アキレアの咲く頃、君を忘れる
「嫌だ嫌だ嫌だ」
少年は下唇を噛みながら、誰にも聞こえないよう、小さな声で自身の内にある抵抗感を顕にした。
「母さん……」
声を震わせながらも、視線だけは目の前の敵を逃がさないよう、必死に睨みつけている。
「可哀想に。随分と非道な国だねえ」
敵対者のそんな飄々とした態度は、この戦場という場には一切そぐわない。
二人は箒を象ったような形の魔導機に乗って、空高い位置で対峙している。
周りでは吹きすさぶ風や、荒れ狂う水流、爆発する炎があちらこちらで発生しており、王国軍と帝国軍の激闘が繰り広げられているのが分かる。
そんな中、二人だけはまるで時間が止まったかのように睨み合っていた。
まだ十五歳になったばかりの少年は、祈るように母を呼び続けていたが、その祈りは目の前の悪魔ような男にも届いてしまっていたようだ。
敵対者の顔の左半分は皮膚がめくれ、赤黒い中身が見えてしまっている。
そんな恐ろしい形相に、少年は嫌悪感を抑えることが出来ない。
彼が顔をしかめたのを見た男は、それを隙だと判断したのか、己の切断されて短くなった指先を向けてきた。
そこから何が放たれるか分からず、反応が遅れてしまう。
少年はなんとか身を守るよう、箒の上で身体を丸めた。
その瞬間、二人の間の空間が燃えた。
あの男が放ったものではないのか、燃え盛る炎から距離を取るよう、相手の男の方が離れた。
少年は驚いて、炎が飛んできた方角を見る。
そこには空間を割るようにして現れた、美しい顔で背の高い男が、自分と同じように箒型魔導機に乗って飛んでいた。
「イーリアさん!」
「ジャック。前を向いて。死にたくなければ『魔法』を使うんだ」
「でも!」
イーリアと呼ばれた美しい青年は、杖型の魔導機を敵に向けて、躊躇無く何度も炎の弾を放っている。
「そんなの効かねえよ!」
攻撃を受けたはずの男の身体は、めくれている顔の皮膚と短い指以外、かなりの速度で再生していく。
イーリアは感心したようににっこりと微笑みながら、悪魔のような風貌の男に向けて拍手を送る。
醜男はそんな反応をされたことが不気味だったのか、片眉を釣り上げて美丈夫を睨んだ。
尚も微笑んでいる謎の青年が、何故そんなにも余裕そうなのか、冷静に様子を伺っているらしい。
「君は、俺たちの魔法の『代償』について知っているかな?」
「はあ?当たり前だろ?気でも狂ったか?」
質問の意味が分からない悪魔は、キザな天使を馬鹿にするように笑い声を上げる。
イーリアはその不協和音をバックミュージックに、ブラウンカラーのサラサラとした髪をかき上げて、爽やかな表情のまま彼を見ている。
「この子は先月、目の前で母親を亡くしてしまったばかりでね」
それを聞いた男は、あからさまに表情を強張らせた。
「ジャック。頼む」
美しくも残酷な天使は、その松葉色の眼差しを突然鋭くし、近くでまだ震えているジャック少年に向けた。
普段優しくしてくれる先輩からの願いを聞いた彼は、手を震わせながら、首から下げているロケットを覗き見る。
そこには大人の女性の写真が入っていて、背中を押すようにこちらへと優しげに微笑んでいた。
「ごめんなさい!……母さん!!」
ジャックは叫びながら、逃げようと距離を取った悪魔に杖を向ける。
突然その先に漆黒の闇が生まれ、そこから黒い稲妻が飛び出たかと思うと、容赦なく男の身体に突き刺さった。
瞬きをする暇すら与えず、男は一瞬にして命を奪われたのだろう、ぴくりとも抵抗する様子を見せないまま、箒ごと地面へ墜落していく。
「ああああっ、ああああああああああ!!」
イーリアは攻撃が終わって発狂するジャックの身体を咄嗟の判断で抱えた。
箒の上で力が抜けた少年は、そのまま気を失ってしまったようだ。
「すまない。残酷な魔法を使わせてしまった」
青年はもたれ掛かってくる少年を護るように抱えつつ、周囲で巻き起こっている爆撃を避けながら、慎重に下へと降りていく。
◇
リュミエリア王国とザルファル帝国の魔導戦争が始まって、もう三年ほど経つだろうか。
戦況は五分五分。どちらの国もなかなか決め手を打つことが出来ていない。
以前はこの時期になると国を挙げて楽しんでいた春の催しも、開催出来なくなってから随分経ったように感じられる。
パトラは軍事作戦から戻ってきた少年に包帯を巻きながら、その表情をつぶさに観察していた。
ここは、リュミエリア王国直属の軍隊、記憶師団の第四拠点。
城壁に囲まれた土地の中に軍事施設があり、その中心にある城の中に彼らは居た。
巨大なホールでは人が忙しなく動いていて、パトラと同じ白いローブを着た人たちが、黒い軍服を着た人たちをガラス張りの部屋の前にある椅子に座らせ、各々状態を観察するようにしながら対話している。
「ジャック。敵を一人倒したそうですね」
そう声をかけられた彼は、運ばれた時に失神していたのが嘘のようなケロッとした表情で、嬉しそうに頷いた。
「すごく誇らしいです!次の帰省の時に、母に報告するのが楽しみです!」
「そうですか。お母様……、喜んでくれるといいですね」
パトラは少し瑠璃色の目を細めて、薄紅の髪を片耳に掛けながら優しくそう答えた。
「スフィアルームの場所は覚えていますか?」
