Remote.04 三剣士殺人事件 8/15
『み、水希さん……す、すみません……』
弱々しい智の声が、しばらくぶりにスマートフォンから聞こえた。
「いいのよ。ちょっと、智ちゃんには手に余る相手だと思ったから。私のほうこそ、ごめんね。智ちゃんも、海山さんに色々と訊きたいことがあったでしょ?」
『い、いえ……ほ、ほとんど、水希さんが、き、訊いてくれました、から……』
「そう……それにしても、警察の聴取では話してくれなかった、かなり突っ込んだことも供述してくれたわね。まあ、どこまでが事実か分からないけれど。刑事と違って、民間探偵が相手だと、少しばかり気を許すのかもね」
『ほ、ほとんど、水希さんが訊きだしたんじゃないですか……』
「ふふ。とにかく、このあとも頼むわよ、智ちゃん」
『あっ、はい……』
「さて、それじゃ、今の話で色々と気になることもあるけれど、時間も時間だし、意見を戦わせるのは、残る二人の聴取を終えてからにしましょう。……お前らも、いいな」
「はい」
「無論っす」
有斗夢と大輔は、そろって返事をした。
三人目の聴取者、蓮田富賀美も、先の海山星良同様、舞台衣装のままだった。服のデザインはほとんど同じだが、色だけが薄い黄色になっている。
「よろしくお願いします」
頭を下げた蓮田富賀美も、“炎の剣士”役の星良と動揺、身長のある女性だった。顔立ちが整っていることも同じだが、先の聴取においては、星良と違ってクールな性格であると水希は感じていた。眼鏡をかけていることも、その印象を助けているかもしれない。もっとも、今回の舞台で剣士を演じる際には眼鏡は外しているそうだが。
民間探偵が電話で参加することを聞かされても、富賀美は、酒木や星良のように目に見えて驚いた様子を見せることもなく、「分かりました」と短く答えただけだった。
『で、では……まず、し、死体発見までのことを、お、お聞かせ願えますか……』
「はい」
智の聴取が始まり、富賀美は話し始めた。
「私がホールに入ったのは、午後一時になる少し前だったと思います。……それまで、どこにいたかですか? 施設の中庭を散歩していました。私、散歩が好きで、本当は稽古が始まるまで、外を歩きたかったんですけれど、もう舞台衣装に着替えたあとで、さすがにこの格好で外に出るのは恥ずかしかったもので。今日は、このホールの利用者は私たちだけでしたので、中庭なら他人の目がありませんから。それで、ホールに戻ったのは……午後一時直前だったと思います。私のすぐあとで、須藤さんが入ってきました。走ってきたのは、集合時間ぎりぎりだったからなのかなと思いましたけれど……入ってくるなり、『廊下に血が流れている』なんて言い始めて……。それで、監督たちと一緒に須藤さんを追いかけたんです。そうしたら……本当に、廊下に、血が……」
そこまで話すと、富賀美は大きく息を漏らした。
『そ、そこで、酒木さんに言われて、つ、通報に行ったんですね?』
「はい。私たちは誰もスマホを持っていなかったものですから。監督の方針で」
星良にしたものと同様、どうして自分が通報に走ったのか、という質問については、
「私が、ちょうど最後尾にいたからです。それに……監督が、集まっているみんなの顔を確認して、この部屋の中にいるのは麗依だ、なんて言ったものだから、私……何とかしなきゃって、そう思って……」
『こ、公衆電話まで、走ったんですね。ロビーにある』
「そうです。それで、通報を終えて、すぐに戻りました」
『ど、どのくらいの時間がかかったか、お、憶えていますか?』
「……一分、いや、そんなにかかっていないかもしれません。途中の廊下で星良――と、彼女が連れてきた職員の方と一緒になりました」
『わ、分かりました。よ、用具室前に戻ってからのことを、お、お願いします……』
「はい……。星良と一緒に来てくれた職員の方が、鍵を開けて……ドアを開くと……」
言葉を切った富賀美の目が潤み始めた。眼鏡を上げ、涙を拭ってから、富賀美は、
「麗依……麗依が……」
絞り出すようにそこまで言うと、再び涙を拭い、洟をすすった。それまで見せていた冷静なイメージからは、想像のつかない反応だった。
「すみません……」
富賀美は、ハンカチで涙を拭ってから、洟をかむ。富賀美のすすり泣きの声がしなくなったのを、スマートフォン越しに智も知ったのだろう、スピーカーから、
『な、亡くなった新川さんとは、な、仲が良かったそうですね……』
「はい……」まだ若干、鼻声を残しながら、富賀美は、「私と……星良と、麗依は、三人で、いつも……一緒に……」
「げ、劇団に入った時期も、ほ、ほとんど同じで、同期みたいな感じ、だったんですね』
