第96話 結び結ばれ
女将とダンテシスは親子。そんなレヴィードの衝撃発言に女将は勿論、その場にいたラティスも驚きを隠せなかった。
「レヴィードちょっと待て!ということは女将さんが私の御祖母様なのか?」
「事実ならそういうことになるね」
慌てるラティスに対してレヴィードは至極冷静に答える。
「ふん。あの聖騎士団とかいうのは貴族の方だろ?こんなババアからどう転んでお偉い方が産まれるんだい」
「じゃあ女将さんはどうしてラティスを気にしてたんですか?自分の息子の面影がある女の子、気になったんじゃないですか?」
「…」
女将は強気な口調で否定するがレヴィードに反論できずにしばらく黙り、重たい口を開いた。
「…今更どの面下げて会えって言うんだい。自分の子を貴族に売った親なんか…」
女将は自嘲気味にダンテシスと自身の関係を話した。
時は45年前に遡り、女将は25歳の時にミケリジェンス・ローザリア、つまりダンテシスの父と出会った。歳は一回り近く離れ、立場も中央貴族の当主と一介の娼婦とあまりにもかけ離れていた。当初はただの客と娼婦というだけの肉体関係だけだったが会う度にお互いに想い愛し合い、2年後には身籠り、ダンテシスを産むまでの深い関係になった。
しかし貴族の清く正しい血を持つ者が後継者となるべきという風習によって娼婦であった女将はミケリジェンスの妻とは認められず、赤ん坊のダンテシスと共にローザリア家から引き離された。
それから女将は子が産まれたために娼婦としての人気を無くして夜の仕事を辞めたが、稼ぎは激減し、貯金もしていなかったためにすぐに困窮してしまう。
そんな貧しい日を過ごしてダンテシスが3歳になった頃、ローザリア家の使者がやって来てダンテシスをローザリア家に引き取る話が持ち上がり、女将はダンテシスの将来と多額の手切れ金から首を縦に振り、ダンテシスを手離しスタビュロ大陸からも去った。
「…とまぁ、これがあの子を捨てた経緯さ」
レヴィードもラティスも女将が語る過去を黙って聞き入って、何と応えるべきか考えていた。
「ラティス、って言ったね。最低なババアだろ。アンタの父親を金と引き換えに捨てたんだからね」
自己嫌悪にまみれた口調で女将は孫に訊ねた。
「…いいえ。私はそうは思いません」
軽蔑されると思っていた女将はラティスの意外な受け答えに目を丸くした。
「結果的にですが貴方のその判断で父上は生き、私が産まれてここに立っている。そのお話を聴いてそう思えます」
「…そう、言ってくれるのかい?優しい子に育てたもんだよ…」
今まで厳しい人という印象だった女将の目から涙が一筋流れる。
貧しいままでダンテシスを育てられる訳がない、だから貴族のところに送って正しかったんだと言い聞かせてきたが、それでも女将は親としての自責の念に苛まされていた。そんな辛い思いが少しほどけた瞬間だった。
「でも、よけさら会えないねぇ…。どんなに言い訳してもあの子を手離した事実は変わらない…。恨んでいるに違いないんだよ…」
それでも自責の念は払拭し切れず、女将はダンテシスと面と向かって会う決心はなかなかつかないようである。
「…あの女将さん。僕に提案があるのですが…」
「えっ…?」
レヴィードは勇気を踏み出せない女将にとある一計を授けた。
レヴィードとラティスは女将と話してからヨシノの玄関口であるものを待っていた。
「なぁ…レヴィード」
「なんだい?」
「父上は本当に自分の母を恨むだろうか?」
「ダンテシス卿だったら気にしなさそうではあるけど…実際はどうだろうね。そういうラティスはどうなの?自分のお婆ちゃんがああいう人で」
