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1 プロローグ

「こ、殺さないでくれ!」


 階段の踊り場で尻もちついた男は腹部を両手で押さえながら情けない声をあげた。私は手に持った出刃包丁の切っ先を見た。先端に血が付いていた。

 深々と刺したつもりだったけど、浅かったみたいだ。このままでは致命傷にはならない。ダメだ。私は彼を殺すためにここに来たのだ。病院送りにするためではない。

 私は再び出刃包丁の柄を両手で握った。その瞬間に彼は立ち上がった。私の殺気を振りほどくように私の脇をすり抜けてマンションの階段をかけ降りた。



「待て──この野郎! ぶっ殺してやる!!」



 私は髪を振り乱して追いかけた。絶対に許さない。私の人生をどん底に落とした男との決着を今つけるのだ。



 彼はホストだ。私はそこに足しげく通ったただの客だ。よくあるホストとのトラブルといえばその通りだ。私は彼に青春を捧げて弄ばれてぼろ雑巾のように捨てられたのだ。

 初めて彼に出会ったのは、私が高校生の時だ。電車の中でボロボロ涙を流していたら、隣に座った彼がハンカチを貸してくれた。私はハンカチで涙を拭って彼の顔を横目で拝んだ。とてつもない美男子だった。私の胸がときめいた。


「……辛いことがあったんだね。でも気を強く持ってください」


 この人勘違いしてる。私、昨晩コンタクト外すの忘れて寝てしまったから目が腫れて涙が止まらなくなったのよ。今から眼科に行くところなの。


「あ、ありがとうございます」


 それがきっかけで彼と付き合うことになった。彼の職業がホストとわかった頃には深い関係になっていた。私、神崎浩子17歳の初めての恋だった。



二十歳はたちということにしよう」

 彼は私を職場の子ホストクラブに連れて行った。もちろん学生なのでお金はない。彼がつけ(・・)にしてくれた。アルバイトをして返したらいいと優しく言われた。私は彼に会いたくてあしげく通った。



「これ以上返済が遅れると俺はリンチされる。助けてほしい」

 ベッドで上半身裸になった彼の肩や腕、胸に紫色の痣があった。私は彼の背中にしなだれかかった。


「ごめんなさい……」


 私は泣いた。私のせいで彼はこんな酷い目にあったのだ。

 もちろん私の借金だから返すのは当たり前だ。だけど明細書を見たときびっくりした。親に立て替えてもらえるような金額ではない。600万円もの大金だった。唖然とした私に彼は言った。


「お金を返さないと僕は殺される。山に埋められるんだ」


「いやいや! 私がどんなことしても返すからそんなこと言わないで!」

 彼との付き合いを親に反対されて家出して2回ほど連れ戻されたが、3回目に見捨てられた。もう親に金を援助してもらうことは出来ない。かといってアルバイトではそんな大金は返済出来なかった。

 


 私は夜の繁華街の裏通りに立つようになった。売春婦、いわゆる立ちんぼになったのだ。男どもに身体を売ってそのお金を彼に貢いだ。私は幸せだった。私が月イチで稼いだ全額を手渡すと、彼は涙を流して喜んでくれた。ここまでして助けてくれるのは君だけだと言ってくれた。私は彼の喜ぶ顔を見るのが嬉しかった。そしていつしか年月が過ぎた。気がつくと25歳になっていた。


 ある時、彼に女の影を感じた。気になって彼がベッドで寝ているあいだにスマホを調べることにした。彼の人差し指を借りて指紋認証を突破した。スマホには様々な女の電話番号があった。もちろんホストという職業がら女と付き合うなとは言えない。でも、何か引っかかるものがあった。スマホの写真を眺めていると、今の茶髪ではない黒髪の彼が現れた。昔の10代の彼だ。高校生ぐらいか? その彼が部屋の中で年上の女と写真におさまってる。女の自撮りだ。その時のはにかんだ笑顔を見て私は驚いた。これまで私に見せたことのない天真爛漫な笑顔だ。


「あっ、彼はこんな表情を見せるんだ……」


 私は彼の笑顔の写真をうっとり眺めていると、いきなり頭を叩かれた。振り向くと、ものすごい形相の彼がいた。


「お前、人のスマホ覗き見するんじゃねー、この糞女が!」


 糞女?


 誰、誰?


 まさか私じゃないでしょ。


 彼は私を愛してるよね。私だけの一方通行じゃない……


「この写真の女の人は誰よ?」


「俺の高校時代の先生だ」


「先生? 先生とできてたの」


「バカ野郎!」



 その出来事以来、彼は冷たくなった。


 私が寒風の中でも立ちんぼを続けていたのは彼に喜んでもらうためだ。もちろんホストクラブの借金はあったけど……なのに彼の気持ちが私にないことがわかった。私の気持ちは萎えていく……



「よし、これで借金は終わりだ」



 私が手渡したお札を数えて彼はそう言った。私はほっとした。借金全額返済が完了した。私は借金を返すためにホストクラブ行きを我慢してお金を貯めた。これからはお金抜きに彼と付き合えるんだ。ずいぶんかかったわ。もう売春とはおさらばだ。ほっとした。この後の人生設計はどうしよう。家出して高校中退したけど大検受けて卒業資格を取ろうかな。そして大学入学を目指すか。そんな夢が広がった。そしたらきっと彼も喜んでくれるに違いない。でもそんな考えに冷水を浴びせられた。


「お前、鬱陶しいからもう俺の前に姿を見せるな」


「えっ、どういうこと? まさか……別れ話なの」


「別れ話? なんだそれ。そもそもお前とは付き合ってないぞ。ホストとお客の関係だ」


 ショックで頭がクラクラした。


 こいつ、私を騙したのか! 


