Remote.02 永遠の芸術殺人事件 7/9
「わ、私たち、もしかしたら、な、何か大きな勘違いでも、し、してるんじゃ……」
そう独りごちたとき、着信音が鳴った。
「――千奈っちゃん」
智はすぐに応答した。
『あ、智ちゃん、もう、話しても大丈夫?』
「う、うん、だ、大丈夫……」
『誰からの電話だったの? お兄さん?』
「あ、惜しい。あ、兄貴の上司から」
『え? お兄さんの上司ってことは、刑事さん?』
「ま、まあ……」
『も、もしかして、智ちゃん……まさか……え? そうなの? うそ!』
「千奈っちゃん、ひとりで、ど、どうしたのさ?」
『ああ、ごめん、ごめん……私、もしかしたら、智ちゃんが、いわゆる“素人探偵”になったのかな、って思って。美佳の事件を解決したことがきっかけで……』
「……」
『え? やっぱり、そうなの?』
「う、うん……ちょ、ちょっと、頼まれて」
『えー! すごーい! 智ちゃん、名探偵になっちゃったの?』
「め、名探偵かどうかは……」
『かっこいい! 尾神黎悧みたいじゃん!』
「そ、それは、言いすぎ……」
『智ちゃん、絶対似合ってるよ、名探偵』
「そ、そうかな……」智は、こほん、と咳払いをひとつして、「こ、この謎は、う、美しくありません……ね」
声優、速見燎の(似ていない)モノマネで、尾神の決め台詞を口にした。
『きゃー! かっこいい!』
「や、やめてよ……千奈っちゃん……い、今のは、聞かなかったことに……」
『智ちゃん、刑事さんと電話してたってことは、何かの事件の捜査中ってこと?』
「あ、それは――」
『あ! 分かった、あれだ! ほら、関沼逸司さんが殺された事件!』
「うっ……」
言葉に詰まった智だったが、自分が事件捜査に協力していることを他人にしゃべってはいけない、と言われているわけでもなく、相手が親友の千奈都だということもあり、
「そ、そうなんだ、実は……」
『やっぱり! 今、富山で起きてる大きな事件って、それくらいしかないもんね。……でも、まさか、関沼さんが殺されちゃうなんてね。びっくりしたよ、私。富山に在住してるプロの画家の中でも、関沼逸司って、有名なほうだもんね』
「そ、そうだね……」
この事件で関沼の名前を始めて聞いた智は、曖昧に応じてお茶を濁した。
『私、ちょっと前に美術雑誌で、関沼さんのインタビュー記事を読んだばっかりだったから……』
「ち、千奈っちゃん、そのインタビューって、もしかして、し、新作どうのこうのって言ってたやつ?」
「そうそう、それそれ。智ちゃんも読んだ?」
「うう……ああ、うん?」
智が、イエスともノーとも、どうとでも受け取られる返事をしているうちに、千奈都は、
『関沼さんの新作、私、見てみたかったなぁ……』
「千奈っちゃん、せ、関沼さんって、ど、どんな人だったの?」
『芸術家の先生だからって、全然偉ぶったところのない、いい人だったみたい。学校とか市役所とかに、格安で自分の作品を提供したりしてたんだって』
水希から聞いていたのと同じ情報だった。
『美術とか絵画を、高尚な趣味じゃなくて、もっと普通の人にも気軽に観賞してもらえるようなものにしたいって、あちこちのインタビューで言ってたんだよ。美術作品というものは、より多くの人の目と、手に触れるようにならないといけない、とかも言ってたなぁ。だから、版画の事件に、めちゃ怒ってたよね』
「は、版画の事件?」
『半年くらい前にあったじゃない。コレクターが、同じ版画をどんどん買い占めて、それを全部燃やしちゃったっていう事件』
「版画を燃やす?」
『そう。版画って原版から同じものを何枚も刷ることが出来るじゃない』
「うん。で、同じ版画を何枚も買って、も、燃やしちゃった人がいたってこと?」
『そうなの』
「な、何で、そんなことを……?」
『版画っていうのはね、刷る枚数を決めておいて、その決められた枚数を刷ったら、原版を廃棄しちゃうんだよ』
「えー! 何で? も、もったいない……」
『あまり数を刷ると、原版が痛んでしまって、作者が求めるクオリティが得られなくなるとかの理由もあるけど、一番の理由は、刷られた版画の価値を守るっていうことかな』
「そ、そうか、あまり刷りすぎると、い、一枚あたりの価値が落ちるから――あ! 同じ版画を燃やしたって、も、もしかして……」
『そうなんだよ。数が少なくなればなるほど、一枚あたりの版画の価値は上がるから。その人は、自分のコレクションの価値を上げるために、世の中に出回っている同じ版画を集めて、燃やしちゃったの』
「は、はあ……そ、そこまでする?」
『余程ひねくれたコレクターだったんだろうね』
「で、その話を聞いた、関沼さんが、お、怒ったと」
『そうなの。さっきも言ったけど、関沼さんは、美術を世間一般に広めたいって考えていたから、そういうコレクター気質の偏狭な考えに対して、すごく怒ったんだよ。芸術という人類共有の財産を独り占めしようとするのは、大変矮小な行為だって。関沼さんは、普通の人がふらっと美術商に入って、自分に合った服や家具を選ぶみたいに、気に入った絵を気軽に買って帰るっていう、芸術が日常生活に自然と溶け込んだ、そんな社会を目指したいってことも言ってたな』
