自褒自救
自分なりの答えで良いから、自分を救えるようになれば
何故なのか?
自分が初めて問うたあの日から、毎日問い続けてきた
それでも、人の為になるような答えは見つけられなかった。
そもそもこれは、終わらない。終わりようがない。
事あるごとに疑問符を浮かべるが、感嘆符は浮かばない。
自分たちは散々、疲れてきた
どれほど疲れているのか分からなくなるほどに。
人の為に自分を偽り、疲れる。
嫌な事で必な事が多すぎて、疲れる。
今日という過去に後悔して、疲れる。
この理不尽な世界に対して、疲れる。
常に先行する努力に対して、疲れる。
追いつかない結果に対して、疲れる。
なんとなく、疲れる。
生きるだけで、疲れてきたんだ
人間関係、家庭環境、学校、社会、自分
何もかもに疲れるこの世界で。
生きられる事が当たり前になったこの世界では
今日では、生きる事でさえ当たり前になっていた。
今日を生きた事を褒める人はどこにもいなくて
何も出来なかった自分が、自分を褒めることはできるわけがないから
褒称を求めて、今日という日を生き続けて来た。
とにもかくにも、自分は今まで生きて来た。
生きているか、死んでいるか。
自分をその単純な境界線で分けて判断するのなら、自分は生の方に入るだろう。
しかし、ひょっとしたら明日には
その境界線を自ら越えていることがあるかもしれない。
もしかしたら、明日には
足を一歩踏み出すことを、決断しているかもしれない。
境界線のすぐ側で今日を生きた人が
この世界にはいったいどれだけいるのだろう。
自分は今まで運が良かっただけで
自分に決断させる要因が降りかからなかっただけ。
決断者との違いは、たったそれだけなんだ。
生と死など、常に紙一重で表裏一体だ。
境界線のとなりで今日まで息をして来た自分は
過去には追いつかれ、未来には置いてけぼりにされる
そんな毎日を耐え凌いでいただけだった。
だけど、そんな毎日でも
今日まで息をすることを辞めなかった自分に対して
少しでも満足した瞬間を、死ねない理由が見えかけたその瞬間を
過ごしてこなかった訳ではないと思う。
そうであってほしい。
今日の中で、必死に息を吸って、溜息を吐いて
疲れ続けてきた自分たち。
失望し続けてきた自分たちだけど。
自分たちがこの理不尽な世界に認められるまでは
自分を褒めて、認めてあげる。
そしていつか、自分を救えるようになれば
僕は、不断を後悔する日が来るまでは、進み続けると決めた。
途中で立ち止まってもいいから
横を向いたり、時には後ろを振り返ってもいいから
生きる事だけに固執しなくていいから
生きて征けばいいんじゃないか、と。
僕は、明日終わっても良いように息をして征くことを決めた
明日、どんな理由であれ一歩を踏み出していたとしても
終わったその日を後悔したくないから
自分なりの答えで良い。
今まで、ただ生きて来ただけで十分なのに
どんな事があっても、傷ついても、失望しても、
進み続けた自分たちは、あなたは偉いから
どうか自分を、ただ褒めてあげて欲しい。
きっと、この世界から認められる日を過ごせる