影の話をする男
自分の一部のようで、自分の思い通りにならない。
そういう瞬間を形にしたいと思い、書いてみました。
都会の夜、というのは不思議な空気が流れている。
終電後の繁華街、カラオケや居酒屋などが放つギラギラとした光。
酔っ払いグループや客引きの騒がしさに時間感覚が狂っていく。
そうかと思えば、路地裏に足を踏み入れるとBARやスナックの怪しげなネオンの光がわずかな静寂とともに迎え入れる。
僕は仕事終わりに一人でぶらついていた。
大きな失敗をしてしまい、そのまま帰っても眠れそうにないので、一晩酒を飲み明かせるような場所を探していた。
静かな場所で一人、ノスタルジックな気分に浸りたかった。
僕は何か嫌なことがあると、自分の中に閉じこもる癖があるのだ。
静かな場所で酒を飲み、周りの会話や流れてくる音楽にじっと耳を澄ませる。
それが癒しの時間になるのである。
その日に見つけたお店は、僕の心境にぴたりと合う風貌をしていた。
路地裏の薄暗い通りに小さな案内版がひとつあるだけで、それ以外看板や照明など何もない。
コンクリートの壁面に黒色の扉という無機質な作りだが、そこに惹かれて入ってみることにした。
店内は入口すぐにカウンターがあり、奥にあるテーブル席がいくつかある造りになっていて、奥のテーブルに2人組の男性が座っている以外お客はいなかった。
照明はかなり暗めで、落ち込んだ気分の僕にはちょうどよかった。
僕はカウンター席の一番端に座り、一杯の焼酎と塩気のあるつまみをいくつか注文した。
僕はお酒は好きで毎晩必ず飲むのだが、種類にはそこまでこだわりがなく、酔えればなんでもいいと思っている。
注文した物も、特別高いものではなく、メニューの一番上に乗っているどこでも飲めるようなものだ。
店内ではピアノを中心としたジャズが流れていて、準備をしている食器の音に耳を傾けていた。
それから10分ぐらい経った頃に、また一人お客がやってきた。4,50代くらいにみえる男性だ。
入ってきたときの店主とのやり取りから察するに、僕と同じでここに初めて来たらしい。
店内を少し見渡して、僕から少し離れたカウンターの席に腰を下ろした。
どうやらすでにお酒を飲んでいるようで、注文するときも饒舌に語る印象を受けた。
ただ、疲れているのかその表情にはやや陰りがあるように見え、その不均衡にすこし嫌な感じがした。
僕はその男性の事をよく覚えている。その男の話が興味深かったからだ。
その男は「影の話」をしていた。
実は私の影には少し変わったところがある。
何だと思う?
私の影は、常に私の一歩先を行っているのだ。
いつだって私より少し先に行動をするし、どんなことでも少しだけ上手に行う。
こんな影は、見たことも聞いたこともないだろう?
私がうまくできない事でも、影は上手くやり切ってしまう。
昔はそんな影の事を頼もしく感じ、そんな影を持ったことを私は誇らしく思っていたんだ。
私の親友は何でもうまく出来る、クラスの人気者なんだ。そんな気分だったよ。
でもね、最近ではそんな影を疎ましく感じる事がある。
想像してみてほしい。
自分そっくりの姿で、何でも上手にこなす影を見ていると、ことさら自分のダメなところを見せつけられているような気がするんだ。
影はうまく出来るのに、どうして自分はできないのだろう。
影は自分の影なのに。
影は何も言わない。
そうだね。もし影と話ができるのなら、私はこう言いたいと思う。
もう自分より先に行くのはやめてくれ。私を焦らせないでくれ、と。
私はふとした時に考えることがある。
いつか私が死ぬとき、いったい影はどうしているのだろうか。
いつも少し先を行っているんだから、ぼくより先に死ぬのだろうか。
でも、もしかしたら、僕より何でもうまくやる影は、死ぬことも乗り越えて、僕の代わりに生きていくのかもしれない。
それは恐ろしいことだ。僕は影に乗っ取られてしまうという事だ。
それでも私はこの影と離れることはできないんだ。
離れることができない以上、上手くやっていくしかない。
それに言葉はしゃべらないけれど、影と一緒に過ごしているとわかることもあるんだ。
うまくは言えないけど、自然と伝わってくる物がある。
そういうコミュニケーションの取り方だってあるんだ。
いや、これも私の影だったらうまく言葉にできるのかもしれないな。
とにかくだ。
影がいなくなったら困るってことは、私にはわかっているんだ。
影がどんな存在であっても、それだけは確かな事なんだ。
僕はこの荒唐無稽な話に、何故だか心をつかまれた。
酔っ払いの作り話とは思えない、真に迫ったものがあった。
その店内は薄暗くて見えなかったのだが、もしかすると彼の影は、本当に少し先を行っていたのかもしれない。




