Remote.06 覆面レスラー殺人事件 8/19
次に呼ばれたのは、殺害されたパラドクスこと鷹野の対戦相手のひとり、石塚信明だった。こわもてで口元に髭をたくわえ、がっしりとした体格の石塚は、まさにプロレスラーという印象を見る人に与える。民間探偵の智が電話越しにリモート聴取に加わることも、怪訝な顔をしながらも了承した。
「まったく……油断してたよ」
事件について訊かれると石塚は、吐いたため息で口髭を揺らしつつ話し始めた。
「あの犯人が観客席の間の通路を走ってくるのは見えていた。最初は内心、勘弁してくれよと思ったね。というのも、俺のパートナーの柏は、シーズン最終日にゴリオンの持つベルトに挑戦が決まっていて、昨日の試合は大事な前哨戦だったんだ。誰だか知らないが、余計な乱入パフォーマンスで柏の集中を乱して欲しくないと思ったからね。俺は柏に『相手するな』と耳打ちしたんだ。柏も当然そのつもりで、乱入野郎のことは意識して視界に入れないようにしていたんじゃないかな。で、レフェリーの制止を無視して、あの野郎、リングに入ってきたかと思うと、いきなり……あれだろう」石塚は、もう一度大きく口髭を揺らして、「まいったね。野郎を追っかけようかと思って足を踏み出しかけたが、試合のことがあるし、なにより……蹴られたパラドクスの様子がおかしかったからね。で、柏、ゴリオンと一緒になってパラドクスに声をかけ続けたんだが……もうあの時点でパラドクスの意識は飛んでいて……手の施しようのない状態になってたんじゃないかと思う。あいつは首に古傷も抱えていたし……」
犯人の心当たりについての質問には、
「さっぱりだ。パラドクス――鷹野を恨んでるやつなんて、たぶんいないよ。レスラーにしておくにはもったいない常識人だったからね。それにしても……やるせないね。あいつ、鷹野はね、一ヶ月前から二週間ほど、アメリカのメジャー団体のリングに短期の遠征に行っていたんですよ。そこでいい試合をして向こうの幹部の目に留まれば、正式な移籍オファーが来ることになっていたんです」
「その遠征、何試合か僕もネット中継で観戦しました」と有斗夢が身を乗り出してきて、「いい試合をしていましたよ、パラドクスは。あれなら間違いなくオファーは来ていたはずです」
「ああ、俺もそう思った。アメリカのメジャー団体に所属するなんて、プロレスラーにとって最高の栄誉だからな。会社経由で、向こうも獲得に随分乗り気だったって聞いていたからね。残念でならんよ……」
「……そんなことがあったんですか」と話し手は水希に戻って、「では、犯人がザ・ブレイドのマスクを被っていたということに関しては、どうでしょうか。マスクが盗まれた資料室の状態からして、犯人は明らかにブレイドのマスクを狙って奪ったものと、そう見られているのですが」
訊かれた石塚は、
「ブレイド……佐田か……。まあ、もし、鷹野に命を狙われる理由なんてものがあるとしたら……佐田――ブレイドに関すること以外に考えられないかもな」
「ブレイドの最後の対戦相手だった、ということですね。つまり、復讐」
「ああ、それに、犯人の動機がそうであるならば、この俺も標的のひとりってことだな」
石塚は自嘲するような笑みを浮かべた。
「それについてなのですが……」
水希は、石塚に護衛を付けたい、という警察の意向を話したが、
「勘弁してくれよ」石塚は笑いながら首を横に振って、「同じことを、取手さんにも?」
「はい。ですが、石塚さんと同じく、お断りされてしまいました」
「だろうね」
さもありなんという具合に、石塚は口角を上げた。
「とはいえですね」と水希はさらに、「我々としては、石塚さんならばまだしも、せめて取手さんには護衛を付けたいと思っています。石塚さんからも説得していただけないでしょうか」
「それは、取手さんが、いわゆる“ロートル”だから?」
「お見かけした限り、取手さんはお体も大きくありませんし……」
「あの人に限っては、大丈夫だよ」
「それは、どういう?」
「取手さんは強いよ。俺なんかよりも、遙かにね」
「そうなんですか?」
「ああ、これは、業界内、というか、プロレスリング・サーガ内部でしか知られていないことだろうけど、取手さんは、長年うちの“ポリスマン”を務めているんだよ」
「ポリスマン?」
「って言っても、もちろんあんたらとは何の関係もない。“ポリスマン”てのはな、簡単に言えば“用心棒”ってことさ。昔はたまにいたそうだよ、『八百長しかやらないプロレスラーなんて、簡単に叩きのめせる』なんて勘違いした野郎が、『道場破り』とか称して道場に喧嘩ふっかけてくるようなことが」
「取手さんも、そんなことをおっしゃっていました」
