Remote.07 アイドル声優殺人事件 8/14
東京在住の容疑者、板屋武則は、彼の仕事が休憩に入る午前十一時からなら、聴取の時間を取ってもらえることになったと、警視庁から連絡が入った。その連絡を終えた水希は、
「十一時まで、まだ時間があるな……」
大輔にスマートフォンを返し、腕時計を見ながら呟いた。自信の端末は智と繋げたままのためだ。と、そのスマートフォンのスピーカーから、
『水希さん……』
「なに? 智ちゃん」
『大越さんに、は、話を訊いてみては……』
「大越さんって……大越典子さん?」
『そ、そうですよ、水希さんが好きな、なんとかっていうキャラを演じた……』
「い、いや……大越さんは容疑者でも何でもないし……」
『ちょ、直接の容疑者じゃなくっても、何か事件に関わる情報を、し、知っているかもしれないじゃないですか。な、なにせ、ベテランの声優さんだし、業界のことにも、く、詳しいかも……』
「そ、そういう視点もあるか……」
『ええ、よ、呼んじゃいましょうよ……。で、つ、ついでに、サインなんかもらっちゃいましょう――』
「あ!」と、そこへ大輔が、「さては、智、お前……」
『な、何だよ……』
「水希さんがファンだっていう声優を呼ぶのにかこつけて、速見なんとかって声優も聴取しようと、そういう魂胆なんだな?」
『うっ……』
「水希さんをそそのかして声優と話をさせて、次は自分もっていう……」
『ち、違わい! じゅ、純粋な捜査の、し、視点から……』
「怪しい」
『あ、怪しく……ない……』
智がうわずった声をあげたところに、ノックの音がして、有斗夢がドアに走る。
「どちらさまで……あ! あなたは!」
ドアを開けた有斗夢の声に、水希と大輔も顔を向けた。敷居の向こうに立っていたのは、小さめの鞄を携えた、老齢に差し掛かった程度に見える、ひとりの女性だった。
「申し訳ありません」と一歩踏み出して水希が、「ここは現在、事件捜査の聴取のため借り受けているもので……」
有斗夢の隣に立つと、
「あなたね」
「えっ?」
女性から声をかけられ、水希は首を傾げた。女性は、背筋を伸ばし、すっと息を吸い込むと、
「特命魔法捜査官ケイトです! おとなしく縛につきなさい!」
外見からは想像できないほどの若々しい声を響かせた。その声を聞いた水希は、直立したまま固まる。その反応を見て、にこりと微笑んだ女性は、
「こんにちは。声優の大越典子です」
先ほどとは打って変わった、落ち着いた声とともに会釈した。
「聴取から戻ってきた成川さんから聞きましたよ。刑事さんの中に、『魔法警察パトウィッチ』の、ケイトのファンがいらっしゃるって」
応接室に招じ入れられ、ソファに腰を下ろした大越は、そういって笑みを浮かべた。
「そ、それで……?」
有斗夢が訊くと、
「はい。ひと言、ご挨拶しておかなければと思いまして」
大越は笑顔を――特に中央に座る水希に向けて――見せた。その水希は、「あっ、はい……」と、ぺこり頭を下げた。
「そ、それにしても……」こほん、とひとつ咳払いをして水希は続け、「先ほどのケイトの声、私が子供の頃に聞いたそのままで驚きました。もう二十年近く前のアニメだっていうのに……」
「そう言っていただけると嬉しいです」
再び大越は笑みを広げた。
「本当に凄いです」と有斗夢も、興奮を隠さない声で、「大越さんは、主人公のエテルノの母親役ですけれど、エテルノ役も出来ちゃいますよ、さっきの声を聞くと!」
「ありがとうございます」大越は、有斗夢にも頭を下げると、「でも実際、私にはエテルノちゃんは務まりませんよ」
「いえいえ、そんなご謙遜を……」
「本当ですよ。だって、私は歌を歌ったり、ましてダンスなんて、とても体がついていきませんもの」
「そ、それは……」
「もちろん、コスプレしてのグラビアもね」
「は、はあ……」
「ふふ、ごめんなさい。変な想像させちゃったかしら」
「い、いえいえ……」
