第102話 ヤトマの歴史
レヴィード達が唖然とする中、明るく笑うキチマルは町民のような着物とはうって変わって、質感が優れた白地に金糸の刺繍が施された袍と生地が金色の艶がある袴を着用していた。
「驚きやしたかね、レヴィードの若旦那」
「は、はい…」
よもや町で会った陽気なおじさんが王本人とは思わず、レヴィード達はしどろもどろになる。
「ヤトマの王と露知らずとはいえ、道中の御無礼の…」
「いやいや。町民に紛れて市勢を覗くのはあっしの趣味みてぇなもんですからね。あっしの正体を知ってるのは一部の家臣と忠剣組の局長イサオ殿と副長のトシヒデ殿くらいのものでしてね」
(なるほど。トシヒデさんが言ってたある御方ってフジヒデ様の事か)
モモハラで聖騎士団との乱闘後、自分達が捕縛されなかったのはフジヒデの口添えだったのかとレヴィードは納得する。そう思うと今度はあの気になる人物もフジヒデに関係あるではないかと考え、レヴィードは改めて訊ねてみた。
「実は…旅の途中で狼の仮面の女忍者を見掛けるのですが、もしかしてフジヒデ様の関係者でしょうか?」
「あー。そやつの名はミナモと言いやしてね。トヨタマ家の影の剣や盾として仕えてくれている忍でさぁ。ミナモや、参れ」
フジヒデが手をパンパンと叩くと天井からあの女忍者が降りてきた。
「…」
ミナモは膝を着いたまま頭を少し下げただけで声を出すことはない。
「無口なんでね。決して無愛想って訳じゃあ…」
「はい、存じています。勇者リューゼに人質を取られた時、その人質を救ったのは彼女ですから、きっと心根は優しい方とお見受けします」
「うんうん」
ミナモの良さを分かってくれるかと、フジヒデは満足そうに頷く。
「ゴホン、さて…改めましてレヴィード御一行。アーノイの海賊殲滅、アクツ家のウチョウテンソウを原料とした悪薬の摘発、ヤトマを正す善行、大義であった」
「勿体無き御言葉、身に余る光栄です」
陽気なキチマルはヤトマの王フジヒデの顔になり、仰々しく礼を述べ、レヴィード達も一様に頭を下げる。
「もっと語りたいことはあれど、激戦を経てお疲れの筈。積もる話は明日にし、本日はごゆるりとこの城でお休みくだされ」
「ご厚意、感謝致します」
「客人を案内せい」
「はっ!ただいま!」
フジヒデの号令で女官十数人の行列が襖を開けて現れ、レヴィード達を部屋へと案内した。
レヴィード達が案内された部屋は豪華絢爛な大広間とは違って質実剛健とも言えるが、本当の意味で落ち着き安らげるもので、畳の手触りと香り、高名な芸術家が手掛けたであろう風情ある水墨画や生け花、備え付けられた美味しい茶菓子、さながら高級老舗旅館のようである。
「…ごめんなさい。上手く治らないみたい」
「ううん。勲章とでも思うよ」
襖1枚を隔てて男女別に分かれており、レヴィードはフージャの火山でつけた応急処置の火傷の跡を治そうとフィーナに治癒魔法を掛けてもらっていた。
「なんて痛々しい…」
「…我々もついていれば…。申し訳ございません」
しかし、レヴィードの胸と脚の焼け爛れた火傷の跡は恐らく生涯消えないものとなってしまった。その傷をぺルルとターシャが申し訳なさそうに眺める。
「もう済んだことだよ。それよりも」
レヴィードは寝そべるソシアスに目を向ける。斬られたソシアスの腕は水飴波が固まって上手く接着されているが、亀裂が深く残っている。
「150時間…だいたい1週間くらいだね」
「提案。完全休眠に移行すれば一切行動出来ない代わりに修復機能を活性化させ修復完了時間を70%短縮できます」
「ううん。僕達にとっても長い休息が必要だし、じっくり治すと良いよ。それにソシアスがずっと黙って眠り続けるのも寂しいからさ」
「…途中経過の報告が必要ということですか?」
「うーん…そうだね」
そんな事務的なことではないけれどソシアスらしいなとレヴィードは苦笑いを浮かべる。
「それと…」
「…」
レヴィードはカエデに視線をやる。カエデは布団の上で壁に寄り掛かって座っていた。
「…姉の艶紅、礼を言う」
「どういたしまして。…それでこれからどうするつもりですか?」
「姉の仇は討てたしな。成り行きでここにいるが仲間面するつもりはない。明日出ていく」
「仲間面っというよりも、もう仲間のつもりですけど?」
「だが…」
カエデは断ろうとするが、ふとレヴィード達と過ごした僅かな間の記憶を思い返すと言葉を続ける気が失せた。
「…そうだな。命を助けてもらい、姉の意志も伝えてくれた。その恩義には報いなければならないか」
「じゃあ…」
「ああ。お前がやりたい勇者リューゼの断罪、協力しよう」
「ありがとうご…ううん。もうありがとうで良いか。よろしくね、カエデ」
