Remote.01 小さな恋の殺人事件 2/12
「110番通報があったのは、午前十時十分。通報者は二人組のサラリーマンだ。打ち合わせに遅れそうになって近道をしようとしたところ、死体に出くわしたってことだそうだ。この二人は本当にただの死体発見者で、事件には無関係だろうな。ま、いちおう所轄で聴取してるけど。それで、検死による死亡推定時刻は……って、聴いてんのか! 大輔!」
「――き、聴いてますって!」
富山県警捜査一課警部補、篠原水希の鋭い声を浴びて、巡査部長である戸森大輔は背筋を伸ばした。
「ははあ、さては、お前、植物塩基を脳内受容体に結合させて、神経伝達物質の放出を促進させたがってるんだな」
「……なに言ってんすか、水希さん」
ぽかんとした顔で自分を見てくる戸森大輔に、篠原水希は、
「タバコ吸いたいんだろうってことだよ!」
言いながら、大輔の向こう脛を蹴り上げた。
「いてー!」蹴られた脛を押さえながら、片足で跳んだ大輔は、「ひでぇ! パワハラだ!」
「うるせぇ! とっとと向こう行って、ニコチンという有害な植物塩基を摂取してこい! そんなイライラした状態じゃ、私の話が耳に入るわけないだろうが!」
「くっそー……上司で年上だからって威張りやがって」
「威張ってしかるべき要素満載だろうが」
「こうなったら……お言葉に甘えて一服してきてやるからな!」
「おお、副流煙を吸い込みたくないから、最低一キロは離れろよ。ついでに缶コーヒー買ってこい。無糖でミルク入りのやつな」
「パワハラに続いてモラハラだ。どうなってるんだ、我が富山県警捜査一課は」
「事件の概要は真鍋に話しておいてやるから、あとで訊け」
水希は、大輔の隣に立っている真鍋有斗夢巡査にあごをしゃくる。その真鍋有斗夢は、
「あ、先輩、僕はカフェオレで」
「いい度胸してんじゃねえか、ユートム。先輩をパシリに使おうってか」
「先輩、僕の名前は『あとむ』って読むんですよ。いい加減に憶えてください。誰が地底ロボットですか」
「そんじゃ、今度から『キングジョー』って呼んでやろうか?」
「むしろ、そっちのほうがいいです」
「誰が呼ぶか、バーカ!」
言い捨てると大輔は、その場を離れ、黄色と黒の警戒色をした立ち入り禁止テープを跨ぎ、野次馬とマスコミでごった返す人混みの中に分け入って姿を消した。その背中を見やりながら、水希は、
「まったく、子供か、あいつは……。とても高校生の妹がいるとは思えんな」
ふう、とため息をついて、肩にかかった髪を背中に払った。未だ血の匂いが残る殺人現場に、黒髪の芳香が一瞬だけ漂う。
「先輩、あの調子だと、本当に一キロ以上離れた喫煙所を探して行きそうですね」
有斗夢もため息を吐く。
「私は、コーヒーさえ買ってきてくれれば文句ないさ」
「本気だったんですか……」
「じゃあ、事件の概要はお前に話しておくからな。あとで大輔のやつに訊かせてやってくれ、クレージーゴン」
「僕、突っ込みませんからね」
先ほどの篠原水希の話にもあったように、午前十時十分、富山県富山市内の中心街で死体が発見された。遺体はビル同士に挟まれた狭い空間で、近隣の工事で使用されたものなのか、十数個のコンクリートブロックが散らばった状態となっていた。死体は仰向けで、ブロックのひとつを枕にするように倒れていた。死因は、後頭部をそのコンクリートブロックに打ちつけたことによる脳挫傷と見られている。検死による死亡推定時刻は、昨夜午後十一時半から零時半までの一時間とされた。詳細は解剖の結果待ちではあるが、この時刻にほぼ間違いはないだろうという。
「被害者は即死らしいな。傷口とその損傷具合によると。苦しまずに亡くなったことだけが救いかもな」