有斗夢は、顔の前でぶんぶんと手を振った。
「まあ、私も、二十年前にケイト役をやったときには、もういい年齢でしたけれど、まだまだ十代のヒロイン役は出来るって、自信をもってオーディションに臨んだんです」
「それで、見事ケイト役を射止めたわけですね。さすがです」
「まだあの頃は、声優が裏方でいられた最後の時代だったからでしょう。もし、二十年前が今の業界と同じようなら、私は確実に落とされていたでしょうね。それ以前に、事務所からオーディションを受けること自体を止められていたかもしれません。今は、声の出演だけじゃなくって、歌やステージでのパフォーマンス、グラビア撮影も出来ることを条件に、オーディションが行われることが多いですから」
「そんな話を聞くと、何て言うか、もったいないって思ってしまいます。声優って、本来そういうものじゃないじゃないですか」
「私ね、声優の魅力って、何にでもなれることだと思ってるんです。ケイトを演じたときの私みたいに、四十代でも――あ、言っちゃった――十代のヒロイン役が出来る。人間以外の、犬や猫、あるいは、現実には存在しない生き物の役だって出来ます」
「ええ、ええ」
「人間以外を演じるとか、そこまでファンタジックな話じゃなくても、本人の外見とは全然違った役を演じることだって、声優の醍醐味だと思うんです。例えば、もしも『パトウィッチ』が実写ドラマで、私もケイトと同じ十代だったとしたら、私は絶対にケイトを演じることは出来ませんよ」
「それは、どういうことでしょう?」
「だって……私、あんな美人じゃないですもの」
「それは……」
「ううん、自分でも分かってるんです。私、声優をやる前は劇団で舞台をメインにお仕事をしてたんですけれど、いわゆる綺麗どころの演者がやるような役は、一度もあてがわれたことありませんでしたから。でも、私、やっぱり心のどこかにそういう願望――美しい女性の役――を演じてみたい欲求はあって、それを叶えてくれたのが声優というお仕事だったんです。で、このお仕事の魅力にはまってしまって、もう声優一本でやっていこうっていう覚悟を決めたんです」
「そうだったんですか」
「ごめんなさいね。事件とは全然関係のない話ばかりしてしまって」
「いえいえ、そんなことは」
「しかも、呼ばれもしないのに、勝手に押しかけてきちゃったのに。これ以上、皆さんのお仕事の邪魔をしちゃ悪いわ」
と、腰を浮かしかけた大越を、
「あ、あの……」
水希が引き留めた。
「あら? なにかしら」
大越が目を向けると、
「せ、せっかくなので、大越さんにも、聴取というか、事件についてお話を伺っても、よろしいでしょうか?」
「構いませんよ」
そう答えると、大越はソファに座り直した。
「ありがとうございます」水希は、深々と一礼すると、「ちなみに、今回の捜査には、民間から探偵の方に協力してもらっているのですが……」
テーブルに置かれたスマートフォンに視線を落とした。
「そのことも、成川さんから聞いていますよ」大越も同じようにスマートフォンを見やると、「よろしくね、探偵さん」
『は、はいっ……!』
智が、またもうわずった声を響かせた。その反応に、大越は笑みを浮かべる。
「では、さっそく……」と水希が、「亡くなった椎橋智登世さんについて、彼女のことを恨んでいるですとか、そういった話を耳にしたことなど、ありませんでしたか?」
「……椎橋さん」大越は、ふう、とひとつ大きく息を吐くと、「どうして、こんなことになってしまったんでしょう……。質問のお答えですけれど、心当たりはひとつもない、としか言えませんね。あの子――椎橋さんが、誰かに恨みを買うだなんて……」
「そうですか」
「ええ。本当に、いい子だったんですよ。性格だけでなくて、いわゆる“アイドル声優”として売り出されてはいましたけれど、演技や表現力の基礎もしっかりしていて、彼女なら、いずれアイドルとしてやっていけない年齢になったとしても、仕事に困ることはなかったでしょうね」
