第98話 炎竜王との決闘
リューゼ達と相対した炎竜王の存在感は圧倒的だった。その低い声は耳に入るだけで本能に働きかけて危険と判断させ、ただ呼吸のために吐いた息は肌に触れただけで燃える松明を間近に突きつけられたような熱を帯びていた。
「ホゥ…」
炎竜王はリューゼ達を一瞥した後、感心するような声を挙げる。
「感ジルゾ…聖剣ト同ジ気配…賢者ノ籠手ト聖女ノスカーフカ…」
炎竜王の感嘆にリューゼはキッとレヴィードを睨みつける。
「聖女のスカーフ…!?まさか…」
「…ちぇっ」
言い訳は通用しないと判断したレヴィードは観念して小さく畳んで懐にしまっていた聖女のスカーフを取り出した。それは万が一ソシアスとカエデの逃走が失敗した場合、見逃してもらう取引材料としてレヴィードが用意していたものである。
「隠し持っていたとはな」
「別に欲しいとは言われなかったしね」
リューゼはズカズカとレヴィードに近寄って聖女のスカーフを取り上げると、聖女のスカーフは勇者に呼応するように煌めきを増す。
「ホゥ…。ソナタガ勇者カ」
「如何にも!俺様こそが勇者、リューゼ・ロマニエ!翼がある蜥蜴程度、早々に退治してくれる!」
「ドラゴンノ長デアル我ヲ蜥蜴呼バワリカ…面白イ!」
「ほざけ!暴風巻刃!!」
リューゼが魔法を唱えると炎竜王を包むように極太の竜巻が発生する。
「…フンッ」
「馬鹿な…!」
リューゼが放った魔法は攻撃対象を竜巻内部に閉じ込めてその中を縦横無尽に揺さぶり、全方位からの風の刃で斬り刻む風の大魔法である。並大抵のモンスターならば竜巻に振り回されながら微塵切りにされて原形を留めない挽肉のような物体になるが、炎竜王は1回の翼の羽ばたきで竜巻を吹き飛ばしてしまった。その体には血の一筋も流れておらず、それを見てリューゼは愕然とした。
「コノ程度カ…今度ハコチラノ番ダ。コオオォォオ」
「アンジェシカ、結界を張れ!デリュジスは俺様を守れ!」
「はい!光護盾(シャイニングシールド!)」
「…!」
「聖盾球殻!」
炎竜王が周囲の大気を吸い込み始め、リューゼとアンジェシカは防御魔法を張り、その二人の前にデリュジスが盾を構えて立って備える。
「ゴアアアアッ!!」
炎竜王が口を開いた瞬間、紅蓮の火炎放射のブレスが放たれ、吹き抜けるようにリューゼ達を通り過ぎた。
「…!」
「そんな…」
「…くそっ」
燃え盛る火炎のブレスが通った後の地面は真っ赤に熱せられて小火が浮かび、その熱波は二重の防御魔法を貫通してデリュジスの盾の表層を溶かし、その後ろのリューゼとアンジェシカの頬にヒリヒリと痺れるような火傷を負わせた。リューゼは聖女のスカーフのおかげですぐに治ったものの、その実力差を直に体感して腰が引ける。
「フンッ…グッ!」
炎竜王が勇者達がこの程度かと呆れていると突如後ろ足に痛みが走り、振り返ると眼下には小さな人間の子ども、レヴィードが立っていた。
「やっぱりそこは効くみたいだね」
「小僧…」
レヴィードは理解していた。ドラゴンの鱗は熱した鉄を叩くと不純物が飛んで強度が増すように、長年の過酷な環境や戦闘によって鱗が硬くなる性質があるということを。故にレヴィードはあまり攻撃されたことがないであろう後ろ足の関節の裏側を攻撃したのだ。
炎竜王はレヴィードのその知恵の回りよう、そして小さいながらもドラゴンの長である自分に果敢に挑んでくる勇気に関心を抱いた。
「フンッ!」
炎竜王が地を薙ぐように水平に太く長い尾を振り抜くがレヴィードはそれを高く跳んで避ける。
「ゴアアッ!!」
しかしそれを読んでいた炎竜王は空中のレヴィードめがけて火炎のブレスを放つ。早く撃ったために先程リューゼ達に放ったものよりも威力は落ちるものの、人間1人を灰にするには充分過ぎる火力である。
「おっと!」
しかしレヴィードが腰のシロザクラの鞘を抜いて火炎のブレスに翳すと、火炎のブレスは啜られる麺のように鞘に吸収された。
「ソノ力、マサカ…!」
炎竜王は攻撃を吸収された憤慨よりも驚愕を覚える。そして自身の炎を喰らったシロザクラの鞘を凝視する。
「ソノ剣ノ鞘…偉大ナル先代ノ…我ガ祖父ノ牙カ!」
「えっ!?」
レヴィードはシロザクラの鞘が炎竜王の牙から作られていることは聞いていたが、まさか目の前にいる炎竜王の近親者だとは思いもよらなかった。
「許サン…許サンゾォォオオッ!!」
自身の祖父の一部が人間の道具に成り下がった事が逆鱗に触れたか、炎竜王の激昂の雄叫びがフージャの火山に反響する。炎竜王は上空に舞い上がったと思いきや急降下してレヴィードに突撃する。