「へえ……な、何だか、すごい人だったんだね。ほ、他には? 他には何か、か、変わったことを言っていたりした?」
被害者、関沼逸司の人となりについて知ることが、この事件を解決するための突破口になるのではないか? 智にはそんな予感がしていた。
『そうだねぇ……』千奈都は、しばらくの無言のあと、『……永遠』
「えっ?」
『自分の作品を永遠に残したい、って、そんなことも言ってた』
「永遠に残す……。それって、ピカソみたいな大芸術家になりたいってこと?」
『うーん、そういうんじゃなくてね……例えばさ、“絵”って、どんなに環境に気を遣って大事に保管していても、時間とともに絶対に痛んでくるわけじゃない』
「そ、それは、仕方ないよね」
『うん。仕方ないことんだけど、それでも、永遠に作品を残すことは、すべての芸術家の望みだからって、関沼さんはいつも考えてたんだって。通常のカンバスに絵の具で描くよりは経年劣化しにくいんじゃないかって、プラスチックの板にプラモデル用の塗料で絵を描くとか、そういう新しい試みも積極的にやってたんだって』
「へえ……。作品を永遠に残す、か……」
今度は智が無言になった。
『……智ちゃん』
「――あ、ご、ごめん……」
『急に黙って、どうしたの? あ、もしかして、何か閃いたとか?』
「え? あ、そ、そういうわけじゃぁ――」
『髪の毛かきむしって、フケを飛ばしてた?』
「き、金田一耕助じゃ、な、ないから……け、け、警部さん、わ、わかりましたよ……」
『それ、もしかしてモノマネ?』
「い、石坂浩二ヴァージョン……」
『智ちゃん、面白い! うん、さっきの尾神より似てた』
「そ、それは、ちょっと、し、心外だな……はは……」
電話を通じて、智と千奈都はしばし笑い合った。
『ねえ、智ちゃん』と、ひとしきり笑って千奈都が、『漫画部のことなんだけどさ……』
「あ、ご、ごめん……まだ、よ、読んでないや……」
千奈都が残していったノートは、まだ一度も開かれていなかった。
『ううん、いいの。だって、智ちゃん、事件で忙しかったんでしょ』
「あ、そ、それも、ないじゃないけど……」
『それとは別の話。さっきね、伊丹先生から電話があって』
伊丹は、千奈都が所属している漫画部の顧問教師だ。
「おお、いたみん」
智をはじめ、一部の生徒からは「いたみん」の愛称で呼ばれていた。
『うん。でね、申請していたタブレットの購入許可が下りたって』
「タ、タブレット? ああ、デジタルで漫画が描ける機材」
『そうなの。まだ、部員全員分はさすがに用意できないけどさ、代わりばんこに使っていこうと思ってるんだ。いよいようちの部もデジタル化だよ。IT革命だよ』
「IT、か、関係なくない?」
『これで、もう原稿にインクを垂らすこともなくなるし、スクリーントーンをケチらなくても済むようになるよ』
「あはは」
『原稿の紛失も防げるしね』
「そ、そうだね――」
『私、デジタルで漫画描くの初めてなんだ――』
「デジタル――ち、千奈っちゃん!」
『な、なに? 智ちゃん』
「ご、ごめん、ちょ、ちょっと……」
『どうしたの? あ、事件のことで何かあったの?』
「そ、そう……ま、また電話するから」
『うん。事件解決、期待してるから』
「あ、ありがと……」
『じゃあ、またね』
千奈都との通話が切れると、智はこれから訊くべきことを頭の中で整理してから、スマートフォンに向かって、
「篠原水希さんに電話して」
数回のコール音で、水希は電話に応答した。
『智ちゃん』
「み、水希さん、実は、し、調べて欲しいことが……」
『なに? 何でも言って』
「え、ええとですね……まず、家政婦の堀さんは、関沼さんのアトリエに入ったことはなかったそうですけど、と、ということは、アトリエに何が置いてあったかも、し、知らなかったわけですよね?」
『そうよ。現場から盗品がないか確認するために話を訊いたんだけど、アトリエに入ったことはないから、何がなくなっているかも分からないって、そう言っていたわ』
「あ、ありがとうございます。で、つ、次に、アトリエにあったパソコンが、どんなものだったかを……」
『どんなって、機種名とか?』
「い、いえ、ノート型だとか、据え置き型だとか、そ、そういった種類のことで……」
『それなら、据え置き型よ。正確には、ディスプレイ一体型のやつ。ちなみに、リンゴのマークでおなじみの機種よ』
「お、大きさは?」
『27インチだから、結構あるわよ。ちょっと待って、今、本部にいるから、ネットで調べてみるわ』
「す、すみません」
カタカタと軽快なキーボードのタッチ音をさせてから、水希は、
『高さ52センチ、幅65センチね。スタンドの奥行きも20センチあるわ』
「お、重さは?」
『9キロ近くあるわね』
「な、なるほど……そ、そんな大きくて重たいもの、人間が持ち運ぶのは難しいですよね」
『そうね――って、え? 大きくて、持ち運ぶ? 何を言ってるの? 智ちゃん』
「み、水希さん……」
『なに?』
「……は、犯人が、わ、わかりました」