五話・連絡と交渉
この回は長めです。
日が暮れて船が碇を下ろし、星が輝きを増す頃、ルリコは甲板に出た。甲板には至る所に松明が灯され、意外と明るい。前方にうっすらと島が見える。
ルリコは見回りの船員に挨拶をした後、周りをきょろきょろと見回した。
「誰も――いねぇな」
ルリコは確認すると、携帯を取出し電源を入れた。起動画面から、ラッセンのイルカの絵に切り替わる。アンテナは相変わらず三本。電池も減っていない。
画面は、五月十八日午前十時三十三分を指していた。
「……もう三日は経ってるけど。壊れた?」
ルリコが不安に思いながら画面を見ていると、着信履歴が大量にあった。メールも五つ届いている。日付は殆どが……十八日になってからだった。
「うわ!マジで、届くモンなのか?すげぇなド●モ!」
ルリコは目立たない様に、甲板の後方、二階建がある後ろへ隠れた。松明は小さいものしかないが、大して困らない。少し前には太いマストがあるので、音も周りには気付かれない、と思いたい。
着信履歴を確認すると、大半が妹、次に多いのは両親、学校の友人、ヤンキー仲間だった。時間はまんべんなくバラバラ。
「やべぇ……手がかりなしの失踪になっちまうよ。学校退学になりたくねぇ……」
ルリコは頭を抱えた。成績も学年二十番内に入っているし、生活態度も悪くない(つもりだ)。格好は昔のヤンキーだが、服装検査の度に
『制服の着こなしは、学校生活の中における自己表現の一つだと思っています。個性を無視するんですか?』
等、適当な事を言ってうやむやにしていたが、長期に渡って学校を休むと退学になりかねない。
(失踪届とか出すと大丈夫なのか?……上半身だけはギャルだし。あー、でもポリとマスコミのお世話にはなりたくねー。有る事無い事言われたくねぇー)
ルリコは頭を掻き毟りながらメールを見た。『遅いけどどうかした?』『お姉、お父さんもお母さんも心配してるよ!早く帰って来て!』『今日、風邪?休み?中間なのに!?』と心配する内容が殆どだ。
(ホームシックだ……帰って風呂入ってトリートメントして、誰か蹴り飛ばしたい)
ルリコは滲んできた涙を乱暴に拭った。拭っている途中である事に気づく。
(もしかしたら――携帯通じるんじゃね?メールも着信も来てるし。……よし、1度試してっか)
ルリコは動悸を抑える様に深呼吸し、電話帳から妹の――深海アイの番号を表示した。 十五分前にも着信が入っていたので、中学をサボったのだろう。
(アイは自称、ライトヲタクだからな……異世界位じゃ驚かんかも)
ルリコは電話帳をかけると、うろうろと歩きながら周りを見渡した。
(アイ、早く出ろ!)
念じながら鳥の鳴き声の呼び出し音を聞いていると、『はい』と平淡な声がした。
「アイ!あたし、あたし!ルリ」
ルリコは詐欺っぽいかなと思いながら、アイの反応を待った。
『お姉……?え!本当にお姉なの?誰かに捕まった?大丈夫?怪我してないよね!?頭に連絡とってあげようか!』
電話の向こうでわめきたてるアイに対し、ルリコは「しぃー」と囁いた。マナーモードなので聞こえている筈だ。
「悪い、アイ。こっち電気が今の所ないから手短に言う」
ルリコはもう一度深呼吸をした。
「あたし、どうやら異世界来ちゃったみたい。どうしたらイイ?」
またアイの反応を待つと、アイは震えた声で呟いた。
『……お姉、マジ?』
「マジ。オ・ル・マリヴェスタ群島諸国連合なんて聞いた事あるか?」
『……ない……。ネットで調べる?』
アイは疑って無いようだが、電池が惜しいのでルリコは続ける。
「要らん。で、あんた、良く小説読んでんじゃん。可愛い絵の。どうしたらあたし帰れると思う?」
『……えっと、勇者としてお姉が召還されたとか!魔王とかいる?』
「話題に出てないな。いないんじゃね?」
『召還術師や魔法使いは?』
「“ま”の字もでてねぇな」
『え、えっとー、何か能力目覚めた?体で変わったとこ有る?住んでる人は人間?月と太陽は一つずつ?』
