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オロカナルイキモノタチ  作者: 赤井"CRUX"錠之介


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12/33

ヘンカ

 ()()は、湖を泳いでいた。底から、ゆっくりと上昇していく。

 今までは、他の生き物に恐怖という感情を抱いたことはなかった。だが最近になって、上の世界には警戒すべきものがあることを知った。耳障りな音を立て、硬い地面を進んでいく巨大なものを見たのだ。

 自分よりも遥かに大きい上、動きも速い。しかし、それよりも気になる点があった。あいつが近づくにつれ、奇妙な匂いが漂ってきた。生き物の匂いではない。それどころか、生き物を弱らせる匂いだ。たまに遠くから漂ってくることはあったが、前回のはことさら強く感じた。

 何と不快なのだろう。匂いを嗅いだ瞬間、あいつを叩き潰してやりたい衝動に駆られた。だが、相手の大きさと速さが、()()の警戒心を呼び覚ました。さっと水の中に隠れ、顔だけを出して様子を窺う。

 けたたましい音を立てながら、あいつは去って行った。見えなくなったのを確認すると、()()は、さらに深く水の中へと潜っていく。

 あいつは見えなくなってしまったが、油断は出来ない。また、どこからか出てくるかもしれないのだ。生き物の中には、群れで行動するものもいる。()()が、水中の生き物を見て学んだことだ。

 強くならねば……その思いが、()()の形を変えていった。形の変化に伴い、皮膚は以前より硬くなる。力も強くなり、より戦いに適した形状へと変化していった。

 もっとも、己に生じた変化を、()()は詳しく理解していなかった。ただ、動きに若干の違和感を覚えただけである。それにも、すぐ慣れた。


 もうひとつ、気になることがある。あの面白い二本足を、最近見かけないことだ。

 奴は、小さな食べ物をくれた。それだけではなく、見たこともない動きをする。水の中にいる生き物とは、まるで違っていた。

 しかも、奴は水の中では生きられない。湖に落ちた時、もがき苦しんでいたのを見た。()()は、生き物の中には水に落ちたら死ぬものがいることを知っていた。これまで、溺れ死んだ小動物を何匹も見ている。

 放っておけば、奴にも同じ運命が訪れていただろう。だからこそ、()()は奴を助けたのだ。

 ()()は、自分が奴より遥かに強いことをわかっている。だが、奴は自分の知らないことを知っている。奴と会えば、それを学べる気がする。

 それよりも大事なことがあった。奴との接触により、今まで知らなかった感覚を呼び覚まされたのだ。

 奴は、最初のうちはこちらを恐れていた。しかし、会うにつれ態度が変わっていった。今では、恐れることなく近づいてくる。自分に触れたりもする。

 奴と会うと、胸の中が暖かくなった。しばらくの間、その暖かさが続く。いい気分だった。他の生き物との接触では、起きなかったことだ。

 そろそろ会ってみたい。




 ()()は、知能そのものは高い。人間と同レベルであろう。また、これまで体験したことは、あらかた記憶している。

 警戒心も強い。自分の強さには絶大なる自信を持ってはいるが、上の世界が未知の領域であることも理解していた。知らない場所には、どんな存在がいるかわからない。自分より強いものも、どこかに潜んでいるかもしれないのだ。

 その警戒心ゆえ、()()は無闇に地上に出たりはしなかった。湖の中は安全だ。ずっと水の世界で生きていれば、何事もなく暮らしていけたかもしれない。

 しかし、目染めた好奇心は()()を刺激する。また、他者との交流により生じる喜びを知ってしまった。その想いは、抑えられなかった。


 ・・・


 浩市は店を閉めた後、久しぶりに湖の周囲を歩いてみた。時刻は六時過ぎで、まだ明るい。もっとも、あと三十分もすれば暗くなる。この辺りの夜の闇は、本当に一寸先も見えなくなるのだ。ライトなしでは、歩くことすら出来ない。

