることはないぞ少年」
「ロブ……それ僕が言うべき台詞……」
深々と頭を下げる少年。名は米代八太郎というらしい。
米代。デモ隊を率いていた中年女性もそう名乗っていた。まさかと思い、神社での顛末を伝えてみたらズバリであった。自分達が彼女に頼まれて祟りを解決しようとしているとの証言を少年は初め訝し気に聞いていたのだが、携帯電話で確認を取るや否や顔面蒼白で平身低頭、土下座をしてきたのである。
「母ちゃんに助け舟を出してくれている兄ちゃん方に俺は何て事を……」
ソファに腰掛け直しがっくりとうなだれている米代少年の下に、十和田と名乗った男が茶を差し出す。
「彼を責めないでやってくれないか? 原因は私にもあるようだし、事は穏便に納めたいのだが」
十日ほど前の事だった。金鶴村を不気味な男がうろついていると、米代少年はおしゃべり好きな母親から耳にした。いつもの井戸端会議で得たらしい出所とて怪しい母の話。気にすることなく母校に登校した米代少年は、数名の目撃者の証言から母の話が真実であると知る。
これだけなら駐在さんにまかせていつも通りの生活を送っていただろう。しかし、男の出現地点が田沢邸の周辺に限定されているとなると話は別だった。今現在、あの周辺に住んでいるのはたった一人。村一番の美少女とも称される、田沢龍子だけであった。元より口数の少ない娘であったが、今までこの不審者に悩まされていると洩らした事は一度もない。気にしていないのか、それとも気付いてていないだけなのか。
住人が祟りと見える形で怪死した事を受け、村人達は田沢邸に近付く事を恐れていた。目撃者であった級友達も、通学の関係上どうしてもそこを通らなければならない者だけが怪人物を目撃していたのである。
皆はこの不審者を不気味がったが、かといって特に問題を起こす訳でもない以上は放置する他はなかった。その不審者も祟りを恐れて田沢邸そのものには近付かないと高をくくっていたのだろう。
ところが昨日。かの不審人物が田沢邸に無断で侵入するところを級友の一人が目撃したのである。
もしかしてこの不審者、龍子のストーカーなのではないか。そう思い立つや否や、密かに龍子に恋心を抱いていた米代少年は早速、明日から早起きして不審者を捕まえて彼女にいいところを見せてやろうと決意した。
当日……つまり今日。祟りを恐れる母親に過剰な心配はかけたくないと、裸祭りの禊にはしっかりと参加して。出店の商品で腹ごしらえをした後、田沢邸の見える場所で張り込みをし……やってきた見知らぬ男達に果敢に突撃していったのであった。
「しかもストーカーと思っていた相手が龍子ちゃんの知り合いって……そりゃ龍子ちゃんも騒ぎだてたりしないはずだよな……」
この不気味な容貌の男……十和田与郎は、一ヶ月前に村を訪れたらしい。本人は龍子ではなくその母親、千鶴子に用があったそうなのだが、そこで彼女の死を知ったようだ。彼女のが異様な死に方をしたと聞いてここ数日、村での調査をしていたらしいが、彼の容貌と祟りを恐れる心から聞き込みはちっとも進まなかったようだ。
今日も祭りでの聞き込みをしていたらしいのだが収穫はなし。一息つく為に滞在する田沢邸に戻ってきた際、くんずほぐれつする不審者を目撃したという訳だった。
玄関の鍵を開けた十和田に誘われるまま、田沢邸へと足を踏み入れたロブ達。自己紹介により誤解も解けた今、早速各々の疑問をぶつけあう事になった。
「で、十和田さん? りゅ、龍子ちゃんは今何処に……?」
思い人の家の中、何かを期待したかのようにそわそわしながら切り出す米代少年。
「あの子は祭りを見に行ったよ。ウガヤ様に祠にお供え物を持っていくと言っていたな」
「……やっぱり怖いよなあ。母ちゃんが不思議な死に方をしたらしいし」
「それだよ米代君」
「はい?」
「千鶴子はどんな死に方をしたんだ? 誰に聞いてもあり得ない死に方をしたとしか返ってこないんだ」
「……すんません。俺も良くは知らないんす。子供が聞くべきじゃないって怒られた事もあって……」
「……そうか。なかなか進展しないな」
十和田は溜息をついてソファに背を預ける。
「こりゃまいったね……どうしようかロブ? 祟りを解決しようにも、どんな祟りか知れないんじゃお手上げだ」
「今の村民から話を聞けないのなら民話や伝承から探っていく他に方法はないだろ。特に今回の祭りは祟りの元凶であるウガヤ様ってのを祀るためのものなんだろ? 由来に何らかのヒントが隠されている可能性が高い」
「祭りの由来、ねえ」
外来者一同の視線が米代少年に突き刺さる。
「ご、ごめんな兄ちゃん達。俺も詳しくは知らないんだ。由来とかにはあんまり興味なくてさ。八頭湖で水浴びすれば強い身体になれるとしか聞いてなかった。今日俺が参加したのも参加しないとウガヤ様の怒りに触れるかもって母ちゃんが言うから仕方なく……」
ロブは肩を竦ませた。携帯電話を取り出す。
「こうなりゃ爺さん達の知恵を借りるよりしゃーないな」
時は戦国。血風吹き荒れる時代のうねりが日本津々浦々を包み込む。当然の事、ここ金鶴村も例に漏れなかった。
ただでさえ日々を生きるのに精いっぱいな村人達に大きな試練が襲い掛かる。歴史的な飢饉によって壊滅的な作物。僅かに実った命の糧も、領主が外敵から身を守る為の糧食として容赦なく取り立てられた。
本来ならばありえない事であった。土を耕す民なくして、いかにして国を存続させる事ができるというのか。来年の種籾すらも残らず持ち去られた。その愚行からは、さして学のない村人達も明確に察する事ができた。来年の事を気にする余裕すらない程に、領主は追い詰められているのだと。
