心の中で婚約者を殺してでも
屋敷の中庭で、婚約者とのお茶会を終えた弟が思い詰めた顔をしていると知らせてきたのは、弟の従僕の少年。
助けを求めるような視線に、仕方なく私はそちらへ向かった。
「姉上……」
私を見つけて、弟も縋るような目を向けてきた。
その顔は、酷く頼りなく。麗しいと令嬢たちの間で噂になる彼の美貌を更に輝かせていた。
しかし、私が抱いたのは、鬱陶しい! と言う気持ちだ。
男のくせに、なよなよと今にも泣き出しそうに瞳を潤ませるなど見苦しいし、気色悪い。言いたいことがあるならはっきり言え。
挨拶もなく弟の前の椅子を引いて勝手に座り、侍女がお茶を入れようとするのを片手で制する。長居するつもりはない。
「それで、何の用」
わざわざ思わせぶりに他人の気を引いて私を呼びつけたのだ。何の魂胆だ? と聞けば、目の前の男は一瞬の驚愕の後、長い睫を伏せて、苦悩するように薄い色の眉を寄せて唇を噛んだ。
悩ましい表情。それが人を魅了し、関心を寄せるものと、この男は本能で知っている。そこに悪意はなく、無意識の行動だ。
余計に性質が悪い。
「カリナが……」
散々躊躇って、か細く言う。
カリナとは弟の婚約者の名前。
私自身も随分親しくしている、明るく気立ての良い、気持ちの良い女性だ。
しかし、思わせぶりに彼女の名前を言っただけで弟は黙った。
そしてまたさっきの表情。わざわざより苦しんでいるように、眉根を寄せる。
その顔が……心底憎たらしい。
いっそ頭でも痛いのか? ならこんな場所にいないで部屋で寝ていろと言いたい。
きっと他の誰かなら、苦悩する弟の表情に絆されて、慌てて聞くのだろう。
カリナ様がどうしました? 何かあったのですか? どうぞなんでも話してください、力になりましょう。
なんて言ってこいつを励ます。
でも私は絶対そんなこと言わない。そんなの生まれたときからの付き合いで判っているだろうに、この顔をするのだから、やっぱりこれは無意識で……この男の本性が、そういうものなのだろうなと、嘆息した。
私の溜め息に弟の肩が震え、窺うように視線を上げた。目が合わないようにサッと顔を逸らして、さっき断った茶を入れるよう侍女の方を向いて命じる。
すぐに運ばれてくる芳しい紅茶。丁度良い温度のそれを、受け取ってすぐ口に含んだ。
「用がないなら私はこれを飲んだら席を立つ。話があるなら早くしろ」
冷たく言えば、弟は哀しそうな顔をして、何かを堪えるようにテーブルに置いた手をぐっと握った。拳が震えているのはどんな感情によるものなのだろう?
私か、カリナ嬢か、己の現状か?
どんな感情に促されて弟は震えているのだろう?
全く判らないであっさり二口目を啜る私に慌てたのか、やっと二言目を発した。
「カリナが……酷いことを言うのです」
だから? 思いながら三口目を飲み干す。
私の態度に、弟の後ろで従僕があわあわしている。
知るか。
私の本気を感じた弟は、更に慌てた口調で続けた。
「カリナが、私にはもう何も期待していないと」
知ってる。それで?