「能力か――魚が良く釣れたな。怪我の治りが遅いな。見た目は皆さん、人間だな。月も太陽も一つ。後、こっちは四日も経ってる」
『四日!?まだお姉がいなくなって半日位しか経ってないよ!?市民センターの人に電話して、昨日の九時四十分には出たって確認してるし!』
騒ぎたてるアイを落ち着かせるように、ルリコはふう、と息を吐いた。
「アイよ、落ちつけ。姉がいるのは、異世界だ」
電話向こうのアイがぴたりと黙った。
『そっか。異世界だもんね、何があってもおかしくないよね』
ルリコはアイの理解力に舌を巻いた。反対の立場だったら『取り敢えず寝直せ』と言っていたに違いない。アイには元の世界に戻れたら土下座しながら感謝の言葉を言おうと誓った。続けて、アイに頼み事を相談する。
「だからアイに頼みがあるんだけど、学校退学しない様に何とかして?あたしも帰る方法探すけど、どれだけかかるかわからねぇ。帰ったらダッツ十二個とDVD奢る」『
……お姉の頼みならタダでいいけど。貰えるなら貰うけどね。じゃ明日、何とかしてみる』
「アイ、ありがと」
『いーえー、二人きりの姉妹ですもの!じゃあさ、お姉。メールで色々送ってくんない?メールだったら怪しまれないし。写メだともっとイイな!そっちの風景見てみたい!』
「分かった。電池無くなんないように頑張る。アイもあたしみたいにサボらず学校も行けよ」
『もう、お姉までお母さんと同じ事言う!電源――じゃなくて、まずは魔法使い見つけてね!異世界だからきっといるよ!』
「ああ」
ルリコは笑みを浮かべた。魔法使いはいない、と思ったが、アイが言うならいる気がする。
「じゃ切るぞ」
『あ!まって!これだけは言う!』
「どした?」
ルリコは首を傾げてアイの言葉を待った。電話向こうのアイは不安げに呟く。
『妊娠とかしないでね。わたし十五歳で“おばさん”になりたくない』
「……そっちの心配は要らねぇよ。また連絡する。じゃな」
ルリコは冷たく電話を切った。アイなりに励まそうとしたのかも知れないが、ちょっと冷たかったかも知れない。昼間と違い、少し元気が出てきたルリコは、軽くストレッチをした。
「さて、アイにメール打とう」
携帯を服に仕舞い込み、ルリコは船室に向かおうと歩いた。すると、船の舳先から、ツリ目の男がぼんやり歩いてきた。
「…………ルリコさん」
ツリ目の男――イオシフは、ルリコに向かい深々と頭を下げた。いつの間にか“さん”付けになっている。絞られたらしい。
「先日は、誠に、申し訳ありません」
喉の奥から絞り出すような声に、ルリコは相当責められたのか、とちょっと可哀想に思った。
「あまり気にしてないので、もういいです。それじゃ」
ルリコはあっさりと言い、船室に戻ろうとしたが、イオシフに腕を掴まれた。
「……いえ、ルリコさん。あなたにお話があります」
腕を掴まれたまま、片眉を上げたルリコがイオシフを見ると、丁度舳先からオッサン船員二人が歩いて来た。ルリコ達に気付き、隠れる気がないのか、マストとロープの後ろに身を寄せた。
顔だけはしっかりこちらを向いている。
「皆に見られて平気な話ですか?」
ルリコはイオシフの後方に隠れているつもりの二人を指差した。イオシフは後方を見て、舌打ちをし、ルリコを見る。
「いえ……では、私の部屋に行きましょうか」
イオシフはルリコの腕を離し、ずんずんと船室に向かい歩きだした。ルリコは歩きながら、冷静に声をかける。
「イオシフさん、わたし少々冷えてしまったので、何が羽織って来ても宜しいでしょうか?」
船室通路への扉を開けると、イオシフは視線のみを背後に向けた。
「……どうぞ」
「ありがとうございます」
二人は通路を歩き、ルリコの部屋の前で止まった。会釈しながら中に入り、薄手のクリーム色のショールを取った。携帯の電源を切り、ベッドの下へ隠し、カーテンを引いた棚から小物の入ったジップロックを取り出した。シャツワンピの中に突っ込む。
「お待たせしました」
ルリコはショールを羽織りながらイオシフに微笑んだ。
「では、こちらに――」