事実、国の崩壊は早かった。新たな支配者を抱く事に不満はない。どれだけ頭を挿げ替えられようと、自分達がこれまで通りの生活を続けていけるのならば文句などなかった。しかし、前の領主の残した爪痕は確実に村人達を蝕んでいた。
新たな領主はそれなりに話の分かる男であった。ない物は取れぬといって年貢の免除をしてくれたばかりか、落ち武者狩りによる追剝すらも黙認してくれた。倹約と狩猟、落ち武者狩り等で村人達が何とか食いつないでいた冬のある日に彼女はやってきた。
前領主の娘。亡き父の部下達と共に身を隠しながら国外に脱出しようとしていた彼女は、金鶴村で一夜の宿を求めてきたのだ。
受け入れるか、受け入れざるかで村は真っ二つに割れた。新たな領主のお目こぼしのおかげでどうにか暮らしていける以上、不評は買いたくないという男衆。同性故かまだ年若い姫の境遇に同情し、一刻の宿程度なら貸してやるべきだとする女衆。中々話がとりまとまらない中、姫の従者達が村長に耳打ちをした。
村長の一声で、姫を一夜だけ村に泊める事が決まる。深々と頭を下げ感謝する麗しの姫君。
次の日、八頭湖に一糸まとわぬ姫の亡骸が浮かんでいた。湖に駆け付けた従者達は昨夜、姫がこのまま一人生き延びていても仕方がないのではないかと洩らしていた事から、自ら命を絶ったのだと言って嘆き悲しんだ。
村人達は死した姫君の処遇に悩んだ。火葬してやるのが一番いいのだが、今の村にはそこまでの余裕がない。薪一本すら無駄には出来ない程に逼迫していたのだ。では土葬か。それもできれば避けたかった。姫がこの村に助けを求めてきたのは外部に知られたくはない。下手に墓を建ててしまえば、今の領主の怨敵、その血族を村人達が助けた事がばれてしまう可能性があった。
結局、姫君は湖に返される事となった。簡素な水葬の後、従者達は姫の遺髪と遺品を手に村を去っていった。
そこから、村は不思議と活気を取り戻し始めた。村長が私財をはたいて村人の為に必要な物を町から仕入れてきたのだ。以前から考えていた事らしかったが、合戦の熱が冷めやらぬ内に外を旅するのは危険だとして中々実行に移せなかったと、村長は皆に頭を下げた。
新しい領主はそれなりに世渡り上手であった。強国には逆らわず、かといって主権は守り通す巧みな外交のおかげで、金鶴村は一時の平和を謳歌していた。村長が時折、村を離れるようになった以外はかつての生活を取り戻しつつあった。
一年、二年と変わらぬ時が過ぎていく。しかし天はかつての来訪者の記憶が色あせていく事を許しはしなかった。
奇妙な病気が村を襲った。男のみがに猛威を振るう奇妙な疫病により、村の働き手の多くが命を落とした。
村長もまた例外ではなかった。今際の際、村長は村人に隠していた秘密を打ち明けた。あの時、村長が従者から耳打ちされた内容。それは、姫を殺して彼女が持参していた宝物を山分けしないかという誘いであった。
従者達は主君が滅んだ今、彼らに託された姫君と共に行動する事を危険であると判断したのだ。彼女といれば常に追っ手に晒される。そしてそれを助けた所で、亡国の姫に如何なる報奨が出せようか。新たな人生を歩むにはどうしても金が要る。売り払った遺品から口止め料として十分な量の資金を支払うから、どうにか我々に手を貸してくれないかと。
初めは鬼畜の所業だと思った。かつての領主には恨み言しか湧かなかったが、この姫君には何のうらみつらみもない。されど時があまりにも悪かった。来年に備える為の備蓄が失われた以上、この村に待っているのは緩やかな破滅のみ。親の因果で子を祟るのはあまりにも無体な事なれど、村長としても村人を守る義務がある。
村長は地獄に堕ちる覚悟を決めた。せめて苦しまずに済むよう寝息を立てている姫君の首を絞めて殺し、金になる着物を濡れないように脱がせてから彼女の亡骸を八頭湖へと遺棄したのである。
従者達はしっかりと約束を守った。村長が街に足を運ぶと、彼らは遺品を売りさばいて得た金を元手にして新たな商売を始めていた。村長の為に残されていた金は随分と多かった。秘密を共有する者として色を付けたらしい。彼はその全てを懐にはしまわず、今必要な分だけを手に取ると残りを従者達に貸し付けた。以降、利子を徴収しそれで村に必要な物を買う為に足繁く離れた街へと足を運ぶようになったのだった。
本来ならば、自分一人が地獄まで持っていくつもりの秘密であったと村長は村人達に打ち明ける。では、何故秘密を明かしたのか。それは病に伏せている最中、枕元に自分が殺した姫君が立った為であった。姫はまだ病気にかかっていないを男衆を一年に一度、湖に呼ぶように村長に伝えた。私と同じく冬の湖で禊を済ませば、この病から逃れられると。そう言い残して村長は息を引き取った。
村の男衆は恐れ慄いた。これは祟りなのだ。そう考えれば納得がいく。あの時、村に姫君を泊めるのを反対していたのは紛れもない、男衆ではなかったか。そうでなければ、何故女ばかりが疫病から逃れる事ができるのか。
村長の遺言に従うまま、真冬の湖へと身を躍らせる男達。身を震わせながら姫への謝罪と哀願の意を示す彼らの前に、巨大な蛇体が持ち上がる。赤々とした鱗に身を包んだ大蛇の姿。恐怖で身が固まった彼らの周囲を、大蛇は一回りするとそのまま湖の底へと消えていった。
慌てて湖から逃げ出した男達だったが、不思議な事にそれ以降、禊を行った男達は病気らしい病気に罹らないようになった。次の年も、その次の年も……大蛇は禊する男達の前に現れ、まるで加護を与えるかのように男達を取り巻いては去っていく。新たに村に住み着いた住人の中には真冬の禊を拒否する男達もいたが、彼らは結局この地に蔓延する疫病に屈する事となった。