「私は…父上から聞いた話通りだなと思った。むしろ、詳しい心情も聴けて良かったというか…」
「レヴィード、ラティス」
レヴィードとラティスが話していると女将が巾着袋に入れた箱を持ってきた。
「卑怯な気もするけど…良いのかい?」
「はい。誰でも勇気を持って一歩を踏み出せる訳ではないですから。臆病でも前に進むことに意義がありますよ」
「そうかい…。じゃあ頼んだよ」
「はい」
レヴィードは女将から巾着袋を受け取るとラティスと共にダンテシスがいる忠剣組の屯所に向かった。
レヴィード達が屯所にたどり着くと守衛を務める隊員に呼び止められた。
「君達、何の用だ?」
「昨日捕縛されたダンテシス卿に面会と差し入れを渡しに来ました」
「面会?ならんならん。こちらの規則で出来ない決まりだ」
「そこを何とか…」
レヴィード達が隊員に頼み込んでいると屯所の玄関からキチマルとトシヒデが出てきた。
「おや?若旦那じゃありやせんか」
「キチマルさん」
「昨日のか。今日は何の用だ」
「ダンテシス卿の面会と差し入れを渡したくて来たのですが、お願いします」
レヴィードとラティスが頭を下げて頼むとトシヒデはキチマルの方をチラッと見て溜め息を一つ吐く。
「…分かった。ただし3分だけだぞ」
「ありがとうございます!」
レヴィードとラティスはトシヒデの後ろをついていき、ダンテシスが捕らわれている牢屋小屋に案内された。
「じゃあ今から3分だ。こんな事は特例だからな」
トシヒデはぶっきらぼうに言い放ってから牢屋小屋の入口を閉めた。
牢屋小屋の中は上方にある換気用に開けられた小窓からしか日光が入らないため薄暗く、石の床や壁からひんやりとした冷気がレヴィードとラティスの肌に伝わってくる。
レヴィードとラティスが牢屋の中を覗きながら進んでいると狭めの牢の中で一人胡座をかくダンテシスがいた。服役する者が着る質素な服を纏っていた。
「レヴィードとラティスか。よく来れたものだな」
「少しの間だけですが、許可は貰いました。思ったよりも父上が元気そうで何よりです」
「ふっ。心配するな。それで逮捕された聖騎士団長に何の用だ?」
「はい。差し入れを届けたくて来ました」
「差し入れ?ラティスならまだしもお主が来た理由がただ差し入れを渡すだけとは思えんな」
「そう懐疑的にならないで下さいよ」
レヴィードは微笑みながら女将から預かった巾着袋を開けて箱を取り出し、牢の隙間からその箱を入れる。
「どれどれ…ん?」
ダンテシスは箱を開けて中身を見て首を傾げた。箱の中身はサンドイッチで、ベーコンエッグを2枚のパンで挟んで半分に切っただけのシンプル過ぎるものだった。しかも卵は火が通り過ぎてトロリとせず、ベーコンは焦げて縁が黒く、パンは潰れて薄っぺらく、御世辞にも美味しそうとは言えない不格好なサンドイッチである。
「…」
しかしダンテシスはその粗悪なサンドイッチを目にしても不快に思わず、むしろ懐かしい気がして気分が落ち着いた。
「レヴィード。これはお主が作ったものではあるまい」
「はい。昨日、ダンテシス卿と目が合ったお婆さんが作ったものです」
「何だと、では…」
「おい、時間だ」
3分というのはあっという間でトシヒデがレヴィードとラティスを呼び戻しに来た。
「もうですか?」
「特例と言っただろう。駄々を捏ねるとお前も牢に入れるぞ」
トシヒデの圧にレヴィードとラティスもしょうがないと立ち去ろうとした時にダンテシスが呼び止めた。
「レヴィード、待ってくれ」
「なんでしょうか」
「その老婆は何処の誰なんだ?」
「この町のヨシノというお店の女将さんですよ。そのサンドイッチのお礼をしたければご自由に」
