Remote.05 続三剣士殺人事件 6/8
ひとりの女性が病室のドアを開けた。個室であるその部屋の奥には、ベッドが一台だけ設えられている。素早く歩み寄った女性は、鞄に手を入れて、ひと振りのナイフを取り出すと、間髪入れずにベッドの上――人型に膨らんだ布団――に勢いよく突き立てた。
「――?」
女性は違和感を憶えたらしい。ナイフを人体に突き立てたにしては、あまりに手応えが軽すぎることに。事実、抜き取った刃先には、一滴の血も付着していなかった。
「須藤さんはそこにはいませんよ」
声をかけられて、女性は振り向いた。その先に立っていたのは、病室の物陰に身を潜めていた篠原水希警部補だった。
「今の行動の意味を、お話し願えますね……」水希は、ゆっくりと近づくと、「神代さん」
名前を呼ばれた女性――神代優梨は、自分が罠にはめられたことを知った。
「神代優梨が確保されました!」
水希からの着信を受けた有斗夢がそう告げると、大輔は「よし!」と拳を握り、智は安堵のため息とともに、助手席シートの上に体を滑らせた。
東城高校に向かっていた水希は、智の要請を受けて急遽病院へと引き返すと、病室から須藤を移動させ、ベッドの上をいかにも人が寝ているように毛布で形作り、自分は病室の物陰に姿を隠して、犯人――神代優梨が現れるのを待っていたのだった。
「それにしても……」と有斗夢はスマートフォンをしまいながら、「よく犯人が神代さんだって分かったね、智ちゃん」
「は、はい……。水希さんが、い、いくら相手が神代さんでも、捜査情報を漏らすなんて、そ、そんなわけないなって、お、思ったので……。で、電話で捜査のことを、は、話すにしても、水希さんだったら、一般の人には聞かれないように、は、配慮するはずですし……」
「だから、神代優梨が須藤さんを刺した凶器のことを知っていたのは変だと、そう感づいたわけだね。いや、さすがだなぁ」
「へ、へへ……水希さんだったから、ですよ。も、もし、これが兄貴だったら、うっかりと、そ、捜査情報を漏らしたんだなって思って、う、疑いはしなかったかも……」
「んだと、智! てめえ」
「うひゃう!」
智がシートの上で丸くなり、両手で頭を覆うと、
「智ちゃんのお兄さん!」千奈都の鋭い声が浴びせられて、「智ちゃんのことをいじめないでくださいっ!」
「は――はいっ!」
思わず大輔は背筋を伸ばした。
「い、いいぞ、千奈っちゃん、も、もっと、言ってやってくれ……」
智の応援を受けて、千奈都は、
「智ちゃんの推理がなかったら、被害者が増えていたところだったんじゃないですか?」
「ご、ごもっとも……」
「い、いいぞ、千奈っちゃん」
「智ちゃん、他に何か、お兄さんに言うことある?」
「あ、あるとも……」
「なになに?」
「りょ、料理に、に、にんじんを入れるのを、や、やめさせて……」
「……だそうです」
千奈都はさらに大輔を睨んだ。
「ちょ――それは甘くね? ど、どう考えてもにんじんは食べたほうがいいだろ!」
「いえ、にんじんを食べないくらいで体調がどうこうなるなんてことは、ありません。にんじんと同等の栄養素を摂取する手段は、他にもあります」
「そ、それは……って、ユートム!」大輔は、面白そうな顔で二人のやり取り――というよりは、大輔が一方的に千奈都に攻め込まれているさま――を眺めていた有斗夢に、「てめえ、いつまでもぼさっとしてんな! さっさと水希さんのとこに報告に行ってこい!」
「ちょっと、お兄さん!」と、そこに再び千奈都の声が、「そういう言い方って、ないんじゃないですか? パワハラですよ」
「ぐ、ぐぬう……」
「智ちゃん、素晴らしい友達を持ったね」
「は、はい……!」
有斗夢の言葉に、智は満面の笑みで答えた。
「さて……そんじゃ、そろそろ俺らも帰るか……」
すっかり千奈都にやり込められてしまった大輔は、がっくりと肩を落としながら運転席に向かった。そこに、
