Remote.01 小さな恋の殺人事件 6/12
『――つまり、です。犯人は現場を密室にする必要なんて、少しもなかったってことなんですよ。そうでしょう? ドアか窓をひとつでも開けてさえいれば、流しの強盗の仕業に見せかることは簡単だったはずです。なのに……ドアもすべての窓も施錠されていて、現場は完全な密室状態にありました。犯人は、わざわざ自分で不可能犯罪状況を作り出してしまったというわけです。ふぅ……この謎は、美しくありませんね』
ピッ。
『ふぅ……この謎は、美しくありませんね』
ピッ。
『ふぅ……この謎は、美しくありませんね』
ピッ。
『ふぅ……この謎は、美しくありませんね』
ベッドの上で布団を被り、人工的に作り出した暗闇の中、デジタルオーディオプレーヤーをしきりに操作するものがいた。その耳にはワイヤレスイヤホンが差し込まれている。手元のプレーヤー操作で何度もリピートされる甘い男性の声、その声で耳朶をくすぐられるたび、暗闇の中で恍惚の表情を浮かべ、もぞもぞと体をくねらせる。
「はぁー……」
イヤホンを付けた人物は、ふとんからすっぽりと頭を出した。その顔は恍惚とし、頬は桃色に染まっていた。
「お布団の中で聞くボイスドラマ最高……。やっぱり、速見様のお声は癒しだな……。最初の『ふぅ……』ってのが、た、たまらんのだよ……」
指が再びプレーヤーに伸びて、ピッ。『ふぅ……この謎は、美しくありませんね』。お気に入りの決め台詞を、もう一度リピートさせた。と、そこに……。
「おい、智」
声とともに、部屋のドアがガチャリと開いた。
「うひゃあっ!」
飛び上がってイヤホンを外したところに、
「俺のワイシャツ、知らねえ? 洗濯して干しといたんだけど――」
「いきなり入ってくんな! クソ兄貴!」
「バカヤロ、俺はちゃんとノックして声もかけたぞ!」
「う、うるせぇ!」イヤホンをつけて布団に潜り込んでいたことで、ノックの音も兄の声も聞こえなかったのか、と気づいたのではあるが、「と、とにかく、だからといって、女子高生の部屋に許可なく入ってきていい理由には、な、ならんぞ!」
「兄妹なんだから、別にいいだろうが」
「よくない! というか、何で兄貴がこんな時間に家にいるんだ? あ、さては、ついに警察をクビになったな! おおかた……犯人を自白させるために殴る蹴るの暴行を加えたことがバレたんだろう!」
「バカヤロ! 大声で人聞きの悪いこと言ってんじゃねえよ! ご近所に聞こえたらどうする!」
「兄貴」と呼ばれた、富山県警捜査一課刑事、戸森大輔巡査部長は、部屋の窓から隣家を見やってから、
「事件だよ、事件」はあ、とため息をつき、「帳場(捜査本部のこと)が立つかどうかは分かんねえけど、しばらく泊まり込みになるのは確実だから、とりあえず着替えを取りに戻っただけだ」
「じ、事件……」と、大輔の妹、戸森智は、声のトーンを落として、「あ、兄貴が関わる事件っていうと、じゃあ、さ、殺人事件……」
戸森大輔の所属は、殺人、凶悪事件を担当する捜査一課だ。
「そうだよ」
大輔はぶっきらぼうに答えた。
「どんな事件? もうニュースでやってる?」
「捜査上の秘密です」
大輔は、関係者に聴取するときのような事務的な口調で応じた。
「なんだよ、ケチ!」
「うるせえ!」大輔は怒鳴ると、「おふくろがパートから帰ってきたら、洗濯してた俺のワイシャツのありかを訊いといてくれ。とりあえず下着だけ持ってくから」
そう言い残して、大輔が部屋を出ようとしたとき、智のベッド脇に据えられたサイドテーブルの上から、軽快なメロディが流れ始めた。メロディの発信源は、智のスマートフォンだった。
「あ、千奈っちゃんからだ」
