Remote.01 小さな恋の殺人事件 8/12
抵抗する意思はないように見えた。稲口美佳は、顔を伏せ、手をだらりと下げ、微動だにしていない。大輔は未だ美佳の手首を掴んだままだが、それは逃走を阻止するためというよりも、そうしていなければ彼女の体が崩れ落ちてしまいそうに思えたからだ。
沈黙が続く中、意を決したように水希が口を開きかけた、が、それに先んじて、
「渡浦先輩が死んだのが……零時十分以降だっていうのは、本当……ですか?」
美佳が訊いてきた。
「そうよ」
短く、しかし、しっかりと水希が答える。美佳の肩が細かく震え、嗚咽が漏れる。伏せられたままの顔から、大粒の涙がこぼれ落ち、足下の地面に染みを作る。美佳は教師たち付き添いのうえで保健室に連れて行かれ、ベッドに寝かされた。
「駄目だ、何も話してくれない」
保健室から出てきた水希が、力なく首を横に振った。大輔が言うところの“やさしい女刑事”の顔も、美佳には通用しなかった。
「相手は中学生だ、これ以上刺激を与えたくない。とりあえず、出直すことにしよう」
水希の言葉に二人は頷き、三人の刑事は学校玄関を出た。駐車場の覆面パトまで向かう道すがら、大輔が、
「それにしても、あの子、いったい、あんなところで何をやってたんでしょうね?」
「まあ、普通に考えれば」それを受けて、水希が、「私たちの話を盗み聞きしていたんだろうな」
「ですよね」有斗夢も腕組みをして、「窓のすぐ外で、しゃがみ込んでたんですからね。しかし、水希さん、よく気づきましたね。あそこに美佳ちゃんが潜んでいたこと」
「物音がしたんだよ」と大輔に目をやり、「お前も、気づいたんだろ」
「ええ、俺の場所が一番窓に近かったっすから」
「いやいや」と有斗夢は顔の前で手を振って、「気がつかないですよ、普通。さすが先輩、野獣の本能」
「誰が野獣だ、コラ。それなら、水希さんだってそうだろ」
「いえいえ、水希さんのは、刑事の勘です」
「ユートム! てめ、コラ」
「ま、まあ、それにしたって」と有斗夢は先輩刑事をなだめて、「どうして、美佳ちゃんが盗み聞きなんてことを?」
「警察の捜査状況を把握しておきたかった、ってことじゃねえか?」
「なんで、美佳ちゃんが警察の捜査状況を知りたがるんです?」
「そりゃ、おめぇ……」
大輔は言葉を詰まらせた。“稲口美佳は渡浦礼衣子を殺害した犯人だから、警察の捜査状況を知りたがっていたのだ”。その考えが口に出せない。いや、有斗夢も、そして当然水希も、同じことを考えているはずだった。だが、やはり口に出すことを躊躇っているのだ。大輔は、そんなことを思いながら、上司と後輩の顔を見やった。
三人は無言で駐車場を目指して歩く、と、そこに、
「こんにちは」
何かの用事で下校せずに残っていたのだろう、男子生徒が二人、頭を下げてきた。水希と有斗夢は「こんにちは」と、大輔は「よう」と片手を上げて生徒とすれ違う。
「感心だな」水希は立ち止まると、後ろを振り返って、「校外から来た客に挨拶するって、中学生くらいじゃなかなか出来ないぞ」
「そうっすね」と大輔も、「俺が中学の頃じゃ、考えられなかったっすね」
「それにしても、最近の中学生は体格いいですね」
有斗夢が、遠ざかっていく男子生徒の背中を見やった。
「確かに」水希も頷いて、「三年生かな。制服を着てなかったら、高校生……いや、大学生だと言われても信じるな――」
『あー!』
水希の語尾に被って、声が発せられた。大輔でも、有斗夢のものでもない。水希と大輔は周囲を見回したが、先ほどすれ違った生徒らはすでに校舎に入っていなくなっており、他の生徒や教師をはじめ、自分たち以外には誰の姿も確認できない。
