Remote.06 覆面レスラー殺人事件 18/19
「後道一馬さんですね」
水希は、ホテルロビーのソファに腰を埋め、新聞を読んでいた男性に話しかけた。顔を上げた男性――後道一馬と目が合うと、水希は、
「少し、お話しを聞かせていただけますか」
警察手帳を開示する。後道は何も返答をしないまま、折りたたんだ新聞紙をテーブルに置いた。水希は、後道の対面に腰を下ろすと、
「一昨日の午後九時前後、どちらにいらっしゃいましたか」
「……いったい何ですか、藪から棒に」
ため息を吐きつつ、後道は億劫そうに言った。水希は、事務的な口調を変えないまま、
「一昨日の夜、トヤマコロッセオで開催中だったプロレスリング・サーガの興業で、試合直前のレスラーが、覆面を被った乱入者に襲撃されるという殺人事件が起きたことは、ご存じですよね」
「……ええ」
「その件で、伺っています」
「アリバイというわけですか」
「そう考えていただいて結構です」
「……」ふう、ともう一度後道はため息を漏らしてから、「……食事に……行っていましたよ」
「それを証明できますか」
「さあ、もし、店員が憶えていれば……」
「一昨日の午後五時半頃、あなたがホテル裏口から外出していくのを見た、という従業員からの目撃証言を得ています。ここからトヤマコロッセオまでは、徒歩で約三十分。興業の開場時間は午後六時です。もし、あなたがその興業に行こうとしたならば、開場とほぼ同時に入場したはずです。その時刻がもっともお客で賑わうからです。すでに試合が開始されてから入場したのでは、変に目立ってしまいますからね。特に、あなたはプロの格闘家で、いくら帽子やマスクをつけていたとしても――プロレス会場に足を運ぶくらいのファンに対しては特に――顔を知られていますから」
「……何が言いたいんですか」
「それとですね、こちらのホテルのゴミ収集所から……」と鞄に手を入れて水希は、「こんなものが発見されました」
ビニール袋に包まれた一枚のマスクを取り出して見せた。覆面レスラー“ザ・ブレイド”のマスクだった。それを見た後道は、わずかに眉を動かし、顔つきを鋭くした。
「これは」水希は続け、「トヤマコロッセオに併設されている格闘技資料室に展示されていたものです。係の方に確認してもらいました。このマスクの内側から毛髪と微量な皮膚片が検出されました。付着してからそう日は経っていないものと思われています。せいぜい、一日か二日程度でしょう」
「……それが、どうかしたのですか」
「このマスクは、事件の犯人が被っていたものだと確認が取れています。従って、ここから採取された毛髪と皮膚片は、犯人のものである可能性が非常に高い。ですので、ご協力いただきたいのです。もうお分かりですよね。DNA鑑定です」
「……」
「後道さん、あなたのDNAサンプルを、ご提供いただきたいのですが――!」
突如、後道はテーブルを蹴り飛ばすと、そのまま走り出した。
「――大輔! 真鍋!」
蹴り飛ばされたテーブルのあおりを受けて転倒してしまった水希は、立ち上がりつつ二人の名を叫ぶ。ロビーに控えていた大輔と有斗夢が、後道の前に立ちはだかった。
「てめえ、逃げようったって……うお!」
大輔は、後道が繰り出してきたローキックを辛くもかわしたが、キックが空振ったと見るや否や、後道はそのまま脚を引き、ミドルの高さに変えた蹴りを大輔のみぞおちに突き刺した。
「うっ……」
蹴りの勢いを受け、腹部を押さえながら大輔は数歩あとずさる。
「先輩――!」
次いで後道に跳びかかろうとした有斗夢もまた、カウンター気味のローキックを脚に受けて、床にもんどり打つ羽目になった。
二人の刑事を難なく退けた後道は、玄関口に向かって逃走を再開した。何事が起きたのかと、客や従業員たちはざわめき、後道から逃れるように道を開ける。が、その進路上に、ひとりの男性が残った。後道は避けようとしたが、その男性もまた、後道の行く手を塞ぐように同じ方向に体を傾ける。
「……ちっ」
舌打ちをした後道は、走る勢いのまま鋭い蹴りを繰り出した、が、しかし、男性はわずかに体を引きつつその蹴りをキャッチすると、同時に残る軸足を蹴り払った。後道の背中が床に付く、と同時に勝負は決まっていた。男性は自らの脚を後道の蹴り脚に絡ませ、脇の下に抱え込んだ足首をてこの要領で捻る。後道の脚から何かが切れる音が鳴り、その口からは絶叫が響いた。
