11 全ての人間を咒う
蔵の中では、もみじが漆咒魄と十メートルの距離をとって向かい合っていた。漆咒魄が左手を高く上げ、その手で髪を掴んでいる二つのマネキンの頭部の顔をもみじに向けると、二つのマネキンの口から黒い闇が光線のように放射され、もみじ目がけて伸びていった。
もみじが流れるような足捌きで左斜め後ろに後退して黒い光線を避けると、漆咒魄が二メートル手前まで迫っており、漆咒魄が右手で持つ槍の連続突きがもみじを襲い、槍に串刺しになっている三つのミイラの頭部が半狂乱の笑い声を上げると、その口から黒い霧のように吐き出される闇が槍全体を覆った。
もみじは雷のようにジグザグに後退して闇に覆われた槍の連続突きをかわしたが、漆咒魄が腰に巻いている掛け軸に描かれた水墨画の女の口から長く伸びた黒い舌が、もみじの右足首に巻きつき、そこから黒い雷が発生してもみじの体中を駆け巡った。
「ぎゃあああああああああああああああああああああっ!」
もみじは全身を激痛に襲われ、蔵の中にもみじの絶叫が響いた。
「もみじさん!」
思わず叫んだまふゆの目の前では、漆咒魄が腰から伸ばした黒い舌で仰向けで倒れているもみじを引き寄せながら、右手で持った闇に包まれた槍でもみじを狙っていた。
「もみじさん、今助けるよ! 古より時節の移ろいを司りし青朱白玄之尊よ! その御力を宿し給え! 氷結之薙刀!」
立ち上がりながら叫んだまふゆの両腕の中に、長さ二メートルの青白く光る薙刀が出現すると、その先端の青白い刃が青白く光る炎に包まれた。
その時、二本の闇でできた触手がまふゆの背後から近づき、まふゆの両手首に巻きついた。
「動けない!」
まふゆが背後を振り返ると、咒嗟の肩に座っている怨咒が両掌から黒い触手を伸ばしており、ゾッとするような冷たい表情で自分を見つめていた。
「ねぇ、大人しく観戦していてくださらない? 乱入はマナー違反でございますわよ」
まふゆは触手から逃れようとして藻掻きながら、叫び声を上げた。
「ちくしょーっ! 離せーっ! もみじさーんっ!」
神社の本殿では、床に転がって激痛で悶え苦しんでいるナツに向かって、神子が尊大な口調で語り続けていた。
「お前は、母の仇の魔物が何者かを知らぬ。行き場のない怒りと憎しみを、この世の全ての魔物に向けていたのだ。常にお前の心の底で渦巻き続けているその感情こそが、咒靈力を生み出す原動力なのだ。お前はずっと全ての魔物を咒って生きてきたのだ」
激痛で苦しみ続けるナツの目が大きく見開き、固まったように身動きしなくなった。
『俺が……魔物を……呪っていた?』
神子は冷たい笑みを浮かべて話を続けた。
「だが、お前は肝心なことを覚えていない。残念なことに、幼かったお前は、祖父が語った最も重要なことを理解することができなかったのだ」
「最も重要なことだと?」
ナツが激痛に耐えながら何とか立ち上がると、神子は薄ら笑いを浮かべた。
「人間は眠っていようが目覚めていようが、周囲で起こっていることは常に知覚しており、記憶として保存しているのだ。お前の祖父が語った最も重要なことを思い出すがよい」
ナツの周囲の光景が一瞬で変わった。ナツは和室に立っており、目の前には喪服を着て力なく座っている初老の男性の後ろ姿があった。
「あんた、ここはどこだ?」
ナツは男性の背中に話しかけたが、男性にはナツの声が聞こえないようだった。ナツは周囲を見渡して、愕然とした。和室の隅では、喪服を着た初老の女性が正座をして、壁にもたれて放心状態になっていた。
「ばあちゃん!」
ナツが目の前の男性の横に回り込むと、祖父が泣き疲れて眠った五歳のナツとまふゆの頭を悲しそうに撫でていた。
「じいちゃん! まふゆ! それに……、五歳の……俺だ……。ここは……、ここは……」
ナツは悲しみで胸が張り裂けそうになり、その目からは涙が溢れていた。
「十一年前に母さんを火葬した火葬場だ……」
泣きながら立ち尽くすナツの体を通り抜けて、移季節神社の神主がハンカチで涙を拭いながら祖父に近づき、その隣に座った。
「ひいじいちゃん……。ここは……、俺の記憶の中だ……」
記憶の中の祖父が、移季節神社の神主に言った。