 歩きながら、湖面を見てみた。静まりかえっており、波ひとつない。

 いつもと同じだ、と思った時、状況は一変する。突然、水面が泡立つ。直後に水柱が上がり、浩市の顔や体に水が降りかかる。

 そして浩市の目の前には、巨大な何かが立っていた。


 なんだこれは……。


 浩市は後ずさる。

 この前、会った奴とは明らかに違うものだ。甲殻類を連想させるゴツゴツした皮膚。後頭部が長く伸びており、体の色は赤黒い。ザリガニやエビのような甲殻類を、無理やり人間に近い形に作り変えた……そんな見た目だ。

 いつの間にか、この湖は怪物の巣窟になっていたらしい。こんな奴が、湖の中にうようよしているとしら……。

 いや、そんなことはどうでもいい。目の前にいるのは、自分など一瞬で叩き潰せる化け物だ。戦うことはもちろん、逃げることすら不可能である。

 その時、怪物の口と思われる部分が開いた。そこから、音が漏れ聞こえてくる。


「ア、エ、ア、オ、オ」


 一瞬、何が起きたのかわからなかった。だが、その声に聞き覚えがあることに気づく。


 もしかして、あいつなのか? 

 あいつが成長し、この姿になったのか?


 思った瞬間、浩市はポケットに手を入れる。中から、チョコレートバーを取り出した。

 すると、怪物の手も動く。大きな指で、チョコレートバーをそっと摘んだ。器用に袋を剥き、口に入れて咀嚼する。

 その時になって、ようやく浩市の頭も働き出した。考えてみれば、相手は未知の生物である。成長によりどのような変化を遂げるかなど、自分にわかるはずもない。今、目の前にいるのは、湖に棲んでいる怪物が成長した姿なのだ。

 なにはともあれ、殺されることはないらしい……浩市はホッとなった。同時に、足から力が抜ける。その場に崩れ落ち、尻餅をついた。

 怪物はといえば、浩市の行動をじっと見ている。何を考えているのだろう……と思った時だった。怪物は、地面にしゃがみ込む。次いで、両足を前に出し両手を地面に着けた。尻餅のような体勢で、じっとこちらを見ている。


 こいつは何をしている? 


 戸惑っている浩市を、怪物は無言でじっと見つめている。

 わけがわからず、浩市は首を傾げと。すると、怪物も首を傾げたのだ。

 そこでピンときた。昔、ミラーリングという言葉を聞いたことがある。相手の動きを真似ることらしい。ペットには、飼い主の動きを真似る傾向がある。親近感の表れだ……とも聞いた。

 この怪物は、浩市の動きを真似しているのだ。思わず苦笑していた。


「お前、おかしな奴だな」


 言いながら、そっと立ち上がった。しかし、怪物の方は体勢を変えようとしない。尻餅のような姿勢で首を傾げたままだ。ミラーリングは飽きてしまったのか。

 改めて見てみると、怪物の変化はとんでもないものだ。

 最初に会った時は、二足歩行の大きなトカゲ……という感じだった。ところが今は、ザリガニのような甲羅があちこちに付いている。体も大きくなったが、何より全体的に怪獣っぽさが増していた。RPGに登場するモンスターのようである。それも、かなり上位のものだ。

 短期間で、こんなに変化したのか。

 

「それにしても、こんな風になるとはな。そのうち、ゴジラみたいになるんじゃないか」


 そんなことを呟きながら、浩市はポケットに手を入れる。中には、小さなゴムボールが入っていた。先ほど、道路で拾ったものである。

 怪物の前で、ゴムボールを上に投げた。落ちてくるところを、さっとキャッチする。怪物は何のリアクションもせず、じっと動きを見ているだけだ。

 何度か、上に投げてはキャッチという動きを繰り返した。だが、突然にパターンが変わる。浩市は、ゴムボールを怪物の遥か後方へと投げたのだ。

 次いで、ボールの飛んでいった方向を指差す。


「さあ、取ってこい!」


 言ったものの、怪物は微動だにしなかった。ボールはどんどん転がっていき、やがて見えなくなる。やはり、犬と同じ遊びは無理か……と思った時、いきなり怪物が動いた。立ち上がったかと思うと、その場から飛び上がったのである。

