出会いの一杯はダンジョンの奥底で
「ゴブリンって、いや、魔物ってどうやって調理すればいいんだろう。牛や豚と同じやり方は通用しないよねえ」
部位ごとに仕分けたゴブリンを前に、首を捻る。
紫や緑色の臓器に対して、日本での調理はまず通用しないだろう。
『ゴブリンの血には、かなり弱いが毒が含まれている。お前ら気をつけろよ』
ふと、勇者の言葉が蘇る。その言葉の中の『お前ら』に私は含まれていなかったが、彼らと過ごした時間は無駄ではなかったという事だ。
このまま食べていたら毒で死んでいたかもしれない。
「まあ、毒はなんとかできるか。解毒の魔法を習得していてよかった」
異世界に召喚されて、勇者一行に巻き込まれて旅立つまでの僅かな猶予の間に習得した数少ない魔法。皆の役に立つかと思ったが、回復の奇跡を持つ聖女ならば一瞬でできるらしい。しかも、何度も。
私は時間がかかる上に、一日一回が限度だ。
ゴブリンの死体に視線と思考を戻す。
毒はどうにかなるとして、問題はこの酷い匂いだ。
家畜化されていない野生動物は、独特の臭みがあるという。ならばダンジョン内に生息する魔物のゴブリンはいわずもがな。
まずは内臓と肉。
流石に腐敗が酷く、食べられる箇所は少ない。
骨周辺の筋肉ぐらいだろう。
「何を作るかといえば……ダンジョンだとスープ一択なんだよねえ」
ダンジョン内での食事は極めて手間の少ない、そして調理が簡単なものが求められる。長時間の調理は魔物と遭遇するリスクが高まるし、腰を据えて食べるほど時間に猶予があるわけない……というのがダンジョンを探索する鉄則だ。
むしろ、実力のないうちは調理せず体を休める。
勇者一行は、大人数かつ(私を除いた)全員が国から認められるほどの実力者。そんな鉄則を守っていたのは初めだけで、二回目以降はキャンプ飯を作っていた。まあ、私は自分で買った保存食しか食べるのを許されなかったし、追放された時にはその保存食すら奪われてしまったわけだけど。
「ゴブリンスープ……生まれて初めてのチャレンジ、果たして上手くいくかな」
手元にあるのは取手のの壊れた鍋と、鯖や汚れの酷い調理器具一式だ。ポイ捨てしようとしたのを回収して、街に戻ったらリサイクルに出すつもりだったが……ここは有効に活用させてもらおう。
鍋に湧き水を汲んで、火にかける。
沸騰させている間に、ゴブリンの肉を一口サイズに切り分ける。筋張っていて、よく研いだナイフでも切るのが大変だった。
何度か水で洗い、しばらく漬けておく。これで臭みと血の匂いが抜けるといいが、果たしてどうなることやら。
「あとは香草があれば、街の宿屋で食べたスープに近づけると思うんだけど、そう都合よく香りのいい草はダンジョンには生えてないかあ」
なんのなしに、足元に生えていた草を毟り取る。微かに、土の匂いが草からした。
「……この匂い、パクチーに似てる? 味は────しょっぱ!」
口に含んでみる。強い味と香り、それと度肝を抜くほどにしょっぱい。こんな植物を単体で食べたら、舌がおかしくなってしまいそうだ。
ひとまず、スープに入れてみるか。
沸騰した鍋に、ゴブリンの骨付き肉を入れてみる。
もちろん、投入する前に骨を折っておく。こうすると出汁が取れやすい、というのが鶏ガラ出汁での豆知識なのだが……はたして、このスープではどうなるのか。
気になるのは、骨を折った際に強い魔力を感じた事だ。一部のゴブリンが魔法を使う事はあるが、ほとんどは知能が足りずに使えない。それなのに、私よりも強い魔力を有しているとは……魔物だからか?
ゴブリンの持ってた棍棒を燃料に、コトコトと煮込む。その間、解毒の魔法を使った。くらりと魔力欠乏の症状に襲われる。慣れたものだが、あまり気持ちいいものじゃない。
体感、三十分が経った頃だろうか。
お湯の色が、いきなり緑色に変わった。
ゴブリンの血は、青系の黒い色だ。
緑色なのは、おそらく骨髄の魔力が何かに反応したからだと思う。肉は何故か鮮やかな紫色に染め上がり、この世のものとは思えない色彩で輝いている。
「こ、これは……なんだ?」
生きる為には魔物を食するのも仕方ないと覚悟を決めたのが揺らいでしまうほど、極彩のカラーリングに仕上がったスープ。勢いで草をちりばめ、スープボウルによそったが、空腹に狂った脳が食すのをためらっている。
その一方で……。
涙が出るほどに、いい香りだった。
この世の美味しい匂いの真髄を選りすぐったかのように、芳醇で濃厚かつまったりとした牛脂を炒めた香り。
本能と理性が、終わりなき会議を繰り広げている。
視覚は拒否反応、嗅覚は推進派。
胃袋は予断を許さない状況と叫び、その他の内臓は沈黙を選ぶ。
結論が出ないまま、私は得体の知れないスープを口に運ぶ。おそるおそる、ほんの少しだけ舌の上で転がす。
「……ほあ、美味しい」
香りを裏切ることなく、味もまた甘味のある脂を彷彿とさせるものだった。我を忘れて、肉を口に放り込む。切る時は筋張っていたというのに、舌の上でホロホロと崩れていく。
特に、この尻尾の部分が美味しい。
噛めば噛むほどに甘味が染み出してくる。
魔力欠乏で霞んだ視界が、クリアに冴え渡る。
『ゴブリンのテールスープ』