『ある都市伝説を紹介したサイトを見つけた。そこには魔物と人間が闘う地下イベントがあると書かれていた』
この時、祖父の膝のそばで眠っていた五歳のナツとまふゆが目を覚まし、目を開けると、祖父の話に聞き耳を立て始めた。
記憶の中の祖父の話は続いた。
『その闘いは世界中の大金持ちが会場や生中継で観覧していて、勝敗に大金を賭けているそうだ。そして、闘いのルールは相手を死なせたら勝ちだという。時折、対戦中に食い殺される人間の選手もいるけど、その光景を目にした観客たちは、興奮して大喜びするそうだ』
「な、何だと……?」
ナツは祖父の言葉に衝撃を受けた。
祖父は言葉を続けた。
『選手の補充のために、高い身体能力や特殊能力などを持っていて経済的に困っている者が、賞金を餌にして言葉巧みに勧誘されるらしい。最近では、ハルカという人間の選手が魔物に三十三連勝をしていたけど、とうとう魔物に体中を串刺しにされて命を落としたと書かれていた……。ハルカというのは、あいつ……春香だったんだと思う』
「そ……、そんな……。母さんが死んだのは……」
ナツは愕然として目を見開き、その場に崩れるように両膝をつくと、そのままうなだれて身動きしなくなった。
ナツはいつの間にか神社の本殿の中に戻っており、神子が厳かな口調で語った。
「幼かったお前は祖父の話の全容を理解できず、祖父が叫んだ全ての魔物を憎む言葉だけを受け入れてしまった。お前は祖父が語った話の全てなど、覚えてもいなかったのであろう? さあ、今のお前ならどう考える? お前の母を殺したのは一体誰だ? 魔物か? 人間か? それとも、その両方か?」
床を見つめるナツの目の中で、怒りの炎が揺らめき始めた。
「世界中の大金持ちが会場や生中継で、人間と魔物の闘いを楽しんで観ているそうではないか? 対戦中に人間の選手が食い殺される光景を目にすると、観客たちは興奮して大喜びするそうではないか? 一体どれだけの人間が、お前の母が無惨にも体中を串刺しにされて苦しむ姿を楽しんだのであろうな? 一体どれだけの人間が、お前の母が死にゆく姿を見て、喜びと興奮で歓声を上げたのであろうな?」
ナツの脳裏に、母が体中を突き刺されて苦しんで死んでいく姿と、それを見て興奮しながら歓喜している何千人、何万人もの人間の歓声を上げる口元や、満足そうに大笑いしている口元の心象が洪水のように流れ込んだ。
「やめろ! やめろ! やめろおおおおおおおおおおおおおおっ!」
ナツは右手で頭を抱えながら絶叫した。
「お前はこの人間たちを許せるのか? お前の母を消耗品の如く死のゲームに誘った人間ども、お前の母の命を金儲けの道具にしたイベントの主催者ども、お前の母が傷つき、苦しみ、死んでいく様子を観て、興奮し、大喜びし、娯楽として楽しんだ数え切れないほどの人間ども。お前は、そのような奴らを許せるというのか? お前の母は命と人生を失い、お前と妹は悲しみと苦しみに満ちた辛い年月を耐えてきたというのに、そいつらはお前の母の死後もずっと、そして今この瞬間も人生を楽しく謳歌していることであろうな」
ナツは俯いたまま、憤怒の表情で怒声を上げた。
「そんな奴ら、許せる訳があるかあああああああああああっ! そんな奴らに生きる資格なんてあるもんかあああああああああああああっ!」
神子はニヤリと笑みを浮かべると、話を続けた。
「余も同じ気持ちじゃ。余とて、そんな人間どもは一人残らず葬り去ってやりたい。だが、そいつらに裁きを下そうにも、どこの誰なのかもわからぬ。一人残らず探し出すことなど不可能じゃ。余とお前は、胸の中で激しく燃え上がる正義の怒りの炎を一体どうすればよいというのじゃ?」
ナツは狂気を孕んだ目で神子を見上げた。
「俺は絶対にそいつらを一人残らず探し出す。そして、一人残らず地獄を見せてやる!」
神子はナツに同情するような優しい微笑みを見せた。
「残念ながら、そいつら全員を探し出すことなど不可能なのじゃ。冷静に考えれば、お前とてわかるであろう? だが、そいつら全員に復讐をする方法がたった一つだけある」
「それは何だ? 俺に教えろ!」
