Remote.06 覆面レスラー殺人事件 9/19
次に呼ばれたのは、柏新市郎。石塚信明とタッグを組み、パラドクス、エル・ゴリオン組と対戦するはずだった選手。この日聴取をする相手は、この柏が最後だ。
「どうも」
ソファに着座した柏は、やや前屈みの姿勢で頭を下げた。先ほどまで聴取していた石塚とは正反対のレスラーだといえる。清潔感のある短髪は茶色に染められ、あごの線が細く精悍な顔立ちをしており、余計な贅肉を付けていない筋肉質の体型であることが洋服越しにも分かる。石塚が口にしていた「イケメンレスラー」の範疇には、この柏も含まれているのであろうことが十分に窺えた。
例によって、民間探偵が捜査に加わることを告げられた柏は、それを了承し、卓上のスマートフォンに向かって、「よろしく」と人なつっこい笑みとともに話しかけた。智の反応が「ど、ども……」と淡泊だったのは、柏がルックスはともかく、それに見合った「イケボ」の持ち主ではなかったからかもしれない。
事件についての供述は、タッグを組んでいた石塚のそれと変わることはなかった。乱入してきた犯人については柏もまた、「誰かが何か企んでいるんだとばかり思っていました」と、やはりレスラーの誰かのパフォーマンスだと思い込んでいたという。
「こっちはタイトルマッチを控えていて、貴重な前哨戦だっていうのに、何もこの試合を選んで乱入してこなくてもいいじゃないかと、少しイライラしましたね。そんな僕の気持ちを察してくれたんでしょう、石塚さんが、『気にするな。喋りたいだけ喋らせてやろう。お前は気にせず試合に集中しろ』と言ってくれたので、僕は極力、乱入者のことは無視するようにしていました。そうしたら……」
柏がつばを飲み込み、喉が鳴った。
「一瞬、何が起きたか理解できませんでした。観客のどよめきが起きたと思ったら、パラドクスがダウンしていて……石塚さんが血相を変えて駆け寄っていって、『鷹野!』って、リングネームの『パラドクス』じゃなく本名で呼びかけているのを見て、これはただごとではないと分かりました……」
犯人の心当たりはまったくない、と柏は語ったが、次に水希に訊かれた、鷹野を恨んでいた人物に思い当たる人はいないか、という質問には、
「……これは、事件とは関係ないと思いますけれど」
「構いません、何でも話して下さい」
水希に促されて、柏は、
「ひと月くらい前でした、東京で、僕、蔦岡さん、鷹野さんの三人で飲んでいたときのことなんですけれど」
「蔦岡さんというのは、エル・ゴリオン選手の本名ですね」
「はい。蔦岡さんって、悪酔いというか、酒癖がよくない質の人なんです。で、飲み屋で飲んでいると、他の客の話し声が聞こえたりしてくるんですね。その中に、プロレスのことを話している人たちがいて、そういう話題が耳に入ってくると、やっぱり僕たちは喋るのをやめて聞き入ったりしちゃうんです。でも、そのときに客が話していた内容が、『プロレスなんて八百長だろ』みたいな、そういう話だったんです。で、僕は、これはもう無視したほうがいいなって思ったんですけれど、蔦岡さんが、席を立って、その客たちのテーブルに行こうとしちゃって、僕と鷹野さんで必死に止めたことがあったんです。でも蔦岡さんは治まらなくって、これはもうその店で飲み続けるのは無理だなって、勘定を済ませて蔦岡さんを無理やり外に出したんです。今の時代、プロレスラーが酔客と喧嘩をしたなんてことになれば、会社としての責任問題になりますからね。社長がそういうのに厳しく目を光らせてるんですよ。ええ、コンプライアンスっていうやつです。うちもプロレス団体としては大手のほうだから、業界全体を代表しているようなところがあるんで」
「だから、蔦岡さんも怒りの矛を収めた」
「ええ、仕方なくっていう雰囲気ありありでしたけれど。で、そうしたら、今度はその矛が僕と鷹野さんに向いちゃったんですよ。『お前ら、あんな話を聞いて黙ってられるのか?』って。そりゃ、僕だってあんな話が耳に入ったらムカつきますよ。でも、レスラーが一般の方に手を出すわけにはいかないじゃないですか。僕は三人の中で一番後輩だったから、蔦岡さんの説教、というか、怒りを黙って聞いていたんですよ。でも……」
「鷹野さんは、そうではなかった?」
「はい。鷹野さんが言い返しちゃったんですね。『蔦岡さんは酒癖が悪すぎます』とか何とか。そしたら今度は蔦岡さんが、『お前みたいなレスラーがいるから、プロレスが舐められるんだ』みたいなことを言い始めちゃって」
「それは、どういう意味なのでしょう?」
「鷹野さん――パラドクスって、ルチャをベースにした……あ、ルチャってご存じですか?」
「ああ、はい。確か、空中殺法を得意にしている」
「そうです、そうです。ようは、跳んだり跳ねたりっていう、三次元的なアクロバティックな戦い方を得意としていたんです、鷹野さん――パラドクスは。でも、そういうプロレスって、どうしても“色物”的な見方をされがちっていうか、本流のプロレスではないっていう考え方が、まだ日本にはありますから。ああいう空中殺法って、仕掛ける方は当然ですが、受ける方にも技術が必要とされるんですよ。変な体勢で受けてしまうと、大怪我を負ってしまいますからね。なにせ、百キロ前後の体重の人間が二階くらいの高さから降ってくるわけですから。でも、そういった“受け”が、どうしても予定調和みたいに見られてしまいがちになるんですよ。『跳んできた相手が怪我をしないように、上手くキャッチしてるだけだろう』『実際はダメージなんてないんだろう』みたいな」
