調理のきっかけは極度の飢え
異世界に召喚された私、湯浅奏は今、極限状態にあった。
ダンジョンの奥深く、手元に食料はなし。
唯一の救いは湧き水のあるエリアに辿り着けたこと。だけど、水があるせいでより飢えに苦しめられている。水だけで凌ぐのにも限界があった。
「この際、なんでもいい……! なにか、生命活動のエネルギーになるものが欲しい……!」
水で空腹は誤魔化せない。萎んだ胃がきりきりと痛み、内臓がじわじわと冷えていくのを感じていた。
食料を、エネルギーを寄越せと叫んでいる。
視線を彷徨わせる。
洞窟型のダンジョンに、そう都合よく食べられる植物は生えていない。あるとしたら、数日前に勇者たちが討伐したゴブリンの死体だけ。青白い肌に刻まれた痛々しい傷跡からこぼれ落ちる臓腑。鼻を貫く不快な腐敗臭は、粘膜にへばりついて嗅覚を狂わせる。匂いを嗅ぐだけで吐くものはないというのに吐き気に襲われる。
『人型の魔物ってさ、なんか殺すのはいいけど食べるのは抵抗あるよね』
脳裏を蘇る、勇者たちのたわいない会話。
私は聞き耳を立てるだけで、会話に混ざることはなかった。無能に話を合わせるだけで大変だと、彼ら自身が語っていたから。
『食べるのは街で買った食材だけにしておこうぜ』
そう語らいながら、干し肉をスープにつけて食べていた光景を執拗に思い出してしまう。
具沢山なスープの匂い、ふわふわとした白いパンに、瓶詰めのザワークラウト。口の中に唾液が溢れて止まらない。
どうしてもお腹が空いていた。
忌まわしい行為だと、頭では理解していた。
そんなことなんてどうでもいいと思えるほどに、とってもお腹が空いていた。
「……調理したら、食えるかな」
言葉にした瞬間、現実が確かなものとなって重みを得る。それでも思考は止まらない。
底なしの絶望に垣間見えた、一筋の光。
試してみる価値はあると、その時はそう強く思えた。
魔物を────ましてや、人型で獰猛とはいえ言葉を喋ることもある、人に近い生き物を食するなんて、いくらなんでも正気じゃない。それでも、この異世界で『勇者一行から追放された惨めな奴』として死ぬよりはマシだ。
息を止め、震える手を伸ばす。そして、私はゴブリンの臓腑を掴んだ。それは酷く冷たくて、ぐちゃりと粘着質な音を立てた。