レヴィードはそれだけ言い残して、苛つくトシヒデに促されるまま牢屋から立ち去った。
「うっ…うっ…」
レヴィード達がいなくなってからダンテシスは目頭を熱くしながらサンドイッチを頬張った。
脳裏に微 かに残る記憶、貧しい暮らしの中で不器用な母が作ってくれた、初めて美味しいと喜んで食べた味を思い出してながら。
それから数日が経ち、ただでさえ賑わいを見せるモモハラがより一層賑わう祭の日が来た。
食べ物や遊技場の屋台が並び、陽気な笛や太鼓の音が町全体を盛り上げる。
「ピエールさんの演劇、面白かったね」
「…レヴィード様も気に入って下さり光栄です」
「原作と違うラストでしたけど、あれはあれで良かった気がしました~」
レヴィード達もすっかり祭を楽しみ、キラリアーヌ劇団の演劇を鑑賞し終えたところである。とはいえ名目上、レヴィード達はただ単に遊んでいる訳ではない。
「さすが女将さんが呼んだ劇団さん」
「面白かったわぁ」
レヴィード達は腕が立つ冒険者ということで護衛代わりにサクラとユリに随伴して祭を楽しんでいるのだ。
と言うのも遊女にとっても祭は特別な日で、遊女は普段暴漢に襲われないように夕方から夜は外出できず、ユリやサクラのような華嬢にもなれば客に外へ呼ばれない限りは店から出られない厳しい決まりがある。しかしこの祭の間だけはそれが免除され、世女などのお供と一緒ならば自由に外出できるのだ。
「ティップさん。何かあったら守ってねぇ」
「わ、分かっただよぉ…」
ユリが媚びる声でティップの腕を組む。当のティップは顔を真っ赤にして照れているが、他のみんなは弄ばれてるなと苦笑いを浮かべていた。
「それにしても華嬢って店の看板でもあるからもっと派手な出で立ちかなと思いましたが、意外と普通ですね」
「まぁ私達も華嬢である前に女ですから」
「そーそ。ウチらもたまには羽を伸ばしませんとぉ」
「おや、若旦那!また会いましたな」
レヴィード達がサクラとユリと談笑しながら町の人混みの中を歩いているとキチマルと会った。手には串焼き、頭にはお面とずいぶん祭を堪能しているようであった。
「やや!?そちらの方はもしや…」
「キチマルさん。今日彼女達は普通の女の子ですから、仕事の話は野暮ですよ」
「おっと、そうでした。あっしとした事がうっかり」
キチマルがへへっと愛想笑いをしながらレヴィードの一行に加わった。
「そう言えばキチマルさん、昨日トシヒデさんと一緒でしたけど知り合いなんですか?」
「まぁそうですな、普通の呑み仲間というか…。遊び人だと自然と色々な人間と結びつくもんでさぁ」
「はぁ…」(ヤトマの治安を預かる組織のナンバー2と知り合いって普通じゃないと思うけどね)
レヴィードはキチマルの謎の人脈を持てる正体を気にしたが、せっかくの祭で考える事ではないと割り切った。
「ふぅ…。あんまり外出せんから疲れるわぁ。ウチ、店に戻ろかなぁ。じゃあティップさん、送ってぇ」
「は、はい」
ユリとティップが途中で抜けたが、レヴィード達は街中を歩き回り、屋台の料理に舌鼓を打ち、遊技に興じた。
ヒュ~…ドン!
祭をさらに賑やかに彩るように夜空に大輪の花火が咲き、迫力ある爆発音が喧騒を裂いて存在感を示す。
「わぁ。綺麗」
祭を楽しむ誰しもが足を止めて夜空の闇に咲き乱れる光の花を眺める。
「…レヴィード様、ご覧になられてますか?」
「なんとか…」
「…差し出がましいようですが、肩車をしますか?」
「…じゃあ」
レヴィードがぺルルの申し出に照れくさそうにしていると異変が起こった。
ドガーン!!ババババッ!
