Remote.07 アイドル声優殺人事件 9/14
「もうひとつ、よろしいですか」
水希が声をかけると、大越は顔を上げ、どうぞ、と返した。
「先ほど、アニメ原作者のことがお話に出ましたが、その原作者の方――マチダ檻彦さん――と、椎橋さんとの個人的なお付き合いに関しては、ご存じでしたか?」
その質問に対しては、大越は若干の沈黙を挟んでから、
「成川さんも加えてのことでしょうか」
「そこまでご存じなのでしたら、お話が早くて助かります。ええ、被害者の椎橋さんと、今度のアニメの共演者でもある成川さんとは、漫画家のマチダさんを間にしての、いわゆる三角関係にあったとか」
「そういった噂が聞こえてきたことはありますが、あくまでプライベートな事柄ですので、私がどうこう口を挟むことはありませんでした。そのことがあるため、警察は成川さんも疑っているということですか」
「成川さんに対しても、重要な関係者のひとりだという認識ではおりますが」
「私は、成川さんのことは、これっぽっちも疑っていませんよ」
「……」
「成川さんとも何度か共演して、グループでですが食事に行ったこともあり、親しくしています。彼女は、殺人を犯すような人ではありません……私の、個人的な見解に過ぎませんけれど……」
「いえ、参考になります」
水希が頭を下げると、大越は、
「他には、なにかあるかしら? 探偵さんからは、何も訊かれませんでしたけれども?」
卓上のスマートフォンに視線を落とした。
『あ、あいっ』変な声で応じた智は、『で、では、私からも、ひとつ、い、いいですか……』
「何なりと、どうぞ」
『水希さんに、サインを、か、書いてあげてください……』
「――てめこら! 智」
大輔がスマートフォンに声を浴びせたが、
「そうでしたね」
大越は、にこやかに微笑み、携えていた鞄から取りだした色紙をテーブルに置くと、懐から抜き出したサインペンを水希の目の前で色紙の上に走らせた。
「刑事さんのお名前は、何とおっしゃるの?」
「は、はい……篠原水希、です……漢字は……」
サインの横に、“篠原水希さんへ”と書き添えられた色紙を、「どうぞ」と差し出されると、水希は、
「あ、ありがとうございますっ……!」
恭しい手つきで、それを押し頂いた。
「これからも、富山の平和を守り続けてくださいね、水希さん!」
大越から、ケイトの声でそう言われた水希は、深々と頭を下げた。
応接室を出た大越を見送り、再びソファに腰を下ろすと、水希は余韻に浸るように、テーブルに置いたサイン色紙を見つめていた。
「いやぁ」と、その様子を見た有斗夢が、「意外でしたね」
「大越さんが、岡市プロデューサーのことを露骨に疑っていたということがか? それとは逆に、成川さんのことは全面的にかばっていたこと?」
顔を向けてきた水希に、
「いえ、そうじゃなくて……。水希さんにも、アニメにはまっていた純粋な時代があったんだなってことです」
「なっ……事件とは何の関係もないだろ」
「でも、水希さんとアニメって、なかなか結びつかない組み合わせだったから」
「子供の頃は、誰だってアニメくらい観るだろ」
「変身アイテムの玩具とか、買ってもらったりしてたんですか?」
「ああ……誕生日プレゼントで……」
「変身ポーズ、見せてください。ポリスチェーンジ! ってやつ」
「……真鍋、お前、さっき、私にも『純粋な時代があった』って言ってたな」
「……え、ええ」
「ということは、今の私は純粋じゃないと、そう言いたいわけだな」
「そ、それは……」
「ああ、お前の言うとおりだ。世俗にもまれるうちに、私は子供の頃に持っていた純粋な気持ちなんて、もうなくしてしまったよ」
「……そ、そんなことは、ないんじゃないかと」
「だから、部下の胸板に逆水平チョップを打ち込むなんて暴挙も、一切の躊躇なくできてしまうのさ」
「ひ、ひぃー!」
水希の右腕が、鞭のようにしなった。
東京にいる板屋武則に聴取する午前十一時までには、まだ若干の時間がある。そのことを水希が告げると、智は、
『も、もしよかったら、板屋さんの、ちょ、聴取が始まるまで、天貝さんの配信番組を聴かせてもらっても、い、いいですか……』
「ああ、そうか。智ちゃんはまだ、あの放送を観ていなかったのね」
『は、はい……な、内容を、水希さんたちから、お、教えてもらっただけでしたから……』
「じゃあ、私たちも確認の意味も込めて、もういちど観てみるか。真鍋」
「はい」
持参している鞄からタブレットを取り出し、テーブルに置いた有斗夢が、
「智ちゃんも画面を見られるように、水希さんのスマホをカメラモードに切り替えたほうがいいかな」
『い、いえ、私は、音声さえ聞ければ。ど、どうせ、椎橋さんは電話で、こ、声だけの出演だから……』
「了解」有斗夢はタブレットを操作すると、「それじゃあ、再生するね」
画面に、当該番組の映像が流れ始める。
――さあ、今週も始まりました、天貝七海の『七天罰党』。この番組は……
「どうだった? 智ちゃん」
映像が終わり、水希が訊くと、
『い、いやぁ……な、生々しいというか……』
「だよね。電話越しとはいえ、実際の殺人現場を生中継してしまったようなものなんだからね……。他に、実際に観て――じゃなかった、聴いて、何か気付いたこととか、ある?」
『う、うーん……。な、何て言うか……』