時が経ち、疫病が過ぎ去り、何時しか大蛇は姿を現さなくなったが、しかし湖には不思議な魔力が残された。男達は健康を祈って湖で泳ぎ、女達は我が子の無事な成長を祈って湖の水を産湯に使うようになった。
やがて村人達は、あの大蛇を姫の化身と見なすようになっていった。村の為に犠牲となりながら村に健康を齎してくれるその龍神を、村人達は何時しか宇迦耶姫と呼ぶようになったのだった。
「あれ、いきなり祟りの正体が解決してないか?」
「男にしかかからない病気って、どう見てもウガヤ様の祟りですよね」
南部と米代少年が拍子抜けしたような顔で顔を見合わせる。
神社で取材を続けている天間教授から携帯電話に長々と送られてきた裸祭りの由来。
姫君が村に滞在するのを拒否した男衆と、命を直接奪った村長にのみ猛威を振るう疫病は、まさに祟りと呼ぶのにふさわしいのではないか。
道理で裸祭りの禊が男にのみ許されている訳だ。男尊女卑などではなく、ウガヤ様の怒りを買っていない女性はそもそも禊をする必要性が皆無だったのである。それだけに、此度の件で女性が祟りにあったというのは、伝承を詳しく知るものからすれば驚愕の出来事であっただろう。
しかし、ロブは首を横に振る。
「確かに奇怪な疫病だが、これだけで祟りだと決めつける事は出来ないな。感染が男だけに偏る病気ってのもあるって、何かの資料で見た事がある。第一死に様が記されてない。奇妙な死に方をしたのなら、それらもしっかりと記録しておくもんじゃないのか?」
「米代さん達みたいに、口に出すのもはばかられる死に方をしたって考えたらどうかな? 記録に残したくても残せない、凄絶な死に様をしたせいであえて残さなかったって?」
「有り得なくもなくはない。というか、この村の人達がこの奇怪な疫病を祟りとして見ていたってのは確かだろう。だが、俺にはいくつか気になる点がある……送信っと」
携帯電話を弄り終えたロブが顔をあげた。
「気になる点ってなんなのさ、ロブ?」
「そもそも、この伝承でのウガヤ姫は疫病を引き起こしたのが自分だとは一言も言っていないんだ。病にかかっていない男衆を湖に呼べとしか伝えていない。加えてだ。湖でウガヤ姫の化身だと思われる大蛇は男達に何をした? 病気に負けない強い身体を与えてくれただけだ。人間に害を与えるような悪神を祀り、祟りではなく加護を引き出すといったやり方はそう珍しいものじゃない。例えば、古代バビロニアで信仰されていたパズズって神格は、悪しき風を操って大地には旱魃を、人間には熱病をもたらす災害のような存在なんだが……同時に、正しく祀れば旱魃や熱病から人間を守ってくれる側面も持っている」
「蛇の道は蛇って訳か」
「そうだ。毒でも正しい方法で摂取すれば薬になるのと同じ。その道に通じるスペシャリストだからこそ、知識や力を善用もできれば悪用もできる。それで、このウガヤ姫はどうだ?」
「そう言われると腑に落ちないね。ウガヤ姫は疫病を治した訳ではない。病気にかからないように加護を与えただけだ。もし、この疫病がウガヤ姫の引き起こした祟りだって言うんなら、疫病を治す事も止めるできるはず」
「だと言うのにだ。ウガヤ姫は村人に病気がかからないようになる加護を与えるだけ。決して疫病そのものを解決した訳じゃない。伝承通りならばそれなりの年月、この村で流行していた。『時が経ち、疫病が過ぎ去り、何時しか龍は姿を現さなくなった』ってあるが、これを額面通りに解釈するならば、ウガヤ姫はたまたま村で流行した疫病から住人達を守ろうとしていただけなんじゃないのか? 疫病が過ぎ去ったって事は、ウガヤ姫も仕事を終えたって事だ。だから姿を消したと考えれば納得がいく」
「とは言ってもなあ……祟りらしい災害はこの疫病だけだってのもまた事実だろう? まさか、今回の怪死とやらも祟りじゃなくて自然によるものだとでも?」
「それに関する情報が入ってこない以上は断言できないがな。俺が思うに、村人達が祟りとして思い描いていた疫病と、半年前の祟りは全くの別物だ。今回の件にウガヤ姫が関わっているかどうかはともかく、少なくとも伝承で語られて言う疫病は祟りじゃないと俺は思っている」
「証拠はあるのかい?」
南部の問いに答えたのは、ロブの携帯電話の着信音だった。
「流石はミサトだ。仕事が早い」
「立花さんから?」
「ちょいと伝承で気になる部分があったんでね。爺さん方は本来の伝承の取材で忙しいだろうし、本筋からそれる案件は彼女に任せたんだが……思った通りだ」
ロブは送られてきたメールの内容を確認し、納得がいったような笑みを浮かべる。
「伝承に出ていた村長が足を運んでいた店の詳細が入った。驚いた事に今も現存しているらしい」
「本当かい?」
「ああ。しかも面白い風習を受け継いでいてな。店を立てる為の礎となった姫君に対する鎮魂祭を毎年執り行っているとの事だ」
「伝承の裏付けが取れたって事か……」
「この風習は創設者……つまり、姫君を殺めて宝物をくすねた従者の内の一人だったんだが、生活が落ち着き曾孫が生まれる頃には罪の意識が抱えきれぬ程になっていてな。村長と同じように今際の際に一族に全てを打ち明け、以降一族は犠牲となった姫君を祀るようになったんだが……重要なのはそこじゃない。問題なのは、この創設者には曾孫がいたって事だ」
「創設者は大往生したって事か……だったらそれは確かに変だ。自信を裏切った従者に祟りらしい祟りが全く見られないって事じゃないか」
「そうだ。もしこれがウガヤ姫の祟りならば、村長を唆した元従者には何故疫病が及ばなかった? そう考えると、疫病自体は祟りではなかった可能性が俄然高くなる」
「……あの、お兄さん方?」
二人で伝承に関する議論に熱を入れるロブと南部に、米代少年が畏まった様子で問い正す。