イオシフはすぐに正面を向き、あまり足音を立てずに歩きだす。
アタミの部屋の前を横切り、洗面所の近くで左へ曲がった。
(船のトイレは、大変なんだよな……)
ルリコがぼんやり考えながら歩いてゆくと、イオシフが突然止まった。ルリコも続いて止まる。
「こちらです」
イオシフは黒い扉を開け、ルリコを招き入れた。
書類や布袋、木箱などが至る所に積み重なっている広い部屋だ。家具は殆ど無い。中央に大きな黒いテーブルと椅子がある。イオシフが手早くランプを三つ点灯すると、大分明るくなった。明るくなったことでデカいベッドが嫌でも目に入る。
(……いや、そーゆーんじゃ無い事はわかってるし)
ルリコは無表情のまま座らされ、対面にイオシフが座る。イオシフは指を組み、ルリコを静かに見た。
「さて、ルリコさん――」
「理解しているので余計な口上は不要です」
ルリコはイオシフの言葉を遮るように言い放つ。
「イオシフさん、次の島で降ろして頂けませんか?皆様に悪いと思いますが出来れば内密に」
イオシフはルリコを見て、つり上がった目を細めた。
「……何故、あなたに降りて貰うと分かったのですか?」
「普通に考えれば分かる事です。大事な取引を終えた後に、海で拾った不審者を長期間置いてはおけないでしょう?――この船の方々は、かなりのお人好しですが」
ルリコが一気に言うと、イオシフは目を閉じため息を吐いた。
「ノルヴェスタ国の人々の祖先は、様々な大陸からの移民なのです。困っている人がいれば皆で助ける、と言う事はノルヴェスタでは常識です」
(ノルヴェスタは良い国だな……ま、暫く行かないようにするか)
ルリコは異世界の常識にちょっぴり感動した。気を取り直し、イオシフに話し掛ける。
「降ろして貰うに当たり、困る事がありまして。わたしはこの国の通貨を持っていません。荷物から換金出来そうな物を分けて来たので、買い取って下さい」
イオシフはツリ目を少し見開いた。
「良いでしょう。品目は?」
「大体、装飾品ですね」
イオシフは立ち上がり、棚から大きなランプを出して来た。火を灯し、テーブルの真上の金具にランプを引っ掛けると、かなり明るくなった。オレンジではなく白に近い光にルリコは驚く。
「では、見せて下さい」
イオシフが椅子に座り直すと、ルリコはジップロックを開けた。
サファイア、レッドスピネル、エメラルド、アイオライト、アパタイト、ペリドット、ロードクロサイト、レインボームーンストーンの大粒ピアス。金具もプラチナ、シルバー、ゴールド、ピンクゴールド、ホワイトゴールドと素材もデザインも様々。
但し、どれも片方のみ。
種類を分けながら説明していると、イオシフが呆れた様に声を洩らした。
「……こんなに隠し持っていたんですか」
「隠し持っていた、とは人聞きの悪い。すべて貰い物です」
ルリコは不機嫌そうに眉根を寄せた。
これはタキさん――ルリコがバイトしている骨董屋の奥様のお土産である。向こうの蚤の市で片方ずつのピアスを見付けては『ちょっと時代遅れ』『石留めが甘い』『この値段じゃ誰も買わないから安くしろ』等、文句を付け二束三文で買い叩いて来る。海外でも“おばさま”は畏怖すべき物らしい。そのピアスを、帰国する度にルリコに『お土産!』とアンティークのピアススタンドごと押しつけて来る。
しかし溜まる一方なので、好きなデザインでは無い物を、骨董屋の一角で“中古・千円均一”で売っている。ちゃんと消毒はしているので良く売れる。
宝石なんかは高校生には分相応ではないが、栄造さんに『こっちの世界に来るなら本物を毎日見てろ』と言われたでつけている。進むと決めた訳ではないが。
「珊瑚や真珠、琥珀などはこの国では比較的安価ですが、こういった貴石は大陸に行かないと手に入りませんからね!高価で売れます。カットもしっかりしていますし」
イオシフは手袋を着けてピアスを眺め、少し興奮した様子で答えた。
(やっぱコイツも商人だな)
ルリコは万華鏡のストラップをイオシフに突き出す。