「はい!ここの突き当たりの大きな扉ですよね?使い方も覚えてます!」
「分かりました。少しだけお待ちいただけますか?」
そう言って少女は少年をその場に座らせたまま、近くの職員に耳打ちするような小さな声で話しかけた。
「すみません。ジャックは『お母様が亡くなった時の記憶』を犠牲にしたようです。スフィアルームでパニックを起こすかもしれません。サポートお願いします」
職員はしっかりと頷くと、ジャック少年と共にスフィアルームへと歩き出した。
こんな戦争は狂っている。
『人の記憶』を犠牲にして、『その記憶に関連した魔法』を発動する魔導機を、まだこんなにも若い兵士に使わせるなんて。
ジャックは戦場で『死の魔法』を敵に放ったと報告を受けている。
きっと『母親が目の前で死んだ記憶』は、いとも簡単に相手の心臓を止めただろう。
死の魔法は、亡くなった相手を大切に思っていればいるほど致命傷を与えやすくなる強力なものだから。
パトラはそんなことを考えながら深い溜息をついた。
彼女の任務は、戦場に行く前の兵士たちの記憶を、球体の形をした特殊な魔導機、『スフィア』に記録することと、帰還してきた兵士たちに対し、そのスフィアに記録された記憶を疑似体験させることで、強制的に思い出させることの二つだ。
しかし実際のところ、あくまで思い出すと言っても、実際に体験した出来事と比べたら雲泥の差だ。
だからこそ、ジャックは二度と母を喪失した際の鮮烈な哀しみを、本当の意味では思い出すことが出来なくなってしまった。
そして、次にこの記憶を使って放つ魔法も劣化し、相手に致命傷を与えられるほどかどうか。
「こんにちは」
黒い軍服に身を包んだ端正な顔の男が、少し屈みながらパトラに声をかけてきた。
イーリア上等兵だ。
「あ、お疲れ様……です」
「見ない顔だね?新人さんかな?」
イーリアは松葉色の目を輝かせながら、射抜くように真っ直ぐパトラを見ている。
「えー……と、そんなところです」
「そうだよね。こんなに可愛い子、会ったことがあれば覚えてるはずだから」
青年はパトラの目の前にある、先ほどまでジャックがいた椅子に座った。
「イーリア……上等兵は今回も『炎の魔法』を使用したと聞いています。お加減は大丈夫、ですか?」
口説かれて照れているのか、質問するパトラの顔は自身の髪の毛よりも赤く染まっている。
「問題ないよ!『炎の魔法』は俺の得意分野なんだ。良かったら今度君の為に綺麗な色の火を作ってあげてもいいけどどうする?」
「大丈夫です」
食い気味に断ると、イーリアはそれすら楽しそうに笑った。
「じゃあ、そろそろスフィアルームに行くよ。あ、そうだ。君の名前を教えてくれる?今度食事に誘いたいんだけど」
「スフィアルームから帰ってきたら教えますよ」
「つれないな。じゃあまた、必ず会いに来るよ」
『記憶の記録』を大量に保存してあるガラス張りの部屋に、イーリアは颯爽と歩いていってしまった。
「パトラ。あれ何回目?」
「三百回は越えてる気がします、かね」
まだ顔が熱いのか、手の平でぱたぱたと顔を扇ぎながら、隣の席に居た同僚のニトルに向けてそう返す。
「炎の魔法の使い手……って、ほぼパトラのお陰なのに毎回すっかり忘れて帰ってくるんだから」
「いいんです」
「いいって……、アンタとイーリア上等兵って、地元からの幼馴染なんでしょ?見てるこっちがやきもきするわ」
ニトルが怒ったようにそう言うのを、パトラは軽く笑いながら受け流した。
故郷。
赤や白や、桃色の美しい花々の中に立つ彼は、幼い頃から絵画のようで、高嶺の花そのもののようだったが、その頃からずっとパトラに対して好意を隠さずに接してくれていた。
戦渦。
初めてイーリアが記憶を失って帰ってきた時のショックは計り知れないものだったが、彼は帰還する度に必ずパトラに一目惚れする。
そして、その恋心を戦場で躊躇無く消費し、毎度美しい炎を燃え上がらせて帰ってくる。
彼は自分を信じているのだ。何度でもパトラに恋をすると。
対するパトラは、自分に自信を持てずにいた。
自分がイーリアならどうだっただろう。同じように彼を好きになるだろうか。
それに、自分と彼が一緒になったとしても、当の本人は毎回忘れてしまう。いつか二度と会えない日が来てしまったら……。
だから、自分の想いはいつも奥底にしまい込んで過ごすしかない。
「うるせぇっ!お前が悪いんだろ!!」
突然聞こえてきた金切り声にハッと我に返ったパトラとニトルは、その不協和音の発生源へと視線を向ける。
そこには互いの髪を掴み合って揉みくちゃになっている男女がいた。
兵士の女と記憶司書の男は床で暴れ回ったのか、服が薄汚れている。
「だから言ったのに」
「え?」
「『治癒魔法』使っちゃったらしいよ」
ニトルの言葉に驚いたパトラは、右手で口を押さえた。
この国のやり方では、治癒魔法を使うと『治療した方も治療された方も、共有の記憶(思い出)を失ってしまう』のが常識だ。
一緒にいた時間が長ければ長いほど記憶喪失による影響が大きく、酷いケースでは、歩き方を忘れる人まで出てくるほどだ。
喧嘩している二人は、ミドルスクールにいた頃に出会い、軍に入った後もずっと同じ配属先で、現在では結婚十年目になるおしどり夫婦として有名だ。