「龍子ちゃんの母ちゃんの死因を調べるのに、今やり取りって必要あった? ロブの兄ちゃん、初めから祟りと伝承は関係ないって見破っていたみたいだし、そこから話を膨らます必要性が感じられないんだけど」
「まあ、話が横にそれたのは認める。だが、関係していそうな事柄を調べて『やっぱり関係なかった』と確信を得るのも真実に至る為には必要な事柄だ。少なくとも伝承が祟りに関係していないとなれば、それに拘って脇道にそれる危険性を潰す事ができるからな」
「そんな悠長な……」
「まあ、そう焦るな。警察ですら頭を捻るような死に様だったんだろう? だったら、真っ当な……祟りを非科学的として端から相手にしないような警察の捜査を真似ても意味がない。加えてこちとら事件の調査に関しては素人なんだ。悪戯に頭の中の論理を飛躍させてもかえって遠回りになるのが関の山。ならば得られる情報を可能な限り集めて、事件に関係の在りそうな事柄を片っ端から調べ上げた方が、手間はかかるが確実だ」
「はあ……十和田さんはどう思います?」
思い人の気を引きたい米代少年。これが若さなのだろうか。事件を解決して早く龍子を安心させてやりたいと思う彼にとって、ロブのやり方は随分とまどろっこしそうに感じた。
もっと何かいいアイディアがあるんじゃないか。そう思ったのだろう、米代少年は龍子の知り合いを名乗る男に声をかけるが。
「……十和田さん?」
十和田氏は携帯電話の画面に釘付けになっていた。顔は青ざめ、微かに震えている。
一体何があったのか。米代少年がそう問おうとする前に、十和田氏は立ち上がる。
「……直ぐに戻ります」
そう言って部屋を出ていった十和田氏。残された携帯電話には、天間教授から送られてきたウガヤ様の伝承についてのページが開かれたままになっていた。
「心から信じてもらえるとは思えないが、一応聞いてほしい。まず初めに、この映像を撮影したのは決してやましい目的ではないという事を理解してもらいたい。故にだ。画像の途中で私に何か言いたい事ができても、全てが見終わるまでは心の内に仕舞っておいてほしい」
部屋に戻った十和田は、奥の部屋から持ってきたビデオを再生する。
映し出されていたのは浴場の前の洗面所だった。戸が開き、入ってくるのは一人の少女。流れる艶やかな黒髪と美しい容貌。彼女が田沢龍子らしい。腕を覆う長手袋と脚線美を隠す長靴下。奇妙なまでに肌の露出が少ない装いだ。頭から下をすっぽりと厚手の衣装で隠していた少女は上着に手をかけ、髪が引っ掛からぬよう悪戦苦闘しながら脱ぎ始め……。
「うおおおい! 何してんだアンタ!」
「盗撮! 盗撮ですよこれは!」
あからさまな隠し撮り視点の映像に突っ込みを入れざるを得ない南部と少年。
堂々とした犯罪行為に十和田に避難の視線を向けるものの、それ以上の追及は結局できなかった。
醜悪な彼の顔に浮かんでいたのは下衆な笑みでも情欲に塗れたものでもない。ただただ悲痛な、憐憫の表情。
十和田は一言も発さずに視線を映像に戻した。先に宣言していた通り、質問は映像を見終わってから、という事らしい。
南部と少年は罪悪感を覚えながらも、うら若い美少女の脱衣から目が離せないでいるようだ。南部は無類の女好き。少年顔にとっては思い人の痴態。真っ赤にしつつも瞬き一つせず画像に集中している。
一方で、十和田の言いつけを守って真面目に盗撮映像を視聴していたロブは、奇妙な物を認めていた。上着を脱ぎ、上半身が薄手のシャツ一枚になった龍子。彼女のうなじに奇妙なきらめきを見たのだ。どことなくぬらぬらとした、赤い質感。詳しく見てみようとするが、直ぐに彼女の黒髪がそれを覆い隠す。そして、龍子は手袋に手をかけ……。
「……十和田さん、これって」
米代少年は掠れた声を絞り出す。質問は画像が終わってから。それを理解しておきながら、それでも少年は口に出さずにはいられないでいた。先程まで赤かった頬が青ざめている。南部もまた開いた口が塞がらない様子であった。
雪のように白い素肌の龍子の腕。それを不規則に覆うのは、爬虫類じみた赤い鱗であった。龍子の裸体が露になっていく。彼女の体は白と赤とのパッチワークで構成されていた。
浴室に龍子が消えた所で、次の画像へと移る。再び龍子の脱衣シーンから始まった。二度、三度と繰り返される同じようなシーンだが、龍子の体を襲う異変は容易に見て取れる。
「鱗が広がっている……?」
最後の脱衣シーン。最早、顔以外を青で覆いつくされた彼女は、特に気にすることもなく湯気の向こうへと消えていく。そこでようやく映像が途絶えた。
しばしの無言。ありえないものを見た衝撃で、少年は口から言葉が出てこないらしい。
「……千鶴子は見てくれだけの女だった。異様なまでの独占力を持っていてな。特に花と言わず宝石と言わず美しい物に執着する質だった。だがコレクターとしてはお世辞にも優れているとは言えなくてな。自分の欲しいものや手に入れたものが自分の思い通りにならないと癇癪を起す、そんなわがままな女だったよ」
ぽつり、ぽつりと十和田が語り出す。視線は下を向いたまま。ロブ達には一瞥すらせずに。
田沢千鶴子には幼馴染がいた。親同士の決めた結婚の約束だったが、彼女は素直に喜んでいたらしい。お相手もまた、眉目秀麗な男だったからだ。
一方、未来の旦那は千鶴子と深く付き合う内に彼女の内面の歪さに気付き始めた。千鶴子は常に外見の話しかしない。ガワさえよければどうでもいいと考えているかのようだった。それが確信に変わったのは、不幸にも子供ができてしばらく経ってからだった。
千鶴子はぐずる幼い龍子の腕をハサミで切りつけたのだ。
それ自体は育児ノイローゼとして片付けられた。実際、龍子が奴の言う事を聞いている限り、奴は娘に愛情を注ぎ続けた。
