4 葡萄踏み
「何よこれ、ひどいわ!」
アンジェラは返ってきたドレスを手にして憤慨した。一昔前に流行った型落ちのドレスだった。
「まさか、これと私のドレスを交換したと言うの? バカにしないでよ、古着なんて着ないわよ」
アンジェラはドレスを床に叩きつけた。
「あー、何で第一王子様が来ないのよ! あんな勝手気ままな王女様なんて大嫌いよ!」
「アンジー、やめなさい!」
ロザリンダが言った。
「何よ、ロザリンダだってフローラ王女のこと迷惑だって言ったじゃない」
「いい、フローラ王女様の悪口は大概にしなさい。これ以上すると許さないから」
ロザリンダの形相が変わった。私たち三姉妹のなかでロザリンダが一番気が強い。アンジェラも気が強いけど強がってる振りをしてるだけ。本当にロザリンダは男に生まれたら騎士が天職になりそうな人物なのだ。
「……」
アンジェラは大人しくなった。するとロザリンダは私に声をかけた。
「レーナ、貸した本は大丈夫だった?」
「ページの間に髪の毛やお菓子の食べカスが入ってたけど……それにページの折り目がいくつかあったわ」
「ひどいわね」
アンジェラが言った。
「ううん、私は気にしないわ」
こんなこと大したことじゃない。私は怒ったりしない。精神的にはアンジェラより大人ね。
翌日、フローラ王女がこの地域の視察に出かけることになった。私が案内人に選ばれた。
アウグスト王国の最南端にある辺鄙な土地がマスケローニ伯爵領だ。元々わずかな人々が漁業を営んでいた過疎地域だった。父がこの土地を王家から買った時、正気かと笑われた。しかし父は、土壌を入れ替える大規模な土木工事を行って肥えた土地に変身させた。太陽が燦々と輝くこの場所は葡萄作りに最適な場所になった。父の目論見どおりだった。
馬車は丘の上で停車した。フローラ王女と従者ヴァスコは降りて眼下の景色に目をやった。葡萄畑がこれでもかってくらい丘の斜面に広がってた。領民の大半は葡萄農家だ。その反対側の海岸線では漁船が見えた。
「凄いですね。こんな雄大な場所に来られて幸せです」
フローラ王女の言葉に父のマスケローニ伯爵が笑った。
「ここの葡萄酒は最高品質なので王室に献上しています」
「はい存じております。家族みんなが愛飲しておりますので」
「それは嬉しいですね」
父は上機嫌だった。
この様子だとフローラ王女のエスコートは父に任せれば大丈夫だろ。私はヴァスコに話しかけた。
「もし良かったら葡萄酒を見に行きませんか。献上品の葡萄酒をあなたに見てほしいです」
「これから村長に会う手はずでは」
「はい。顔を見せたあとに少し時間をいただきたいと思います。フローラ王女様にはその後に広場に来てもらいます。サプライズがあるので」
「ほう、サプライズですか。村長もご存知ですか?」
「はい。その準備の一躍を担ってください」
私はヴァスコを村のワイン貯蔵庫に連れて行った。案内人は村長の長男アルマンドだ。彼は私より二つ上だ。
狭い地下通路を通り抜けると広々とした空間が現れた。アルマンドは壁の燭台のローソクに火をつけ回った。ぱっと明るくなった。ワイン樽が所狭しに置かれていた。アルマンドはそのうちの一つを選んで飲み口の杭を引き抜いた。コップに注いだ赤ワインを私とヴァスコに手渡した。
「どうぞ、試飲してください」
ヴァスコはコップに鼻を近づけて匂いを嗅いだ。それからワインを飲んだ。すると口元が緩んだ。
「これは素晴らしい。ここまで飲んだワインとは別物だ!」
私もワインを一口飲んだ。飲み慣れた味だ。これまで領主のマスケローニ伯爵に献上していたワインを王女様に捧げるのだ。この特上ワインを飲むたびにその産地とマスケローニ伯爵の名を思い浮かべるようになるはずだ。それが目的だった。父の入れ知恵だ。