「何だ? 今の声?」
水希は、なおも辺りを見回している。一方、大輔は、「……あの声」と呟いて黙り込むと、視線を有斗夢に向けた。謎の声が聞こえたときも、ただひとり微動だにしていなかった有斗夢は、先輩刑事に視線を刺されると、こわばらせた顔で目を背けた。
「……おい、ユートム」
「なな、何でしょうか……」
大輔の視線は、有斗夢の目からゆっくりと下りていき、胸の辺りで止まった。正確には、有斗夢が羽織っている背広の胸ポケットに。そこには、彼のスマートフォンが突っ込まれており、ポケットの裾から本体の一部が覗いていた。
「――あっ!」
有斗夢が阻止する隙も与えず、大輔はそのスマートフォンを抜き取った。待機画面を解くと、そのスマートフォンは通話が維持された状態になっており、ディスプレイには通話相手の名前が表示されていた。
「……やっぱりか」大輔は、奪ったスマートフォンに向かって、「てめぇ! 智」
『うひゃう!』
スマートフォンからは、大輔の妹、戸森智の悲鳴が漏れ出た。
「智、って」と水希が意外そうな顔で、「大輔の妹さんか?」
「そうです」大輔は、右手でスマートフォンを握り、左手で有斗夢の胸ぐらを掴むと、「ユートム、これは、どういうことだ?」
「せ、先輩……これにはですね、マリアナ海溝よりも深い事情が……」
完全に降参したように小さく両手を上げて、有斗夢は答えた。端正な顔に汗をにじませながら。
「真鍋!」と水希も近づいてきて、「お前、いつからだ?」
「えっ?」
有斗夢は目だけを動かして水希の顔を見る。刺すような鋭い視線と目が合った。
「お前」水希は、さらに一歩近づいて、「スマホを通話状態にして、ずっとポケットに入れていたんだな。つまり、私たちの会話を、智ちゃんに聞かせていたってことだろ。いつからやってたかって訊いてんだよ」
「ここに着いてから、です……」
「そういえば、お前」と大輔が睨み、「覆面パトから降りてすぐ、スマホをいじってたな。あのときか」
有斗夢は、引きつった顔のまま、こくりと頷くと、
「智ちゃん、どうして突然声を出したりするかな……おかげでバレちゃったじゃないか……とほほ……」
恨めしそうな顔で、大輔が握ったままの自分のスマートフォンを睨む。
『あっ! そうだった!』
と、その端末から智の声がした。
「智、お前、何の目的で――」
問い詰めようとする大輔の声は、しかし、
『兄貴! 美佳ちゃんは、犯人じゃない!』
再び聞こえた妹の声にかき消された。大輔、有斗夢、水希の三人は、黙ったまま互いに顔を見合わせる。
「智……お前、今なんつった?」
『美佳ちゃんは、犯人じゃない、と言った』
「はあ?」
『応接室での会話に、何か違和感があると思ってたんだ。その正体が、さっきの水希さんの言葉ではっきりした』
「私の?」水希は、きょとんとした顔で自分を指さすと、「大輔、スマホをスピーカーモードにしろ」
「水希さん!」
「いいから、早く!」
「は、はい……」
有斗夢の胸ぐらから手を離すと、大輔は言われたとおりにスマートフォンをスピーカーモードにする。これで、水希たちにも智の声が聞き取りやすくなった。
「それで、智ちゃん」と水希は、「美佳ちゃんが犯人じゃないって、どういうことなの?」
大輔が持つスマートフォン越しに智に話しかける。“やさしい女性刑事”の声になっていた。
『あ、み、水希さん、お、お久しぶりです』と智のほうでも、兄と応対していたときとは打って変わった落ち着いた声で、『美佳ちゃんは犯人じゃありません。真犯人に、利用されたんです』
「利用?」
