Remote.01 小さな恋の殺人事件 5/12
三人は、稲口美佳の家に到着した。呼び鈴を押し、インターホン越しに警察だと名乗る。応答に出たのは、美佳本人だった。「美佳さんに話を聞きたい」と来意を告げると、
「……ちょっと、待ってて下さい」
スピーカーから、か細い声が聞こえ、ぷつり、という音を残して通話は切れた。
ほどなくして玄関のドアが開き、ひとりの少女が姿を現した。
「稲口美佳さん、ですか」
水希の問いかけに、少女――稲口美佳――は、こくりと頷いた。下校してから着替えていないのだろうか、学校の制服姿だった。
開示した警察手帳を、美佳はちらりと一瞥だけして、「どうぞ」と水希たちを招じ入れた。
「ご両親は?」
「仕事です。父は朝から会社ですし、母は午後からのパートに行きました。あと、高校生の姉がひとりいますが、今はまだ学校なので」
言われて腕時計を見ると、時刻は午後一時を過ぎていた。
居間に通され、座卓を囲んで座った三人は、お茶を煎れようとする美佳をとどめて、
「あの、同じ学校の、渡浦礼衣子さんのことは、もう学校側から聞かされていると思うけれど……」
水希の表情と口調は、先ほど女子生徒たちに向けたのと同じものになっていた。それに対して、美佳は、
「はい。それで、学校が早退になりました」
インターホン越しに聞かせたものと変わらない、か細い声で答えた。
「先生に伺ったのだけれど、渡浦さんと親しくされていたんですってね」
「まあ、いちおう」
「つらいでしょうけれど、気をしっかりと持ってね」
「……」
美佳は、水希の言葉に俯き、しばらく返答しなかったが、顔を上げると、
「それだけですか?」
「えっ?」
「そんなことを言うために、私に会いに来たんですか?」
まっすぐに水希の目を見て、問いかける。
「あのね」と水希も、しっかりと美佳の目を見返しながら、「学校に話を聞きに行ったら、稲口さんが渡浦さんと親しかったと伺ったので、渡浦さんのことについて話を訊けないかなと思って、お邪魔したの」
「それって……渡浦先輩の交友関係を調べてる、っていうことですか?」
「それは――」
「つまり……渡浦先輩を恨んでいた人間に心当たりはないかって、そういうことを訊きに来たんですか?」
「あるの? そういう人物の心当たりが?」
「……ありませんよ。渡浦先輩が誰かに恨まれるだなんて、そんなこと……ありえません」
「そう……そうね。みんな、そう言ってるわ」
「それじゃあ、話は終わりですね」
「ちょっと待って。稲口さん、あなた、今朝、学校に遅刻してきたそうね」
「そんなことまで聞いてきたんですか?」
意外そうに美佳は、もとから大きくつぶらな目を、いっそう丸くした。
「ええ、今まで遅刻なんてしたことのない生徒だったからって」
「……それ、誰に聞いたんですか?」
「校門に立っていた、高薮先生よ」
「……そうですか」と、それを聞くと美佳は、僅かに笑みを浮かべて、「私だって、遅刻くらいしますよ。今までがたまたまだったっていうだけです。私も二年になって、中学校生活にも慣れたから、これからは遅刻が増えるかもしれないです」
「今日、遅刻したのは、何か用事でもあったから?」
その問いかけには、美佳はすぐには返答しなかった。数秒ほど間を空けてから、美佳は、
「別に、何も。ただ寝坊したっていうだけです」
「そう……。朝、家を出るとき、ご両親やお姉様は在宅していた?」
「どうして、そんなこと訊くんですか?」
「……」
「アリバイを確認してるみたいですね」
「そういうわけじゃないの」
「家族全員、居ましたよ。あとで訊いてみて下さい」
「そこまでしなくてもいいわ」
「……本当ですか?」
「えっ?」
「そんなこと言って、本当はこっそりと訊くんじゃないですか? 娘さんは今日、何時に家を出ましたか、って」
「……」
「ぜひ、訊いてみて下さい。そうしたら、今、私が言ったことが嘘だって分かるんで」
「えっ?」
「実は私、今朝は寝坊なんてしてないんです。それどころか、いつもよりも早く家を出たくらいなんです。家族に訊いたら分かることなんで、言っちゃいました」
美佳は表情に僅かに笑みを差した。
「どうして、そんな嘘をついたか、ですか?」水希が何も訊かないうちに、美佳は喋り出す。「遅刻の理由を、そこまで突っ込んで訊かれるとは思ってもいなかったからですよ。寝坊したことにすればいいや、って、軽く考えてました。だったら、昨日のうちに出来なかった宿題を学校で済ますために、早く家を出た、とでも言えばよかったです」
「それは通用しないわよ、稲口さん。あなた、早く学校に行くどころか、遅刻してきたじゃない」