話し終えて水希は、ふう、とやるせないため息をついた。
「現状を見るには、つまり」と話を聞き終えた有斗夢は、「事故ですか? 転倒してブロックに後頭部を打ち付けたっていう」
「早計は禁物だぞ、真鍋。無論、その可能性もあるが……」
水希は、被害者が仰臥していた場所に目を向ける。すでに死体は運び出されており、そこには人のシルエットを象った白いテープが張られている。頭部にあたる位置にあるコンクリートブロックが、どす黒い血に染まっているだけだった。
「殺しの線もあり得る、と」
有斗夢に訊かれると、水希は、
「当たり前だ。前から押され、バランスを崩して転倒したとかな。まあ、後頭部の他に外傷はないようだから、明確な殺意を持ってやったとは言い切れないかもな」
「ですよね。本気で殺すつもりなら、ナイフでめった刺しにするくらいやるでしょう」
「かわいい顔をして、怖いことを言うな、お前は」
「顔は関係ないでしょう」
「お前、どうして警察官になんてなったんだ。アイドルでもやってたほうが似合ってるぞ」
「水希さん、今はそういう物言いはセクハラと捉えられかねませんよ」
「はいはい。まったく、パワハラにモラハラ、セクハラ。本当に我が富山県警はどうなってるんだか」
「その三つとも、水希さんがやったことですよ」
「水に流せ」
「はい、全部、神通川に流します」
「よろしい。で、被害者の身元なんだが……」そこで一度言葉を止めると、水希は有斗夢の背後に視線をやって、「あ、帰ってきたぞ」
有斗夢も振り向く。立ち入り禁止テープを跨いで、戸森大輔が帰還を果たしたところだった。両手で三本の缶コーヒーを抱えている。
「本当に買ってきたのか。顔に似合わず律儀な男だな、お前は」
「顔は関係ないでしょうが」
まだタバコの匂いを纏わせた大輔が、水希に缶を渡す。指示どおり無糖ミルク入りコーヒーだった。
「大輔の顔は、あれだな」とプルタブを開けながら、水希は、「昭和の俳優っぽいよな」
「褒めてんですか、それ」
「当たり前だ。刑事ドラマに出て、“マカロニ”ってあだ名を付けられそうだぞ」
「殉職しちゃうじゃないすか、縁起でもない。『なんじゃこりゃあー!』ってなっちゃうじゃないすか」
「それは“ジーパン”だ、いいか、“マカロニ”の殉職シーンはだな……」
身振り手振りで何かを伝えようとした水希を無視して、大輔は、「ほれ」と有斗夢にも缶コーヒーを渡した。
「ゴチになります」
「ばかやろ、あとで請求するに決まってんだろ」
「ひどい。それに、カフェオレじゃないし」
有斗夢が受け取ったのは、微糖コーヒーだった。
「男のくせに、カフェオレなんて軟弱なもん飲んでんじゃねぇ。男は黙って微糖だろ」
「そこ、ブラックじゃないんですね」
「で、お前」大輔は自分の分の、砂糖とミルク入りのノーマルな缶コーヒーを開けながら、「きちんと水希さんから事件の情報を聞いてたか?」
「それはもう」
「じゃあ、続きを話す」と水希は、「……で、どこまで話したっけ?」
有斗夢は、コーヒーをひと口すすってから、
「マカロニ刑事の殉職シーンまでです」
「そうそう、ゴリさんの見舞いに行った帰り道でだな……って、違うだろ!」
「本当は、被害者の身元からです」
「そうだった」と水希は深く息を吸って、表情をシリアスなものに戻し、「“制服”を着てたからな。学校が分かったから、顔写真で特定してもらった。松宮中学校の生徒だった」
「まだ、中学生……」
有斗夢が悲しそうな目で人型の白線を見つめ、大輔も口を結んで目を引き絞った。
「名前は……」と水希は、缶コーヒーを持った反対の手を懐に入れて手帳を引き抜くと、片手だけで器用にページをめくり、
「三年一組の、渡浦礼衣子さんだ」