Remote.04 三剣士殺人事件 3/15
『もしもし、智ちゃん』
「は、はい……み、水希さん」
『今、電話いい?』
「は、はい……」
『良かった。……ねえ、智ちゃん、私が、どんな用事で電話したか、分かる?』
「ま、また、事件が起きたんですか?」
『ううん。食事に誘いに』
「ええっ?」
『この前の約束』
「ちょ――待てよ!」
『うふふ、冗談。本当は、智ちゃんの言うとおり、事件よ』
「よ、よかった……って、よくはないか」智は頬の汗を拭って、「で、水希さん、ど、どんな事件なんですか? それらしいニュースは、と、特に聞いていませんけれど……」
『うん、事件は今日の昼に起きたばかりだから、まだマスコミ発表はされていないわ』
「は、早い、ですね……」
『そうなの。今度の事件が、今の段階で智ちゃんに協力要請が行くことになったのはね……』水希は、ここでひと呼吸置いてから、『死体が密室で発見されたからなのよ』
「み、密室で死体……と、ということは……密室……殺人?」
『そういうことになるわね。詳しい状況は、こう。市内のホールで、“ノーザンベース”っていう名前の劇団が、公演に向けての稽古をしていたんだけど……』
水希は、事件の説明に入った。
劇団ノーザンベース所属の俳優である須藤圭祐は、午後一時から始まる通し稽古前に、屋外に建つ喫煙所で一服を済ませたのち、裏口から屋内に入り、ステージのあるホールに戻る途中だった。喫煙所からであれば、正面玄関よりも裏口を抜けたほうがホールに近いためだ。その途中、須藤は廊下で異変を目にした。クリーム色をしたリノリウムの床の一部が赤くなっていたのだ。しかも、その赤色は、じわじわとその面積を広げて行っているように見えた。そこは用具室のドア前であり、近づいた須藤は、その赤色が液体であり、ドアの向こう――すなわち、用具室の中より、ドアと床の隙間を伝って流れ出てきているのだと察した。この赤い液体は血液なのではないか? そう捉えた須藤は、すわ一大事と、広がり続ける血だまりを踏まないようにしてドアノブに飛びつき、回し、ドアを引き開けようとしたが、それは徒労に終わる。ドアには施錠がされていたのだった。須藤はドアを叩きつつ、中に誰かいるのかと呼びかけたが、返事はない。諦めて須藤はホールに向かって走った。
ホールに姿を見せた須藤より、「用具室から血が流れている」と聞かされた舞台監督の酒木治郎は、その場にいた、俳優、スタッフ全員を引き連れて、須藤の案内のもと、用具室前の廊下に向かった。
そこで酒木以下全員も、用具室ドアの向こうから血と思しき赤い液体が流れ出てきているのを確認。酒木はドアを開けようとしたが、須藤のときと同様、やはりドアには施錠がされているままだった。
酒木が次に行ったのは、団員の確認だった。自分についてきた団員たちの顔を見回した酒木は、そこに欠けているメンバーがいることを知った。俳優の新川麗依。その彼女がこの場におらず、ドアの向こう側から、赤い液体――間違いなく血液だと思われる――が流れてきているということは……。酒木はロビーにある公衆電話から、救急に通報することと、事務所から用具室の鍵を借りてくるよう、団員に指示を出した。
「み、水希さん」と、ここで智が口を挟み、「つ、通報のため、こ、公衆電話に行かせたって、こ、ことは、団員の、だ、誰もスマホは持って、い、いなかった?」
『そうみたいね。演出の酒木さんは、そういうところに厳しい人で、現場へのスマホの持ち込みを一切禁止していたそうなの。だから、団員たちのスマホは控え室に置いたままだったのね。で、その用具室前からなら、控え室に行くよりも、ロビーのほうが断然近いから』
「な、なるほど。は、話の腰を折って、す、すみません、水希さん」
『ううん。何か気になることがあったら、話の途中でも、どんどん質問してきてね』
「は、はい」
『他に、なにかある?』