「期待の新人だったんですね」
「はい。演技以外でも芸達者でしたよ。他の声優さんの声真似も出来たり」
「そういえば、亡くなる直前に出演していた配信番組でも、大越さんのモノマネを披露していましたね」
それを聞くと、大越は少しだけ笑みを浮かべ、
「似ていたそうですね」
「そうおっしゃるということは、大越さんは、まだその配信をご覧になっていない?」
「……ええ。他の共演者やスタッフの中には、アーカイブを観た人もいたそうですけれど、私は、当分観る気持ちになれそうにありません……」
そう言うと大越は、取りだしたハンカチを目尻にあてた。
「お察しします。ところで……椎橋さんには、アニメのプロデューサーとの間で、何か不穏な噂があったということですが……」
「ええ、岡市プロデューサーのことですよね。私の耳にも入っていました。私、椎橋さんに、協力できることがあれば何でもする、と言ったのですが、彼女には、自分の問題だから自分で解決しますと、きっぱりと言い切られてしまいまして」
「そうだったんですか」
「警察では、岡市プロデューサーのことを疑っていらっしゃるのでしょうか」
「重要な関係者のひとりだと認識しています」
「私は疑っていますよ」
「そ、そうですか……」
「私、今回の役はオーディションではなくオファーだったのですが――ありがたいことに、原作者の漫画家さんが、私の声をイメージして作った登場人物だったからだそうです――最初は断ろうと思っていたんです。岡市プロデューサーの悪い噂を耳にしていたもので、そんな人と一緒に仕事はしたくないなと思って」
「でも、お引き受けになった」
「はい。私にオファーが行ったということを聞きつけた椎橋さんから懇願されたんです。『大越さんと親子役をやれるなんて光栄です。絶対に引き受けて下さい』って。そこまで言われたらねえ。それに、私が共演していれば、岡市プロデューサーからの防波堤にもなれるんじゃないかという想いもありまして」
「そんな経緯があったのですか」
「私が、その配信を観ていれば、すぐに警察に通報して、椎橋さんを助けられたかは分かりませんが、せめて、犯人は逮捕できたんじゃないかと……配信を観られないのは、そんな後悔があるからです……」
「昨夜、椎橋さんが配信番組に出演することはご存じだったのですか?」
大越は首を横に振って、
「いえ、知りませんでした。ですから、もし観ていれば、という仮定自体が意味のないことなんですけれどね。事前に知っていれば、観ていたかも……いえ、夜遅い時間でしたので、そうだったとしても、観ることはなかったかもしれません。私、どんな遅くても午後十時には床に就くことにしているものですから」
「配信開始は午後十時半でしたからね」
「私の習慣を知っていたから、気を遣って、椎橋さんも、天貝さんも、その配信のことは知らせてくれなかったのかもしれません」
「配信番組司会の天貝さんとも、お知り合いなのですか。あ、このアニメで共演されているのでしたね」
「ええ。彼女の役の登場は先なので、まだこのアニメで一緒になったことはありませんけれど、その前にも何度かお仕事をしたことがあります。彼女――天貝さんとは、洋画や海外ドラマの吹き替えでご一緒することが多いかしらね……」そこまで言うと、大越はさらに表情を暗くして、「天貝さんも、大変なショックを受けているでしょうね。私なんかとは比べものにならないくらいの……」
「ええ。なにせ、椎橋さんが亡くなるところを耳にしてしまったわけですから」
「あの二人は、声優になる以前からの友人だったそうです」
「そうなんですか。配信の会話からも、お二人の仲の良さがうかがえました」
「椎橋さんが最後に話を出来たのが、仲良しの天貝さんで、せめてそのことだけが救いだったと、そう思いたいです……」
大越は目を伏せた。




