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世界をぼんやりと包み込むグレー  作者: みーなつむたり
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世界をぼんやりと包み込むグレー

 フシューフシューと、独特の呼吸音だけが、世界の全てだった。


 視界はただぼんやりとした灰色に包まれている。


 微かに感じ取れていた生き物の気配もすでに無くなった。


 大気に充満しているのは、有翼人亜種の腐敗に伴い溢れ出たガス。

 それはとても毒性が強く、空気を汚染し、地上は瞬く間に灰色の瘴気に閉ざされたのだ。


(…誰か、)


 空気も大地も腐った世界でただ一人残されたカヌスは、灰色の重たい防護服を身にまとった姿で、ただ空を見上げていた。


     *  *  *


 有翼人亜種の死骸を処分する地下処理場がある山の山頂より腐敗ガスが噴き出したことで、多くの民衆は逃げ惑い、行政や軍に救いを求め大挙して押し寄せた。


 しかし、軍施設や王城、貴族の住む宮殿にいたるまで、そのどれもが既にもぬけの殻だったのである。


 その現実に、ほとんどの国民はただ絶望し、途方に暮れるよりほかにすべがなかった。


 この国が救おうとしているものは何だったのか。


 その問いに答えるものなどいない中で、誰もが運命を呪い、ある者は泣きわめき、ある者は怒りを露わにし、だがほとんどの者が呆然と立ち尽くし、やがて、多くの者が、せめてもの抵抗のためにと、家に籠って全ての扉を固く閉ざした。


 人の気配のなくなった街で一人残されたカヌスは、アドゥーにもらった防護服入りの大きなカバンを抱えて静寂の中を足を引きずりながらとぼとぼと歩いていた。


 ガスは既に世界を覆い始め、空気が微かにすえた臭いを帯び始めている。

 息を吸えば肺が傷んでいくようだった。


「……っ」


 カヌスは歯を食いしばり、泣きそうな顔のままカバンを抱えて走り出した。


 傷めていた片足を庇うように走るカヌスの頬を弄る風は生温かいが、頬は涙で濡れていたためひんやりと冷たくもあった。


「はあ、はあ、はあ、」


 走りながらも、前をまともには見られなかった。


 ただ体力の続く限り走り続けた。

 やがてまともに動かなくなった足がもつれてカヌスは無様に転げてしまった。


 転けた拍子に持っていたカバンが遠くに飛んだ。


「……ぁ、」


 地面に頬を擦り付けるように転んだカヌスが顔を上げると、目の前には青々とした雑草が生い茂っているのが見える。


 ここは見知らぬ町外れの原っぱで、小高い丘の上にあった。


 息も絶え絶えのカヌスは仰向けになり、空を見上げた。


 空はどんよりとした重たい雲に覆われている。

 

(…雲? …いや、違う)


 よく目を凝らすと、どんよりとしていたのは雲ではなく、空気そのものが淀んでいるのだとはっきりわかった。


「………」


 カヌスは半身をもたげ、転がっていたカバンの傍まで這っていき、カバンを手にすると中から防護服を取り出した。


 重たい防護服に重たいマスク。

 それをのろのろと身にまとい、


(…私は、…まだ、生きようとしてるんだな…)


 罪悪感にも似た鉛のような疼きが下腹部に鈍く広がった。


「…う、…うぅ、」


 涙で視界がぼやけていく。

 カヌスは俯いたまま、しばらく声を殺して泣いた。


 こぼれた涙が防護マスクのシールドに当たって喉元に垂れる。


「う、う、…うわあああああああああっ」


 堪えきれなくなり、体中の涙が溢れ出す。

 やがて涙と共に全てが溶けてこの身が消えてなくなればいいと、願いながらも防護服を脱ぐ勇気がない。


 重い防護服を着たまま、カヌスはただ泣き続けていた。


     *  *  *


 太陽が昇ったのかもわからないぼんやりとした世界で、涙もぬぐえないカヌスの顔はいろんな液体がこびりついてカピカピになっていた。


「……?」


 しばらく横になったり起きたりをくり返していたが、ふと、分厚いグローブに違和感を覚えたカヌスは手の平を開いてみた。


「…え、」


 そこには、握った覚えのない『腐った種』が確かに握られていたのだ。


「うわっ」


 驚いたカヌスは慌ててそれを放り投げる。


 既に雑草も枯れ果てた茶色い大地に『種』がコロコロと転がっていくのを何の感情もなく見つめていたカヌスだったが、


「………」


 思い直したのか、ゆっくりと立ち上がり、地面に転がった『種』を拾い上げてしばらく眺めた。


(…発芽が、…進んでないんだ)


 まだ大地が腐る前、カヌスが『腐った種』の発芽を確認した時と変わらず、『種』は青々とした双葉が芽吹いているのみだった。


 それを目の当たりにしたところで何の感慨も沸かないカヌスだったが、徐に、カサカサに乾いた大地に穴を掘り、その『種』を埋めてみることにした。


「昔話だと、プルウィウスの涙で芽が出たみたいだけど、…マスク外せないから、それは無理だね」


 思わず口を吐いて出た独り言に、カヌスは可笑しそうに一人笑った。


 およそ数日ぶりに、カヌスは自分の声を耳で聞いたのだ。


(…ああ、…もう、…ダメかもしれないなぁ、)


 カヌスは、どこか穏やかで、どこか諦めにも似た微笑みを湛えたまま、何かに導かれるように防護マスクに手をかけた。

 

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