それが今では子どものように泣きじゃくり、殴り合っている。
その姿はまるで駄々っ子のようだ。
長く共に過ごしてきたからこそ、その間の記憶がすっぱり抜けて、幼児退行のような状態になってしまったのだろう。
「あれじゃ、退役して『療養所』送りだろうね」
兵士たちは記憶を使うせいもあって劣化が早い。
魔法の使いすぎで認知症に近い症状に悩まされたり、寝たきりになったり、言語能力を失う者も少なくない。
喧嘩している二人はそこまでの症状は出ていないように見えるが、組織内で問題を起こす可能性のある者もまた、療養所送りという名目で厄介払いされる。
戦場で使い物にならなくなれば、消耗品のように簡単に捨てられてしまうのだ。
パトラはイーリアもいつかはそうなるかもしれないことを常に心配している。
早くこの戦争が終結することを祈るばかりだ。
帰還兵たちを次々にスフィアルームや医務室に送り続けること一時間。
部屋から出てきたイーリアが、非常に気まずそうな表情でこちらを見ているのに気が付いた。
「パトラ」
「あれ?わたし名乗らなくていいんですか?イーリア上等兵」
「お願い。……あんまりいじめないで」
「はいはい」
つい先程自分の人生を疑似体験してきたばかりの男は、パトラの目の前にひざまずいて、キザったらしく手の甲にキスをした。
その光景を見たほとんどの人が、呆れるような反応を見せている。
「そんなことされると困るよイーリア」
「毎度忘れてしまうのが悲しいんだよ」
「こうなるのが分かってて炎の魔法使ってるくせに」
イーリアはパトラのそんな小言に返事が出来ない。
彼はひざまずくのを止めて、スッと立ち上がった。
その表情が仄かに暗いのを見たパトラは、反射的に焦った声を出す。
「ごめん!今のはわたしが良くなかった!……戦争に私情を挟むべきじゃないよね」
「いや、俺が悪いよ。寂しい思いをさせてごめん」
彼は突然いたずらっ子のような表情を浮かべて、少女を真っ直ぐ見た。
対するパトラは瑠璃色の瞳を瞬かせながらたじろぐ。
「ここは結婚して、しっかりと土台を固めるというのは……」
「スフィアに記録されて無かった?もう五十回以上は断ってるでしょ。ほら、まだ仕事残ってるんだから邪魔しないで」
イーリアはその返答にかなり落ち込んだようだ。
一歳だけ年上の彼は、作戦中は優れたリーダーシップで第七部隊を率いている上等兵。
最年少で出世街道に乗った上に、かなりの美丈夫で頭が切れ、人気まであるものだから、上官たちからは本人が思っている以上に嫌われているようだが、パトラの前ではこのように子犬そのものである。
しょんぼりと落ち込んだ様子でとぼとぼと兵舎に向かう子犬を見て、飼い主も少し気落ちしてしまった。
やることはたくさん残っている。
記憶司書たちは医療班の手伝いもしなければならないし、魔導機のメンテナンスも手伝うことがあるような、サポートのエキスパート。
いつザルファル帝国の鉄血部隊が攻めてくるかも分からない。
敵の軍団は、自らの肉体を敢えて負傷させ、その傷や痛みを感じれば感じるほど、強力な魔法を行使できるようになるという、リュミエリア王国とは全く違う魔導式を開発し、使用している。
だからこそ、鉄血部隊に対し、傷を残した状態で帰還させるようなことがあれば、その傷を代償に新たな魔法を構築し、より強い状態で次の戦闘に参加してくる。つまり対峙したら必ずその場で、心臓を止めてやらなければならないのだ。
「ニトルさん。少しいいかしら?」
厳格な雰囲気を持つ老齢の記憶司書長が声を掛けてくる。
「うげ……、また呼び出し?今度は何よ……」
普段から遅刻したり、勝手に城門から出て兵士の遺体を回収してこようとしたり、気になる兵士の記憶が入ったスフィアをいじったりと、かなり問題行動が多いニトルは、司書長にしょっちゅう呼び出されている。
彼女が問題だらけでも記憶司書をやれているのは、彼女を含む記憶司書全員が、特殊なまでに記憶力に優れている為で、それはあくまで本人のスペックであるからこそ、人員の替えが効かないからだ。
「あの子今度は何やらかしたのよ……」
普段は穏やかなパトラでも、彼女に対してだけは普段から色々思うところがあった。
案の定叱られたらしいニトルは拗ねたのか、その晩宿舎に戻らず、翌日も出勤してこなかったが、これもまたいつものことだと記憶司書たちは諦めて、兵士たちのサポートに集中する。
彼女がこの時何をしていたのか、誰か一人でも気にかけていたら、あんな悲劇は起こらなかったかもしれないのに。
◇
少ない兵士たちが、軍事施設を取り囲む巨大な城壁にある監視塔から、周囲を監視している。
異変が起きたのは、深夜三時を過ぎた頃のことだった。
パトラは夜勤では無かった為、ぐっすりと狭いベッドで身体を癒すのに専念していたが、その睡眠を妨害したのは、あまりにも大きな、雄叫びと電子音が重なっているような耳障りな音だった。
他のルームメイトたちも目が覚めたのか、驚いて辺りをキョロキョロと見回している。
「ちょっと、ニトル!」
「ダメだこの子。全然起きない」
「とりあえずすぐに着替えて!早く行こう!」