「……取手さん!」
駆けつけた水希が、後道の脚を完全に極めている男性の名を呼んだ。
「これは、刑事さん」後道の脚を離して立ち上がった男性――取手は、「ホテルの前を通りがかったところ、ロビーで刑事さんが後道と話してるのが見えて、そうこうしてる間に、後道が突然逃げだそうとしたものですからね。つい、おせっかいをしてしまいました」
そう言うと、頭を下げた。
「そ、それはいいのですが……」あっけにとられて、水希は、「だ、大丈夫……ですか?」
「ええ、私は、なんとも……」
「で、ではなくて……」
と水希は、脚を抱えてうずくまる後道を見下ろした。
「ああ」取手も後道を見ると、「咄嗟のことで手加減できなかったもので、靱帯を切ってしまったようです。もしかしたら私、傷害罪か何かに問われる可能性もあるでしょうか?」
「い、いえ、それは、問題ないと……思います。むしろ……ご、ご協力を、感謝いたします」
ようやくダメージから回復して駆け寄った大輔が、後道に手錠をかけた。有斗夢は未だ床に悶絶したままだったが、
「い、一撃必殺の、ヒールホールド……やっぱり、未だ健在だ……」
後道を見て、痛みと感激の入り交じった声とともに落涙した。
救急車で病院に運ばれた後道は、病床で取り調べを受けた。
智の推理どおり、「路上の喧嘩で、“パラドクス”と名乗るプロレスリング・サーガ所属のマスクマンに負けたこと」が犯行動機が芽生えたきっかけであったことは確かだったが、後道は、自分がパラドクスを襲撃したのは“復讐”だけが目的ではなかった、とも口にした。
「このままでは、バルト・ゲッツェには絶対に勝てないと思ったから」
「……どういう意味だ?」
取り調べに当たった水希が訊くと、
「知ってますか、刑事さん。ゲッツェって、元軍人なんですよ。実戦経験もあって、あいつは、戦場で実際に敵兵士を殺した経験もあるそうです。それも、銃撃戦なんかじゃない。市街地で白兵戦になり、素手の格闘技術で相手を殺したんだそうです。つまり、ゲッツェの強さは、“人を殺したことがある”という“覚悟”の裏打ちがあるからじゃないかって、俺が二回もやって一度もあいつに勝てないのは、そんな“覚悟”の違いがあるからなんじゃないかって……。ゲッツェに勝つには、俺も……人を殺す経験――それも、素手の格闘で殺す必要があるんじゃないかって、そんな思い……いや、恐怖に取り憑かれてしまったんです。加えて、普段『八百長』と馬鹿にしていたプロレスラーに、“何でもあり”の喧嘩で負けてしまって、俺はもう、自分の力が信じられなくなりました。ゲッツェと試合をするのが怖くなったんです。
そうして、いつものルーティンで、試合の一週間前に現地――ここ富山――入りをしたとき、トヤマコロッセオでサーガも興業を行うということを知りました。それを知ったのは、サーガの試合日の昼でした。ランニングでトヤマコロッセオを通りかかった際、そこに張り出されたポスターを見て、メインイベントに“パラドクス”の名前があるのを目にして……これは、もう、“やれ”っていう天啓じゃないかと、俺には感じられたんです。俺に課せられた二つの呪縛を解くには、もう、手段は“これ”しかないんじゃないかと。
あいつ――パラドクスに復讐するには、やつがリングに上がっているときを狙うしかないと思っていました。というのも、俺は、あいつについての情報は、『覆面レスラー“パラドクス”としてリングに上がっている』ということしか知らなかったからです。喧嘩のときにあいつ自身がそう名乗ったんです。調べましたが、パラドクスはデビュー当時からすでに覆面レスラーで、素顔はおろか本名も非公表でした。喧嘩のときは興奮していて、あいつの顔もよく憶えていませんでした。だから、あんな強行手段に出るしかなかったんです。