「私はこんなにカリナを想っているのに……、カリナはっ……、カリナは、婚約者は死んだと思うことにしているとい」
弟の言葉途中。
余りの衝撃に、ブハッと含んでいた紅茶を盛大に吹き出してしまった。
「姉上!」
テーブル中に飛び散った飛沫に慌てて席を立つ弟。
彼を守るように飛び出してくる従僕。
同じように私に駆け寄ってきた侍女。
一瞬で、優雅なティータイムの雰囲気はかき消えた。
「何をなさるのです!!」
「……いや、まさか本人にも宣言するとは思わなくて、驚いた」
「姉上はご存じだったのですか!?」
「まあな……」
「だったら何故、諫めてくれなかったのです! カリナの言葉に、私がどれ程傷ついたかっ」
従僕に上着を拭かれながら麗しいかんばせを歪ませる弟は、本当に愚か者だ。
私も濡れた口元をハンカチで拭い。テキパキとテーブルの上を片付けている侍女たちに、それが済んだらこの場を離れるよう言った。
一瞬ですべてがなくなり綺麗になったテーブルセットで再び弟と向かい合う。
「カリナ嬢を想っていると言ったな」
「ええ、当たり前でしょう。婚約者なのですから」
「婚約者だから……か。随分便利な言葉だな」
「どういう意味です?」
「婚約者だから、婚約者なのに……その婚約者という言葉にカリナ嬢がどれ程苦しめられてきたか知らないのか」
「は? 苦しむ?」
「ああ、お前の婚約者という立場は長く彼女を苦しめてきた。本当に知らなかったのか? 婚約者なのに?」
「……言ってくれなければ判りません」
「ああ、お前はそう言う男だものな」
ふふっと嘲るように笑えば、途端に気色ばむ。
単純で、愚かな弟。
どういう意味かと訴える美しい瞳。
この目に、この顔に、皆魅了されるそうだ。
無意識に、でも確実に、弟はそれを知っている。
だからこんなに傍若無人に振る舞えるのだろう。
かつては羨んだこともある。
けれども今は、もう……ただ愚かとしか思えない。
愚かな振る舞いは、最愛の人さえ遠ざけた。
「彼女が自分で言ったなら、それがすべてじゃないか。お前の振る舞いに愛想が尽きた、だから殺されたんだ」
「私に、愛想が尽きた?」
「期待しないと言われたんだろう」
「私の、何が!」
「お前のすべてに、だろうな。私だって、正直姉弟でなかったらお前のような男とは関わりあいになりたくない」
「……あねうえ?」
「そのくらいお前は愚かで、嫌な男だ」
真っ直ぐ目を見て冷えた声で告げたら、弟は一瞬呆気にとられた顔をした後、わなわなと震えて、やがて椅子を蹴倒す勢いで立ち上がって、去って行った。
その後を、従僕がやはりあわあわしながら追っていく。
「だからお前はダメなんだよ」
誰もいない空間に向けて呟いた。
問うたくせに、答えを聞かない。
そういう態度が、カリナを傷つけて、遠ざけた。
弟と彼女の婚約は、幼い日の弟の一方的な一目惚れから始まった。
カリナを好きなった弟の願いを聞いた両親があちらの家に打診して、顔合わせをして、カリナも弟を気に入ったから結ばれたもの。
家格に開きがあるわけでもないし、政略的な旨味もない。
恋情によって結ばれた婚約。
弟は幸運だったのだ。
けれど、互いが大人への階段を上り始めた頃から、徐々に歯車が狂い始めた。
原因は、弟が美しかったこと。彼の美貌は本人の気持ちにかかわらず、人目を引いた。
貴族学院の入学式で美男子と話題になって以降、既に婚約者がいるにもかかわらずあちこちの家から釣書が届く始末……そして、それは本人たちにも及んだ。
弟目当ての令嬢たちは、本人に接触する一方で、婚約者のカリナを攻撃した。
そこで婚約者を守れる男であったなら弟の株も上がっただろう。
しかし、自分に微笑みかける令嬢の裏の顔など、弟は理解しなかった。カリナが何度訴えても、逆に、他人を悪く言うカリナの性根を諭し。その上で、そんなカリナでも愛していると、お門違いな優しさを発揮して、彼女を束縛し続けた。
弟は、決して自分の美しさに傲慢さを持っているわけではない。愛されている自信を誇っていたわけでもない。
ただ、カリナの何も信じなかっただけ。
ただそれだけ……が、どれ程彼女を傷つけただろう。
愛していると極上の笑顔で囁く男は、一欠片もカリナを信用しないのだ。
そんな愛、誰だっていらないだろう?