私の姉たちと同じように父にも夢がある。いつか王国の重鎮になってこの国の政策に関わるようになることだ。その為のコネを作ろうと躍起になっていた。今回のフローラ王女様の視察はそのきっかけを作るチャンスだ。
ワインの味に感極まったヴァスコが樽に近づいた。樽の表面を指先でなぞった。
「これはオークの柾目板ですね」
「はい。最高品質の葡萄酒のみにオークを使っています」
アルマンドが言った。
「素晴らしい」
ヴァスコが笑った。
私たちは献上品のワイン樽を荷馬車に乗せて村長の家に戻った。玄関のドアを開けると村の民族衣装を着た女が立っていた。周りの村人たちに戸惑った顔をしていたが、ヴァスコを見つけると助けを求めた。
「私は着せ替え人形じゃないのよ!」
フローラ王女様だった。
◇
「王女様、こちらを!」
「こちらの衣装の方がお似合いです!」
フローラ王女の周りを男たち6人が取り囲んで手に持った衣装を渡そうとしていた。彼らはマスケローニ伯爵領の村長たちだ。各村々にはそれぞれの民族衣装があった。フローラ王女様に自分のとこの衣装を着させようと必死だった。
「次はうちの衣装を来てください!」
「お願いします王女様!」
オロオロするフローラ王女様の前にヴァスコが立ち塞がった。
「皆さん、そんなにせかせないでください。順番に着させてもらいます」
その一言で騒動がおさまった。
フローラ王女様はそれぞれの民族衣装を着て披露した。周りから感嘆の声が上がった。はにかんだフローラ王女様は可愛かった。15歳の少女は輝いていた。
「一番のお気に入りはどれでしょうか?」
選べるわけがない。角が立つことはしないのが王族のたしなみだ。期待に満ちた目で待っている村長たちにヴァスコが言った。
「どうでしょうか、くじ引きで決めませんか。あまりにも素敵な衣装ばかりなのでフローラ王女様は選べないと思います」
「よし、くじ引きをしよう」
声を上げたのはこの村の村長のマリネオだ。
結局、赤と白の民族衣装に決まった。その衣装を身にまとったフローラ王女様は広場に連れていかれた。村人たちが大勢待ち受けていた。その中に私の姉二人もいた。民族衣装を着ていた。こっちは紺色と白の衣装だ。わがマスケローニ家のカラーだ。
「さあ皆さん、これから葡萄踏みを始めます。今回はフローラ王女様が来て下さりました。ぜひ、楽しんでください」
「フローラ王女様、先陣を切ってくださいませ」
マリネオ村長が促すと村人の男性がフローラ王女の素足を桶の水で丁寧に拭った。そして肩を貸して葡萄が入った大きな桶に立たせた。
笛、太鼓の音。この地方の民族楽器の弦楽器の調べが流れた。
華やかでワクワクするようなテンポの曲で、私も今すぐ体を動かしたくなった。そして、村人たちの歓声が起こった。フローラ王女様は最初は葡萄を踏み潰す感触に戸惑っていた。プシュー! プシュー!と葡萄の皮が弾けるたびに顔が明るくなった。スカートの裾を持ち上げて曲に合わせて踊った。その優雅さに村人たちは歓声を上げた。
「フローラ王女様、バンザイ!」
「女神様の降臨だ!」
フローラ王女様が背後に佇んでいた私の姉たちを手招きした。姉たちも足を拭って桶の中に入った。そして3人揃って踊りを披露した。息ぴったりだった。民族楽器の調べと踊りが一体となっていた。いつこんな練習したのかしら、聞いてないわ。
「ロザリンダ様、アンジェラ様も素敵よね!」
村の婦人たちが叫んだ。この二人は 器量よしで陽の性格。地味な私とは真反対なの。ちょっと妬けるわ。でもフローラ王女様と姉たちの踊りを見るとそんな劣等感が吹き飛ぶ気がする。キラキラしていてほんとに眩しい。
『葡萄踏み』の伝統イベントが終わった。
「どうでしたフローラ王女様?」
マリネオ村長が聞いた。
「素晴らしい体験だったわ。こんなに楽しんだの生まれて初めてよ!」
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