Remote.03 霊視能力殺人事件 8/10
翌日の昼。パートに出かける前に母親が用意しておいてくれた昼食を食べ終えた智は、自室に戻りベッドに横になっていた。仰向けになって、まんじりともせず、頭に浮かんでくるものは、事件に関することと、もうひとつ……。
着信音が鳴り、智はサイドテーブルのスマートフォンを掴む。発信者は稲口千奈都だった。
『もしもし、智ちゃん』
「ち、千奈っちゃん」
『お昼、食べた?』
「うん。千奈っちゃんのほうは、ひ、昼休みだね?」
『そう。智ちゃん……昨日はごめんね』
「ん? 千奈っちゃん、な、何かしたっけ?」
『突然、押しかけたことだよ……会長と』
「……ああ、そんなの、あ、謝ることないって」
『そう言ってもらえると安心するよ。……でね、電話したのはね』
「うん」
『我が漫画部部室の移動が決定しました!』
「えっ?」
『朝から部員のみんなに連絡を取って、ちょうど今、全員の回答が集まったの。その結果、全員一致で、部室移動の提案が承諾されました』
「……」
『……智ちゃん?』
「――あ! う、うん、き、聞いてる」
『だからね、さっそく、今日の放課後から移動を開始することになったんだよ。これで、いつ智ちゃんが部活に来られるようになっても、大丈夫だよ』
「……千奈っちゃん」
『なに?』
「あ、ありがとう……」
『お礼なんていいよ。みんな、智ちゃんに早く会いたがってるんだよ。ま、一番会いたがってるのは私だけどね』
「千奈っちゃん……」
『特に、今年の一年生って、まだ智ちゃんに会ったことないじゃない。で、「伝説の迷作『忍者探偵ハッとしてトリッくん』の作者に早く会いたい」って、はりきってるんだから』
「ち、千奈っちゃん、今、『めいさく』って、ま、迷うほうの『迷作』ってニュアンスで言ったでしょ」
『えへへ、ばれたか』
「も、もう……」
智は一度スマートフォンを顔から遠ざけて、洟をすすった。
「で、でもさ、漫画部って、備品が多いじゃん。い、移動も大変だよね?」
『ううん、そうでもないと思うよ』
「ど、どうして?」
『あのね、新しく移動する一階の部室って、今の部室の真下に当たるんだよ』
「そ、そうなんだ」
『でね、部室の窓の外に、体育の高飛びで使うマットを持ってきて、三階から移動させるものを、ばんばん落とすことにしたの』
「えー」
『漫画部の備品って、壊れやすいものなんて、ほとんどないじゃない。今の部室って階段から遠いし、そのほうが効率的だもん。それにさ、この前も話したけど、我が漫画部も、いよいよIT革命したじゃない』
「あ、IT革命って……ああ、タブレットを、ど、導入したことか」
『そう。だから、インクとかのアナログ用の執筆用具は、無理に急いで移動させる必要がないからさ。そういうのは、暇を見つけて徐々に持って行くよ』
「そ、それにしても、な、なんて大胆な引っ越し方法……ち、千奈っちゃんが考えた、の?」
『ううん、霧島会長』
「か、会長が?」
『そうなの。やり方が乱暴だから、って反対した先生もいたけど、うまく会長が丸め込んで――じゃなかった、説得してくれたの』
「あはは」
『雨も降ってないし、風もないしね。面倒なのはマットの運搬だけだもん。あとは、三階部室の窓から荷物を落として、一階の新しい部室の窓からどんどんバケツリレーみたいに入れていくだけ』
「な、なんだか、お、面白そう……だね」
『智ちゃんも来ればいいのに』
「……」
『あ! ごめん!』
「う、ううん、だ、大丈夫……」
『私、智ちゃんに早く学校に来てほしいのは本当だけど、絶対に無理してほしくないってのも本当だから』
「ご、ごめんね……」
『謝るのは、私のほうだよ……』
スマートフォンを介し、二人の間に沈黙が流れた。
『あ、そういえばね』と、千奈都が沈黙を破り、『面白いって、いえばね』
「な、なになに?」
『私、部室の移動のことで部員のみんなに連絡するときにね、本当は「部室の移動について」って打たなきゃいけないのに、「ぶしつ」の「ぶ」を、間違って「ぷ」って打っちゃったまま変換して、カタカナの「プ」に漢字の「室」の「プ室の移動について」ってなったまま送っちゃったの』