もっとも、それは腹を痛めて産んだ子供に対するものではなく、お気に入りの人形で遊ぶ子供のような一方的な愛情だった。
少しでも意図を外れた行為をすれば直ぐに癇癪を起して暴力をふるう。まるで故障した機械を殴りつけて直そうとしているかのようだった。
旦那は千鶴子との生活に危機感を覚え始めた。血の繋がった人間すら玩具のようにしか見ていないこの女の歪な愛情に耐えられなくなっていたんだ。それに別の不安もあった。
いくら癇癪を起し暴力を振るおうとも、千鶴子は娘の顔だけは傷つけなかった。美しく整った娘の顔を。
もし、美しさを失ってしなえば自分はどうなるのだ? 人間、外面の美しさは永遠ではない。千鶴子は花も宝石も好んだが、宝石の方がより好みだった。値段が高いからじゃない。花の美しさは時間と共に色褪せてしまうからだ。枯れ果てた花は千鶴子にとって景観を損ねる不快なごみとしてしか映らない。枯れ花ような扱いが、いずれは自分に向くのではないかと考えると、旦那は気が気ではなかった
とうとう我慢の限界が来たのだと、十和田は語る。千鶴子の旦那は自らの意思で出奔したらしい。離婚という手段をとれば、今はまだ美しさを留めている自身の伴侶を引き留めるために、千鶴子は手段を選ばない。となれば、黙って姿を消すより旦那には他に方法がなかった。
龍子を連れていくわけにはいかなかった。娘までそろって失踪したとなれば、あの嫉妬深さはどす黒い執念に変わってどこまでも父娘を追い詰めてくるだろう。手元に所有物の半分が残っているのなら……そちらに執着して追跡の意思が薄れるかもしれない。そして、その考えは見事に的中したのだ。
「きっと、旦那が失われた穴を娘で埋めようとしたのだろう。あの狂気じみた所有欲は伴侶を失いどれだけ悪化したのか、私には分からない。私が久々に龍子と出会った時、彼女の装いに悪い予感がした。顔以外を徹底的に隠すような厚着……その下には、もしや奴の虐待の痕が刻み付けられているのではないかとね。米代君……龍子は学校ではどうだった? 一ヵ月前、私が出会った時のように、常に厚着をしていたんじゃないか?」
米代少年は肯定する。龍子は夏の暑い日も顔以外の肌を見せようとはしなかったのだ。
「それとなく龍子に聞いてもはぐらかされるだけだった。千鶴子が外にばれる事を恐れていたのなら、医者に見せるようなことはしなかっただろう。傷の程度によっては酷い後遺症が残りかねない。今はまだ大丈夫でも、今後の生活に響いてくる可能性もある。だから、龍子の体をどうにかして確かめる必要があったんだ。その結果がこれだ。私どうすればいいのだ? 彼女の体の異変をどうやって受け止めればいいのだ? 伝承ではウガヤ姫の化身たる大蛇は赤々とした鱗をしていたとあった。龍子の体を覆う鱗はまさにそれだ。聞けば千鶴子はウガヤ姫の祭りを野蛮な風習だとして取り止めようとしていたらしいじゃないか。もしかしてウガヤ姫は……千鶴子だけでは怒りが収まらず、血の繋がった龍子も憑り殺そうとしているんじゃないのか?」
顔を覆って震えだす十和田に、ロブは落ち着いた声音で語り掛ける。
「その可能性もあるし、そうじゃない可能性もある。だが、今必要なのはウガヤ姫の祟りが如何なるものなのかを突き止める事だ。祟りの正体を知らなければ対策の打ちようもない。時間がどれほど残されているのかは分からないが、だからといって俺達が取れる手段は決して多くはないんだ。だったら、『助からないかもしれない』じゃなく『助かるかもしれない』と気分を切り替えた方がいい。雑念が入ればそれだけ真実は遠のく。なら、少しでも自体を楽観視した方が気が楽になる」
「……それでも間に合わなかったら?」
「手遅れになった元凶として俺とコイツに怒りを好きなだけぶつければいいさ」
「えっ?」
勝手に巻き込まれた南部が抗議の声をあげる。
十和田は醜貌を苦悩に歪ませながらも、しかと決意を新たにした目で顔をあげた。
「……済まない。君の言う通りだ。最悪の未来をうじうじ考えていても状況は変わらないんだ。出来るだけの事はしよう」
美慧から新たに携帯電話へ送られてきた資料に目を通す。刻々と過ぎる時間の中、一同はあーでもない、こーでもないと頭を捻り続けた。
そして、日が落ち始め、空を紅が支配する頃。
「宇迦耶で蛇体……宇賀神だとか弁財天だとかなんとか、これはそんな伝承だな。商売繁盛の神様で、そこからウガヤ姫って名前が付けられたのかもしれないが……今知りたいのはそこじゃない。外れだ、次!」
幾つ目ともなる資料を読み終えたロブ。次の資料に移ろうとしたが、座りっぱなしでいたのが良くなかったのだろう。体が随分と硬くなっていた。ソファから立ち上がり、大きく伸びをうって体をほぐす。時計が目についた。
「って、もうこんな時間かよ。爺さん譲りの悪い癖だな、集中しすぎるとすぐこれだ」
コキコキと首を鳴らしながら、携帯電話をポケットにしまう。
「そういや昼食も取っちゃいない。トワダ、悪いが何か腹にたまるものを持ってきちゃくれないか?」
「えっ……でも……」
一刻も早く龍子を救いたいのだろう。米代少年は携帯電話の画面とロブを交互に見ながら困惑する。
「一時休憩を挟んだ方がいい。真実にぶち当たる前にぶっ倒れたんじゃ話にならない。何より疲労困憊のままでは碌な作業は出来ん。疲れたら休める時に休め。どんなに急いでいても食事と睡眠は可能な限り摂れ。爺さんからの受け売りだ」
「分かった。少し待っていてくれたまえ」
「あ、俺、トイレに行きたいんすけど。どこにあるっすか?」
トイレの場所を十和田に教わり、米代少年は部屋を出ていく。
ロブは十和田と共に、先程までいた客間の隣にある台所へと足を踏み入れた。