これが、私の久しぶりの食事だった。
誰からも嫌味を言われず、思うがままに食材の味を堪能できる時間を過ごせている。
幸福だ、と感じた。
こんなダンジョンの奥底で、食料を取り上げられた上での追放という絶望的な状況だが、心の持ちようで気持ちは変わる。
「この辺りのエリアは勇者御一行サマが魔物を掃討したけど、上に進むにつれて魔物が沸き直してる可能性が強いな……ここに来るまでかなりの日数が過ぎたし、備えはいるか」
食用は無理と判断したゴブリンの内臓。
湧き水に晒したおかげで、腸の汚れは綺麗に落ちている。
手を翳し、解毒の魔法を使ってみる。
一日に一度が限界だった魔法の行使が、何の問題もなく二回目の行使に成功した。
「魔物だから当然、魔力は普通の料理よりも多く含まれる……か。これは良い発見をしたなあ」
私の魔力は、この世界でもかなり少ない。
すぐに魔力切れを起こしてしまう事が悩みだった。
魔力を回復する手段はあまり多くなく、いずれも高価な素材を使ってのポーション等なので、私には手が届かない方法ばかりだった。
でも、魔物を使った料理なら。
私でも手が届く。私でも、なんとかできる。
細かくナイフで叩いた残りの肉を、ゴブリンの腸に詰めていく。
戦闘の余波で生じたであろう隙間に、スープに使った草の葉と残り少ない火をセットし、腸詰めを火に当たらない高さに配置する。
「さて、ソーセージが出来上がるのを待つ間、スープをもう少し飲もうかな」
スープをよそおうとした手が止まる。
「……そこにいるのはどちらさま? 魔物の相手はしたくないんだけど」
人の気配がした。それも、隠すつもりもないような堂々とした足取り。
ダンジョンの探索に不向きな革靴に、重たい生地が擦れて、貴金属がぶつかり合う音。その他の追従者は、足音を隠している。
勇者たちじゃない。アイツらは、相手に気づかれる前に突っ込んで殺しにくる。それと、足音を完全に隠す魔法が使える。
「これはこれは」
わざとらしく感嘆したふりを装う、相手を小馬鹿にした口振り。
ぐにゃりと空間が歪むと、一人の男が姿を現した。
「探知の範囲は半径三メートル、魔法や種族的な特徴によるものじゃないようだな。経験の成せる技とみた」
腰まで伸ばした蜂蜜色の金髪。金塊を溶かし固めたような瞳が特徴的な、長身の男。顔の横から伸びた長く尖った耳が、私の視線に反応して神経質そうに跳ねる。
「エルフじゃないみたいですね、あなた」
「ほお、何故そう思った?」
「魔力ですね。その量と質、それに隠蔽魔法を使えるのに足音を消さなかったのは……好奇心でしょうか」
こんなダンジョンの奥底で別の冒険者に接触してくる輩にはいくつかの傾向がある。
情報収集やコネ獲得などの好奇心、ライバルを蹴落としたがる敵愾心、そして純粋な野次馬心。
「いかにも、こんなダンジョンの最奥で料理をしている愚か者の顔を拝みに来た」
初対面にも関わらず、散々な言いようはまさに傲岸不遜。それでいて、潜伏に徹底した仲間からの信頼を勝ち取るだけの実力者。
只者ではない、と直感が告げる。
この好機を逃せば、ダンジョンからの脱出は難しいとも。
「では、私の顔を拝みに来たついでにこちらのスープ、良ければ召し上がりますか?」
ゴブリンのテールスープをもう一つのボウルによそう。金髪の男は、好奇心に目を煌めかせた。
「ふむ、こんな奥底で調理の匂いがするはずがないと来てみたが、まさか本当に調理をしていたとはな。ものは試しだ、一口頂こう」
男はボウルを自ら受け取り、毒なんてまるで気にせずスープを口に含む。
「これまで経験したことのない、不思議な味だな。しかし、実に美味い。これは何のスープだ?」
「ゴブリンのテールスープです」
「ゴブリン……貴様、正気か?」
男は、呆気に取られたようにスープと私の顔を見比べる。それから、スープを一息で飲み干すと、腹を抱えて笑い始めた。
「は、ははっ! 飢えに耐えかねて同族を食らう輩は見かけた事があったが、よもや魔物を調理して食う人間と出会うとは思わなかったぞ。やはり祖国を飛び出して旅をする価値はあった!」
それから男は、指を鳴らした。
物陰から、弓を構えたエルフの女や錫杖を抱えた神官が姿を現す。
エルフの女は「マジかよ、あの人間、あのクソ野郎に気に入られやがった」と呟く。神官は「魔物を調理とは……無知とはいえ穢れへの恐れを知らないのでしょうか」とドン引きの表情。
「気に入ったぞ、人間。余に名を名乗るが良い」
「湯浅奏です」
「ははっ、変な名前だな! だが、面白い! ユアサでいいか?」
頷く。どうやら男のお気に召したらしい。
「ふふん、気になるであろう。余の名前が!」
「はい、気になりますね」
「聞かせてやろう! 余はエルドラ、特別に名を呼ぶ事を許そう!」
「助かります〜」
へらへら笑っていると、エルドラと名乗った金髪の男はより上機嫌になった。
「紹介しよう、これらのものは俺の指揮下にある冒険者たちだ。そして、これから貴様の仲間となる」
まさに渡りに船の申し出であった。
何が目的かは不明だが、このダンジョンを脱出する為に他者の協力は必要不可欠。その申し出を断る理由なんて、私にはない。
────これが、私とエルドラの出会いだった。