いつの間にか宿舎に帰ってきていたらしいニトルが、すやすやと寝息を立てているのを見ながら着替えを済ませたパトラは、適当に薄紅の髪を撫で付けながら、ルームメイトたちと共にスフィアルームの前の広いホールまで駆けつける。
「敵襲だ!」
一人の兵士が不可解な咆哮を出来るだけ避けるように、耳を塞ぎながら叫んだ。
「第七部隊、すぐに動ける」
イーリアは箒型と杖型の魔導機を持つ部下たちを引き連れて、颯爽と現れた。
第七部隊は他の部隊と比べてまだ若いメンバーで構成されており、中には金髪が寝癖で跳ねているまだまだ未熟なジャックも含まれているが、若さと比例して体力もスタミナもある。
このような奇襲に対抗するのが得意な部隊なのだ。
記憶司書たちは傷ついた彼らをサポートすることしか出来ないが、彼らの無事を祈りながら、こうして出陣していく背中を見送る。
「どうか、今回も無事に帰ってきますように」
パトラは必死に祈った。
第四拠点を狙った鉄血部隊の攻撃は止むことを知らず、ここ三日間激しい攻防が続いている。
味方軍である記憶師団でも死傷者が何人も出ており、城は疲弊した者たちで溢れていた。
「記憶司書たちも医療班のサポートお願い!」
「分かりました!」
「魔法は使わないでよ!薬のストックまだあるから!こんなタイミングで記憶無くされたらたまったもんじゃない!」
「ちょっと!誰かニトル見なかった!?まさかまた来てないの!?」
傷ついたり記憶を失った兵士たちが次々と医務室に運ばれてくる。
中には呼吸の仕方を忘れ、スフィアルームに入れる前にそのまま死んでしまった者も居た。
「やだあ!あたしママの所に帰る!ここ怖い!」
「あれすごいんだよ!お化けみたいだった!」
「てめぇ誰だよ!!勝手に触んじゃねえ!!」
まさに阿鼻叫喚。
記憶を犠牲にした魔法による損害が、あまりにも酷い。
「うわ、やばそー」
ニトルがマイペースに呟きながらスフィアルームから出てきた。
パトラが彼女を部屋で寝ている時以外に見るのは、随分と久しぶりのように感じた。
「ニトル!何をしてるんですか!!」
「あ、ごめん。スフィアの使い方忘れてる人がいたから説明してたんだけど上手く理解してくれなくてさ」
「本当に!?……とにかく司書長がカンカンです!早く医療班の手伝いに入って頂けますか?」
さすがに怒り心頭のパトラがそう言うと、ニトルはばつが悪そうに頭を掻きながら笑って誤魔化す。
それでもパトラの瑠璃色の瞳の奥に怒りの炎を見て、まずいと思ったのか、司書長もいる医務室へと素直に入っていく。
右往左往。
城の外から爆撃の音がしているが、それらに驚いている暇すら無い。
「鉄血部隊の部隊長が近づいてきてるぞ!」
あの耳障りな拡声器でも通したかのような咆哮は、この三日三晩止まずにいたが、確かに時間が経つにつれて大きさを増しているようだった。声の主が例の部隊長なのだろう。
「こっちに、向かってく」
その瞬間、監視塔で一同に説明していた兵士の頭が吹き飛んだ。
「きゃあああっ」
逃げ惑う者たち。
ここには現在、負傷した兵士と記憶司書と医療班という、戦力にならない者しかいない。
城門が振動しているのが、少し離れた城からも見える。
敵部隊長が自ら仲間を連れて、門を打ち破ろうと攻撃しているのだ。
外にいた記憶師団たちはどうなってしまったのか。
パトラはイーリアの身に何か起きたのでは、と嫌な予感に支配されていた。
ニトルが医務室から出てくる。
パトラは彼女が『敵の部隊長がたった今城門を突破しようと攻撃してきている』ことを知らないだろうと判断し、状況を説明するため駆け寄った。
「あ……」
「ニトル!」
いつも明朗快活な彼女が、こちらを見ながら呆然と立っていることに不自然さを感じる。
「ニ……ニトル?」
「あ、ははっ」
笑っている。
その手に真っ赤に染まったメスを握って。
「な、……な、に?」
少女はハッとして、ニトルの横を通り過ぎ、医務室の扉を開ける。
医療班の面々、いつも厳格な司書長、何とか戻ってくれた勇敢な負傷兵たちの心臓から、鮮血がごぽごぽと溢れている。
――死んでいる。
全員死んでいる。
「なに、……これ……?」
ニトルが殺した……?
でも、どうして……?
パトラは理解が追いつかないままニトルを見る。
しかし、居ると思っていた場所に、もう彼女はいなかった。
「ちょっと!あんたどうしたんだよ!」
スフィアルームの前で誰かが叫んでいる。
「やだ!やめなさい!やめっ……!?」
外ではまだ敵の部隊長が咆哮を上げているが、もはやそんなことは気にならない。
たった今、仲間であるはずの記憶師団の兵士が、記憶司書に向けて雷魔法を放ったことの方がよほど衝撃だったのだから。
ニトルだけでなく兵士までもがおかしくなっているとかろうじて理解は出来たが、それでも頭が真っ白になった。
うめき声を上げながら、他の兵士も記憶司書に攻撃しようとしている。
パトラは理由もわからず、とにかく物陰に隠れた。
「何が、起きてるの……」
このままでは全員理解が追いつかないまま殺されてしまう。
深呼吸をして冷静になった少女は、頭を振ってから全神経を脳に集中させた。
一時的に行方をくらませていたニトル。
彼女を見たのはスフィアルームから出てきたところだった。
その後医務室に行って仲間を殺して、今はどこにいる……?