「あはは。なにそれ!」
『おかしいよね。本文のニュアンスから、言いたいことは伝わったみたいで良かったけど。でもさ、そのことについて、誰も突っ込んで来なかったんだよ、ひどくない?』
「ボ、ボケ殺し」
『わざとボケたわけじゃないけどさ、何かあってもいいと思わない?「プ室って何だよ草」、みたいな』
「あはは」
『でも、私、よくこういうミスをするんだよね』
「そ、そうなの?」
『うん、私、スマホのフリック入力がちょっと苦手で。濁音と半濁音を、よく打ち間違えちゃうの』
「……濁音と、半濁音?」
『そうそう、この前もね、お母さんから、「夕食の買い物に行くけど、何が食べたい?」って連絡が来てね、私、「ミートボールが食べたい」って返したつもりだったのに、「ミートポール」になってたみたいなの。で、お母さん、帰ってきたら、「細長いお肉はなかったから、これにした」とか言って、笑いながらミートボールを出してきたの。私、何のことかさっぱり分からなくて……智ちゃん?』
「……」
『智ちゃん?』
「……フリック入力だと、だ、濁音と半濁音を、う、打ち間違えることが……ある」
智は、千奈都に話しかけるわけでなく、ぶつぶつと呟いた。
『ねえ』
「――あ! ご、ごめん、千奈っちゃん」
『智ちゃん、どうかしたの?』
「う、ううん。ご、ごめん、ちょ、ちょっと、電話切っても、い、いいかな?」
『……あ! もしかして、事件?』
「そ、そうなんだ」
『何かヒントを掴んだのね! 分かった、また電話するね。ちょうど、お昼休みも終わりそうだし』
「う、うん」
『それじゃ』
「じゃ、じゃあ――」
『あ、智ちゃん、最後に、ひとつだけ』
「……な、なに?」
『本当に、無理しないでね。それと、私や部員のみんなや、それに、会長に気を遣うことなんて、全然ないんだよ』
「……あ、ありがとう」
『ふふ』
「な、なに?」
『私、「最後にひとつだけ」なんて、名探偵のお株を奪っちゃったな。じゃあね』
「も、もう、千奈っちゃん……」
千奈都との通話を終えた智は、深く深呼吸をし、頭の中で自分の推理を整理してから、水希のスマートフォンに発信する。
『智ちゃん』
水希は、すぐに応答した。
「み、水希さん、あ、あのですね……い、いくつか、調べてもらいたいことが……」
『なに? 何でも言って』
「は、はい、ま、まずですね……昨日の、編集者さんの話で……冥道院さんが書いた――というか、う、打った原稿があったじゃないですか」
『あの、誤字があったってやつね』
「そ、そうです。その原稿は、つ、一日に書かれたものだそうですけれど……その日の、な、何時頃に書かれたものなのかを」
『わかったわ』
「ち、ちなみに、これは、わ、わかったらでいいんですけれど……その原稿には、“これは一日に書かれたものだ”とでもいうべき、な、なにか証拠みたいなことが、か、書かれていると思うんです」
『オーケー、調べてみる』
「お、お願いします。つ、次になんですけれど……冥道院さんの事務所は、な、何階に、あ、あるかを」
『それならすぐに答えられるわ。一階よ』
「そ、その事務所から、死体が見つかった現場まで、時間は、ど、どのくらいかかりますか?」
『死体が見つかった廃工場のことね。それなら、車で片道一時間弱くらいだと思う』
「わ、わかりました。さ、最後に……」
『うん』
「冥道院さんに、さ、最初に聴取したときのことについて、お、教えてほしいんですけれど。冥道院さんは、び、びっくりしていませんでした、か?」
『びっくりって……それは、形はどうあれ、死体を発見したんだから、驚きはしていたけれど……』
「と、というかですね……と、特に……アリバイを訊かれたときに、ことさらびっくりしていたと、お、思うんですけれど……ど、どうでしょう?」
『アリバイ……言われてみれば、「二日の午後三時前後、どこにいたか」と訊いたときに、一瞬、言葉に詰まったような……。でも、すぐに冷静な態度に戻っていたけれど……」
「あ、ありがとうございます」
