Remote.01 小さな恋の殺人事件 9/12
水希たちは学校は取って返すと、保健室に駆け込んだ。部屋には養護教諭ひとりがいて、三台あるベッドは全て空だった。先ほど、稲口美佳が寝かせられていた、今は誰の姿もない中央のベッドを見て、養護教諭に視線を移した水希は、
「稲口さんは?」
「ついさっき、先生と一緒にここを出ましたけれど」
「先生? 誰?」
「担任の、津吹先生ですけど……」
くそっ、と小さく呟くと水希は、踵を返して保健室を出た。大輔と有斗夢も続き、三人の刑事は職員室に向かった。
「――津吹教諭は?」
職員室に飛び込むなり、水希が叫んだ。数名残っていた教師らが一斉に顔を向ける。その中には、応接室で聴取をした高薮教諭の顔もあった。その高薮が、
「津吹先生なら、お出かけになったんじゃないかと思います」
「出かけた?」
「はい、さっき、津吹先生の車が校門を出るのを見ましたので……」
「ひとりでしたか?」
「……さあ、そこまでは」
高薮が首を傾げると、
「車種とナンバーは?」
教師たちに訊いたが、分かったのは車種と色だけで、ナンバーまで知っているものはいなかった。
「緊急手配だ!」
水希が叫ぶと、大輔が自分のスマートフォンで本部に架電し、津吹の車の照合と手配を依頼した。有斗夢のスマートフォンは智と繋がったままだ。水希は、津吹と美佳の携帯電話番号を聞き出してから、
「私たちも行くぞ!」
二人の部下とともに駐車場の覆面パトを目指した。今度は全速力で。
「まだ、そう遠くには行っていねえはずだ……」
助手席の大輔は、走行中の車内から周囲に目を走らせる。後部座席では水希も、大輔の位置からは死角となる後方を中心に、津吹の車と一致する車種がいないかを捜していた。津吹のみならず、美佳のスマートフォンも何度かけても応答はせず、「電源が切られている」というメッセージを繰り返すだけだった。
「智ちゃん」と、ハンドルの握る有斗夢が、ダッシュボードに置かれた自分のスマートフォンに向かって、「津吹先生が犯人って、どういうことなんだろう?」
『……考えられるのは』と、少しの沈黙を挟んでから、智の声が、『二人は恋愛関係にあった、っていう可能性』
「恋愛?」
『美佳ちゃんには、好きな人が出来たみたいだったって、同級生も話してたじゃないですか』
水希たちが仕入れた情報は、有斗夢の口から電話を介して、すべて智の耳にも入っていたのだった。どうして有斗夢が智と連絡を取ったのかを含めた事情は、事件の片が付いてから洗いざらい白状させてやると、水希と大輔が手ぐすね引いている。
「その相手が、津吹先生? 確かに、『相手は年上なんじゃないか』って、あの同級生たちも言っていたけれど……。じゃあ、稲口さんは、好きな人――津吹先生――に頼まれて、彼が犯した渡浦礼衣子さん殺しの罪を被ろうとしたってことなのか」
『そうじゃないかと思います。好きな人からの頼みに加えて、美佳ちゃん自身が十三歳だったということも背中を押したんじゃないかと』
「刑法、第四十一条、か……」
『でも、美佳ちゃんは騙されていたんです』
「騙されていた?」
『そうです。それを美佳ちゃんが知ったのは、応接室で皆さんの話を盗み聞きしていたときです。美佳ちゃんは、あのとき、渡浦さんの真の死亡時刻を知りました。それで、自分が騙されていたことを知ったんですよ。だから、兄貴に捕まっても美佳ちゃんは、そのショックで何も抵抗できなかったんだと思います』
「渡浦さんの死亡時刻って、零時十分から零時半の間だよね。それを知ったことが、どうして騙されていたことになるの?」
『美佳ちゃんは、津吹先生から、こう聞かされていたはずです。「自分が渡浦さんを殺してしまったのは、昨日の深夜、日付が変わる直前のことだ」って。だからこそ、美佳ちゃんは刑法で守られて、罪に問われはしない、って』