スフィアルームからぞろぞろと、城から外に出た兵士たちが、ヨロヨロとした足取りで、城壁にある巨大な門に向かって、バラバラに進んでいく。
その先頭にニトルがいるのを見つけたパトラは、襲ってくる兵士を避けながら、全速力でそちらの方に向かって走った。
仲間を襲う兵士を、まだ動けるまともな負傷兵が、何とか魔法で留めているのを横目にしながら、ただ走る。
パトラはこの現象が、敵の部隊長の咆哮と何か関係があるのではないかと結論づけていた。
「パトラ!」
上空から数人の兵士たちが近づいてきて、その中の一人が声をかけてくる。
「イーリア!?無事だったんだ!!……って、あれ?私のことが分かるの!?」
茶色のサラサラヘアーの男は、顔に傷を負っても美しいままで、微笑んだまま降下してきた。
パトラは既にイーリアが恋心を消費して、自分のことなんて忘れているだろうと思っていたので、自分に気づいた彼に対し、驚きを隠せない。
「鉄血部隊の部隊長が防衛線を突破してしまったから、まだ一番得意な魔法を消費する訳にはいかないと思ってね」
パトラの真横に降り立ったイーリアは、周りの状況を見渡して、すぐに異常に気が付いたらしい。
「先頭は……、ニトルか」
「何が起きてるの……?」
「もしかして、ニトルを見かけない時間があった?」
頷く少女に向けて、イーリアは珍しく眉を顰めた。
「第七部隊、ここへ。状況を説明する」
上等兵らしく、まだ宙に居た部下たちを呼びつけると、パトラが離れて他の兵士に襲われないように、腕を軽く掴みながら説明を始める。
「奴の得意魔法は『自ら殺した人間を、自分の身体の一部として操る魔法』だ。あの咆哮で指示を出してるって情報もある。……恐らく、記憶司書のニトルを殺して操っているんだろう」
「えっ……?」
「パトラ。ニトルが戻ってきてから行った場所を教えてくれる?」
彼の言う通りに説明すると、状況が更に見えてきたのか、眉間のしわがより深くなった。
「状況は最悪だ。奴はニトルの身体を使って、俺たちが疲弊してきたタイミングを狙ってスフィアの内容を改竄し、俺たちが記憶を戻そうとしたら、その代わりに『味方を裏切りたくなるような記憶』でも見せて洗脳したんだろう。今城門の方に向かっている兵士たちは、全員洗脳されてると見て間違いないだろうね」
「あと、医務室に居た全員をニトルがメスで……」
想像以上の被害だったのか、それを聞いた第七部隊のメンバーは呆気に取られた様子だ。
「……加えてなんだけど、鉄血部隊の他の部隊が、俺たち記憶師団の他の拠点にも向かっている。……援軍を呼ぶことも出来ない」
「そんな!?」
「だが、ここには俺が一番頼りにしている記憶司書がいる」
イーリアの無茶振りに、パトラは頭を振った。
「わたし戦えないよ!?」
「パトラが戦う必要はない。それは俺たちの仕事だ。ここで必要なのは、記録した記憶に関する知識だ」
「知識……?」
青年はニトルたちの進み具合を見て、一部の部下をそちらの対応に回した。
残りの者たちを連れて、幼馴染と共にスフィアルームの方に引き返していく。
「敵軍がスフィアをいじったのは、こちらの生きている兵士たちを洗脳する為だったのは分かるね?」
「うん。さすがに分かるよ」
「ということは、既に死んでいる兵士たちの記憶までは、いじってないんじゃないかと俺は考えてる」
「えー……と?」
一同はスフィアルームの奥にある『記憶の墓場』と呼ばれている場所にたどり着いた。
そこには淡く光る、古いスフィアが幾つも置かれている。
「記憶は魔法の源になる。ここにある死者たちの記憶を利用して、魔導機を動かすことは出来るかい?」
「!?」
『他人の記憶』を燃料に魔法を発動させる。
誰もやったことがないことを、イーリアはこの土壇場でやろうとしているのだと、パトラはすぐに察した。
「理論上は可能だと思う……。でも、本人の記憶じゃないから、思った程の魔法は作れないかも」
「そういうのは数で対抗すればいい。問題はどうやるか……」
イーリアは自分が持っている杖型魔導機を見た。
「記憶司書は魔導機のメンテナンスもすることがあるから、……少しいじればスフィアそのものを取り付けて、中の記憶を吸い出させるようにすることは可能かもしれない、とは思う」
「時間がない。俺のだけでいい。やってくれるかい?」
イーリアはパトラに自分の武器を手渡した。
重くのしかかった責任に、薄紅の髪を揺らしながら、パトラは体を強張らせる。
しかし、彼女は勇気を奮い立たせ、しっかりと杖を握った。
「十五分下さい!」
「あの!イーリアさん!僕も何かお手伝いしたいです!」
そう言ったのはジャックだった。
「それなら、ジャックには亡くなった方の記憶が弄られてないか確認をお願いしたいです!」
パトラは自分のローブの内側から棒のような機械を取り出してジャックの方に投げる。
「記憶を記録した時期や、変更時期などがそれを当てると分かります」
ジャックは頷いて、大量のスフィアをひとつひとつチェックしに奥へと走っていく。
イーリアが連れてきた残りの隊員たちは、城周辺にてまだ生存している兵士や医療班、記憶司書たちを探し出し、空いている部屋へと保護していく。
また、城門の方へ向かっていった第七部隊のメンバーは、洗脳済みの兵士たちを気絶させることで救おうと必死に立ち回っている。
幸いにも自我が少しでも残っているのか、城門に行かないよう抵抗を見せる兵士もいた。
それぞれがそれぞれの覚悟を持って戦っている。
イーリアは自分の手に、この地獄を終わらせられるかどうかのすべてが懸かっているのを強く感じ、好きな女の子に気づかれないようスフィアルームの隅で小さく震えながら、魔導機の改造が終わるのをただ待っていた。
◇
「出来ました!」
「よくやったパトラ」
魔導機の改造を始めてからきっかり十五分経過し、汗だくになったパトラは、床の上で大の字になった。
「君はこのまま休んでて」
「でも!」
「今から俺は、死んでしまった仲間たちの力を借りて、城壁の方にいる記憶師団の救出と、敵部隊の壊滅の両方を成立させなきゃならない」
そう言う青年は、後ろから大量のスフィアを抱えて走ってきたジャックを見る。