「なるほど。でも、蔦岡さんだって、リングではマスクマン“エル・ゴリオン”として戦っているわけですよね。飛び技も使うのでは?」
「ええ、確かに。でも、蔦岡さんは数年前に膝をやっちゃってから、そういう飛び技は控えるようにファイトスタイルを変えたんです。それに、蔦岡さんくらいの世代のレスラーが出していた飛び技って、トップロープからの後方宙返りとか、そのくらいでしたからね。しかも、乱発するんじゃなくて、最後の最後にとどめとして出す、まさに“必殺技”というニュアンスが強い使い方でした。でも、今の若いレスラーたちって、試合中に何度も飛び技を出すし、その技も後方一回転どころじゃなくって、本当に凄いですから」
「ですよね」と、有斗夢が割って入り、「パラドクスの“電撃空爆プレス”なんて、何がどうなってるのか全然分かりませんもの。空中で何回転してるんだって。物理法則を無視してますよ、あれは」
「ありがとうございます。パラドクス……鷹野さんが聞いたら喜んだでしょうね」
柏は頭を下げ、寂しそうな笑みを浮かべた。
「話を戻しますが」水希は有斗夢に一瞥くれてから、「つまり、蔦岡さんと鷹野さんとでは、プロレス観とでもいうべきものに違いがあった」
「まあ、確かにファイトスタイルは違いましたけれど、だからって普段からいがみ合っていたわけではありませんよ。若い客層や新規ファンにアピールするためには、そういう派手で見栄えの良い要素というのは絶対に必要ですからね。悪いお酒が入ったときに、蔦岡さんのほうからたまにそういうことが漏れるっていうだけです」
「しかし、そういったいざこざは、普段からよくあったということですか?」
「よく、とまでは言い過ぎですけれど……鷹野さんはデビュー前には蔦岡さんの付き人もやっていたので、よく一緒に飲みに行っていたんです。蔦岡さんの酒癖の悪さについて、鷹野さんから何度か愚痴を聞かされたことも僕もありました」
「そんな二人がタッグを組んで、何か問題はなかったんですか?」
「酒の席だけでの話ですから、そんなに深刻になるようなことじゃありませんよ。それに、リング上とプライベートとをきっちり分けて考えられるってことも、プロのレスラーの仕事ですし」
「では、二人の間に何か確執みたいなものはなかったわけですか?」
「……確執、というか、ひとつ、そういうものがあったとすれば……さっき刑事さんが口にした、“ライトニングレイドプレス”のことくらいでしょうか」
「……どういうことでしょう?」
「あの技って、元々は蔦岡さんが考案したものだったんですよ。でも、蔦岡さん、何度練習しても完璧には――実戦で披露するレベルにはならなくて、そこで、その技を鷹野さんに譲ったんです」
「そうだったんですか?」
と声を出したのは有斗夢だった。
「はい。そうしたら、鷹野さんは、一週間くらい練習しただけで“ライトニングレイドプレス”をマスターしちゃったんです。さすがですよ」
「そのことが、確執に?」
「少なからずあったんじゃないかと。なにせ、蔦岡さん自身が何ヶ月も練習しても完成できなかった技を、一週間かそこらでものにしちゃったんですからね、鷹野さんは。しかも、元々は自分が考案した技です。レスラーとしての嫉妬がまったくなかったかといえば、そんなことはないと僕は思います」
「そうですか」
水希が次に、犯人がザ・ブレイドのマスクを被っていたことについて、何か思い当たることはないか、と訪ねると、
「正直、分かりませんね……。鷹野さんは誰かから恨みを買うような人じゃありませんでしたし……無理やりに何か捻り出すとしたら、誰かがブレイド――佐田さんの復讐に走った、ということくらいしか思い浮かびませんけれど……」
「もし、そうだとしたら、次に狙われるのは石塚さんか取手さんということになると思いますが」
「そうかもしれません」
「犯人は……プロの格闘家である可能性が高いと、警察は見ているのですが、それについては、どうでしょう?」
「あのキックですよね。僕も、あれは素人の蹴りではないと思いますけれど……犯人像が格闘家、というのに、僕はどうにもしっくり来ないんですよね」
「なぜですか?」
「格闘家であれば誰しも、ブレイドの恨みを晴らす、なんて思考には至りませんよ。プロの格闘家なら、対戦相手だった取手さんたちには同情こそすれ、恨みを持つだなんて……そんなことを考えるとは思えないんですよ。リング上でああいった災禍が起きてしまって、もっとも悲しみ、また、恐れているのは実際に戦う選手たちです。自分もいつ、ブレイドや取手さんたちのような立場にならないとも限らないわけですから……」
神妙な表情になり俯いた。
水希は、智にも何か訊きたいことはあるかと訪ねたが、特にない、と智が返事をしたため、柏への聴取はそれで終わりとなった。柏のほうでは、リモート参加した女子探偵に興味をそそられた様子だったが。