ペットボトル飲料にビスケット。火を使わなくとも食べられる食品を集め、一か所に纏めておく。こうしておけば、作業の合間でも容易く栄養にありつけるだろう。
せっせと缶詰をテーブルの上に並べながら、ロブは小声で口を開く。
「それにしてもアンタ、ここの親子について随分と詳しく知っているようじゃないか。まるで直に田沢家の生活を見てきたようだ」
十和田の手が止まる。
「俺の推測だとアンタは多分アレだな。知り合いなんていう間柄よりも深い関係にあるんじゃないか? それこそ……」
「……あの男には家族を名乗る資格などない」
疲れたような、かすれた声で十和田は返す。
「一人娘を置き去りにして、自分の人生だけを救おうとした薄情者だ。かつての自分と決別すべく、整形手術で顔を醜く変えてまで千鶴子の目から逃れようとしたというのに……今になって、龍子の情にすがろうだなんて」
「一度捨てた者に会いに来たって、アンタに何かあったんだ?」
「……初対面の人間ってのはどうしたって外面でしか物事を判断できない奴が多いものでね。醜悪な顔になった途端、周囲の連中は私と関わり合いになろうとするのを避けだした。それでもよかった。見てくれだけで私を選ぶ、千鶴子と同じような連中とは関わり合いになりたくなかったから……ところが、いるところにはいるんだな。如何に醜くても私の内面を見て、愛してくれる人ってのは。彼女と結婚して、子供もできて。本当に、幸せだった」
缶詰を並び終えても、十和田の口は止まらない。ロブも何も言わず、彼の告解を聞き続けた。
「きっと罰が当たったんだろう。そうでなければ幸運の揺り戻しが来たのかもしれない。奇しくも千鶴子が亡くなったのと同じ、半年前の事だった。私が全てを失ったのは」
交通事故。十和田の大切な家族はたった一夜で肉塊と化した。怒りをぶつける相手もいなかった。飲酒運転で事故を起こした加害者もまた、自身の罪を償う事なく荼毘に付したのだ。
「家族を失う絶望。それを嫌というほど突き付けられた。生きる意味を失いかけた私をこの世に繋ぎとめたのは、かつて自分が犯した過ちによるものだった。親同士の取り決めの中での結婚生活ではついぞ気付けなかった親としての責務……それを放棄した自分への後悔の念が、愛する家族を失った事で初めて私に押し寄せてきたんだ。だがどうすればいい? 度の面下げてあの子によりを戻そうなどと口にできる? そんな思いを抱きながらも、結局私にはそれしか残されていなかった。自ら捨てた娘への償いしか」
自分にそんな資格はない。そう思いながら、しかし体は勝手に動いていた。元妻の住屋は失せていた。必死になって居場所を探し、ようやくたどり着いた金鶴村。
十数年ぶりにあった娘は、千鶴子の面影を残す美しい少女へと育っていた。
龍子は十和田を拒絶しなかった。顔の変った父親を疑いすらしない。しかし、そこに情らしいものは何もなかった。
彼女にとって、十和田は過去の遺物なのだ。物心がしかとつく前に消えた肉親に、愛情も憎しみも抱けていない。龍子にとって、十和田はまさに血の繋がっているだけの他人に過ぎなかったのだ。
「それでも、あの子は寛大だったよ。一緒に住む事も、世話をする事も受け入れてくれた。家族として振舞う事さえ拒否しなかった。あの子が私に拒否したのはたった一つ。姓を十和田から戻さない事だった。だが、それすらも彼女の慈悲だと気づいた時、私は失われた肉親としての情を取り戻そうと決心した」
「慈悲? 同じ姓を名乗るなってのは家族扱いされたくないって事じゃないのか?」
「かもしれない。あの子にすがりたいだけの私の都合のいい解釈という可能性は高い。だが、あの子はこう言ったんだ『同じ姓だとウガヤ様に祟られるかも』と。あの子は私が祟りに巻き込まれぬよう、あえて別姓でいる事を望んでいるのだ。私を案じてくれているんだと、そう思わずにはいられない」
「……だから祟りについて調べ出したって訳か」
「ああ。祟りを解決しなければあの子と同じ姓を名乗れない。本当の家族として受け入れてもらえない。そう思って祟りを調べていく内に、千鶴子の凶行に気が付いたという訳だ」
「……俺の親父とお袋はろくでなしでな。親としての責務なんざろくすっぽ果たしてくれなかった。当然、家族の情なんかありゃしなかった。親父が死んだ時にはむしろ歓喜と開放感に包まれたくらいさ」
「……そうか」
「……十数年だ。それだけの溝を、アンタは本当に埋められるのか?」
「……分からない。誤魔化す気はないよ」
「やばっ……長居しすぎた!」
慌てた声をあげて、米代少年がトイレから出てくる。
思い人の危機を早く救いたいという欲求からトイレで用を足している間も携帯電話を弄り続けていたのだが、ついつい熱中しすぎてしまったようだ。窓から見える空。トイレに入った時には朱に染まっていたはずだったのだが、いまや微かな光芒を残して闇に染まっている。
手を洗い、急いで客間へと向かおうとしたところで、奇妙な物音の気が付いた。
閉じきられた部屋の中から、何者かの気配を感じ取る。用を足しに向かった時には何もなかったはずだ。
部屋には龍子と書かれたドアプレート。まさか彼女が帰ってきているのか。
だとしたら、どんな態度で接すればいいのだろう。彼女を救うためとはいえ、龍子のプライベートにまで踏み込んでいる以上は顔を合わせ辛い。
扉の前で悶々としていると、客間からロブがやってきた。
「何やってるんだ? 早いところ飯を食った方がいいぞ?」
「あ、いや。龍子ちゃん、いつの間に帰ってきたのかなって」
「何?」
訝し気な顔でロブは扉に耳を近付ける。確かに何者かが部屋の中にいるようだ。
「……あの、ロブ兄ちゃん?」
「……少年、トワダを呼んできてくれ」
「え?」