徐々に表情のそげ落ちていくカリナを気遣い、私は何度も彼女と二人きりで会った。
弟への愚痴を聞き。
弟の周囲に群がる女たちへの怨嗟を聞き。
出来うる限り弟を叱咤し、周囲を牽制してきた。
それしか私には出来なかったから、私に出来る精一杯でカリナを支えてきたつもりだ。
だが……半年前、私自身にも婚約が整った。
私は女。
いづれ嫁ぐが定め。
判っていたが、……予定外に相手は国外の貴族で。
もう私は、彼女の近くにいることすら出来なくなった。
伝えたとき、私は彼女が泣くのではないかと思っていた。
けれど……カリナは涙など見せず。暫く何かが抜け落ちた表情で私を見つめてから、不意に立ち上がると静かに頭を下げた。
『お義姉様、今まで本当にありがとうございました。お義姉様のご多幸を心から願っております』
『カリナ……』
『私のことなら心配なさらないで、どうか旦那様になる方とお幸せに。それだけが私の願いです』
私は大丈夫……言葉とは裏腹に、心配するなというのが無理な笑顔を見せてカリナは去った。
あの日からだろう、カリナが変わったのは。
私を失う日のために準備を始めたのだと、私だけが気付いた。
そして数日前、最後にカリナと会ったとき。
私は、彼女にどう折り合いをつけたのか聞いた。
『私、婚約者は死んだと思うことにしたの』
あっけらかんと言われて、流石の私も言葉を失った。
『私の弟を勝手に殺したのか?』
『あら、ごめんなさい。でも、そういうこと。私の婚約者はもう死んでいて、でも、天国から時々やってきて手助けしてくれることもある。そんな人だと思うことにしたのよ』
死んでいるのだから何も出来なくて当たり前。
それどころか、時々でも、わざわざあの世から出てきて、エスコートしてくれたり、お茶に誘ってくれるなんてありがたいと思えるようになったと、カリナはすっきりした顔で笑う。
そこまで言わせた弟の所業に呆れの溜め息しか出ない。
『こんなふうに、私は私で上手くやっていくから心配いらない。これでも私、結構強かなのよ。知ってるでしょう?』
知っている。
強くて優しいカリナだから、あんな馬鹿な弟の婚約者を続けられた。
とっくに愛想を尽かしていてもおかしくないのに、彼女はずっと弟の婚約者でいてくれた。
カリナの温情で、弟の婚約は続いているのだ。
『まあ、彼のおかげで貴女と知り合えたから、ちゃんと恩は返すつもりよ。でも……もう彼の望むかたちでは、絶対幸せにしてあげない』
積年の恨みの籠もった口調に怯えたふりをして肩を竦め、一縷の望みを込めて言った。
『私がいなくなったらいつでも婚約解消して良いぞ。家のこともあいつのことも気にするな』
『まあお義姉様ったら、私が義妹になれなくてもよろしいの?』
『義妹になんかならなくても、私たちは親友だろう。なんならさっさと婚約など破棄して、私の嫁ぎ先についてくればいい』
大きく目を見開いたカリナは、一瞬後にハハッとはしたなく吹き出して、肩を震わせた。その勢いのままテーブルに突っ伏してしまう。
その肩がか細く震えて続けているのは笑っているからなのか……。
『……ありがとう、ローゼ。貴女だけよそんなこと言ってくれるのは』
くぐもった声が聞こえ、少し覗いた目は赤く潤んでいる。
『辛くなったら行くから、私の席ちゃんと空けておいて』
『ああ……』
そうして私たちは嫁ぐが定めの女として、決別した。
弟に彼女を幸せにしてくれなんて、私は乞わない、願わない。そんなことしなくても、彼女は自身で幸せになる道を見つけ、勝手に幸せになるだろう。
心の中で婚約者を殺してでも。
だから私が願うのは、彼女の幸福へ続く道が、いつかまた、私の進むそれと交わって、私たちが何処かで笑い合う日が来れば良いということだけ……。
読んで頂きありがとうございました。
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