「え、ええと……つ、通報時刻は?」
『そうだった』と電話の向こうで手帳をめくる音が聞こえ、『通信指令センターの記録によれば、午後十二時五十五分ね』
「わ、わかりました」
『じゃあ、続けるわよ……』
通報と鍵の借用、それぞれ役目を負った二人の団員は、それぞれ、一、二分ほどで戻ってきた。鍵の借用に行ったほうの団員は、事務所に詰めていたホールの職員を伴ってきており、ドアの鍵を持ってきたのも、その職員だった。
職員により解錠されたドアが開かれると、そのすぐ向こうには、女性がひとり、うつ伏せになり、血だまりの中に倒れていた。
『被害者は、うつ伏せで、頭頂部がほとんどドアに触れるくらいの位置に倒れていたわ』
「そ、そんなに近くに……」
『その理由はあとで説明するわ』
「わ、わかっているんですか?」
『たぶん、間違いないと思う。でも、先に死因について話すことにするわね』
「は、はい」
『被害者は、さっきも話に出た、新川麗依さんという名前の、劇団に所属している俳優であることが確認されたの。彼女の死因は、腹部を刃物で刺されての失血によるもの。で、凶器も現場で発見されてるの。死体のそばに落ちていたわ。演劇に使用する小道具の短剣だそうよ』
「た、“たんけん”って、短い剣の、た、短剣?」
『そうよ。“エクスプロレーション”のほうじゃなくてね。芝居の小道具とはいっても、金属製で、刃こそ付いてないけど、鋭利に作られているわ。全長は約三十センチで、刀身の部分は二十センチくらいしかないけど、人間の皮膚を貫通させて致命傷を負わせることは十分可能なものよ。この短剣の刀身と被害者の傷口の形状が、ぴたりと一致したの』
「た、確かに、そ、それくらいのものなら、十分に殺傷能力は、あ、あるでしょうね……」
『次に、死亡推定時刻なんだけど、これは発見が早かったことと、事件発覚前の目撃証言も含めて、かなり細かく絞り込むことが出来たわ。検死により割り出された死亡推定時刻は、余裕を見て、午後十二時半から一時まで。さらに、ホール内で被害者が歩いているのを団員の何人かが目撃していて、そのもっとも遅い時刻が、午後十二時四十五分』
「と、ということは……死亡推定時刻は、ご、午後十二時四十五分から、い、一時……い、いや、通報が、十二時五十五分にされているから、そ、それまでの、わずか十分間に、し、絞り込めると」
『そういうことね。で、これが一番の問題なんだけれど……。最初に言ったように、死体発見現場はホールの用具室だったんだけど、出入り口は廊下に面したドアと、あとは一箇所に窓があるだけで、その窓には、クレセント錠がしっかりと下りていたことが確認されているの』
「だ、だから、み、密室」
『そういうことなのよ。ドアに施錠がされていたことは間違いないし、その鍵もスペアを含めて、ホールの事務所で管理されていたわ。で、その事務所には、朝からずっと複数名の職員が詰めていて、一瞬たりとも無人になった時間はないって』
「そ、その用具室には、常時施錠が、さ、されているんですか?」
『ううん。貴重なものが置いてあるわけじゃなく、基本的にホールを借りる利用者しか行けない場所だから、普段から鍵は掛けていないそうよ』
「な、なのに、現場には鍵が、か、かかっていた」
『そう。それが、死体がドアのすぐそばに倒れていたことの理由に繋がってくるんだけど……。用具室ドア内側のサムターンからね、被害者の指紋が検出されたの。指紋の付着具合からして、そのサムターンに最後に触れたのは、被害者自身で間違いないと見られてる』
「そ、それって、もしかして……」
『そうなの。恐らく、被害者は、腹部から出血した瀕死の状態にあって、最後の力を振り絞ってドアまで這っていき、腕を伸ばしてサムターンを回してドアに施錠をした。そして……一度、立ち上がったようなのね』
「た、立ち上がった……?」