「それが、どうして騙されていたことになるの?」
有斗夢が首を傾げると、
「智ちゃん!」と水希が後部座席から身を乗り出してきて、「もしかして、今日って……」
『そうなんです。誕生日なんです。今日で、美佳ちゃんは十四歳になったんです』
「そうか……渡浦礼衣子さんが死んだのが、今日の午前零時以降なら、稲口美佳にも殺人罪が成立する……。被害者は即死だから、日付が変わる零時以前に突き倒して、その後に亡くなったわけじゃない。犯行時刻、イコール、被害者の死亡時刻ってことだ」
「なんてやつだ……」
有斗夢が顔をゆがませる。無言で津吹の車の捜索を続けていた大輔も、表情を同じくした。
「そもそも、津吹が渡浦さんを殺した動機って……」
有斗夢が疑問を口にすると、
「どうせ、痴情のもつれだろ。ようは、津吹は二股かけてたってわけだ。中学生相手にな」吐き捨てるように言った水希は、「その辺りの事情を稲口美佳が知らされていたのは、分からないがな。時系列で考えると、稲口美佳が津吹から話を持ちかけられたのは、今朝早くだろう。彼女は自分のスマホを持ってるから、それに連絡が来たんだろうな。そうであれば、稲口美佳が今朝、いつもより早く家を出たにも関わらず学校に遅刻してきた理由も推察できる。彼女は、渡浦礼衣子の遺体がある犯行現場に行ったんだ。津吹の話が本当かどうか確かめることと、もしかしたら……津吹が何か現場に遺留物を残していないか、確認する目的もあったのかもしれないな」
「随分と献身的な……」はあ、と有斗夢はため息をついてから、「殺しの罪を被るなんてとんでもない頼みを聞き入れたこともそうですし……僕には、そこのところの心理が全然理解できませんよ」
後部座席のシートに戻ると水希は、ひと息ついて、
「稲口美佳が津吹の罪を被る気になったのは、様々な要因が重なったことが理由だったんだろうと思う。まず、好きな人からの頼みだったということ。自分が刑法で罪を問われない十三歳だということ――まあ、これは津吹に騙されていただけだが。それと、たまたま昨夜、あくまで津吹から聞かされていた被害者の死亡時刻である午前零時直前に、父親を出迎えてタクシーの運転手と会話をしたアリバイがあるということ。加えて……死んだ相手が渡浦礼衣子だったから、というのも大きなウエイトを占めていたんじゃないかと、私は思う」
「どういうことです?」
「恐らく、稲口美佳は、津吹の二股に気づいていた」
「どうして分かるんです?」
「昼間に話を聞いた同級生が言ってたろ。稲口美佳と渡浦礼衣子は、以前は親しくしていたのに、最近は、稲口美佳のほうが一方的に渡浦礼衣子を敵視しているように見えてた、って」
「恋敵だと、知ったから?」
「ああ。津吹が渡浦礼衣子を殺したってことは、つまり、彼が自分を選んでくれたってことだと、稲口美佳は解釈したんだろうし、もしかしたら、津吹がそう吹き込んだのかもな。それと、犯行動機として津吹は、“しつこく言い寄ってくる渡浦礼衣子が邪魔になって殺した”くらいのことは言っていた可能性もある。だったら……」
「恋人のために、ひと肌脱ごうと決心しても、おかしくないってことですか……。それにしても、津吹は稲口美佳を連れて、どこに行って何をしようというんでしょうか?」
「……最悪の展開を考える必要がある」
「最悪、って……」
「ああ、稲口美佳は、自分が騙されていたことを知った。津吹にしてみれば、このまま素直に言うことを聞いて、つまり、渡浦礼衣子殺しの罪を被ってくれなくなる可能性が高いと見るだろう。だったら……」
「だったら……?」
「稲口美佳が何か喋る前に……口を封じるつもりかもしれない」




