Remote.07 アイドル声優殺人事件 2/14
「殺害されたのは、椎橋智登世さん。二十三歳。職業は声優です」
時刻は朝の八時過ぎ。富山駅前に位置するホテルの一室で、真鍋有斗夢は手帳に目を落としながら、篠原水希に事件の概要を説明していた。
「死体発見現場は、このホテルの605号室、被害者が宿泊していた部屋、ここですね。死因は、ロープで首を絞められたことによる窒息、つまり絞殺です。凶器に使われたと思われるロープは、被害者のそばに落ちていました。指紋は検出されず、全国で売られている有名メーカーの量産品のため、ここから犯人を絞り込むのは無理でしょうね」
「110番通報がされたのは、東京都内からだったそうだな」
「そうなんです。通報者は、東京在住の天貝七海さん。二十四歳。職業は、やはり声優です」
「その通報者がインターネット配信をしている最中に、事件が起きたんだな。私も映像を見たが……やりきれないな」
と水希が顔をしかめると、
「事件が発覚した経緯について詳しく説明します」有斗夢は手帳のページをめくると、「事件の起きた日――昨夜ですね――被害者の椎橋さんは、在住していた神奈川県から富山入りして、市内のホテル――ここですね――に宿泊していました。近日放送開始になる、椎橋さん主演のアニメ番組のプロモーションイベントのためです。イベントは、昨日、今日と二日間行われることになっていました。で、その夜、椎橋さんは、声優の天貝さんが配信するネット番組へ出演することにもなっていました。そのネット番組は、東京にある天貝さんの部屋から配信されますので、椎橋さんは電話出演という形を取ったわけです。配信開始は午後十時半からで、司会の天貝さんが電話をかけて、椎橋さんが応答し、番組への出演が始まりました。それから、五分ほど、二人でトークをしていたんですけれど……急に、電話の向こうの椎橋さんの様子がおかしくなって」
「部屋に誰か入ってきた、みたいなことを口にしていたな」
「ええ、その直後、椎橋さんの苦しむような声が聞こえて、異変を知った天貝さんが何度も呼びかけたんですが、それきり、椎橋さんの声が聞こえることはありませんでした」
「画面に流れている視聴者のコメントも、動揺しているものばかりになっていたな」
「ええ、無理もありませんね」
「それで、実際に110番通報をしたのが、その配信者の天貝さんだったわけだな」
「そうなんです。通報のあった時刻は……」
有斗夢は、手帳の別ページを確認して、
「午後十時四十五分、と記録されていますね」
「待て、配信が始まったのが十時半で、五分ほどトークをしたというから、椎橋さんに異変が起きたのは、十時三十五分ということになる。通報されたのが、それから十分後というのは、遅すぎないか?」
「それには事情がありまして。天貝さんは、自宅近くのコンビニから通報をしたんですよ。というのも、自分のスマホは椎橋さんとの通話に使っていたため、その通話をいったん切ってしまうのをためらったからだということです。天貝さん――に限らず、今の人はほとんどそうでしょうけれど――は固定電話を引いていませんでしたから」
「そういうことか」
「はい。椎橋さんのほうから何かメッセージを送ってくる可能性もあるので、通話を切れなかったと。で、最初は公衆電話を探していたんですけれど、今どき公衆電話なんて、なかなか見ないじゃないですか。それで、コンビニに駆け込んだほうが早いと判断して、店員に事情を説明して、店の電話を借りて110番通報したそうです」
「その時刻が、午後十時四十五分ということか」
「ところがですね、通報を受けた警察と救急が現場に到着するまでも、すんなりとはいかなかったんです」
「何があったんだ?」
「通報者の天貝さんが、椎橋さんが泊まっているホテルを知らなかったからです」
「知らなかったって?」
「そうなんです。というのはですね、過去に、こういったプロモーションで地方を訪れた声優に対して、ストーカー行為を行う心ないファンがいて、問題になったことがありまして」
「自分がどこのホテルに泊まっているかは、誰にも教えないよう、指導されていたということか、椎橋さんは」
「そうです。今の時代、どこから情報が漏れるか分かったものじゃないですからね。たとえ友人同士とはいえ、宿泊先を教えるのは御法度だということは、椎橋さんをはじめ、そこの事務所に所属している声優陣には徹底させていたそうです」
「大変だな」