「万華鏡、カレイドスコープです。見てください――そう、そちらの穴の中を覗くと……」
「おお!」
イオシフは大声を上げた。大の男が万華鏡を覗いて大喜びする姿は、見ていると少々白けた気分になる。ルリコは頬杖を付きジップロックを見た。
(万華鏡は江戸時代に輸入された。流石にこの時代には無かったか……原理は割と単純なんだがね)
「それ、万華鏡は、意外と原理は単純です。光の加減と鏡の効果で見えるんです。
上下透けた円筒型の容器に、三面に合わせた鏡を作って、下部分に透ける紙貼って、小さく切った色紙やビーズ入れて、紙やビーズがこぼれない様に透明な何かで蓋をして、覗き窓付ければ完成です。ビーズや色紙入れすぎると綺麗に見えないので注意して下さい。
外身が味気ないので、柄の入った紙を貼りつけるのも忘れないで下さいね」
万華鏡に夢中になっていたイオシフは、顔をあげてルリコを見た。右目まわりに窓の跡がくっきりと付き、ルリコは込み上げてくる笑いを必死で耐えた。
「意外とすぐ作れそうですね」
「わたしの国では十二歳位には作れる様になります」
(まあ、材料があれば。アイが取ってた科学雑誌の付録だったしな。代わりに作ってやったのも、今では懐かしい思い出……)
イオシフが難しい顔をして十センチ程の万華鏡を睨む。
(後、一押しみてぇだな)
ルリコは邪悪に微笑むと、ジップロックをまさぐりながら平坦な声で呟いた。
「誰も気付かない内に作れば、ボロ儲けだと思いますが、ね。それでは、返してください」
『返して下さい』の言葉に、イオシフは目をこれでもかァ!と見開いた。見開いた目の色が暗い赤色な事に気付き、ルリコは表情も変えず驚いた。
「買い取ってくれないなら返して下さい。私にとってコレを売るのは誰でも良いのですから」
感情を込めずに言い放つと、イオシフは諦めた様にため息を付いた。
「……ルリコさんが、一枚上手のようだ。ピアスとマンゲキョウ、買い取らせて貰う」
ルリコはジップロックを締めながら、イオシフの言葉に眉を吊り上げ口元を引きつらせた。
「万華鏡は“カレイドスコープ”と言って下さい。風情がありません」
ルリコは内心、汗をだらだらかいていた。
(全ッッ然気付かなかったけど、カタコトで言われると卑猥な気が!意外!ヤベェ!)
「――で、幾ら位で買い取って貰えるのですか?」
冷静さを取り戻したルリコが言うと、イオシフは机の鍵を開け、金属の棒を取り出すと無造作に机の端に刺した。すると机中央かカタン、と渇いた音がし、指で中央を押すと机の板が浮いた。
隙間が空いた部分に指を掛け、板を引き上げると、テーブル中央に細長い隙間があり、様々な色の紐で束ねられた紙束が幾つも置かれていた。 紙束に書かれた文字は分からなかったが、ルリコは金の匂いがすると察知した。
(仕掛け机……用事深いこった。キライじゃないけどな)
イオシフは赤い紙束と青い紙束を持ち、何枚か抜いた。
「こちらが、えー、カレイドスコープの分」
置かれたのは赤い紙五枚。
「で、こちらがピアスの分です」
続けて置かれたのは、青い紙十六枚。ピアス一つに付き二枚。
(紙幣なのか。異世界は金貨だと思ったんだけど。価値は赤>青――んー、基礎価値がいまいち分からん。まあいい……さ、勝負はここからだぜ)
ルリコはふう、と息を吐くと目を伏せ、不満そうに言った。
「それだけ、ですか?」
イオシフの手が止まった。
「割と、価値のあるものだと思ったのですが……ね」
実際そうだろう。型が古くて石留め甘くて二束三文でも石は六ミリクラス、現代の加工技術が上の筈。
万華鏡も十七世紀のフェルマーの定理の基礎原理を使った幾何光学、物理の(略)
イオシフは無言で青紙束に四枚、追加した。
「それに、カレイドスコープを上手く、商品化すれば……」
イオシフは更に、赤紙幣を二枚置いた。
「ノルヴェスタの方なら心付け位出して頂くべき、だと思いますが。わたしはね」
イオシフは青紙幣を三枚置いた。若干顔色が悪い。
(こんだけ札束持ってんのによぉ……鬼ケチ野郎め)