「おわっ!」
レヴィードはギリギリで転がって避ける。ただの体当たりとは言えども威力は凄まじく、炎竜王が通った地面は高速で飛行したことで発生した衝撃波によって干上がった川のような溝の形に抉れていた。レヴィードがその光景に唖然としている暇もなく炎竜王は旋回して再び突進してくる。
(中途半端な威力の魔法は通用しない)「海龍水禍!!」
その強力な突進に対してレヴィードも自身の最強の魔法をぶつける。魔法によって形成された水龍が炎竜王を喰らわんばかりの勢いで大顎を開きながら立ち向かう。
「グッ…グオッ、グガァァアアッ!!」
相性によるものか、さすがの炎竜王にも水龍の極寒の冷気と水量は堪えたようで突進力は鈍ったが相殺までに至らず、水龍は飛沫となって砕け散ってしまった。
「ンン?」
炎竜王はレヴィードの海龍水禍に打ち勝ったものの、肝心のレヴィードを見失ってしまった。
「…瞬氷結」
「グオッ!」
炎竜王が集中を一瞬緩めた瞬間、背筋に冷気が瞬く間に走り、翼が動かなくなり地面に墜落した。
「何ガ…」
炎竜王は首を回して自身の背中を見ると、背中に氷が張り、翼の付け根の周辺が分厚い氷に覆われて翼を動かせない状態になっていた。さらに後方ではレヴィードはしてやったりとした表情で炎竜王を眺めていた。
実はレヴィードは海龍水禍を放った直後に迅雷脚で強化した脚力で高く跳躍し、海龍水禍を突破してずぶ濡れになった炎竜王の背中に着地して瞬氷結で凍りつかせたのだ。
「ハアアァッ!」
炎竜王は火炎のブレスで自身を包み込んで氷を融かしてレヴィードを睨みつけた。
遠い昔、2000年前の勇者と先代であった祖父との戦いの話を幼き日の炎竜王は何度聞いても飽きずに目を輝かせていた。ドラゴンの中でも最強と謳われた祖父と渡り合える人間がこの世に存在するのかと興奮で心が昂り、その昔話を聞いた夜は眠れなかった程であった。
時は流れて100年少々前、人間がフージャの火山の開発のために大挙して攻めてきた際、祖父は老衰寸前の身でありながらも人間と戦い、己の命と引き換えにドラゴンの矜持と棲み家を守り抜いてみせた。
その後、炎竜王の称号を争って幾千もの同胞と闘い、従えていき、新しい炎竜王に君臨したがそれは退屈の始まりでもあった。炎竜王の称号を狙う他のドラゴンや冒険者とどれだけ闘っても最強であるために圧勝してしまい何の感慨も沸かず、闘争本能が満たされることなく鬱屈した年月を重ねていった。
しかし今、炎竜王の心は晴れていた。
「ゴアッ!」
「なんの!」
炎を撃っても無力化され、
ブオォン!
小さい故に爪も尾もなかなか当たらず、
「そこっ!」
「グッ…!」
そのクセに的確に懐に入り込んで斬りつけてくる。
(フッフッフッ…)
炎竜王は忌々しいと思う一方で、未だ嘗てここまで闘えた者はいたか、この血が滾るような高揚感はいつぶりであろうか、とレヴィードとの闘いに心踊らせていた。
「フンッ!」
炎竜王は地面を固く握って掴むとレヴィード目掛けて投げつける。人間から見れば大規模の崖崩れのような岩の攻撃である。
「四雷剣舞、面壁」
それに対してレヴィードは雷の刃4本の内、3本を繋いでバリアを形成すると落石を受け止め、そのまま炎竜王の方向に押し返した。
「ゴアッ!」
「点突」
炎竜王も負けじと火炎のブレスで返された岩を破壊するが、レヴィードは畳み掛けるように雷の刃を放つ。炎竜王は向かってくる雷の刃を尻尾で叩き落としたり手で握り潰したりと悉く破壊する。
「はぁぁあああっ!!」
「ナッ…グアアアァァアッ!?」
しかし四雷剣舞もレヴィードにとっては囮で、膝を曲げて屈んだ姿勢から迅雷脚で強化した跳躍力でバネのように飛び上がり、レヴィード自身が矢であるかのように炎竜王の右眼に突き刺さり、眼球を斬り裂いた。さすがの炎竜王でも片眼を潰された激痛には耐えられずに悲鳴を上げる。
「…黒天重球」
しかしレヴィードと炎竜王の決闘は意外な形で幕を降ろすことになる。岩の影に隠れていたリューゼが唱えたのは闇の魔法で、片眼を潰されて悶える炎竜王の頭上に真っ黒な球体が現れて炎竜王を押し潰していく。
「流瀑水!」
空中にいたレヴィードは流瀑水の噴射の勢いで咄嗟に回避して黒天重球から逃れたが、炎竜王は球体に押さえ付けられて地面にめり込んでいく。
「オノレ…ソレガ勇者ノ闘イカ!?卑怯者メ…!」
「ふん。要は勝てば良いのだ。くたばれ!」
「グアアアッ!!」
ピキピキ…ゴキャベキ!