レヴィードとカエデは固く握手を交わした。
夕食を食べ、夜が更けて半月が仄かに光る頃、レヴィードはパチリと目を覚ました。
(うぅ…トイレ)
レヴィードは同室のティップとアインスを起こさぬようにそっと歩いて襖を開け、廊下を摺り足で移動した。
「ふぅ…ん?」
トイレを済ませて出てきたレヴィードは近くの階段の下から音が流れてくることに気付き、耳を澄ませた。
ポポンポロロンロ…
レヴィードの経験上、聞いたことはないが何かしらの弦楽器を弾く音のようで、ヤトマの楽曲であろうその旋律はレヴィードの耳に心地好くスッと流れる。穏やかな野原に流れる小川のせせらぎに似た癒しの音である。レヴィードはその音の正体を見ようと階段を降りた。
レヴィードが階下に着いて音が徐々に大きくなる方向へと歩いているとプツリと音が途絶えてしまった。
(まぁ…しばらく滞在するわけだし、機会があればフジヒデ様にお訊ねしよう)
レヴィードはそう思って若干の名残惜しさを残しつつ探検を終えて部屋に戻ろうとすると突き当たりの部屋の襖が開いて誰かが出てきた。
「ん?そこにいるのは誰ですかい?」
廊下の照明は月明かりだけなので薄暗いが、特徴ある声色のおかげでレヴィードは誰なのか容易に理解できた。
「夜分遅くに申し訳ありません。レヴィードでございます」
「あー。若旦那ですかい」
フジヒデであった。大広間の豪華な衣装は所謂公務用なのであろう、今のフジヒデは真っ白な着物の寝間着の姿であった。
「寝ボケて部屋を間違えやしたかね?」
「いえ。綺麗な音が聞こえたものですからそれが気になりまして」
「綺麗な音…あー、もしかして琴ですかい」
「コト?」
「百聞は一見に如かずってね。どうぞ見てくださいまし」
フジヒデは孫でも招くようにレヴィードを部屋に誘った。
「これは…」
部屋に招いたレヴィードのためにフジヒデが出したのは大きな弦楽器だった。それは並の大人の身長くらいの大きさで、木の小舟をひっくり返したような形をしており、そこに弦が13本張られている、レヴィードにとっては見たこともない楽器だった。
「これは琴と言う楽器でしてね。スタビュロには馴染みがないですかね」
「そうですね。僕がロマニエなどで見たことがある弦楽器はバイオリンとか…人が手に持てるものがほとんどですから」
「左様ですかい。じゃあお聴きなさいな」
そう言ってフジヒデは爪が付いた指輪を両手の五指に着け、琴の前に正座した。
ポポンポロロンロ…
フジヒデは爪付きの指輪で琴の弦を弾いていく。それはレヴィードが先程まで聞こえていた音に相違ないが、間近で聴く分、より綺麗に聴こえた。
「大変素晴らしいものを聴かせて下さり、ありがとうございます」
レヴィードは王族だからなどという世辞ではなく素直に綺麗な音だと思い、フジヒデを褒め称えた。
「いえいえ。下手の横好きってやつでさぁ。ミナモに比べれば全然でやすよ」
「ミナモさんが?」
「あっしに琴を教えてくれたのはミナモでしてね。他にも笛やら太鼓なんかも得意でして。ミナモ。参れ」
フジヒデが手を叩くと天井板の一部が外れてそこからミナモが降りてきた。
「レヴィード殿に軽く琴を教えておくれ」
「…かしこ参りました」
「えっ!?」
フジヒデはミナモにそう指示してそそくさと部屋を出た。レヴィードは琴を習うつもりはなく、ミナモと二人きりにされて戸惑う。
「…突然、申し訳ありません」
「い、いえ…」
「実は琴をお教えするつもりはありません」
「え?」
「レヴィード殿は星霜桜に行かれるためにヤトマへ来たのですよね?」
「はい」
「フジヒデ様より星霜桜について伝えよと仰せ付けておりますので、お伝えするためにこのような場を設けさせていただきました」
「はぁ…」(それならこんな手の込んだことしなくても話してくれれば良いのに)
「…星霜桜について話すに当たり、まずは私の正体を明かさなければなりません」
話している途中、ミナモはおもむろに自身の狼の仮面を外した。
「ミナモさん…」
レヴィードは息を呑んだ。ミナモの素顔は想像以上に幼く、触れたら熱で溶けてしまいそうな程の白い肌と青い宝石のような美しい瞳に惹かれるが、その美貌を打ち消すように魔族の証である禍々しい赤い角、正確にはそれがかつて生えていた証の根元があったのだ。
「魔族でしたか」
「いいえ。正確には半魔…魔族の父と人間の母の間に産まれた子です」
「じゃあ昔の人間と魔族は仲が良かったのですか?」
「いいえ。魔族への意識は今とさほど変わりありません。そんな時流の中で父と母は何を思って夫婦として私を産んだのか…知る術はありません」
「そう、ですか…」
レヴィードは魔族の話でエルピィの事を思い出す。