「お前がトイレに入っている間、玄関から物音はしなかった。この部屋に入り込むには客間の前を通る必要がある。俺とトワダが飯の準備をしている間もナンベが客間にいた。仮にリョウコが帰ってきたとして、自分の家に知らない男がいるんだぞ? 何らかの反応は見せるはずだ。それがないって事は……」
「泥棒?」
少年は慌てた様子で客間へと向かう。
ロブはドアノブを静かに回してみたが、あんのじょう鍵が掛かっているようだった。
やがて十和田がやってくる。
「龍子? 帰ってきたのか?」
その言葉に返す声はなく。侵入者は部屋の中で慌ただしく動き出した。十和田が合鍵で扉を開けると、龍子の部屋は既にもぬけの殻。大きく開いた窓から冬の夜風が吹き込んでくる。
部屋の中は荒らされていなかったが床に落ちていたモノを見て十和田と米代少年は目を見開いた。それは二人が見慣れた代物であった。龍子の着ていた衣服。下着までもが無造作に脱ぎ散らかされていたのだ。
まるで訳が分からないとばかりに、窓に駆け寄り辺りを見回す米代少年。一方、十和田は脱ぎ捨てられていた衣服を手に取る。まだ温かい。
その事実をロブに伝えようとした十和田は、彼の視線に気が付く。龍子の机の上に放り出されていたのは彼女の日記帳だった。まるで見ろと言わんばかりに、文字の書きこまれたページが開いている。
ロブはそれを手に取った。そこに全てが書かれていた。答えは間近にあったのだ。
十和田の懸念していた通り、千鶴子は龍子の暴力を振るっていたらしい。龍子が自分の思い通りにならないと感じる度に、顔を避けて消えない傷を残し続けたのだ。
一方で、千鶴子は自分の所有物に彼女なりの愛情を注いでいたのもまた事実だった。そもそも、千鶴子がこの金鶴村に移り住んできたのは、病弱だった龍子の体調を気に病んでの事であった。それが単なる願掛けだったのか、本気で健康になれると信じたのかは分からない。参加者に健康をもたらす裸祭りの事を知った千鶴子は、いてもたってもいられず金鶴村へと居を移したのである。
病弱な娘をどうか禊に参加させてはくれないかと住職に頼んだ千鶴子だったが、前代の神主に伝統の一言で退けられた。以来、彼女は恨み骨髄とばかりに神社と祭りに対する嫌がらせを行うようになった。
さて、肝心の龍子はというと。村での初めの一年は、ひ弱な自分の体に辟易しながら暮らしていたようだ。ある日の事、湖の水を飲めば自分も健康になれるのではないかと思い、一人でこっそりと八頭湖に足を運んだ。祠の前で、湖の主であるウガヤ姫に水を分けて下さいとお祈りを済ませ、湖に近付こうとした時だった。病の発作が彼女を襲った。
蹲り、倒れ、意識を手放す。
深く沈んでいた意識を、体に染み渡るような冷たさが引き戻した。
目を覚ました龍子を古風な装いをした不思議な女性が心配そうにのぞき込んでいた。
彼女の膝枕から頭をあげて誰かと問う龍子に、彼女はここではウガヤ姫と呼ばれて長いと答えたのだ。
祠の前で倒れた龍子に大蛇の魔力の込められた湖水の飲ませてくれたらしい。
ウガヤ姫は、体を健康にしたいがために村に引っ越してきた少女に親身になって接してくれた。大蛇の水の効力は永久に続くものではないとして、定期的に祠にやってくるよう龍子に言い含めたのだ。
そこで困ったのが龍子である。母親の千鶴子は神社での一件があって以降、龍子に神社や祭りに近付くなと厳命されていたのだ。今日、この湖に足を運んだのも母親の目を盗んでの事である。村の交友関係にまで口を出してくる千鶴子の圧のせいで友人一人できやしない龍子であったが、狭い村の中ではいつ祠に足を運んだ事実がばれるとも限らない。そうなれば、躾と称して体に新たに消せない傷が刻まれてしまう。
それでも、龍子は祠に通い続ける事を選んだ。それはウガヤ姫に「本物の母親」を見出していたからだ。自身を見つめる優しい目、不安を受け入れ慰めてくれる優しい腕……所有欲ではなく、母性と慈愛でもって接してくるウガヤ姫に、龍子は人生で初めて孤独が癒された。
長い間村を見守り続けたウガヤ姫は様々な事を話してくれた。自分の命で父親が迷惑をかけた村人達が救われたなら本望だという事。気がついたらいつの間にか蛇になっていた事。村を疫病から救おうと慣れない魔力の使い方に四苦八苦していたら祟りだと誤解されたという苦い思い出。そのどれもが新鮮で、ウガヤ姫のお人好しな人柄が知れる話ばかりであった。
「ウガヤ様がお母さんになってくれればいいのに」
時折洩らす龍子の願望を、しかしウガヤ様は困り顔で苦笑した。人は人の世で暮らすべきだと、本来の姿である蛇に戻ってみたりもしたが、龍子には効果がなかった。龍子の親が厳しい事は聞いていたが、それを片親故の愛情の裏返しなのだと解釈していたのだ。龍子の事を思うが故に厳しさなのだと。
その考えが誤りであるとウガヤ姫が知ったのが半年前の事だった。龍子がこっそりと祠に通っている事実が、遂に千鶴子にばれたのだ。十年もの間自分の言いつけに背いていた千鶴子の怒りは凄まじいものであった。バールを片手に、あえて龍子が祠に足を運だタイミングで彼女の前に立ちはだかった。娘への罰として祠を壊そうというのだ。
それを止めようとした龍子への折檻は目を背けたくなる程のものだった。あいもかわらず顔は傷つけなかったが、腹や背中を殴りつけ、踏みつける。勢いでバールを振り下ろさなかったのが不思議なくらいの暴力の嵐に、ウガヤ姫が割って入った。娘を所有物としてしか見ていない千鶴子に対し、ウガヤ姫は初めて祟りの力を振るったのである。
ほんの一瞬の事だった。千鶴子の体から水分が抜けだしていく。元の美貌の面影が見られない、枯れ枝のように干上がった肉体が乾きに苛まれ、もがき苦しみながら息絶えた。