「咒いじゃ。相手がわからずとも、膨大な咒靈力を込めて人間を咒い続けることで、そいつら全員にも必ずや咒いは届くであろう。考えてもみるのじゃ。お前の母の苦しみと死にゆく様子を楽しんだのは、特定の人間であるのと同時に、全ての人間が持つ人間の本性なのではないか? お前の母を殺し、幼きお前と妹から母を奪ったのは、人間という存在そのものなのだ!」
「ならば、俺は全ての人間を呪う! 俺の全てを懸けて、この世に存在する全ての人間と魔物を呪い続けてやる!」
ナツの全身から黒いオーラが広がり、ナツの目に黒い涙が溢れた。黒い涙が頬を伝った時、涙の流れた跡が黒い模様となり、眼球が黒くなって瞳が赤く光り、目尻が吊り上がった。頭の後ろで一本に束ねた髪が逆立って、闇でできた炎のように黒く揺らめいた。
「お前が今流した黒い涙は、お前の激しい怒りと悲しみの感情で咒靈力が物質化したものだ。お前の黒い涙は、常にお前に大きな力を与えてくれるであろう」
神子は満足げな笑みを浮かべた。
『咒靈力の大いなる闇が、この者の魂と肉体を完全に呑み込んだ。この者は咒いの闘士として余に仕え続けるのだ』
神子が尊大さと親しみが入り混じった表情を浮かべ、ナツに言った。
「人間には肉体を動かす霊体という霊力の塊があり、それは光の粒である魂のもう一つの姿でもあるのだ。霊体はその人間と同じ姿をしており、肉体とぴったり重なり合って存在している。人間には腕や脚を失っても、まだ腕や脚があるように感じる幻肢感覚というものがあるのだが、そのように感じるのは、霊体の腕や脚はまだ元の状態のまま存在してるからなのだ。
お前の肉体が左腕を失っても、霊体には依然として左腕が存在している。さあ、霊体の左腕に意識を集中して、その感覚を感じるのだ。まだ左腕が存在しているかの如く、肘を曲げ、指を動かしてみよ」
黒いオーラに包まれ、黒い目の中で瞳が赤く光り、頬に黒い涙の跡があるナツは、吊り上がった目で本来左腕があるべき空間を見つめた。
「感じるぞ。左腕がまだあるかのように感じる」
「さあ、お前の心を埋め尽くす咒靈力が、左腕の切断面からお前が今感じている霊体の左腕に流れ込み、満たしていくことを想像するのじゃ」
ナツが自分の心から闇が流れ出して、霊体の左腕を満たしていくことをイメージすると、咒靈力の塊が貼り付いていた左腕の切断面から半透明の闇が伸びていき、左腕の形になった。その闇はどんどん濃くなっていき、やがて虎の縞模様のような形の赤く光る縞がある黒い腕になった。
「成功じゃ! お前は咒靈力を物質化して、咒いの左腕をつくったのじゃ。
本殿に掲げた神前幕の神紋を見るがよい。この神紋の外側の円は宇宙をつくり、動かす力である霊力を象徴しており、その中に描かれた三角形は、特別な種類の三つの霊力を示しておる。三角形の下にある二つの角は、下等で下劣な霊力である御神氣と魔力を表現しており、上の角が最も貴き崇高な霊力である咒靈力を表しておるのじゃ。
我が咒いの闘士よ。その左腕は宇宙で最も絶大な力、咒靈力の結晶である。そして、左腕の中の赤い光は、お前の赤く光る瞳とともに、お前の中で激しく燃え上がる怒りが物質化したものじゃ。その咒いと憤怒の左腕は、強大な咒いと激しい怒りで人間どもと魔物どもへの復讐を必ずや成し遂げるであろう」
ナツは立ち上がると、殺気が漲る赤い瞳で神子を見つめた。
「俺は人間の悍ましく汚らわしい本質を悟り、咒いの黒い涙が流れた時に、全ての人間、そして魔物を咒う闘士として生まれ変わったんだ。俺のことは咒いの闘士『咒いの淚尽』と呼んでもらおうか」
神子は満面の笑みで答えた。
「よかろう。咒いの淚尽よ。さあ、余とともに全ての人間を咒い、復讐を遂げるのだ。手始めに、お前の咒いの力で殺すべき人間がいる」
咒いの淚尽は左腕の拳を握りしめ、怒りに満ちた表情で叫んだ。
「さっさと俺にそいつを殺させろ! 俺は今、人間を殺したくてうずうずしてるんだああああああああっ!」
咒いの淚尽を覆う闇のオーラが燃え上がるように大きく膨らみ、それを見た神子は満面の笑みを見せた。
『この者が咒いの呪縛から抜け出すことができぬように、この者には自分の手で妹を殺させるのだ。妹を殺した後で一瞬我に返り、死にたくなるほどの後悔に苦しみ続け、自分自身を咒うことであろう。その時、この者は未来永劫抜け出すことができぬ咒いの沼に沈んでいくのだ。