ミナモの父はエルピィのように人間と共にいたいと思ってミナモの母と愛し合ったのかと思いを馳せるが、同時にそういった境遇ゆえに人間からも魔族からも辛い差別が遭ったのだろうと想像され、陰鬱な雰囲気にならない内に話を進めようとレヴィードは思った。
「それでミナモさんと星霜桜にはどういった関係が?」
「恐らくフジヒデ様から星霜桜の不思議な霧について聞き及んでいるかと思いますが、そこにはかつて魔族が住む里があったのです」
「ん?あった、と過去形なのはもうないという事ですか?」
「はい。しかしその事情を話すにはヤトマの歴史を少し語らなければなりませんね」
ミナモは淡々とヤトマの歴史をレヴィードに聴かせた。
およそ400年前─
当時のヤトマの大陸には王族のような統治する者がおらず、人間・エルフ・獣人種・ドワーフ・鬼人種・魚人種・魔族がそれぞれの領土を持って暮らしており、星霜桜に住まう神の御遣いと呼ばれる存在を信仰していた。
「もしかしてその神の御遣いが精霊女王ですか?」
「申し訳ありませんが分かりません。私も会ったことがなく、トヨタマ家の歴史書にも記されていません。ただ神の御遣いは信仰に対してヤトマの土地に豊穣と繁栄をもたらしたとあるので強大な存在だったのは間違いないかと」
「そうですね」
しかし各種族の領土の境界線付近で小競り合いが頻発すると、次第に誰かがヤトマを統一して覇権を握るべきという気運が高まり、各種族は大名と呼ばれる有力者を立て、冷戦状態に入った。辛うじて冷戦に留まったのは神の御遣いの威光という名の暗黙の不戦協定のおかげであった。
しかし、その暗黙の不戦協定が破られる日が来てしまった。豪農から大名に成り上がったトヨタマ家が挙兵し、魔族の里を滅ぼしてしまったのだ。すると神の御遣いが舞い降り、裁きの鉄槌とばかりにトヨタマ家の兵と人間の領土に雷を落としてほぼ壊滅させてしまった。
それに戦慄した大名は争いを止め、しばらく平和な時代がやって来たのだが、それと同時に星霜桜に不思議な霧が現れ、今日まで誰も神の御遣いに会えなくなってしまったのだ。
「じゃあ今のトヨタマ家って…」
「滅ぼされたのはフジヒデ様直系の先祖の兄君でした」
「なるほど。今のトヨタマ家は弟君の方の血筋なのですね」
「はい。御当主様…フジヒデ様の御先祖様は挙兵に反対していた優しい御方で、壊滅した領土の復興に尽力しておられました。私が戒めの子として拾われたのもその頃です」
「戒めの子?」
「御当主様は神の御遣いの怒りや星霜桜の霧は魔族の里を滅ぼした、ヤトマに生きる命を蔑ろにした報いと考えておられ、敵対していたとはいえ魔族の里を滅ぼしてしまった償い、そして争う愚かさの教訓の象徴が私だと仰っていました。そして御当主様が亡き後には私を庇護し続けることをトヨタマ家の使命として定め、私は代々のトヨタマ家の当主のみが正体を知る影の忍者として仕えているのです」
一通り話し終えるとミナモは気まずそうな顔でレヴィードを見る。
「すみません。こんな夜分に話を長々と…」
「いえ。貴重なお話をありがとうございます」
申し訳なく表情を曇らせるミナモにレヴィードは頭を下げて礼を言う。
「それで…星霜桜の霧は一度も晴れたことはないのですか?」
「はい…。霧が掛かって早400年余り…晴れることは一度もなく、霧を抜けて星霜桜に辿り着いた者もいません。霞がかった星霜桜に向かって歩き続けても距離が全く縮まらないと言われています。…フジヒデ様も私も過去の文献の記録を細かく調べ、方法は分からずともせめて何かの手掛かりくらいはと探しているのですが…」
「そうですか…。そう言えば…」
レヴィードはミナモにセプトで出会った精霊・めるてぃえるの話を聴かせた。
「なるほど。神の御遣いが精霊に関わるのならば…有益な情報をありがとうございます」
「いえ。僕達自身も興味があるんですよ。最初は過去の歴史を知りたいというソシアスの願いでしたが、旅を続ける内に世界についてもっと知りたくなったのです」
道中で会った未知の不気味な化け物と戦って、化け物はどこから来たのか?エルピーと出会って、どうして魔族が憎まれるようになったのか?ネビュヘートの鋼の巨人を見て、大昔の遺物とソシアスの武装が似ていたのは何故なのか?リューゼの振る舞いを見て、過去の勇者はどうだったのだろうか?
レヴィードは旅をする内に知りたいと思う疑問に出会ってきた。
レヴィードは星霜桜に行けるのか、レヴィードはその答えを精霊女王から聞き出せるのか、レヴィードのヤトマでの旅はもう少し続く。
次回からは第7章に突入します。
更新は不定期ですが今後とも応援よろしくお願いします。
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