顔を隠すためにマスクを利用することは考えていました。プロレス会場では、マスクを被って観戦するファンの姿なんて普通ですからね。いざ乱入する際にも、プロレスの試合だから、いきなりマスクを被った乱入者が来ても、みんな演出の一環だと思って、そう強く止められはしないだろうという計算もありました。とはいえ、問題はどうやってマスクを入手するかでした。そこらで売っている代物ではないですし、会場の売店で買うのは躊躇しました。いくらなるべく顔を露出しないようにしたとしても、プロレスファンや関係者の間では、一般の人以上に俺の顔は知れ渡っていて危険だと思ったからです。でも俺は、トヤマコロッセオには資料室なる部屋があることを思い出しました。そこにレスラーのマスクが展示されているということも。
俺が資料室に忍び込んだのは、セミファイナルが終わった直後でした。なるべく時間をかけたくなかったので、部屋に入って一番手前に置いてあったマスクを手にしました。口元が開いたデザインのものでしたが、顔を隠す分にはこれで問題ないと判断しました。
そうしてマスクも入手して、メインイベントが始まるのを待ち、首尾よくリングに上がることが出来た俺は、あのパラドクスをキック一発で倒した……あの喧嘩で負けたのは何かのフロックだったと確信できたし……翌日の新聞で、パラドクスが死んだ――しかも、受けたキック一撃でほぼ即死だったと知って、俺も……ゲッツェと同等の“覚悟”を手に入れたと、あいつに勝てると、そう信じられました。試合が心底楽しみで、仕方なくなっていたんですよ……。」
「あのな、後道……」
水希は後道に、彼が喧嘩で負かされたレスラーは“パラドクス”ではなく、つまり、後道は自身とはまったく無関係のレスラーを殺害してしまったのだ、ということを告げた。彼が本来標的としていたのは、そのときパラドクスの隣に立っていた“エル・ゴリオン”だったことも。
それを聞かされた後道は、手の震えを止めることが出来ず、唇を噛みしめて泣き出した。その涙が意味するものは、誤って無辜の若者を殺してしまったことの悔恨か、結局は自身の目的を何も果たせなかったことへの悔しさか、水希には分からなかった。
後道が証言した「パラドクスと名乗るレスラーと喧嘩をした」日は、やはりパラドクスのアメリカ遠征の期間と重なっていた。その日にパラドクス――鷹野が日本にいて、後道と喧嘩をすることなど不可能だったのだ。
警察から聴取と、さらに、取手の説得が効いたのか、蔦岡は、実際の後道との喧嘩相手と、さらに、石塚を襲撃したのも自分であると自白した。乱入者が後道であると気づき、自分の喧嘩が明るみに出てしまうことを恐れ、犯行を“ザ・ブレイド”がらみの復讐が目的であると思わせようとしたこと、そのため、あえて防犯カメラに映る場所で石塚の襲撃に及んだことも、智の推理どおりだった。犯行に使用されたブレイドのマスクは、生前、ザ・ブレイドであった佐田功武から貰ったもので、追悼の気持ちを込めて常に巡業先に持ち歩き、ホテルの部屋に置いていたものだったという。
プロレスリング・サーガ営業部の堀内もまた、資料室からブレイドのマスクを盗み出すつもりであったことを、聴取を受けて自白した。堀内は、資料室を見ていた際、ガラスケースの裏に置かれた机の引き出しに、ケースの鍵が入っていることを発見したことで、プロレスファンとしての欲望を抑えられなくなってしまった。マスクを状態のよいまま持ち出すためには、マネキンヘッドに被せたままで盗み出さなければならない。大きな鞄などを持ち込むことも考えたが、資料室と堀内が使っている事務室との距離が近かったことから、堀内はマネキンヘッドごとマスクを盗み出し、事務室に入ってから鞄に隠す初段を取ることにした。そのほうが資料室に留まる時間を短く出来るためだ。忙しい堀内がその時間を作ることが出来たのは、メインイベントが始まる直前になってからだった。いざ、資料室に侵入した堀内は、首尾よくケースからマネキンヘッドを取り出し、出入口に向かったが、そこで彼のスマートフォンが鳴った。架電者は社長で、控え室での雑用の手伝いを命じられたのだった。用事の内容から、数分で戻ってこられると判断した堀内は、マスクをケースに戻しはせず、出入口手前の台に置いて部屋を出た。もっとも、社長の用事には何を置いても駆けつける癖のついていた堀内としては、マスクをケースに戻す僅かの時間も消費するわけにはいかなかったのだろう。
しかし、堀内が戻る前に資料室に侵入したものがあった。後道一馬だったのだ。