「俺には女はいくらでもいる。お前はそのうちの1人だってことさ」


 そんなこと……わかってるのよ。わかってるけど、黙ってて欲しかった。私はこの彼に騙されてることに目をつむっていた。だって、愛してくれるから。初めて好きになった人がたまたまホストを生業なりわいにしてる人だと、今の今まで思ってたけど本当は違うのね。私はただの金づるであって愛の対象ではない。でもそれって隠して欲しかった。私に直接言うのは死刑宣告と同じだわ。そうよ、そのせいで私の心は凍りついた。

 


 私は夜の街をさまよった。足取りは重かった。私が駅前のベンチで座ってると改札口を出たOLが目の前を通り過ぎた。


「へー彼氏と別れたの? クリスマス前なのに」


「キープがいなければぶっ殺してたわ。ちくしょうめ」


「おー怖い。辛かったのね。よし今夜はやけ酒だ。飲もう」


「うん……」


 他人の別れ話は冷静に聞けるのに、どうして自分のことになるとこんなにも混乱するのだろう。私は彼と別れたくない。それが本音だ。私はベンチから立ち上がった。彼のマンションに戻る途中金物屋によって切れ味の良さそうな包丁を探した。


「この出刃包丁の切れ味はどうですか?」


「うちはどれも切れ味抜群ですよ」


 私は薄ら笑いをした。



 


 腹を刺されて逃げ出した彼は後ろを振り返った。私は足には自信があった。高校時代は陸上部でインターハイに出場したことがあった。まだその時の余力は残ってる。


「逃げるなてめぇ!」


 この私の怒声に歩道を歩いていた人々がびっくりして振り返った。鬼の形相の女が出刃包丁を手に男を追っている。ひと目で痴情のもつれだとわかっただろう。私を止める人間はどこにもいない。私はつまづいて転んだ彼の前に仁王立ちした。


「待ってくれ。話せばわかる!」


 あーん、どの口が言ってんのよ。舐めた口をたたくな。私は首を曲げて斜めから彼を見下ろした。



「死ね!」



 気づいた時には彼は血まみれで体の向きがくの字になっていた。私が数え切れないくらい出刃包丁を振り下ろした結果だ。私の服は返り血で染まった。


「君、包丁を捨てなさい」


 振り向くと警官が2人いた。中年の警官と若い女の警官だ。女は新米かしら? 男は警棒を握ってた。女はホルスターから拳銃を取り出して構えた。手が震えてる。私が怖いのね。

 男の警官が左手を出した。


「おとなしく包丁を渡しなさい!」


 その時空から粉雪が降ってきた。あ、そうだ。クリスマスが近いのね。


 遠くで救急車のサイレンが聞こえる。私は殺人事件の犯人として裁かれるのは嫌だ。何も悪いことしていない。むしろこれ以上女の被害者が出るのを止めたのだから褒めて欲しいぐらいだ。男の警官が私の腕を掴もうと手を伸ばした。私はその手を振り払って警官に向かって出刃包丁を振り上げた。



 パァ────ン!



 私の胸に銃弾が撃ち込まれた。地面にぶっ倒れた。まだ新米だと思われる女警官が拳銃を発砲したのだ。あっ、この子に可哀想なことしちゃった。あの子涙目になってるじゃない。ごめんなさい。許してね。彼だけ地獄には行かせられない。愛してるからどこでも一緒に……私の意識が遠のいていく。



 **********



 おぎゃー、おぎゃー!


「よしよしお腹がすいたのね」


 私は優しい声を聞いて瞼を開けた。目の前には若い女がいた。微笑んでいた。胸元の布地のボタンを外して乳房を露出した。私はその乳首を加えさせられた。



 びっくりした。どうやら私は赤ちゃんとして生まれ変わったようだ。いわゆる輪廻転生と言うやつか。そして母親らしき女の服装は中世貴族のドレスのように見えた。女の顔をよくよく見れば金髪碧眼の外国人だ。日本人じゃない。と言うことは私は時代を遡って異国に生まれ変わったのか……もしくは異世界転生したらしい。死んだら天国や地獄に行くんじゃないの神様? でもこれで人生やり直せるわラッキー!


「あら、笑ったわ。お腹いっぱいになったのね」

 赤ちゃんの私は守護天使のような母親に無邪気な笑顔を向けた。


お読みいただきありがとうございます。


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