「同期……そうですね。私……友達って呼べる人って、星良と麗依くらいしかいませんでしたから……」
『須藤さんとも、し、親しかったんですよね……』
「はい……」
『須藤さんは、げ、劇団を辞めようとしていたそうですが、そ、その理由については……?』
「結婚するからじゃないかって、星良と話していました」
『新川さんとは、そ、そういう話題は、されなかったんです、か?』
「麗依は……その……奥手というか、そういう話をしづらい子だったので……」
『須藤さんの、あ、相手は、その新川麗依さんだったと、お、思いますか?』
「……」
「蓮田さん?」
富賀美が、俯いたまま一向に返事を返さないため、またも水希が声を掛けた。
「もし……もしも、須藤さんの相手が麗依だったのだとしたら……麗依は、私や星良に、そのことを打ち明けてくれていた……はずです」
「海山さんも、そうおっしゃっていました」
「……はい」
「海山さんは、須藤さんの相手は、自分たち三人以外の誰かだったのではないか、ともおっしゃっていましたが、それについては、いかがでしょう」
「私も……そう思います」
「三人の誰も、“自分が須藤さんに告白された”、と申告しなかったから?」
「……はい。恐らく、星良も同じことを言ったでしょうが、たとえ、須藤さんに口止めされていたのだとしても、そんなこと無関係に、告白されたものは、他の二人に打ち明けていたと思います」
「ええ、海山さんも、同様のことを」
「でしょ」
富賀美は、少しだけ笑った。目は、まだ赤く腫れたままだったが。
「海山さんは……新川さんを殺害したのは須藤さんなのではないか、ともおっしゃっていましたが」
「星良が、そんなことを?」
「蓮田さんは、そうは思わない?」
「……分かりません。正直」そこで蓮田は、ふう、とため息を吐き、「でも……須藤さんが殺したというのなら……納得できなくもない、ですかね」
「それは、どういう?」
「……すみません、今のは、聞かなかったことに」
「殺された新川さんが、自分で現場を密室にしたから、ですか」
「……」
「海山さんは、そう考えているようです。つまり、被害者自身が、わざわざ現場を密室にする意味は、犯人をかばうという目的があったためではないか、と……蓮田さん?」
無言でいる富賀美の目が、再び潤みを帯びてきた。眼鏡を外し、涙を拭った富賀美は、
「それは……本当なんでしょうか? 麗依が……犯人……須藤さんをかばったっていうのは……」
「では、やはり蓮田さん、あなたも、犯人は須藤さんだと……」
「そうは、言っていませんが……すみません……」
腰をかがめ、富賀美は両手で顔を覆った。
「……麗依」
被害者の名前を呟いて、富賀美はそのまま嗚咽した。
「……蓮田さん、とりあえず、聴取はこれで終わりにします」
「……はい。すみませんでした」
何度も涙を拭い、眼鏡をかけ直した富賀美は、まだすすり泣きの声が収まらないまま、応接室を出て行った。
「ごめんね、智ちゃん、また聴取の役を奪っちゃったわ」
水希はスマートフォンに向かって――見えるわけもないのだが――片手を立てて謝った。
『い、いえ……しょ、正直、今度も、た、助かりました……』
「智ちゃんは、大人の女性が苦手なのね」
『にっ、苦手とか……そういうんじゃなくて、ですね……や、やりにくいっていうか……』
「苦手を克服するためにも、今度、本気で私とご飯に行かないとダメね」
『ちょ――そ、それは、か、関係ない……』
「私、いいお寿司屋さん知ってるわよ」
『そ、その……』
智が、しどろもどろになっていると、
「だから言ったろ。おめーみたいのに探偵なんて務まらねぇって」
大輔の声が飛んだ。
『な、なにおう!』
「実際、そうじゃねーか。被疑者に対して満足に聴取も出来ねえで」
『ぐ、ぐぬぬ……』
「図星つかれて、ぐうの音も出ねえか」
『あ、兄貴……あれ、ば、ばらすぞ……』
「……ああん? んだよ、あれって」
『あ、あれだよ、ほ、ほらほら、あれ……』
「て、てめぇ……」
『み、水希さん、真鍋さんも、き、聞いて下さい……。あ、兄貴はですね、ちゅ、中学一年まで――』
「智! てめ――!」
「――やめろ、大輔」
「ぐはぁっ!」
スマートフォンを取り上げて通話終了しようとした大輔は、水希から後頭部にエルボーを食らい、端末を奪い取られてしまった。
「……智ちゃん、その話は、今度ゆっくりと聞くわ」
『は、はい……』
「ほら、大輔、次の聴取だ。色男の須藤さんを呼んでこい」
「そ、それは……ユートムの役目のはずじゃ……」
「智ちゃんにひどいことを言った罰だ。さっさと行け」
「わ、分かりましたよ……」
後頭部をさすりながら、大輔はソファから立ち上がった。




