Remote.03 霊視能力殺人事件 7/10
三人は冥道院の事務所を辞した。事務所が入っているビルを出て、歩道に立った水希は、
「智ちゃん、どうだった? 冥道院さんと話してみて、何か掴めた?」
有斗夢に持たせている自分のスマートフォンに向かって訊いた。智との電話は繋がったままだ。
『しょ、正直、さっぱり、です……。す、すみません……』
「智ちゃんが謝ることないわよ」
「それにしても、あの冥道院のやつ……」と大輔は、苦虫を噛み潰したような顔をして、「何が“霊視”だ。ふざけんのもたいがいにしろっての。“死体発見に協力できて嬉しい”だぁ? てめえが殺したくせに、白々しいんだよ!」
「落ち着け、大輔。アスファルトにストンピングしたって仕方ないぞ」
水希は、地団駄を踏む部下をたしなめた。
「でも、先輩」と有斗夢は、「被害者の死亡推定時刻に、冥道院が完璧なアリバイを持っているのは事実ですよ。確かに、“霊視”云々なんて話は怪しすぎますけれど、この壁を崩せない限り、どうにもなりませんよ」
「んなこた分かってんだよ!」
「空気にラリアットしたって、何にもなりませんよ」
有斗夢は、ぶんぶんと腕を振り回す大輔をなだめる。
「ところで、大輔、本部から何か連絡入ってるか?」
「……いえ。何もないっす」
ラリアットをやめて、自分のスマートフォンを確認した大輔が水希に答えた。
「そうか……。被害者と冥道院さんの間に、何か繋がりが見つかったら、すぐにこっちにも連絡をもらえることになってるんだがな……」
ふう、と水希はため息をついた。
『つ、繋がりって、きょ、恐喝に関して、ですよ、ね?』
智の言葉に、水希は、
「そうね。表面上、あの二人には仕事上でもプライベートでも、何の関わりもなかったことは確かだからね。何かの繋がり――冥道院さんが、被害者の蓼西さんに対して抱いた殺意――があるとしたら、その線しかないと思ってるんだけど……」
「恐喝相手の“顧客名簿”みたいなものが出てくりゃ、楽なんすけどね」
スマートフォンを懐に戻して、大輔もため息を吐く。
「キーホルダーの問題もあるしな」
「そう、それっすよ」大輔は、水希の言葉に反応して、「あればっかりは、冥道院のやつもどうしようもないでしょう。何が“人知を超えた偶然”だ。あれを現場に落としていったのは致命的なミスっすよ。あの物証から突いていけないっすかね?」
「そうは言うがな、大輔。まあ、冥道院さんの指紋が付いていて、過去に同じものを所持していたという証言から、あのキーホルダーが冥道院さんのものだというこには間違いはないだろう。しかし、今はっきりしているのは、それが死体のそばに落ちていた、という事実だけだ。あれが犯人の所持品だという確固たる証拠があるわけじゃない。それに、彼の言うとおり、落としてしまったものを犯人が拾ったということも、例え、天文学的な人知を超えた確率とはいえ、あり得ないことじゃないからな。まあ、私も、そんな話を信じちゃいないけどな」
「お二人とも、それなら」と、そこに有斗夢が、「これから、死体発見現場に行ってみませんか? 智ちゃんに実際に現場を見てもらうことで、何か新しい発見や閃きがあるかも。日が暮れるまでにも、まだ間に合いますし」
「……そうだな。ここで問答していても埒が明かないしな。よし」と、水希は、有斗夢が持つスマートフォンに向かって、「智ちゃんも、それでいい?」
『わ、私は……』
「おい、智」と、そこに大輔が割って入り、「お前、そろそろ夕飯の時間だろ」
『そ、それは、そうだけど……』
「そういうわけで、水希さん」大輔は、上司に向き直って、「現場に行くのは、また明日ってことで……いやね、こいつ、虚弱体質だから、三食はきっちり食えって、医者に強く言われてんすよ」
「……そうだな、智ちゃんは高校生で、しかも、怪我人なんだしな」と、水希は再びスマートフォンに、「ごめんね、智ちゃん、私たちだけで先走っちゃって」
『い、いえ……そんなこと……』
「名探偵抜きで現場に行っても仕方ないし……私たちは本部に戻って、今日のことを報告するか」
「そうっすね」
大輔も水希に賛同した。
「じゃあ、智ちゃん、今日の捜査はここまでにするわ」
『は、はい、お、お疲れさまでした』
「お疲れさま」と、通話を切ろうとする途中で、水希は、「あ! どうも、先日は」
歩道を歩いてきた背広の男性に挨拶した。その男性も、水希の顔を見ると、
「あ、刑事さん、どうも」
と頭を下げてくる。
「あー、編集者の方ですね」
有斗夢も男性を見て言った。
『ど、どうしたんですか……?』
状況を飲み込めていない智が疑問を口にする。