「ここにある分は全部チェックしました!記憶の使用に問題なさそうです!」
「ありがとう。ジャックはここでパトラを守っていてくれる?」
「だめだよイーリア!わたしも行かないと!ここにあるスフィアの記憶から、何の魔法を使うか選択しないといけないんだから!」
「そのぐらいできるよ」
「――それに!この大量のスフィアを現地まで運ばないといけないでしょ!」
「それは第七部隊のみんなで――」
ごほんと大きな咳払いが聞こえてくる。
「僭越ながらイーリア上等兵。この方が居てくださると、我々もサポートがしやすくなります」
「えっ……?」
「もちろんスフィアに詳しいのもそうですが、何よりもこの方が一番、上等兵のことを理解されていらっしゃるので」
ぽかんとするパトラに向けて、その兵士はウインクした。
「……君ってやつは」
「護衛なら僕がやります!」
「頼むよ。……二度と君のお母さんを悲しませるような真似はしたくない。二人とも安全なところからサポートしてほしい」
イーリアはそう言いながらジャックの頭を撫でる。
ジャックが母の死を本質的に忘れてしまった原因を作ったことに、ずっと悩んでいたらしい。
「もう十回はそのことについて謝られましたから、もう受け付けませんよ」
「手厳しいな」
「イーリアって、何度も同じこと言う癖あるからなあ」
ジャックとパトラのそんな発言で、第七部隊の空気感は少しだけ緊張感から解放され、それがいい緩急となったのか、次の瞬間にはピシリと身が引き締まったようだ。
一同は特殊な魔導機を手にしたイーリアを先頭に、幾つものスフィアを詰めた袋を手にして、パトラをジャックの箒に乗せて、その場を飛び立った。
死者も含めた総力戦だ。絶対に失敗は出来ない。
城壁付近に着いたのはあっという間だった。
味方の兵士は、城門に辿り着くのに多大な時間をかけたらしく、彼らもここまで来てさほど時間が経っていないように見える。
また、大半の兵士が城壁内の広場で気絶させられたまま横になっているようで、イーリアが派遣した部隊員の仕事が上手くいっているのが目に見えて分かった。
ただ、直接操られているニトルの動く死体に関しては例外らしい。
彼女はメスを片手に第七部隊に向けて無茶苦茶な動きを見せている。
骨が折れているのにも関わらず、気にした様子もなく予測不能な動きで第七部隊と戦闘している。
「ニトル……!」
「あの子を止めるには部隊長を倒すしかないね」
「城門の外に向かいますか?」
「ああ行こう」
ここまで話したところで、天使のような美しさを持つ男は深く息を吸った。
「ここからは激しい戦闘になる。俺たちの記憶を守ってくれるスフィアも無い。代償にする記憶は慎重に選んで戦ってくれ」
その声を号令と受け取った面々は、城壁の外へと飛んでいく。
「パトラさん。僕たちは全員の動きが見える位置まで移動します」
「分かりました。わたしは第七部隊の記憶をあらかた知っていますから、使用出来そうな記憶を口頭で伝えることは可能だと思います」
「それなら伝達魔法でみんなと連絡を取りましょう」
ジャックは『叔母と通話した記憶』を思い出しながら、第七部隊の仲間たちに向けて伝達魔法を使用する。
現地に到着した記憶師団第七部隊は、敵である鉄血部隊の部隊長と、その部下らしき男たちを視認した。
敵の様相は明らかに異常で、切断した腕の先に銃器を取り付けている者や、削げた鼻から触手のようなものが出ている者、両足が機械になっている者など、多種多様だ。
そして、彼らの中心に巨大な機械がある。
中央に透明のガラス管のようなものがあり、中には脳みそが水溶液に浸かった状態で浮いている。
そのガラス管は巨大な機械本体と、いくつかの管で繋がれていた。
「な、なんですかあれ!?」
『あれが敵の部隊長だよ。パトラ』
イーリアが通信魔法越しにそう答えた。
「人には、見えない……」
『全身を改造し、最終的にはああいう姿になるのが彼らにとっての理想らしい』
「狂ってる……」
『その点に関しては俺たちも変わらないよ。……大切なことを忘れながら戦ってるんだからね。彼らと違ってそうなることに誇りを持っている訳でもないしね』
向こうの部隊もこちらの兵士たちの存在に気がついたらしい。
腕を翼に改造した男たちが数人飛び立ち、鳥のように束になって第七部隊の集団へと突っ込んできた。
地上からも魔法の嵐が飛んできて、こちらは身を守るための防御魔法を展開する。
『オーリーさん!『冷凍庫に閉じ込められた時の記憶』を使って、相手の翼を凍らせられますか?』
「丁度忘れたいと思ってたところだよ……!」
パトラに呼ばれた兵士は、敵の翼に向けて氷結魔法を放った。
一度は躱されたが、魔法を風に乗せて霧のように変化させると、みるみるうちに翼が凍りつき、動かなくなっていく。
「イーリア!今接続してるヴァレンさんのスフィアから、『拷問用の足枷の記憶』を引っ張り出して――」
「オッケー!……ヴァレン、とんでもない経験してたんだな」
自分の記憶ではなく、他人の記憶を引っ張り出す感覚には慣れていなさそうだが、スフィアの方に意識を向けると、指示された通りの記憶が、自然と杖の先に魔力となって集中していくのが分かった。
「こんなに早く順応するなんて」
部下であるジャックも、上官の才能に感心しているようだ。
凍った翼に戸惑う鳥男たちの足に捕縛魔法を掛け、イーリアはそのまま勢いよく彼らを地面に叩きつけるよう杖を振った。
すごい速度で落下した彼らはグシャリと音を立て、全く動かなくなる。
一瞬にして絶命したであろうことは、敵味方関係なく一目瞭然だった。
「貴様ァアアアッ!!私の部下に何をする!!」
機械の身体からそんな声が響いてきた。
まるで泣いているかのように振動している。
「なんて非道な奴らだ!総員敵討ちだぁあああっ!!」
咆哮と共に、城門がガタガタと震えだす。
「なっ!?」
巨大な門が開け放たれ、中からニトルを先頭に、何人かの記憶師団たちも現れる。
「嘘だろ……!?」
中に残してきた第七部隊のメンバーは必死に止めようとしていたようだが、敵の最後の咆哮で爆発的な力を得たのか、拠点の大切な防衛ラインが完全に突破されてしまったようだ。