当初の計画とは変わってしまったが、この者の妹は咒嗟の憑代にするよりも、この者に殺される方がずっと利用価値があるのだ』
蔵の中では、もみじが漆咒魄の腰から伸びた黒い舌に右足首を捕らえられて床を引きずられており、黒い舌から伝わる黒い雷がもみじの全身に激痛を与えていた。
「死ねぇええええええええええっ!」
漆咒魄の活人形の顔の叫び声が蔵の中に響き、その右手で持つ闇に覆われた槍の突きがもみじの腹部に迫った。
「なめるなーっ! こんな呪いの力なんて、霊力で吹き飛ばしてやるぜーっ!」
もみじがそう叫んだ瞬間、もみじの全身を駆け巡っていた黒い雷がもみじの体から膨らんだ霊力で砕け散り、もみじが左足で槍の柄を蹴ると、霊力がつくる足の周囲の見えない壁が槍を包む闇を押しのけながら、槍の攻撃を逸らした。
その直後、槍に串刺しになっている三体のミイラの頭部が、釘のように尖った闇の塊を雨のようにもみじに向けて吐き出した。
「だああああああああああああああっ!」
もみじは両腕から血を噴き出しながら、手で床を押して跳び上がり、雨のように降り注ぐ釘のような闇の塊をよけると、左足で黒い舌を蹴って右足首から外した。その時、漆咒魄の活人形の顔が、口から螺旋状に回転する竜巻のような闇を吐き出し、跳び上がっているもみじを直撃した。
「がああああああああああああああっ!」
もみじは悲鳴を上げて回転しながら吹き飛び、二十メートル後方の壁に叩きつけられた。もみじは床までずり落ちると、口から流れている血を右手首で拭いながら立ち上がった。
『こいつら、七体の悪霊がそれぞれの意志で統率のない攻撃をしてきやがる。体は一つなのに、七人と闘っているみてぇだ。なかなか厄介だぜ』
漆咒魄の活人形の顔が、他の悪霊たちに言った。
「咒靈力で二つの空間を繋げるぞ」
漆咒魄の七つの顔が低い呻き声を同時に発し、その前方に直径一メートルの円盤状の黒い雲が出現し、もみじは周囲を見渡した。
「出口になる黒い雲はどこだ?」
「もみじさん、後ろーっ!」
まふゆの叫び声を聞いて振り返ったもみじの目の前には、背後の壁に出現した直径一メートルの黒い雲があり、その中から闇に覆われた槍が飛び出して連続してもみじを突いてきた。もみじは慌てて後ろに下がって槍を回避したが、漆咒魄の七つの顔が低い呻き声を上げ続け、漆咒魄の周囲ともみじの周囲が円盤状の黒い雲に囲まれた。
漆咒魄は自分の周りの円盤状の黒い雲に向かって、闇に覆われた槍の突きや、黒い闇の光線、長く伸びた黒い舌の突き、釘のように尖った闇の塊の雨、螺旋状に回転する竜巻のような闇を吐き出し、それらは全てもみじを囲む黒い雲から飛び出してもみじを襲った。もみじは目まぐるしく動き回ってそれらの攻撃を避けていたが、長く伸びた黒い舌に背中を強打されて前のめりに倒れ、黒い舌から体中に伝わった黒い雷が与える激痛で絶叫した。
「がああああああああああああああっ!」
もみじは全身に霊力を漲らせて黒い雷を粉砕しながら、低い体勢で起き上がった。
「てめぇええええええええっ! 古より雷を司りし天翔迅雷之命よ! その御力を宿し給え! 昇龍之稲妻ああああああああああああああああっ!」
もみじが床に右の掌を当てながら叫ぶと、漆咒魄の足元から巨大な雷が発生した。漆咒魄は後ろへ大きく跳んで雷を容易く避けると、三つのミイラの頭がもみじを嘲り笑った。
「ぎゃはははっ! こんな雷、当たるものか!」
もみじは床から右掌を少し上げると、再び右掌を床に当てて叫んだ。
「二連ーっ! だあああああああああああああああっ!」
もみじの右手の甲から血が噴き出し、漆咒魄が着地した足元からはさらに大きな雷が出現し、漆咒魄の全身を包み込みながら、蔵の天井をぶち抜いて空高くへ上昇していった。
「ぐわあああああああああああああああああああっ!」
雷が消えた後の漆咒魄はボロボロになっており、体のあちこちから発火していた。漆咒魄の活人形が、目だけを動かしながら怒声を上げた。
「ますますこの女をぶっ壊したくなったぞ! お前ら、破滅の叫びでこいつをバラバラに粉砕するぞ! さっきの岩や橋のようにな!」
活人形の言葉を聞いた他の六つの顔は、同時に残忍そうな笑みを浮かべた。