「ごめんね、智ちゃん」と水希が、「偶然、先日聴取させてもらった、東京の編集者の方に会ってね」
『へ、編集者?』
「そう、二日の日に、冥道院さんと一緒に打ち合わせに参加していた編集者の方」
『あー』
「田中さん、でしたね」
「はい」
田中と呼ばれた編集者は頷いた。
「ところで、今日も東京から、こちらにいらしたんですね」
水希の問いかけに、田中は、
「ええ、冥道院先生との打ち合わせで」
「あっ、そうでしたか……私たちを追い返すための出任せじゃなかったんですね――あ、すみません」
「朝から、お隣の石川県に出張でして、帰りの新幹線がどうせ富山を通過するので、ついでに――と言っては何ですが、冥道院先生とも打ち合わせをして、一泊してから帰ろうということになりまして」
「そうでしたか」
「ということは、刑事さんたちは、冥道院先生へ聴取したお帰りでしたか」
「ええ、まあ……」
「熱心ですね。でも、いくら粘っても、先生のアリバイは崩れないと思いますよ。確かに、二日の日、先生は一時から五時まで、私を含めた数名とずっと一緒に打ち合わせをしていたんですからね。席を外したのが、三時からの十五分間だけというのも、絶対ですよ」
「それは、冥道院さんからも念を押されました」
「でしょうね。早く犯人が逮捕されることを願っていますよ」
「ありがとうございます」
「それじゃ――」
田中が、手を上げて水希たちの横を通り過ぎようとしたとき、
『ちょ、ちょっと、待って下さい!』
「――?」
田中は立ち止まり、きょろきょろと辺りを見回した。
「あ、すみません」水希は、有斗夢からスマートフォンを受け取って、「今の声は、ここからです」
「……えっ?」
「実は、このスマホが、我々の名探偵と繋がっておりまして……」
「め、名探偵?」
田中は、物珍しげな顔でスマートフォンを見た。
「事情があって、こうして通話で捜査に参加してもらっていまして……」水希はスマートフォンに向かい、「智ちゃん、何か訊きたいことがあるのね?」
『お、お願いします……』
「田中さん、少々、お時間よろしいですか」
「え、ええ、少しだけなら……」
了解を得た水希は、スマートフォンを田中に向けて突き出し、「いいわよ、智ちゃん」と口にした。
『は、はい……』こほん、と咳払いを聞かせてから、智の声が、『あ、あのですね……編集者さんは、きょ、今日は、どんな用事で、冥道院さんを訪ねるんですか? み、三日前に、打ち合わせをしたばかり……なのに……』
「ああ、それはですね」と田中は、「急遽、先生の別の本を出すことが決まったからですよ」
『べ、別の、本?』
「そうですとも、『緊急出版! 冥道院蛇盤 霊視能力のすべて』括弧仮題、というやつです」
『そ、それって……』
「ええ、今回の事件――冥道院先生が死体の存在を霊視したこと――は、オカルト界隈のみならず、全国的にも話題になっていますからね。ここが商機と踏んだわけです。我々が扱うような題材は、フットワークの軽さが命ですから」
『な、なるほど……さすがの、しょ、商魂――い、いや、失礼……』
「あはは、そのとおりです」
田中は笑った。
『も、もう少し、い、いいですか?』
「どうぞ」
『あ、ありがとうございます……。で、では、最近になって、冥道院さんに、な、何か変わったことや、気づいたことなど、な、何かありませんか?』
「うーん……変わったこと、ですか……」
『な、何でも、いいんです』
「……ああ、そういえば」
『な、何ですか?』
「数日前に、原稿を受け取ったんですけれどね、その原稿が、先生にしては、誤字脱字が多かったかな、って」
『げ、原稿、ですか』
「そう、原稿」
『よ、読ませてもらえませんか?』
「いや……発表前の原稿だから、それは、さすがに……」
拒絶の構えを見せた田中に、
「お願いします」と水希が、「事件に関わることです。捜査協力という形で、何とか」
「えー、でもなぁ……この原稿が事件解決に関わるとは思えませんけど……」
「意外なものが糸口になって、難事件が解決できたという事例は、過去にいくつもあるじゃないですか。それこそ、“名探偵”と呼ばれる人が関わった事件においては、特に」
「うーん……」
『お、お願いします!』
智も電話から懇願し、大輔と有斗夢も頭を下げた。すると、田中は肩から提げている鞄に手を入れて、
「仕方がないなぁ。このことは、会社や冥道院先生には内緒に願いますよ」
A4用紙の束を取り出した。
「ありがとうございます!」水希は下げていた頭を上げると、「大輔」
「お、俺っすか?」
大輔は自分を指さす。
「お前しかいないだろ。私はスマホを持ってるし」