空中で驚愕する仲間の顔の横に砲弾が飛んできて、すんでのところで避けたが、後ろで飛んでいた者の顔面にぶち当たり、気を失って、持っていたスフィアと共に勢いよく落下していった。
それを助けようと降下した別の仲間は、敵が放った雷に打たれ、動くことも出来ず落ちていく。
「くっそ!」
イーリアや他の仲間たちは落ちていく二人に杖を向けて、引っ張り上げられるような記憶を模索したが、今装着しているスフィアにも、自分の記憶にも、丁度いい魔法が無いのか上手く発動出来ない。
最初に砲弾を避けた兵士が、落下する二人の方に向かって箒を飛ばそうとしたが、行き先にまた稲妻が走り、進むことが出来ない。
何も出来ないまま二人は地面へと墜落し、指先一つ動かなくなった。
静かに敵を見据えたイーリアは、人の目で視認出来ない程の速度で鉄血部隊の連中に接近すると、スフィアから『竜巻に見舞われた際の記憶』を引っ張り出し、巨大な水流を巻き起こした。
水流は記憶通りに巨大な竜巻となって、敵部隊長の周りに居た者たちを巻き込み、地面から足が離れていく。
数人が城壁の中に逃げ込もうとしているのを見たイーリアの部下が、『昔付き合っていた彼女の酷い束縛』を思い出しながら捕縛魔法を掛け、身体を縛る白い光のロープのようなものと、彼の杖が繋がった。
ニトルの動く死体がすぐさまその光のロープを切ろうとメスを突き刺す。しかし、そんなもので魔法を切断できるはずもない。
イーリアが巻き起こす水流が弱くなっていくのを、パトラは見逃さない。
『ロンドさん!イーリアにその白いスフィアを!』
「了解!」
彼は上官に向けて、パトラに言われたスフィアを投げ、戦場の天使のように美しくも勇敢な青年は、瞬時に接続しているスフィアを切り替えた。
『イーリア。そのメルさんの記憶から『凍った湖の記憶』を使って』
「メル。あっちでもお得意のスケート、やれてるといいな」
流れが少しゆっくりになり始めていた水流を、新しいスフィアで即座に凍らせると、敵も水と一緒に凍りつき、身動きを取ることができなくなったようだ。
それでも城壁内に数人の敵が紛れ込み、中に居る人間を殺そうと暴れているのが見えたが、そちらは先に残してきた仲間の方で対応出来そうだ。
第七部隊と敵部隊の戦闘は苛烈なものになっていく。
イーリアは使用するスフィアを、仲間たちからパスで受け取りながら、ジャックの通信魔法を通じてパトラの指示を受け、死者たちの記憶の力で応戦し続ける。
ヴィクターの『家族でキャンプファイヤーをした記憶』は、美しい炎となった。
ネロの『近くで発生した落雷に対し、兄と一緒に怯えていた記憶』は、白い稲妻となった。
ニールの『恋人と一緒に海水浴を楽しんだ記憶』は、炎と水のコンビネーションとなった。
どの記憶も生前の彼らを思わせるように美しい魔法を生み出し、しかし、悲しくも尽きていく。
第七部隊の面々は、魔法を見て亡き彼らを思い出し、それでも泣かなかった。
今、たった今、彼らとともにこの戦いに挑んでいる最中なのだから。
彼らの助けのお陰で、敵の人数はかなり絞られていく。
そこで部隊長に動きがあった。
常に続いていた咆哮の音量が下がった代わりに、巨大な透明の防御壁が展開され、こちらの魔法が通らなくなる。
しかし、内側からはこちらに向けて、魔法で作ったらしい銃弾や砲弾が、無限に生み出されて放たれている。
全身を丸ごと改造しているからなのか、この防御壁を形成している魔法のパワーがかなり強力で、炎も雷も水も効かず、冷やしても熱しても効いている気がしない。
「ぐあっ!」
イーリアの腿に太い杭が飛んできて突き刺さった。
『イーリア!?大丈夫!!』
「っ……!……なんとか、死んでないよ!」
笑えないジョークを飛ばしながらも敵の攻撃を避け、なんとか他人の記憶を代償にお得意の炎魔法を放つものの、簡単に防御されて無駄になってしまう。
一番得意な魔法だけに、さすがのイーリアも焦り始めてきた。
『……あれ?』
「パトラ、なんだい?」
『あの部隊長、頭?のところと繋がってる一番太い配管、ちょっと薄くなってるように見えない?』
『言われてみればそうかもしれませんが……』
パトラとジャックの声を聞きながら、イーリアは敵の猛攻を避けつつ、宙に浮いたまま敵の背面へと回り込んだ。
「ほんとだ。一部分色が白くなってる」
『何か穴を開ける魔法とか……』
「いや、防御壁が張られてるせいで魔法が届かないんだよ」
『防御壁……?あっ!』
パトラが何かを思いついたように声を上げる。
その声を聞き逃すまいとしながらも、飛んでくる魔法を避け続けるが、腕や足を掠め、幾つもの傷を作った。
『門!さっき目の前で大きな門が開いたばかりじゃないですか!あの記憶を使って、防御壁に扉みたいなものを作って開けられるんじゃないかな!』
「分かった」
「オレがやりますから、イーリア上等兵は戦闘に集中を!」
イーリアの部下が、パトラから言われた通りの記憶を使って、敵の防御壁に扉を精製する。
「……なッ!?いつの間に城門が開いて――」
部下が失った記憶の影響で動揺している隙を突いて、敵から閃光が飛んでくるが、他の仲間が彼の身体を引っ張り、直撃を免れた。
「みんなの力で勝つんだ!!」
味方の一人が防御壁の扉を開く。
美しい天使は大量の血を流しながら、その扉を潜り、一気に突っ込んでいった。
「グオオオオッ!!」
敵も、仲間を殺された哀しみの雄叫びを上げながらイーリアに向けて魔法を放つ。
腹に刃物のようなものが深々と突き刺さるが、そんなことをもろともしないイーリアは、持っている杖の先から刃を生み出し、敵の薄くなった管を貫いた。
この刃は、昔刃物を使った戦闘訓練で仲良くなった、エドワードの記憶を代償にして作ったものだった。
「がっ…………!ガガッ」
部隊長の声が途切れ途切れになり、近くまで来ていたニトルが、糸の切れた人形のように力無く倒れた。
脳みそを守っていた水溶液が流れ出したのを見て、イーリアは杖を、今度は相手の頭らしきガラス管に突き立てた。