黒い球体が炎竜王にのし掛かる度に翼や胴体から骨が軋み折れる音が響きつつも炎竜王は命乞いをするどころかリューゼを見下すような視線で睨みつける。
「我ハ、認メヌ…!貴様ノヨウナ者ガ、勇者ナド…グガッ!」
恨み言を呟いた後、炎竜王は口から大量の血が吐き出して沈黙した。
「ふっ…。やっとくたばったか。さて、聖剣を取るか」
炎竜王が死んだと判断したリューゼはアンジェシカとデリュジスを引き連れて奥の洞窟に向かった。
一方レヴィードはリューゼ達について行かず、ピチャ、ピチャと地面に広がるまだ生温かい血溜まりを踏みしめて横たわる炎竜王に近寄る。
「…」
レヴィードが炎竜王の下顎にそっと触れるとまだ熱があるものの何の反応も示さなかった。
そんな炎竜王の姿を見てレヴィードは割り切れない気持ちでいた。
リューゼの不意討ちは炎竜王のような強敵を倒す上である意味で正しく作戦勝ちだったと納得する合理的な思考と、生粋の武人との決闘に横槍を入れられたような哀愁の感情が混じる複雑なもので、少なくとも勝てたと素直に喜ぶ気分ではなかった。
「…っ!」
レヴィードが感傷に浸っている最中、殺気を感じて反射的に抜刀するとリューゼが斬り掛かってきた。
「死ね!」
恐らく迅雷脚と同質の加速の魔法で一気に間合いを詰めたのだろうが、レヴィードは辛うじてリューゼの斬撃を防ぐ。
「見える…見えるぞ…」
しかし、そこからレヴィードは奇妙な感覚に囚われる。レヴィードとリューゼの技量には著しい差があり、純粋な剣技においてレヴィードはまず負けない筈だが、打ち込み、横払い、突き、いくらレヴィードが攻めても悉くリューゼに弾かれてしまうのだ。
(読まれている…?いや、リューゼ王子にそんな事は無理なはず…)
「どうして斬れない、という顔をしているな」
リューゼは得意気にレヴィードに自身の剣を見せる。それは両刃の直剣で、上品な銀色の光沢を放ち、刀身に何かの紋章が刻まれている以外特徴のない剣である。
「これこそが勇者の聖剣プロヴィティア…俺様に未来を見せる剣だ」
「未来を…?迅雷脚」
「フッ…」
レヴィードは未来が見える剣なんてリューゼの虚言だと一気に加速して最速の突きを放つが先端を弾かれて止められてしまい、顔が青ざめる。
「くっ…」
その後もレヴィードは回り込んで横に薙いだり、超低姿勢からの切り上げに繋げてみたり、遠距離から魔法を放ったりもしたがどれもリューゼには届かなかった。
「さて、今度はこっちから行くぞ」
リューゼが勇者らしからぬ歪な笑みを浮かべながらレヴィードに襲い掛かる。
「…!」
「おらおら、どうした?」
レヴィードはリューゼの太刀筋に何とかギリギリで対応していくが次第に追い付けなくなり、とうとう一太刀を左腕に浴びてしまった。
「俺様には見えんだよ。お前がどうやって攻撃するのか、どうやって俺様から逃げるのかがな!」
さらにリューゼの攻撃は苛烈さが増し、レヴィードはシロザクラで受けるのを止めて後退しながら闘う。
「はぁっ!」
「がっ…!」
しかしそれもただの遅延でしかなく、レヴィードは脚を貫かれ、気付けば崖の縁に追いやられていた。生前の頃、裏切られて殺されたあの日の光景がレヴィードの脳裏に浮かぶ。
「皮肉だなぁ。お前はまた死ぬんだ。似たような場所でな!くたばれ亡霊!!」
ヴァシュッ!
「うっ…」
脚を負傷し、炎竜王との闘いで疲弊したレヴィードに回避する術はない。リューゼのプロヴィティアの刃がレヴィードを捉えて鮮血が飛び、レヴィードは背後の崖底に落ちていった。
「ハハハ…ハハ…ハーッハッハ!やった…やったぞ!」
かつて目を付けた女の幼馴染みという肩書きが気に入らずに抹殺し、その復讐のために現れたのだと怯えていた亡霊を今度こそ本当に葬ったと実感したリューゼの歓喜の笑い声はフージャの火山に山彦となって狂気を纏って響き渡った。