我に返ったウガヤ姫は泣いて龍子に謝った。厚着の下にある、初めて見た傷だらけの龍子の肢体。彼女の苦しみに気が付けず、十年もの間救いの手を差し伸べなかった事。母親を殺してしまい、龍子を孤独にしてしまった事。どんな償いをしたらいいかと問うウガヤ姫に龍子が望んだ事は、何時もの通りのものだった。
「ウガヤ様がお母さんになってくれればいいのに」
事ここにいたり、ウガヤ姫は龍子を娘として受け入れる決心した。家族の証はいずれ現れるとのウガヤ姫の言う通り、龍子の体に変化が現れた。消えない傷跡を癒そうとするかのごとく広がっていく赤い鱗。それが体を覆いつくした時、龍子はウガヤ姫同様に蛇神として生まれ変わる。その日が今日だったのだ。
祠に報告に向かった龍子。ここ最近現れたという龍子の父親にウガヤ姫は若干の申し訳なさは感じていたが、もう江裕子が蛇に変わるのを止める事は出来ない。ならばせめて、別れの言葉だけは残してくるようにと龍子は進められたらしい。
日記の最後には「本当のお母さんに会わせてくれてくれてありがとう、お父さん」と残されていた。自分を見捨てておきながらのこのこ戻ってきた挙句、家族として振舞おうとする十和田への皮肉が込められた言葉だった。
闇夜を駆ける。肌を突き刺す寒さすら、体に籠る熱量で気にならなくなる程に、ひたすらに足を動かした。
ロブ達四人の前に広がる八頭湖。祭りの喧騒は鳴りやみ、静けさが支配する無人の畔。
龍子の名を叫びながら、十和田は必死になって娘の姿を探す。
目指すは祠。それ以外に娘のいる場所は考えつかなかった。
はたして、それはそこにいた。赤い鱗の鮮やかな人間ほどの大きさの蛇。それが娘だと十和田は直観する。
娘を呼び止める声はしかし、湖から持ち上がる巨大な鎌首に遮られた。
赤い鱗の大蛇……ウガヤ姫だ。
龍子が変じた蛇が湖水をかき分けウガヤ姫の下へと去っていく。
「行かないでくれ!」
その言葉を、十和田はついに口にする事ができなかった。
ウガヤ姫が龍子に向ける眼差し。慈愛に満ちたそれは、愛する我が子を今度こそ幸せにしようとする決意に満ち溢れていた。
認めざるを得なかった。十年の月日の中、龍子とウガヤ姫の間に育まれた家族としての絆。それを壊す権利など、一度父親である事を放棄したこの身にあろうはずもない。
十和田は来るのが遅すぎたのだ。
「結局のところ、ウガヤ様は一度しか人を祟っていなかったという訳ですね」
早朝、鳥居の前から八頭湖を見下ろしながら、美慧はロブから事の顛末を聞いていた。
両教授は現在、神社で集めた資料の整理の真っただ中。研究の本筋に集中している二人に変わり、美慧が祟りについての報告をまとめているのだ。
「その祟りというのも、罰するのではなく助ける為の行為だった……何ともお優しい方なのですね、ウガヤ姫様は」
「ああ。だから多分、祟りに関してあの御婦人方が怯える必要性は全くないと言ってもいいだろう。自身への悪行はどれほどのものであっても受け入れてきた姫様だ。十年もの間デモを受けておきながら、結局彼女らを祟らなかった点を見ても心配する必要性ってのを感じられない」
「ですね。本当にできたお方です。ところで……」
美慧の視線はロブから南部へ。真っ直ぐな視線に、南部はとびっきりのいい顔で応える。
「何だい美慧さん? 愛の告白ならばいつでもウェルカムだよ僕は」
「いえ。南部さんが龍子さんが去っていくのを黙って見ていたと聞いたのですが本当ですか? ウガヤ姫様が人を蛇に変えると知れば、南部さんなら退治しようと躍起になるものかと」
「それはそうだな。なんせ蛇といえば悪魔の化身として扱われるのがキリスト教だ。曲がりなりにも……本当に認めたくない事だが聖受難教会もキリスト教系の教団だ。放っておいても良かったのか?」
「君は僕を空気の読めない男だとでも思っているのかい、ロブ?」
「割と」
初めて出会った時、南部が勘違いから祭りを邪魔しようとしていた事をロブは決して忘れてはいない。
「大体、蛇イコール悪魔だなんて考えが勉強不足なんだ。熾天使という存在を知っているかい? 時として燃える、赤い蛇としてあらわされる天使だ。きっと龍子ちゃんは天使になったんだろう。エノクにエリヤ……人が天使に変ずるのはありえない事じゃないからね」
「……まあ、お前がそう思い込んでるならいいけどさ」
例え都合の良い思い込みでも、面倒事を起こさなければ万々歳。赤い蛇はサタンの化身だと言って湖に毒をまきかねない聖受難教会の信徒としては、確かのこの男は行儀が良い。
ウェイトリー老から言いつけられた祟りの一件は解決した。これからは裸祭りの歴史や村の伝承を集めて、教授の論文作成の手伝いを行うという本来の仕事が待っている。手始めに、まずは祭りの二日目を取材しようと待機していると、車が一両通りかかった。鳥居の前で停止した車の窓が開くと、そこには醜怪な容貌の男が一人。十和田だった。
「やあ。昨日は迷惑をかけたね」
「こんな朝早くから買い物にでも行くのか?」
「いや。しばらくこの村を離れる事にしたんだ」
「まあ、生きる希望を断たれちゃいたたまれないだろうが……ってしばらく? またこの村に戻ってくるつもりなのか?」
「まあね。町に戻って、神職の資格を取るつもりだ」
「何でまた?」
「……親として私は失格だ。ウガヤ様の方が龍子の家族には相応しい。それは認める。でも、私は私なりにあの子の力になりたいんだ。この神社の跡を継いで、あの子の行く末を見届けたい。父親ではなく、十和田与郎として見届けたいんだ」
「それが新しい生きる意味か」
十和田はこくりと頷いた。
車は冷たい空気を引き裂いて去っていく。やがてその影が見えなくなったころ、祭囃子が青空に響きだすのだった。