「何でもいいわ、気付いたことがあれば、聞かせて」
『は、はい……。な、何がどうとは、はっきりと、言えないんですけれど……な、何か、違和感が……』
「違和感? 今の配信の中に?」
『え、ええ……。と、とは言っても、どこがどうおかしいんだ、と訊かれたら、ちょ、ちょっと答えようがないんですけれど……』
「何かしらの違和感は、あった」
『は、はい……』
「オーケー、焦らなくていいわ。その、智ちゃんに引っかかった違和感の正体が分かったら、また教えてね。で、他には、何かある?」
『そ、そうですね……。も、物音が、何もしていませんでしたね』
「物音……そうね」
『は、はい。ひ、被害者と犯人が争うとか、い、椅子なんかをひっくり返すとか、そういった、も、物音が……』
「椎橋さんは、いっさいの抵抗をする間もなく、犯人の手にかかってしまったと考えられるわね」
『で、電話中、というか、生配信の番組に出演中という状況じゃあ、い、いくらプロの声優さんとはいえ、少しは緊張もしていたでしょうから、あ、あまりに突然な襲撃に遭って固まってしまい、何も抵抗できなかったのだとしても、お、おかしくはないと思いますけれど……』
「実際、現場となったホテルの部屋も、家具なんかが荒らされた形跡はなかったわ」
『は、犯人が、椎橋さんの顔見知りだったのだとしたら、ゆ、油断した隙をつかれて、何も抵抗する間もないまま、殺されてしまうということも、あ、ありえるでしょうけれど……』
「でも、椎橋さんは侵入してきた犯人に対して、『誰?』と誰何している」
『は、はい……。さっきも言いましたけれど、へ、部屋に施錠をしていなかったことといい、も、物音ひとつたてることもなく殺されてしまったことといい、こ、この事件……せ、正確には、この事件の現場には、な、何かおかしなことが多い……』
「さっき、智ちゃんと話した内容にも通じることだけれど、犯人像が掴めそうで掴めないということね」
『そ、そうなんですよ……』
はあ、という智のため息がスピーカーから流れたところで、
「ちょっと、いいですか」
有斗夢が小さく手を挙げた。
「もちろん、いいぞ」
水希が促すと、
「これから電話聴取する板屋についてなんですけれど、かなり怪しいんじゃないかと、僕は思います」
「どういうことだ?」
「はい」と有斗夢は、自分のスマートフォンに目を落とし、「板屋が昨日、富山に来ていたことは本人も認めていて、翌日――今日ですね――の朝に仕事が入っていたため、昨夜のうちに帰京している、というのは、最初の調べで確認が取れています。で、富山から東京へ戻る交通機関を調べてみたところ、富山駅前を午後十時五十分に出発する深夜バスがありまして、これが最終の便なんですよ。新幹線は、これよりも早い時間になくなってしまいますから。で、この最終のバスに乗れば、翌日の午前四時五十五分に練馬に到着します。どうですか、この、十時五十分というバスの発車時刻、この時間にピンとくるものは、ありませんか?」
「十時五十分……」水希は、視線を斜め上に向けて思案すると、「あ、被害者の死亡時刻」
「そうなんですよ。この事件、被害者である椎橋さんは、生配信番組出演中に殺害されたということで、死亡時刻は午後十時三十五分と、はっきり分かっています。で、その十五分後に、東京行き最終のバスが出る。現場となったホテルの部屋から、富山駅前のバス乗り場へ行くまで、十五分というのは、結構ギリギリの時間なんじゃないかと思うんですけれど」
「殺害時刻が十時三十五分になったというのは、それが理由?」
「板屋は、椎橋さんを殺そうかどうか、最後の最後まで迷っていたんじゃないですかね。翌朝の仕事に間に合うためには、どうしても十時五十分発車のバスに乗らなければならない。そこから逆算すると、犯行に及ぶタイムリミットは、十時三十五分」
「逡巡しているうちにタイムリミットが来て、ついに意を決して犯行に及んだ、というわけか?」
「そのタイミングが、たまたま配信番組出演時間と重なっていた。これなら、椎橋さんが侵入してきた犯人に対して、『誰?』と言った理由も分かります。もしかしたら、椎橋さんはストーカー加害者である板屋の顔を知っていた可能性もありますが、念には念を入れて、板屋は侵入時に顔を隠していたのかも」
「部屋の鍵が開いていた理由は?」
「そこまでは……。でも、何かまったく別の用事で椎橋さんが鍵をかけていなかったというだけなのかも」
「偶然が重なってしまったということか? だが、真鍋、部屋が施錠されていたら、板屋はどうするつもりだったんだ? ギリギリまで悩み、犯行に及ぶを決心を固めたというのに、部屋に鍵がかかっていた入れませんでした、というのでは、あまりに間抜けすぎる」
「あるいは、板屋は何かしらの手を使って、合鍵を入手していたのかも」
「そう考え出すと、きりがないが……。そもそも、板屋は帰京するのに深夜バスを利用したと証言していたのか?」
「いえ、そこまで突っ込んだ話をしようとしたところ、仕事があるので、と一方的に話を打ち切られてしまいました」
「怪しいな。まあ、そこのところは、聴取で突き詰めていけばいいか」
水希は、ふう、とため息を吐くと、腕時計を見て、
「時間だな」
その声を受けると、有斗夢が自分のスマートフォンを取りだし、手帳に控えていた板屋武則の電話番号をダイヤルした。




