Remote.02 永遠の芸術殺人事件 4/9
「まったく」と水希は呆れ顔で、「どうも、お前らと一緒だと、話がいちいち脱線しがちになるな」
「水希さんのせいじゃないすか――ぐわっ!」
大輔は腿にミドルキックを食らった。当然、智と通じているスマートフォンカメラの死角で。
『と、ということは……』その智の声が、『被害者が描いていた新作は、す、少なくとも30号のひとつ上の、40号以下のサイズの作品だったと見ていいわけですね。40号の上の50号になると、カンバスのサイズが窓の対角線の長さを超えて、も、持ち出せなくなってしまうから……』
「さすが智ちゃん、美術に詳しいのね」
『あ、いえ……私、ま、漫画部なので、イラストとか絵画のことも、あ、ある程度知っているんです……』
「ちなみに、大輔」と水希は会話相手を智の兄に変えて、「40号の辺の長さは100センチ、つまりメートルちょうどで、50号は116.7センチだ。どうだ、50号のカンバスが80センチ角の窓を通らないということが理解できるか」
「馬鹿にしないで下さいよ! それくらい分かりますって!」
『そ、それで、水希さん』スピーカーからの智の声が、『さっきの話で、犯人は被害者が散歩に出る時間や、ま、窓を開けておく癖があることを知っていた人物と思われているんですよね。だ、だったら、ある程度容疑者も絞り込めているのでは……?』
「さすが智ちゃん。実は、そのとおりなの」と水希は取り出した手帳をめくって、「捜査線上に浮かんでいる容疑者は、現在のところ三人。それも、全員にアリバイがなくって、しかも、動機は持っていたの。順番に話すわね」
『お、お願いします』
智の声を聞き、こほん、と咳払いをひとつしてから、水希は、
「まず……青村剛さん。被害者である関沼さんの作品を扱っている画商よ。被害者が駆け出しの新人の時期から作品を買い取っていたそうなの。画家の才能を見る目があったんでしょうね。そういった恩義もあって、関沼さんは自作のほとんどを青村の店に出していたらしいの」
『被害者とは、りょ、良好な関係に思えますけど?』
「うん、でもね、最近はそうでもなかったらしいわ。何でも、関沼さんは、絵画なんかの美術作品観賞の裾野を広げて、より多くの人に美術に親しんでもらいたいと思っていた人で、公共施設や学校なんかに、格安で自作品を提供したり、描き下ろしたりっていうことをしていたの」
『そ、それが動機になるんですか?』
「商売に関わることよ。関沼さんが作品を多く描きすぎると、一作あたりの価値が落ちてしまうからだって。それに、関沼さんが自分を通さずに格安で作品をあちこちに提供していたことも面白くなかったんでしょうね」
『ああ』
「青村さんは、事あるごとに関沼さんに、『作品点数を抑えたほうがいい』って忠告――というか、自分の要望ね――を伝えていたんだけれど、関沼さんは聞く耳を持たなかったらしいわ。それでも、関沼さんとの関係を壊したくないから、青村さんはそれ以上は何も言えなかったみたいなんだけどね」
『そ、そのことが、新作絵画を盗み出す犯行と、ど、どう繋がるんですか?』
「青村さんは、盗み出した新作を闇で売りさばくつもりなんじゃないか、って見られてる」
『や、闇?』
「そう。盗品なんて、当たり前だけど堂々と販売は出来ないけれど、世にいる美術コレクターに、『関沼逸司の世に出ていない作品だ』って売りつける、そういうルートも青村さんは持っていたらしいの。関沼さんの作品単価が下がったことを、それで補填しようとしていたんじゃないかと」
『な、なるほど……』
「じゃ、次、行ってもいい?」
『は、はい……』
智の了解を得ると、水希は手帳のページをめくって、
「二人目の容疑者は、八巻吾郎さん。被害者の高校時代からの友人で、現在は、自分で立ち上げたスマートフォン向けのゲームを開発する会社を経営しているわ。八巻さんは、自分でプログラムを組めて、イラストも描けるので、元々は個人で大手企業の下請けをしていたそうなんだけど、一念発起して仲間を集めて独立したそうよ」
『す、すごいですね』
「そうね。でも、ゲーム業界も競争が激しくって、なかなか経営を軌道に乗せるのは難しいみたい。開発した何本かのゲームも、売り上げ不振でほとんどがサービス終了の憂き目に遭っていて、結構な額の借金だけが残っている状態らしいわ」