二度と引き抜かれることは無いだろうエクスカリバーは、敵の脳を突き破り、とうとう一切の声も聞こえなくなった。
それを皮切りに他の仲間たちも、周りに居た数少ない敵に猛攻を仕掛け、部隊長の死に動揺した彼らを一瞬にして葬ることに成功した。
しかし、
『イーリア!?イーリア!!』
名前を呼ばれる青年は、世界で一番大好きな女の子の声に答えられないまま、その場に倒れる。
最後の力を振り絞って城壁の中を見ると、洗脳されていた兵士たちが正常な思考に戻ったのか、おろおろと周りを見渡しているのが見えた。
「パトラ……」
『イーリア!?血が……!』
「大好きだよ。どうか……」
身体が冷えていく。
戦争がこれで終わってくれたら、このまま、このしつこい男が死ねば、パトラはきっと本当に好きな人と、これからの一生を幸せに過ごすことが出来るはずだから。
だからどうか。
「俺を、忘れて……」
最期の戦いに協力してくれた記憶の持ち主たちが、こちらに微笑みかけてくれているのが見える。
助けてくれてありがとう。
俺も、今そっちに行くよ。
ジャックとパトラはイーリアの不吉な言葉を聞いて、慌てて交戦していた現場へと降りてくる。
「やだ!イーリア!」
敵部隊長の遺体の隣に、腹を刃物に貫かれながら倒れている彼がいる。
「そんな!!嘘っ!」
ジャックが慌てたようにイーリアの心音や呼吸音を聞く。
「まだ生きています!でも……」
城壁内に視線を向ける。
敵部隊の連中が倒れているのが見えるのと同時に、医療班や記憶司書たちのほとんどが殺されているのも分かる。
兵士たちも洗脳されていたのを忘れているのか、現在の状況が分からず混乱しているように見えた。
とても治療が出来るような状態ではない。
「『治癒魔法』を使います」
「えっ……!?でも、それを使ったら……」
イーリアの傷は完治する。
しかし、パトラも彼も、互いのことを完全に忘れてしまうだろう。
「……忘れてもいいから、助けたいんです!」
パトラはイーリアの顔にぼたぼたと涙を落としながら叫ぶように言った。
「わたしのこれからに何を願ったか知らないけどっ!わたしだって小さい頃から、……イーリアのことしか見えてなかったんだから!」
薄緑色の光がイーリアを包みこむ。
パトラは魔法を掛けながら、意識が飛ぶのを感じた。
春の終わりを告げる温かい風が、彼らの髪を優しく撫でていた。
◇
リュミエリア王国とザルファル帝国の戦争が終結して一年が経った。
敵部隊を壊滅させることには成功したが、こちらも多大な被害を受け、記憶師団の上層部が全員死亡。
また、第四拠点以外の拠点にいた兵士も洗脳されてしまっていたことで、国王までもが味方の手にかかり、呆気なく暗殺された。
このことでリュミエリア王国の政府は全く機能しなくなり、最終的にザルファル帝国に吸収される形となった。
しかし帝国独特の、『仲間になったのなら、既に我らは家族である』という変わった価値観のお陰で、元王国国民たちは命を奪われることはなかった。
その代わり、今後復讐目的の内乱が起こることを防ぐために、戦争時の悲惨な記憶や、記憶を代償とする魔法そのものは、全員放棄することになった。
現在では元兵士であっても関係なく、罰せられることもなく、帝国独自の最新技術を使った治療を受けさせてもらえる。
もちろん人体改造は無しで。
しかし、帝国の技術をもってしても、魔法の代償に失った記憶を取り戻すことは出来なかった。
パトラは一年前まで戦争があったということが信じられなかった。
そんな恐ろしい出来事が身近なところで起きていたなんて考えられなかったのだ。
「パトラ。ご飯よ」
母が作る料理は絶品だ。
一緒に暮らしている弟分のジャックは、今日も自らの意思で母の手伝いをしてくれている。
彼の母親は知らない内に亡くなっていたらしい。
パトラとジャックは、記憶にない事故で運ばれた療養所で偶然出会い、彼には身寄りもないことだし、折角だからと実家に帰る時に連れてきたのだ。
「そういえば、イーリア君、実家に帰ってきたんだって。久しぶりにまた会えるかもね」
「ふーん」
記憶にない名前に、パトラは空返事した。
同級生かもしれないが、多分同じクラスにもなったことは無いだろう。
「あ、そうだ。ご飯が終わったらちょっとお花に水をあげてきてくれない?」
「いいよ」
パトラは療養所に行った後から上手く歩けなくなってしまい、リハビリ中だ。
親に面倒を見てもらっている以上、花への水やりくらいはやらないと落ち着かない。
食事が終わって、杖をつきながら庭に出る。
少し暑く感じる中、赤や白や、桃色の美しいアキレアたちに水を与える。
汗を拭いながら壁の外を見ると、そこにはこの世のものとは思えない程美しい男性が、驚いたような顔をしてこちらを見ていた。
サラサラのブラウンの髪に、松葉色の目は透き通っていて、皺ひとつないパキッとしたスーツを着ている。
「あ、こんにちは……」
「君は……!ここに、住んでるの?」
「は、はい。そうですけど……」
「いつから!」
「え……と」
壁の外からグイッと近寄られ、パトラは驚いて杖を倒してしまいそうになった。
「危ない!」
よろける彼女を助けようと、彼は許可も得ずに門を開いて中に入ってきた。
「あ、大丈夫、です……。すみません」
パトラは杖をしっかりと掴み直し、彼を見上げる。
青年は軽く頭を押さえながら、不思議そうな顔で辺りを見回したり、少女を眺めている。
「あの……まだ何か?」
「俺は、……ここに来たことが……?」
「パトラさん!大丈夫ですか?」
家の中からジャックが出てくる。
彼も突然現れた天使のような男を見上げながら、不思議そうな顔をして頭を押さえている。
そのポーズが二人ともそっくりで、パトラはクスリと笑ってしまった。
「もし良かったら上がっていかれますか?コーヒーで良ければ淹れますよ」
パトラはこの男性を知らないはずだが、何故かそうしなければならないような、妙な気持ちになって声をかけた。
杖をつくパトラを自然な所作でエスコートしながら、ジャックを先頭に、二人も家へと入っていく。
アキレアの咲く頃、君を忘れた。
アキレアの咲く頃、もう二度と、君を忘れない。