『そう。現場には、被害者自身の、血の付いた靴跡が残されていたんだけど、その靴跡がね、滑ったような痕跡で残っていて、死体との位置関係から見るに、絶命する直前、被害者は、ドア前に立ち上がっていたのだろうと。で、力尽きて、崩れるように倒れてしまった』
「だ、だから、靴跡が、滑ったようになっていて、し、死体は、ドアのすぐそばに」
『そういうことなのよ』
「サムターンを、ま、回したのと、た、立ち上がったのは、順序が、ぎゃ、逆、ということは?」
『ないわね。というのもね、サムターンに付いた指紋の角度から見て、床に倒れている状態から腕を伸ばして摘まんだものであることは明白なのよ。で、絶命の直前に被害者が立ち上がっていたことも、靴跡から、これまた明白』
「な、なるほど……。で、であれば、サムターンを回した後に、た、立ち上がったという順序に、間違いはない、みたいですね……」
『でしょ』
「つ、つまり、げ、現場を密室にしたのは、ひ、被害者自身?」
『鍵が事務所から持ち出されていないことは絶対なのよ。それと、サムターンのつまみは、しっかりと施錠を意味する水平の状態になっていて、テグスを巻いたり、粘着テープを貼り付けたといった細工をされたような痕跡は一切ないわ。加えて、いま言った指紋の跡から推測するに、そうとしか考えられないのよ』
「じ、自殺の可能性は、な、ないんですか?」
『今のところ、ないわね。遺書も見つかっていないし、団員への聴取でも、特に自殺するような動機に心当たりはないって』
「た、他殺の可能性のほうが、お、大きい、と」
『警察の見解では、そうなのよ。ねえ、智ちゃん、他殺された被害者自身が、現場を密室にするということに、どんな理由が考えられると思う?』
「そ、それは、オーソドックスなものとしては……た、他殺を自殺に偽装して、は、犯人をかばうため、っていうのが、あ、ありますけれど……。きゃ、客観的に、じ、自殺説が否定されたからといっても、ひ、被害者本人の思惑は、誰にも分かりようがありません、から」
『最終的な現場状況はどうあれ、被害者自身が、自分の死を自殺として処理してもらいたいっていう一心での行動だったのかも、ってことね』
「そ、そうです……」
『確かに、凶器の刃渡りは二十センチ程度と短いもので、被害者が自分で自分の腹部を刺すことは、可能といえば可能ね。それに加えて、現場を密室にしておけば、遺書や動機なんかの周辺状況はともかく、形だけは自殺の格好を付けられる、と』
「つ、柄に残っている、指紋は、ど、どうですか? じ、自殺をしたなら、け、剣を逆手で持つことになるので、指紋の付着具合から、それを、は、判定できると思いますけれど……」
『残念ながら、傷口からの出血を大量に浴びたことで、凶器から指紋の検出は無理だったのよ。被害者のものも、他人のものも含めてね』
「そ、そういうこと、ですか……。となると……。ほ、他に、お、襲われたのは別の場所で、は、犯人による追撃から、逃れるために、現場に逃げ込んで施錠をしてしまう、っていうケースも、か、考えられますけれど」
『……それは厳しいと思う。傷は一箇所しかなくて、ひと刺しで致命傷に達しているわ。あれだけの傷を受けたあとで、走ったり歩いたりすることは不可能よ。それこそ、数十センチ這って、一度立ち上がるくらいが限界だと思う。それに、用具室内以外に、ドアの前の廊下も入念に調べたんだけど、血痕も、それを拭い取った痕跡も一切残っていなかったのよ。傷口の出血状態から鑑みても、刺されたあとで一滴の血も漏らさずに、別の場所から用具室まで移動してくるというのは現実的じゃないわ』
「と、ということは、被害者は、用具室内で刺され、その場で死亡したものと見て、ま、間違いはない、と」
『最後の力を振り絞って、ドアに鍵を掛けて、さらに、立ち上がってから……ね』
水希のため息が、スピーカーから漏れた。