『た、確かに、スマホゲームって、か、かなりのタイトルが群雄割拠してますからね……。そ、それじゃあ、その八巻さんの動機っていうのも?』
「そう。関沼逸司の、まだ世に出ていない新作絵画を盗み出して、金に換えようと目論んでいたのではないかと。八巻さんも、仕事の繋がりで美術品関連を扱う業者に知り合いがいたらしいから、作品さえ盗み出してしまえば、売りさばくルートはあったでしょうね」
『はあ。友情も、そうなってしまったら、は、儚いものですね……』
「まだ、いち容疑者の段階だけどね。……じゃあ、最後、行っていい?」
『ど、どうぞ』
智の声で、再び手帳をめくり、水希は、
「三人目の容疑者は、満崎幸太さん。関沼さんの弟子よ」
『お弟子さん』
「そう。半年くらい前に、その満崎さんが、ある公募に作品を出して、それが見事入選したんだけどね、その作品が、別の画家の盗作なんじゃないか、という疑惑が持ち上がったの。で、調べてみたら、構図から何から、確かに盗作元といわれている作品とそっくりで、満崎さん本人は最後まで否定していたけれど、結局その作品の入選は取り消されることになったの」
『それが、どうして、ど、動機になるんですか?』
「満崎さんの作品が盗作である疑いがある、と公募の主催者に申し入れをしたのが、師匠の関沼さんだったのよ」
『えー、お弟子さんなのに?』
「そういったところはシビアというか、曲がったことを許さない性格だったそうよ、関沼さんは。で、満崎さんは、『気づいたのだとしても、まずは自分だけにこっそりと忠告するものだろう。そうすれば、素直に作品を引き上げたのに』って、知り合いに恨み言をこぼしていたらしいわ」
『それって、と、盗作だったと認めているようなものなんじゃ……』
「で、その際に、『今度はあいつの作品を盗んでやる』みたいな物騒なことを口走っていたらしいの」
『や、やっぱり、完全に認めている……』
「もし、満崎さんが犯人なら、今度は“盗作”じゃなくて、物理的に作品を盗んだ、ということになるわね」
『わ、分からないですよ。もしかしたら、師匠の新作を誰も見たことがないのをいいことに模写して……というか、さ、作品そのものを自分の著作だと偽って世に出すつもりなのかも……』
「なるほど、そういう手もあるわね」
『も、もし、そうであれば、満崎さんにだけは、関沼さん殺害に対しても動機があることになります、よね』
「そうか、作者が死んでしまえば、それが盗作だと指摘できる人間はいなくなる。もし、満崎さんが犯人だったら、関沼さんの殺害も計画に入っていたのかもしれないわね」
『で、でも、そうなると、おかしなことが』
「え? なに?」
『さ、殺害も、犯行計画に入れていたのだとしたら、関沼さんが留守の時間に侵入したのは、へ、変だということになります』
「そうか、確実に関沼さんが在宅している時間を狙うはずだもんね。なるほど……さすが智ちゃんね」
『い、いえ……』
声に混じって聞こえる、ぽりぽりという擦過音は、智が頭をかいている音らしい。
『そ、それで、警察としては、誰が一番、あ、怪しいと考えているんですか?』
「ずばり言うと、画商の青村さんよ」
『そ、そのこころは?』
「犯人の目的が、関沼さんの新作を盗み出すことで、その目的を達したというのなら、絶対に必要なものがあるわ。何か、分かる?」
『……あ! 車!』
「さっすが。そう、なにせ盗み出そうというのは、30号――あくまで推定だけど――からのサイズの絵画よ。とても車なしで運搬できる代物じゃないわ。窓の外は雑木林だけど、そこを抜けたら結構人通りのある道路だからね。車なしで一メートル近いサイズのカンバスを持ち歩いたりしたら、間違いなく怪しまれて、見た人の記憶に残っちゃうもの」
『と、ということは、そういった怪しい人物を見たという目撃情報は、な、ないんですね』
「そうなの。ちなみに、アトリエから三人の容疑者の自宅までは、どこも数キロ離れてるわ。車なしで持ち帰ることの出来る距離じゃない。で、三人の容疑者のうちで、車を持っているのが青村さんだけということなの。弟子の満崎さんは、バイクなら持っているけどね」
『30号のカンバスを持ち運ぶには、バ、バイクじゃあ、難しいし、やっぱり目立っちゃいますね』
「どう? 智ちゃん。ここまで聞いて、何か気になることはある?」
『うーん……』
スマートフォンの向こうで、智は唸った。