「そういった事情がありましたので、天貝さんは“富山市内のホテルのどこか”という極めて漠然とした情報しか伝えられなかったんです。その配信を、椎橋さんの事務所の人だとか、プロモーションに同行していたキャストやスタッフが誰かひとりでも観ていれば、その人が通報して現場もすぐに知らせることが出来たわけですが、あいにく事務所の関係者やプロモーション参加者の中で、その配信を観ている人は誰もいなかったんです。イベント参加者に、天貝さんの知り合いがいたら、その人に連絡して宿泊先を訊き出すことも出来たのですが、あいにくと、参加者の中に、天貝さんと連絡先の交換をしている人もいませんでした」
「悪いことが重なってしまったというわけか」
「まさに、そうですね。それで、通報を受けた通信指令センターが、椎橋さんの所属事務所に連絡したのですが、夜分なもので事務所の電話は繋がらず、社長を通じて椎橋さんの担当マネージャーと連絡を取り――このマネージャーは、椎橋さんだけではなく、他の所属声優も担当している関係もあって、今回のプロモーションには同行していなかったんです――宿泊先のホテルを訊き出せるまで、相当時間がかかってしまったということでした」
「警察と救急が現場に到着したのは?」
「午後十一時四十五分です」
「電話口で椎橋さんに異変が生じてから、一時間以上も経過してしまっていた、ということか」
「はい。発見された椎橋さんは、その場で死亡が確認されました。検死によると、被害者の死亡推定時刻は、死体発見日の午後七時から午後十一時までの四時間となっていますが、配信番組に出ていたことは間違いないため、実際の死亡推定時刻は、十時三十五分から十一時までの二十五分間に限定されますね」
「ちょっと待て、死亡推定時刻にずいぶんと幅があるんだな」
水希の言葉に、ええ、と返してから有斗夢は、
「部屋の状況が状況でしたから。というのもですね、被害者の椎橋さんは、暖を取るために、客室備え付けのエアコンではなく、フロントに頼んで持ち込んでもらった石油ストーブを使っていたからです」
「昨夜はこの時期にしては異様に冷えたからな。でも、どうして、ストーブを?」
「エアコンを使うと部屋の空気が乾燥してしまい、喉に悪いからだそうです」
「ああ、被害者は声優だから」
「ええ、関係者の話では、椎橋さんは、エアコン暖房による乾燥した空気が苦手で、加湿器を使うよりも、そもそもエアコンの使用自体を控えて、冬期間の宿泊などでは、常に石油ストーブを用意してもらっていたそうです。で、死体発見時には、その石油ストーブが焚きっぱなしになっていたため、部屋の温度が真夏並に上昇していたそうで……」
「ファンヒーターと違って石油ストーブは、一定温度に達すると運転量をセーブしたり、タイマーによって自動消火したりという機能は付いていないからな。なるほど、それによる室温の上昇が死体の状態に影響を与えてしまい、正確な死亡推定時刻の見極めが困難になってしまったというわけか」
「そういうことなんです」
「死体に、絞殺以外の痕跡なんかは?」
「ありませんでした。争った形跡や、被害者に着衣の乱れもないので、恐らく犯人は、被害者を絞殺したのち、すぐに現場から逃走したものと見られています」
「配信中に異変があってから、通報者の天貝さんは、ずっと被害者のスマホと通話状態を保ったままだったんだろ。そのあいだに、何かおかしな音が聞こえたとか、そういう証言は?」
「ありませんね。配信中に椎橋さんが呻き声を上げて、人が倒れるような物音がしたのち、一切、人の声も物音も聞こえてこなかったということです。そのスマホも、通報を終えて数十分くらい経つと切れてしまったそうです。原因は、椎橋さん側のスマホの充電がなくなったことが原因でした。話は前後しますが、通報を受けた警察が、椎橋さんのスマホの位置情報から現場を特定しようとしたのですが、それをやろうとしたときには……」
「すでに、充電が尽きていたわけか。間が悪かったな……」
「はい。そのスマホは、うつ伏せに倒れた椎橋さんの右手の下になっていたそうです。まさに電話をしている最中に襲われたのでしょうね」
「そうか。だいたい状況が分かった」
水希は、ふう、と大きく息をついた。そこに、
「水希さん」と戸森大輔が部屋に入ってきて、「関係者への聞き込み、あらかた終わりました」
「どうだった?」
振り返って水希が訊くと、
「容疑者、と呼んでいいような人間が、何人か浮かんできましたね。朝早くから動いた甲斐がありましたよ」
「協力してくれた関係者各位に感謝だな。それで、その容疑者候補っていうのは?」
水希は有斗夢と一緒に、大輔が手帳を開くのを待つ。
「全部で三人います」ページに目を落としたまま、大輔は話し始めた。「アニメプロデューサーの岡市大二郎、声優の成川珠季、被害者のファンの板屋武則、以上の三名です」