明らかに打ち上げ花火とは違う爆音が鳴り響くと、建物の裏側から黒煙が立ち込める。
「た、大変だぁ!逃げろぉぉ!」
人混みの向こう側からの叫び声に、祭で賑わう町は一瞬で恐怖のドン底に落ちた。
「ちょっと見てくるよ」
慌てて逃げ惑う人々に事情は聞けないと判断したレヴィードは近くの建物の屋根に飛び乗り、その上を伝って騒動の中心の方へと走る。
「これは…」
レヴィードが見たのはごうごうと燃え盛る炎で、地面や周囲の建物にも飛び散ってあちこちに火をばら撒いていた。
「そこの坊や!危ないぞ、早く逃げな!」
下からの声にレヴィードが顔を出すと法被を着た中年の男性が注意をしてくれたようである。レヴィードは屋根から降りてその男性と話をする。
「何があったんですか?」
「一番デカイのを打ち上げようとしたら暴発して、周りの花火にも引火しちまったんだよ!」
「そうですか。ありがとうございます」
「お、おい君!」
レヴィードは男性の制止を振り切って炎に立ち向かう。
「流瀑水」
レヴィードは水の魔法で消火活動を始めた。本来ならばもっと広範囲に水を撒ける海龍水禍を使えれば良いが、威力が高すぎて建物を破壊しかねないため使えなかった。それ故にシロザクラの鞘で吸ったり狭い範囲で魔法を行使したりと、地道な作業となるしかなかった。
「火を消せ火を消せ!」
レヴィードが消火活動をしていると忠剣組が大量の桶を担ぎながらやって来て、建物に移った火に桶の水を掛けて鎮火していく。
(あ、トシヒデさん)
その消火活動の指揮を執っていたのはトシヒデのようで、レヴィードは駆け寄った。
「トシヒデさん!」
「お前か!何をしている!?」
「消火活動をしていました!水の魔法が使えるので!」
「そうか…ならヨシノに行ってくれ!」
「ヨシノに?」
「ヨシノにも引火したらしくてな。別動隊が行ってるが火の勢いが強いらしい」
「分かりました!迅雷脚」
レヴィードはトシヒデに頼まれ、魔法を使ってまで急いで向かった。
「あ、レヴィード!」
レヴィードが到着するとヨシノは予想以上に燃えており、建物の左半分は完全に炎が支配していた。
「人の避難は?」
「レヴィードさん!」
やって来たレヴィードを見るや、スズが泣きついてきた。
「ユリ大姐さんを…!ユリ大姐さんを!」
「えっ!?」
「それがユリさんだけが見当たらなくて…」
「それに聞けばティップの奴も中に飛び込んだらしい」
「…分かった」
「怪我してたら大変だし私も!」
「…お供します」
スズの訴えや仲間の話からレヴィードとフィーナとぺルルは燃え盛るヨシノに突入した。
一方、現在進行形で燃えているヨシノの二階でティップは奮闘していた。炎に怯むことなく、焼け落ちた木材の熱さに耐えて素手で道を作っていく。
「ティップさん!」
「大丈夫だよぉ…。オラが絶対…」
ガシャガシャガシャ…!
「…!」
炎は燃え広がって、天井の一部を焼け切ってユリに降らせる。ユリはもうダメだと目を閉じて身を屈めたが何も変化しなかった。どうしてだろうかとユリがそっと目を開けるとティップが覆い被さって守ってくれていた。
「ティップさん!?」
「怪我…してないだか…?」
ティップは心配させまいと笑おうとするが激痛が少し勝って表情は歪んでしまう。
「どうして…」
「その…好き…だから…」
「だって…ウチ、ティップさんのこと、純粋そうってからかって弄んだのよ…?もう色んな男に抱かれた女よ…?」
「オラも初めてだから分かんねぇけど…好きな人を…守りたいだよ…」
ティップの真っ直ぐ過ぎる気持ちにユリの視界は滲んでくる。
「ティップ!ユリさん!無事ですか!?幻霧陣」
「酷い怪我…」
「ティップ!今助けるからね!」
「…貴方も早く」
そこにレヴィード達が駆けつけた。レヴィードの魔法で辺りは冷たい霧に包まれて火の勢いが弱まり、ティップとユリは無事に救出された。
火災があった翌日。ヨシノは半焼したものの、規模の大きさからモモハラの顔とも言える店であり、女将の人望もあって優先的に再建工事が始められた。
トンテンカンと大工が金槌を奮う中、ティップとユリは縁側で寛いでいた。
「ティップさん…」
「もう平気だよ…」
ティップは背中や腕に火傷を負ったがフィーナの回復魔法で既に治っていた。
「あの…火事で言ったことは…」
「ホントだぁよ。オラ、ユリさんの事が…」
「…いいの?こんな女で?」
「ユリさんだから良いんだよ」
「…リリーア」
「えっ?」
「芸名じゃない本当の名前で呼んで…」
遊女が芸名ではない本名を明かす意味は貴方と生涯共にありたい、ということ。
ユリはもはや客商売で使う甘い声色も小悪魔的な態度も取れて、ただ純粋に恋する乙女となっていた。
ちょっと長めだったモモハラはここで止まります。