「すみません」
と声をかけてくる女性があった。
「あ! 会長!」
その姿――生徒会長、霧島 静――を認めた千奈都が頭を下げる。
「か、会長?」
智も、声のした方向に顔を向けた。
「たまたま通りがかったもので……立ち聞きするつもりはなかったのですが」と静は一度頭を下げて、「皆さんがされていた話によれば……戸森智さんは、警察の捜査に協力している……いわゆる“素人探偵”だと、そういうことなのですか?」
「ああ、それは……まあ、そうです」
聞かれていた以上、隠し立てしても仕方がないと腹をくくった大輔は、静の言葉を肯定した。
「ご、ごめんなさい、か、会長……」と智は、「か、隠すつもりは、なかったんですけれど……い、いや、実際に隠してはいたわけだから、か、隠すつもりは……あったんですけれど……ええと……」
しどろもどろになる智の前に静は歩いてくると、膝を折って、そっと智の手を握る。
「えっ? か、会長……」
「責めているわけじゃないの。ただ……」静は、握った手にさらに力を込めて、「戸森さん……」
「は、はい?」
「……私で力になれることがあったら、遠慮しないで何でも言ってね」
「あ、ありがとう……ご、ございます……」
「それと」静は、隣に立つ千奈都を見上げて、「稲口さんも、戸森さんのことを頼むわよ」
「そ、それは、もちろんです!」
今度は千奈都が背筋を伸ばして答えた。それを聞き、頬笑んだ静は、握っていた手を離すと、シートに座る智の体を抱きしめた。
「――あっ」
突然のことに、智は黙ったまま静の腕の中に体を委ねるしかなかった。そっと、智の体を離した静は、
「戸森さん、事情はどうあれ、こうして学校に来てくれたこと、私、凄く嬉しかったわ」「は、はい……」
「でも、無理だけは絶対にしないでね」
「……は、はい」
最後に、智の頭を撫でると静は、
「戸森さんのお兄さん」
「な、何でしょうか?」
急に名前を呼ばれ、大輔はしゃちほこばる。
「少しだけ、お話させていただいても、よろしいでしょうか?」
「……はい」
「では、あちらへ……」と静は校舎裏へ向かうよう大輔に促すと、「戸森さん、ちょっとだけ、お兄様をお借りするわね」
「えっ? ど、どうぞどうぞ。な、何なら、そのままどこかに捨てちゃっても、か、構いません……」
静は、ふふ、と笑うと、大輔と一緒に校舎裏へと移動した。
「な、何が起きたの? 千奈っちゃん」
「分からない」千奈都は、静と大輔の背中を目で追いつつ、「もしかしたら、会長、お兄さんに告白するんじゃ?」
「はあ? ぜ、絶対にない! それだけは、せ、千パーセント、ない」
「そうかな。智ちゃんのお兄さん、ワイルドで結構かっこいいと思うけどな」
「どこが! あ、あんな煙草臭くて、口の悪い男……」
「まあ、それは冗談としても、会長、どうしちゃったんだろうね? さっきも、いきなり智ちゃんのこと抱きしめたりして」
「……う、うん」
「智ちゃん、何か心当たりある?」
「な、ない、けど……」
「けど?」
「か、会長、やっぱり、い、いい匂いがした……」
「もう! やだー、智ちゃん!」
「うごっ!」
千奈都は顔を赤らめて、智の肩をばしばしと叩いてから、
「あっ、そうだ……」
「えっ……」
今度は、千奈都がシートに座る智を抱きしめた。
「ち、千奈っちゃん……?」
「智ちゃん、ありがとう」
「えっ? な、なにが……?」
「私のことを心配して、学校に来てくれたんだよね。私が、智ちゃんと間違われて……こ、殺されると思って……」
「う、うん……で、でも、よかった、本当に……」
「ごめんね……」
「ど、どうして、千奈っちゃんが、あ、謝るの……?」
「ごめんね……」
「……う、うん……ち、千奈っちゃん、な、泣いてる……の?」
「……違うよ」
千奈都は、嘘をついた。