 一瞬で、とんでもない位置に到着した。着地の瞬間、爆発のような地響きが周囲を襲う。

 怪物の方は、地面に手を伸ばしたかと思うと、再び跳躍する。

 次の瞬間、浩市の前に着地していた。またしても地響きに襲われ、浩市はビクリと反応していた。

 怪物の方は、浩市に何かを差し出す。二本の指に挟まれていたものは、先ほど投げたボールだった。


「お前、凄いな……」


 思わず感嘆の声が出ていた。怪物は、こんな遊びなどしたことはないはずだ。にもかかわらず、先ほどの僅かな動きだけで、こちらが何を言わんとしているかを察したのだ。知能の高さは、かなりのものである。

 しかも、ゴムボールを二本の指でそっと挟み、潰さずに運ぶ……という繊細さも持っている。この怪物なら、簡単に潰してしまえるはずなのに……。


「お前、凄いな」


 もう一度、同じセリフを吐く。すると、怪物の口も動いた。


「オワ、エ、ウゴ、イア」


 一瞬、何を言っているのかわからなかった。だが、すぐに理解する。

 前と同じく、聞いた言葉を真似ているのだ。時間をかけ、辛抱強く言葉を教えていけば、会話も可能になるのではないか。

 だが、それは無理な話だ。浩市には、片付けねばならないトラブルがいくつもあるのだ。こいつに言葉を教えている暇などない。

 その時、自分の置かれた状況を思い出した。この怪物が、丸見えではないか。車でも通りがかったら、完全にアウトだ。

 そのことに気づいた瞬間、浩市は動く。怪物の腕を掴み、森の方を指さした。

 だが怪物は、そのまま突っ立っている。動く気配がない。無理やり森に引っ張っていきたいところだが、それは不可能だ。

 こうなれば、自分が動いてみせるしかない。浩市は、森の方を指差しながら歩き出した。

 その時、怪物が動いた。浩市の体を、両手で持ち上げる。

 直後、飛び上がった──

 仰天している浩市を抱えたまま、怪物は高く飛ぶ。次の瞬間、森の中に着地した。衝撃で、下の土が大量に舞う。

 怪物は、浩市をそっと地面に下ろす。何事もなかったかのような様子である。

 呆然としていた浩市だったが、どうにか我に帰る。怪物に抱えられての空中ジャンプ……だが、そこには怪物なりの気遣いも感じられた。

 とはいえ、問題はここからである。湖に帰らせるには、どうすればいいのか。

 そこで、前回のやり取りを思い出した。また、同じやり方を試してみよう。

 浩市は前と同じように、人差し指で怪物に触れた。次に、湖の方を指差す。

 次いで、自分の鼻を指差した。二度、とんとんと鼻をつついて見せる。その後、家の方向を指差した。

 怪物はというと、浩市をじっと見ていた。だが、理解したらしく湖の方を向く。

 次の瞬間、湖に走り出す……が、いくらもいかぬうちに跳躍した。派手な音を立て、水に飛び込む。またしても、派手な水しぶきがあがった。

 浩市は、家に向かい歩き出す。何とも言えない複雑な気分であった。

 あの怪物は、頭はいいし素直だ。何より、自分のことを気に入ってくれている。本音を言うなら、浩市もあいつが好きだ。

 しかし、怪物は目立ち過ぎる。あの形、大きさ、動き……最近では、跳躍し水から上がって来る。必然的に、派手な音を立てる。しかも、人目につかないよう行動することが出来ない。

 他の人間に見つかるのも、時間の問題だ。

 



 

 

 


 



 

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