『うん。じゃあ、さっそく、最初の疑問を調べてるわね。一日の日に、冥道院さんが原稿を執筆していた時間を知りたいのよね。可能であれば、その内容も』
「よ、よろしくお願いします……」
『任せておいて』
水希の側から通話が切れると、智はすぐに大輔に電話をかける。
『おう、智、どうした?』
大輔もすぐに応答した。
「あ、兄貴、頼みがあるんだけど……」
『何か買ってくれは駄目だぞ。事件に関することなら、何でも聞いてやるけどな』
「ば、ばか……。ど、動画について、お、教えてくれ」
『動画って、あれか? なんとかジョーンズって名前のやつが、死体を発見したときの動画か?』
「そ、そう」
『あれは、捜査資料扱いになって、警察からの要請で現在配信が停止されてるけど、警察からなら見られるな』
「そ、それを見てみて」
『ちょっと待ってろ……』
スピーカーからは足音が聞こえるようになった。大輔が動画を視聴できる環境に移動しているのだろう。一分も過ぎた頃、
『いいぞ、いつでも見られる。音声を流すから、聞くか?』
「い、いや、し、知りたいのは、冥道院さんが、チャットに、な、何を書き込んだか」
『チャット? 冥道院の? ……待ってろ』
マウスのクリック音が数回聞こえ、
『よし、いいか』
「う、うん……」
チャットに入ってから死体発見まで、一連の冥道院の書き込みを大輔が読み上げる。それを聞き終えた智は、
「あ、あんがと、兄貴……」
『ありがとうございます、お兄様、だろ』
「き、切る」
『おい! あのな――』
何か言おうとした大輔の声は、智が通話を終了したことでかき消えた。
水希から着信があったのは、それから一時間後のことだった。智はすかさず応答する。
『智ちゃん、分かったわ』
「お、お願いします」
『結論から言うと、あの原稿が書かれたのは、一日の午後一時から午後四時までの三時間だそうよ』
「ず、ずいぶんと、はっきりしていますね」
『というのもね、この情報は、冥道院さんのスタッフのひとりから教えてもらったものなんだけれど、その日――原稿が書かれた一日――は、冥道院さんのスタッフも何人か、事務所に来て仕事をしていたそうなの。そのスタッフたちに、冥道院さんは、「自分は、これから原稿執筆のために書斎に籠もる。集中を乱されるから、絶対に誰も入ってくるな」と言い含めておいたんだって』
「そ、その時間が、午後一時から、四時まで」
『そういうことね。で、その間、冥道院さんは、確かに書斎から一歩も出てこなかったそうよ。というのもね、その日、スタッフたちは、ずっと事務室で仕事をしていたんだけど、あの事務所の間取り上、書斎から外に出るためには、必ず事務室を抜けていく必要があるのね。でも、事務室には常に誰かしらスタッフがいたんだけれど、書斎から冥道院さんが出てきたのを見た人は、ひとりもいなかったそうなの』
「な、なるほど……」
『それと、もうひとつのことも、分かったわよ』
「ほ、本当ですか?」
『うん、原稿を読んだスタッフから教えてもらった。その原稿は、超常現象をテーマにした連載エッセイなんだけど、こう書いてある箇所があるの。『この原稿を書いている最中、県内の高速道路で事故のニュースを聞いた。トラックが横転して、後続の車両三台が巻き込まれたという』って。これって、一日に実際にあった事故で、その第一報がラジオのニュースで流れたのが、午後二時四十五分だったというわけなの。だから、このニュースに触れられている以上、この原稿が一日の午後二時四十五分以降に書かれたのは、間違いないというわけ。それ以外にも、その日に会ったスタッフの服装をネタにした部分とかもあったから、その原稿は間違いなく、その日、書斎に籠もって書かれたものに疑いはないだろうって』
「……」
『……どう? 智ちゃん』
「あ! す、すみません。こ、これで、わ、分かりました」
『分かったって、冥道院さんのアリバイが崩れたってこと?』
「は、はい……と、というか、ですね……と、とにかく、水希さん……いや、警察のみなさんに、お願いがあるんですけれど……」