「あ、そっか、また失敗」
美佳は自嘲気味に笑った。
「ねえ、今朝はいつもより早く家を出て、それで学校には遅刻してきて、その間、いったいどこに行っていたの?」
「……」
美佳は答えない。何か適当な言い逃れを考えてでもいるかのような、神妙な顔で水希を見つめていたが、
「どうでもいいじゃないですか、そんなの」
諦めたように、ふう、と息を吐くと、さばさばとした表情で言った。対する水希も、かけるべき言葉を見つけられず、無言で視線を交差させる。沈黙を破ったのは美佳だった。
「まるで、犯人に対する聴取ですね」
「そんなことないわ」
「私が、そう感じたんです。ねえ、刑事さん、もしかして、私のこと疑ってますか?」
「……」
今度は水希が黙る番だった。
「じゃあ、いいこと教えましょうか」沈黙を破ったのは、またしても美佳だった。「私……アリバイがあるんです」
「えっ?」
当惑する水希、大輔、有斗夢を前に、美佳は、
「まず、ここから渡浦先輩が殺された現場まで、自転車で片道二十分くらいです。私、昨夜は十一時前に寝たんですけれど、十二時に起こされたんですよ、お父さんに。昨日はお父さん、会社の人と飲み会があったんですけれど、家の鍵を持って行くのを忘れちゃってて、家に入れなかったんですね。で、スマホから家電して、その電話に私が出て、家の鍵を開けてあげたんです。時間は夜中の十二時。そのあとも、お父さんが、お腹がすいた、とかいうんで、簡単な夜食を作ってあげたりして、ベッドに戻ったのは一時くらいでした。これって、立派なアリバイになりますよね」
「……」
水希が何も答えないでいると、美佳は、さらに、
「あ、家族の証言にはアリバイを保証する力はないんでしたっけ。でも、大丈夫です。お父さん、タクシーで帰ってきたんですけれど、酔っ払ってたから、不足した代金しか払わないでタクシーを降りたらしいんですね。で、運転手さんが車を降りて家の前で待ってたんです。そのことをお父さんに言うと、財布を渡してきて、代わりに払ってくれって言われたから、私が運転手さんと会って支払いをしたんです。レシートが残ってますから、運転手さんに確認してもらっていいですよ」
そのレシートを取りに行こうとしたのか、腰を浮かせた美佳を、「いいわよ」と制して水希は、
「ありがとう。とても参考になったわ」
逆に自分が立ち上がった。大輔と有斗夢も、それに倣う。
覆面パトを駐めてある近くの駐車スペースまで、三人は足取り重く歩いていた。
「……おかしいですよ」
立ち止まったのは、有斗夢だった。水希と大輔も足を止める。
「お二人も気づいたんじゃありませんか?」と有斗夢は、上司と先輩の顔を見て、「稲口美佳さんは、零時に自宅に居たというアリバイがあるって言ってました。で、自宅から現場まで、自転車で片道二十分。でも、渡浦礼衣子さんの死亡推定時刻は、午後十一時半から零時半の間の一時間なんだから、零時前に犯行を終えて帰宅することは可能ですよ。零時にタクシーの運転手と顔を合わせていることが事実だとしても、支払いのやり取りなんて数分もかからないでしょう。そのあとで犯行に向かうことも可能になります」
「そうだな……」と大輔も、「午後十一時十分に家を出たなら、犯行時刻――つまり、渡浦礼衣子を殺害したのは、死亡推定時刻上限の十一時半、家に帰り着くのは、十一時五十分。犯行は十分可能ってことか。零時以降なら、遅くとも零時十分までに家を出れば、死亡推定時刻下限の零時半に犯行は可能……」
二人はそろって腕組みをして頭を傾げた。大輔は顔を上げると、
「水希さんは、どう思います?」
上司に意見を訊いた。その水希は、腰に手を当てたまま、じっと二人の部下に視線を刺して、
「……お前らの頭は飾り物か?」
「は?」
大輔に続いて、有斗夢も水希に顔を向けた。じろり、と二人を睨み直した水希は、
「その肩から上に付いてる丸い物体は、容疑者を吐かせるときに頭突きをするためだけに付いてるのか、と訊いてるんだ」
「ちょっと、水希さん! 僕は先輩と違って、そんなことしたことありませんよ!」
「――ちょ、待て、ユートム! てめえ、俺だって、んなことしたこたねえよ!」
「バカっ!」
「ぐふっ!」「おうっ!」
水希は二人のみぞおちに拳をめり込ませた。
「いいか、お前ら……」前のめりの姿勢で腹部を抑えている部下二人を見下ろして、水希は、「警察が学校に伝えたのは、“渡浦礼衣子が死体で発見された”ということと、その場所だけだ。なのに、どうして稲口美佳は、渡浦礼衣子の死亡推定時刻を知っているんだ?」