「ああ、そうですか。なら話は早い。そんな『道場破り』をことごとく返り討ちにしてきたのが、他ならぬ取手さんさ。道場破りなんかだけじゃなく、街で喧嘩売ってくるようなゴロツキの相手だとか、時には、勘違いして天狗になった選手の制裁だとか、そういった汚れ仕事を一手に担ってきたのが、取手道尊ってレスラーなのさ。あの人が今まで病院送りにしたレスラーやゴロツキは、両手両足の指の数を全部足しても全然足りないよ」
「……あの取手さんが」
「人は見かけによらないってね。まあ、取手さんも若い頃は、殺気を洋服代わりに着込んでるような、相当ヤバい人だったって話だがね。その頃に比べれば遙かに丸くなったんでしょうが、それでも、あの人が身につけてきた技術は衰えちゃいませんよ。たぶん、ガチでやって取手さんに勝てる選手は、今のうちにはいないんじゃないかな?」
「そんな凄いレスラーが、どうしてほとんど前座試合に甘んじているんですか? タイトル歴も、タッグのベルトを一回取ったことしかないはずですよ、取手さんは」
この質問を投げたのは有斗夢だった。
「あんたかい、いやにプロレスに詳しい刑事さんってのは」と石塚も有斗夢を見ると嬉しそうな顔をして、「ま、端的に言やあ“使いづらい”ってことなんだろうな。取手さんの強さは本物だが、なにせあの人は“魅せる技”ってものをほとんど持ってない。地味な関節技なんかじゃ、今どきのファンは満足しないからね。かといって、まさか対戦相手を“殺しにかかる”ような技術を見せるわけにもいかない。会社としても売り出しにくい選手なんだよ、取手さんは。それに、あの人自身もあまり表舞台に立ちたがらないタイプだしな。裏方で選手たちに稽古を付けて、おかしなやつが出てきたら“ポリスマン”として出動して“ぶっ壊す”。そういう生き方のほうが向いてるのさ、あの人は」
「取手さんは、あの犯人がパラドクス選手に放った蹴りが、“明らかに殺気を持っていた”とおっしゃっていました」
「取手さんらしいな……」石塚は笑みを浮かべてから、神妙な顔つきになり、「それについちゃあ、面目ねえとしか言えねえ。俺たちは、あの野郎が持っていた、取手さん言うところの“殺気”を察知できなかった。誰かが仕掛けた演出だろうと、決めつけちまってた……。確かに、俺たちプロレスラーは、相手をぶっ壊すために試合をやるんじゃねえ。いかに自分も相手も怪我をさせず面白い試合を組み立てられるかが、いいレスラーの条件だ。考えて見れば虫のいい話だよな。怪我をさせないで相手を倒す、だなんて。特に最近は、変な言い方をするかもしれねえが、物わかりのいいファンに甘えちまって、『プロレスはプロレス』と割り切ってるレスラーが多い。でもな、やっぱり俺たちの根底には、“いざとなったらやれるぞ”っていう気持ちがないと駄目だと思うんだよ。普段は魅せるレスリングで観客を楽しませるが、そのじつ、ガチでも相手をぶっつぶせる技術も持っている。心にナイフを忍ばせてる、なんて言うとかっこつけすぎかもしれんが、そういう“本当に強い”という裏打ちがあってこそ、表舞台で見せる“プロレス”も説得力を帯びてくるんだと、俺は思う。そういった意味では、昨日の俺たちはプロレスラー失格だったのかもしれねえな……」
ふう、と肩を落として石塚は、天井の隅を見上げてから、
「変な話をしちまったかい?」
有斗夢の顔に視線を送った。
「い、いえいえ……」有斗夢は両手をぶんぶんと振って、「感銘しました。思えば僕も、プロレスを好きになったきっかけは、普通の人なら死んじゃうよ、っていうような技を何度受けても、平然と立ち上がっていくレスラーの強さに憧れてのことでしたから……」
「これからも、プロレスを好きでいてくれると、嬉しい」
「はい、それは、もう……」
「そんじゃ、このくらいでいいかい?」
と石塚が腰を浮かせかけたところに、
「智ちゃんからは、何かある?」
『は、はい……えっと、じゃあ、ですね……』
水希の呼びかけに答えて、スマートフォンから探偵の声が聞こえてくると、石塚は再びソファに腰を落とした。
『あ、あの、取手さんは、プロレスリング・サーガの“ポリスマン”を、つ、務めているというお話でしたが、そ、そういった“ポリスマン”の出番というのは、最近になっても、あ、あるものなのでしょうか?』
「……うーん、いや」と石塚は髭で覆われたあごに手を当てて、「俺の知る限りでは、ここ数年以上、そういった話は聞かないな。今は道場破りなんて時代でもないし、調子に乗る選手なんてのもいなくなった。それと、こんなご時世だもんで、うちも会社としてコンプラを徹底させてるから、誰かが路上や飲み屋で喧嘩騒ぎを起こしたってような話も聞かねえ」
『そ、そうですか、ありがとうございました……』
「お嬢ちゃんも、今度プロレスを観に来てくれよな。今は俺みたいなむさ苦しいおっさんだけじゃなくて、イケメンの選手も大勢いることだし」
『え、ええっ? は、はいっ……』
智に伝わるはずもないのだが、石塚はスマートフォンに笑みを浮かべてから、腰を浮かせて応接室を出た。