『そうです。犯人の罪を被ったんです。いえ、正確には、最終手段として罪を被るつもりでいたというか』
「最終手段? どういうことなの?」
『真犯人に頼まれたんですよ。「もし、渡浦礼衣子さんの死を警察が事故として処理したら、それでいい。でも、もし、警察が事件性ありと判断したなら、そのときは渡浦礼衣子さん殺害の罪を被ってくれ」って』
「……どうして、稲口さんは、そんな頼みを聞き入れたっていうの?」
『犯人に諭されたんだと思います。「捕まったとしても、美佳ちゃんなら大丈夫だから」って』
「大丈夫、って――そうか!」と水希は両手を叩いて、「稲口美佳は中学二年生、つまり……十三歳!」
それを聞くと、大輔と有斗夢も「あっ!」と声を上げた。
「“刑法 第四十一条 十四歳に満たない者の行為は、罰しない”……」水希は条文を呟いて、「仮に、私たち警察が稲口美佳を犯人だと断定しても、十三歳の稲口美佳は罪に問われることはない……」
「そ、それにしたって……」と大輔は、頬を伝った汗を拭って、「常軌を逸してますよ。そんな頼みを聞き入れるだなんて……」
「まあ、その考察はあとでするとして」と、水希が智との会話を再開し、「稲口さんが犯人じゃないって、どうして分かったの? 智ちゃんの話だと、応接室での会話に何かあったそうだけど」
『そ、そうなんです。明らかにおかしなことを言った人がいました。でも、違和感は確かにあったけれど、それがどういうものなのか分からないで、ずっと考えていたんです。それが……』
「さっきの私の言葉で、はっきりしたってこと?」
『そうなんです。さっき、水希さんたち、中学生と挨拶をしましたよね。で、「制服を着ていなかったら中学生に見えない」みたいなことを言っていました』
「そうね、確かに言ったわ」
『で、今回の事件、警察からは「渡浦礼衣子さんが死体で発見された」としか知らせていないんですよね』
「ええ」
『それを踏まえて思い返すと、おかしなことを言った人がいたんです』
「誰? 何を言ったの?」
『渡浦礼衣子さんの姿が防犯カメラに映っていたことについて、何か知らないかって水希さんが訊いたとき、こう言った人がいました。「どうして中学生がこんな時間に、と周囲の人間も怪しむでしょうし」って』
「……うん、私も憶えてる。でも、その発言の何がおかしいの?」
『だって、周囲の人間が、どうして渡浦さんが歩いているところを見て怪しむんですか?』
「そりゃ、お前」と、その疑問には大輔が、「中学生が夜中の零時過ぎに外を歩いてたら、怪しんで当然だろが」
『ど、どうして、渡浦さんが中学生だって分かると?』
「は? なに言ってんだ、お前」
『わ、渡浦さんは、中学生には見えないくらい大人びた女性だったんだろ? なのに、どうして中学生って分かるんだよ』
「いや、分かるだろ」
『なんで』
「制服だよ、制服。渡浦礼衣子はな、あの夜は制服を着て外出していたんだ。死体も、カメラの映像でもそうだった。見るやつが見れば、その制服が松宮中学校の制服だってことは一目瞭然だ――」
「あっ!」声を発したのは水希だった。「大輔! 渡浦礼衣子の死体が制服姿だったことは、発表していない!」
「……ああっ!」大輔も、水希が言わんとしていることに気がついて、「それを言ったやつは、渡浦礼衣子が死ぬ前に制服を着ていたことを知っていた! だから……」
『そう、渡浦礼衣子さんを見た人が、どうして中学生がこんな時間にと怪しむ、って言っちゃったんだよ』
「その失言をしたのは、誰だった?」
水希が訊くと、スマートフォンのスピーカーから、
『確か……美佳ちゃんの担任教師……』