ルリコは不機嫌な顔つきのまま、顔色が悪いイオシフをちらりと見た後、一瞬で紙幣を数えた。
赤紙幣、七枚。
青紙幣、二十三枚。
(もう許してやるか。精々、寛容なあたしに感謝しろ)
ルリコは不機嫌から一転、輝くばかりの営業スマイルでイオシフに言った。
「では、これで取引成立ですね」
いきなり笑顔で言いだしたルリコにイオシフは若干引いていた。
「な、納得して頂けた様で……」
イオシフは仕掛け机を元に戻しながら、ルリコを見ずに言った。
「それでもう一つ、お願いがあります」
ルリコは“お願い”の部分でイオシフの肩がびくり、と震えたのを見逃さなかった。
「イオシフさんのお陰でお金は手に入りましたが、価値と通貨種類を教えて頂け
ませんか?」
ルリコがにこやかに言うと、イオシフは再び顔を青ざめさせた。
「……知らなかったんですか?」
「一言も、言っていませんが」
イオシフは左手を目蓋に当て、深々と息を吐いた。
「…………人魚の海域にいただけあって、本当に人魚ですね」
かなり小さい声だったが、ルリコにはしっかり聞こえていた。前後関係から悪口だと思い、イオシフを睨む。
「聞こえていますよ、しっかりと。お褒めの言葉、ありがとうございます。で、教えて頂けないのですか?」
イオシフは少しの間停止したが、腕を下ろし、けだるげにルリコを見た。
「わかりました。まず、この赤い紙幣は――」
「失礼しました」
ルリコは棒読みでイオシフに言った後、静かに部屋を出た。ジップロックを服の中にしまい込もうとごそごそしていると、通路からアタミが歩いて来た。慌ててショールを体にキツく巻き付ける。
「ん?ルリコ!――こんな時間に何故、イオシフの部屋に?」
「え、ええ、少々相談がありまして……そのへんに居たイオシフさんに相談を」
(いい人に嘘付くのはツライんだよなー悪いヤツには何とも思わねェけど)
「では、お休みなさい」
誤魔化す事にしたルリコはショールを押さえながら足早に去っていった。
アタミは不審に思いながら、イオシフの部屋を開ける。所々にランプが付いた部屋は大分明るい。イオシフは無駄に大きいベッドに突っ伏していた。人が入って来た気配に顔を向けると、素早く跳ね起きた。
「――副船長!何か!」
「いや、大したことじゃない。航路の最終確認だ、明日早朝でもいい」
「申し訳ないですが……明日にして頂けますか」
アタミは片眉を少し上げた。
「珍しいな」
「今日は少々、疲れたもので……」
イオシフは乱暴に髪を撫で付けた。少し苛立った様子に、アタミは足早に去っていったルリコの事を思い出した。
「この分なら明日の夜には着ける。陸でゆっくり休めるな」
「そうですね。明日は――ゆっくり出来そうです」
ランプをぼんやり見つめはじめたイオシフに、アタミは首を傾げた。
「本当に疲れてるんだな。じゃ、早朝に集合で」
「了解です」
イオシフが再びベッドに突っ伏すのを見て、アタミは静かに部屋を出た。
「ふう」
部屋に戻ったルリコは、暗い中手探りでオイルランプを取り、ライターで火を点けた。トレイに入った火打ち石はあるが、文明人であるルリコは暗い中では付けれるか自信が無い。
“売れそうなもの”ジップロックを棚に戻し、財布とジップロックの箱を取り出した。 財布の中にあった六千円を折り畳んで仕舞い、無造作に三枚を入れる。化粧ポーチにも三枚入れ、ブーツの底に二枚ずつ入れておいた。コレで財布スられても凌げる、と思う。
残りは箱から出したジップロックに入れて鞄へしまった。
「じゃ、アイにメールするか」
長文を考えつつ、ルリコ寝転がりながらメールを打つ。考えながら打っていたので大分時間がかかってしまった。時間も頭に入って来ない。メールを送信すると、眠気と戦いながら電源を切った。ランプを消そうとゆっくりベッドから起き上がると、月が見えた。
青白く大きい月が、ぼんやりと笠をかぶり滲んでいた。
「明日も雨振るのかな。当てにならねぇけど」
ルリコはそう呟き、ランプを吹き消した。
長くなりました。視神経がきっとお疲れです。