「ユートムがいるじゃないっすか」
「何だ、お前、原稿を読むのが怖いのか? そうなんだな? 読めない漢字があるのが怖いんだな? 漢字の読み方を間違ってしまうのが怖いんだな?『順風満帆』を『じゅんぷうまんぽ』と読んでしまうことを恐れているんだな?」
「なっ! んなわけないっすよ!」
「先輩、この前、青森県の弘前を『ひろまえ』って読んでましたよ」
「ユートム! てめぇ!」
「いいから、早く読め。田中さんはお急ぎなんだぞ」
「わ、わかりましたよ……」
「とりあえず、誤字脱字があったという箇所を教えて下さい」
水希の要請を受けた田中は、
「ええとですね……ここのところです」
田中は、付箋の貼ってあるページを開いてから、大輔に原稿を手渡した。
「えーと、なになに……」両手で原稿を持って、大輔は、「……いわゆる“ラッブ音”と呼ばれるものから、“ボルターガイスト”現象まで、一般家屋で起きる目に見えない超常現象というものには、ビンからキリまで存在し……」
「ねっ」
田中の声が入り、大輔は朗読を止めた。
「おかしいなところが、このセンテンスの中で、三つもあったでしょう」
田中は三人の刑事の顔を見回した。
「……何が、です?」
要領を得ないという表情で大輔は訊き返し、水希も、
「三つ? ひとつは分かりましたが……」
きょとんとした顔を見せた。そこに、
「えっ? お二人とも、分からないんですか?」
意外そうな顔で有斗夢が入ってくる。
「な、何だよ、ユートム。お前、何が変だったのか、分かるってのか?」
「もちろんですよ」有斗夢は、大輔が持つ原稿を覗き込み、「……やっぱりだ。ほら、ここ、ここですよ」と、原稿文章の一部を指さす。
「ここ、って……“ラッブ音”のところか?」
「はい。これって、“ラップ音”の間違いですよね。誰もいないのに音が鳴るっていう超常現象の」
有斗夢に確認された田中は、そうです、と頷いた。すると有斗夢は、さらに、
「あとの二つは、ここと……ここです」
「なになに……“ボルターガイスト”と、“ビンからキリまで”、これの何がおかしいってんだ?」
「先輩! せめて、最後のは分かりましょうよ!」
「んだと、てめえ! いいから、説明しろ!」
「“ボルターガイスト”は、“ポルターガイスト”の間違いですよ。先輩、聞いたことありません? ポルターガイスト」
「GODの大幹部?」
「それは、“アポロガイスト”です。“ポルターガイスト”! ものがひとりでに動いたり、空中を飛び回ったりする超常現象のことを言うんですよ」
「そういや、そんなの、どっかで聞いたことあるな」
「で、最後のは、正確には“ピンからキリまで”『最上のものから最低のものまである』ということを言う慣用句ですよ。まあ、この文章の場合、ラップ音とポルターガイスト現象の上下関係って明確じゃないので、あまり上手い使い方とは言えないかもしれませんけれど」
「凄いですね、刑事さん」
田中は感心したように何度も頷いた。
「確かに、変ですね。冥道院蛇盤といえば、この手の超常現象については専門家のはずでしょう。それなのに、こんな単純な表記間違いをしてしまうなんて」
有斗夢は首を傾げる。
「そういうことか」と水希も納得し、「どれも、濁音と半濁音を間違えているな」
「そうなんですよ」田中は、大輔から原稿を受け取って、「今までの先生の原稿には、こんなミスはなかったはずなのに。今日の打ち合わせで、これについても訊こうと思って、こうして原稿を持参したんです」
「事件のことで、動揺というか、気もそぞろで書いてしまったのでしょうか」
「いえ、この原稿が書かれたのは、先生が死体を発見するよりも前ですよ」
「ああ、そうなのですか」
「はい、確か、一日に書かれたもののはずです。あの生配信がされたのが、三日の夜でしたから、二日も前のことですね。それと、先生はパソコンで――まあ、今どき誰もそうでしょうけれど――執筆していますので、正確には『書いた』じゃなくて『打った』ですね」
「さすが、編集者の方は言葉にお厳しい」
「いやいや、揚げ足取りでした……」と、そこで田中は腕時計に目を落とし、「――おっと、もう、いいですか? さすがに遅刻はまずいので」
「すみません、引き留めてしまって」頭を下げた水希は、スマートフォンを向き、「智ちゃんも、いい?」
『あっ、はい……』
「貴重な原稿まで見せていただき、感謝いたします。ご協力ありがとうございました」
「いえいえ。事件の早期解決を願っています」
改めて頭を下げる刑事たちに会釈を返して、田中は足早に、今しがた水希たちが出てきた冥道院の事務所が入ったビルへと向かっていった。