と智は端末に手を伸ばす、何気なく目をやった大輔は、そのスマートフォンのディスプレイに表示された、“稲口千奈都”という発信者名を見て、ドアノブを引く手を止めた。スマートフォンを手に取り、通話を開始した智は、
「千奈っちゃん、今日って、美佳ちゃんの誕生日でしょ。私、憶えてたよ」
さらに妹の口から出た名前を聞いて、大輔は動きを止めた。
「プレゼント、何がいいかな? へへ……」
にこやかに会話をしていた智だったが、その表情が曇っていくのが分かった。以降、智は、「……うん」だの、「そうなんだ……」だの、ほぼ相づちを打つばかり。通話相手である“稲口千奈美”のほうが一方的に喋っているだけの状況が続いた。
「――えっ?」
ある瞬間で、智の表情が一変した。さらに、相手の話を聞いてから、智は、「それって……本当なの?」不安そうな顔で訊き返していた。
「……うん……うん……わかった」
智は強く頷き、手を下ろした。通話が切れた状態のスマートフォンを握ったまま、しばらく呆然とした顔で佇む妹に大輔が、
「……お、おい」
「――どわっ!」
声をかけると、智はベッドの上で飛び跳ねた。
「な、なんだよ! 兄貴! まだいたのかよ! びびらせんな!」
「わ、悪い……ってか、んなことよりも、お前、今の電話相手――」
「ねえ」大輔の声を遮るように、智は身を乗り出し、「千奈っちゃんの妹の――美佳ちゃんの先輩が死んだって、本当なの?」
ちらりと、妹の握るスマートフォンを一瞥してから、大輔は、
「やっぱ、稲口美佳の姉だったのか、電話の相手は……。つか、お前の知り合いだったとはな。確かに、高校生の姉がいるとは言ってたけど……」
「美佳ちゃんと話したの?」
「あ、ああ……いちおうな」
「そ、それじゃあ、やっぱり……」
そこまで言って、智はためらうように言葉を止めた。
「なんだよ……」
兄が先を促すと、智は、
「み、美佳ちゃんが容疑者ってのも……本当?」
「……」大輔は、数秒の沈黙を挟んで、「捜査上の秘密だ」
先ほどとは違い、神妙な口調で答えた。
「バカ兄貴!」
「――うお!」
智が投げつけた枕は、しかし兄には命中せず、背後のドアに当たって床に落ちた。なおも智は、
「み、美佳ちゃんが人殺しなんて、するわけないだろ! 警察はどんな捜査してんだよ! ご、誤認逮捕だ! 冤罪だ!」
「バカ!」大輔は再び窓の外を見て、「滅多なこと言ってんじゃねえよ! それに、まだ逮捕はしてねえって」
「まだ、ってことは、いずれするつもりなんだろ! ふざけんなよ! う、訴えてやるからな!」
「また、お前は、そういう物騒なことを……ていうか、俺たちは本当に稲口美佳に話を聞きに行っただけだぞ。容疑をかけるとか、まだそんな段階じゃあ全然……」
「嘘つけ! ち、千奈っちゃんが言ってたぞ。美佳ちゃんが早退してひとりでいるときに警察が来て、美佳ちゃんのアリバイを訊いていったって」
「違うって! あれは、稲口美佳が自分から話したんだよ。俺らが何も訊かないうちに」
「み、美佳ちゃんのほうからアリバイを喋ったって、なんで、わざわざそんなことするんだよ!」
「んなこと、俺が知るか!」
「そのアリバイって、どういうのなんだよ?」
「それはだな……って、言えるわけねえだろ!」
「ケチ!」
「ああ、もう!」と大輔は、枕を拾ってベッドに戻してやると、「いいからお前は大人しく、いつものように変なドラマでも聞いてろ」
「へ、変な、だと! 速見燎様主演の『尾神黎悧の事件簿』を、変なドラマ、だと!」
聞き捨てならん、とばかりに眉を逆立てた智を尻目に、「ほんじゃな」と大輔は部屋を出て行った。
「くそう……」
と呟いて、しばらくベッドの上に横になっていた智は、何かを決心したように、握ったままだったスマートフォンを起動させた。




