四話・某俳優の様に大物が釣りたい
拾われて今日で三日目。
青空が切れ切れに見える甲板の上で、ルリコは釣りをしていた。あの魔海の尖兵――オオイワフナムシは、良く晴れた波の高い日に泳ぐらしい。今日なら大丈夫と、朝食時にエウラに保証され、甲板に出た。
掃除や波をみている海の男達に挨拶をしていると、端っこで釣りをしている白髪混じりの海の男を見つけた。「釣れますか?」とルリコが声をかけると、「全然だから嬢ちゃんも手伝ってくれ」と誘われ、今に至る。
ゆるい潮風がルリコのプリン色の髪を揺らす。澄んだ青い海には所々白波が立ち、遠くに黒い島影や船影が揺らめく。時々鱗を輝かせながら、飛び魚の群れが跳ねた。
ルリコは軽く握った釣竿に振動を感じ、強く握り直す。水面に浮いた羊の腸で作った浮きが沈むと、何度か震えを数えたのち、勢い良く甲板に引き揚げた。
釣竿には三匹の魚が針にかかっていた。
「ほう、うまいもんだ」
隣にいた白髪混じりの中年がニヤリと笑う。ルリコは針から魚を外しながら中年をちらりと見ると、呟いた。
「ニコスさん、引いてます」
「お?うぉっ!」
白髪混じりの中年――ニコスは慌てて竿を上げるが、三つの針には餌すら付いていなかった。
「あちゃー…嬢ちゃんみてぇには行かねえな…」
ニコスは息を吐きながら座り込み、釣竿を置いた。ルリコは反応せず、海水の入った大型のタライに魚を投げ入れる。二十匹程の様々な魚が泳いでいた。入れ食いフィーバー状態に近いが、何故か全く中年は釣れていない。
しゃがんだルリコは上部に丸い穴が開いた黒い木箱を開けた。 中にはミルワームに似た蛾の幼虫がみっしりと入っている。躊躇せず素手で三匹取り、針に手際よく付けていった。
「嬢ちゃんすげえな…」
「フナムシに比べればまだマシですから」
ルリコは立ち上がり、手首のスナップを効かせ釣竿をしならせた。ヒュッと音がし、海面に浮きが着水する。先程よりも強い風を受け、ルリコの緑色のシャツワンピがはためく。
「風が変わったな…」
ニコスは「よっこらさ」と言いながら上げた腰を叩いた。
「じゃあなルリコ嬢ちゃん、一雨来る前に引き上げろよ」
「お気遣いありがとうございます」
釣竿を肩に乗せ、ニコスは悠然と歩いていく。遠くで帆の向き替えるかー?と声が聞こえた。
太いマストは二本あり、より近い後方のマストをルリコは見上げた。がま口財布に紙束とコインが詰まった柄が群島商人組合のロゴらしい。
……悪趣味で分かりやすい。
再び竿が引かれる感覚に、ルリコは釣竿に集中した。何度が振動を感じてから一気に引き揚げると、二匹の魚と一匹の小魚が釣れていた。小魚を外し、海へと投げると、どこからかウミネコが飛んできて小魚をくわえていった。
伯母直伝の釣り方は異世界でも役に立っている。無事に戻れたら鳩サブレでも送りつけようとルリコは誓った。
二匹の魚をタライへと放ると、「もう充分かな」と片付けを始める。
幼虫みっしりの箱を閉め、籐らしき籠に入れた後、底の革紐でしっかりと固定する。釣竿に三回ほど釣糸を巻き付け、幅広の布で針部分を重点的に縛る。ニコスがこれでイイ、と言ったので間違ってると思いつつもルリコは言われた通りに片付けてゆく。
つるつるした黒い釣糸は、クロウミズグモと言う蜘蛛の糸らしい。群島周辺に住む、海面や水面に巣を作る変わった黒い蜘蛛だ。
大きな得物相手には、同種のクロオオウミズグモと言う蜘蛛の糸で勝負すると聞いた。滑車と皮のベルトが付いた大物勝負用の釣具もあったが、一人じゃ厳しいとニコスに言われたので諦めた。ニコスは手伝ってくれない。
片付け終えたルリコは甲板を囲う柵の前、隙間が空いた部分を前にし体育座りをした。腕は膝を抱くように組む。灰色をした厚手の半端丈ズボンの、側に付いた黄緑のビーズが澄んだ音をたてた。サンダルはキャラメル色のストラップサンダルを今日になってエウラから借りている。ちょっと小さいが文句は言わない。
眼下に広がる海面を見ながらルリコはぽつりと呟いた。
「どうしたら、帰れるのかね……」
――異世界に来てまだ三日目。
手掛かりが無いのは当然かと思うが、異世界なんだから便利な魔法くらいあるんじゃね?とルリコは思っていた。
しかし、未だ魔法の“ま”の字もない。それ以前に字が読めない。何故この世界に来たのかも、わからない。
(このまま…ノルスヴェータに行くとして、行った後どうすっか。エウラは『ウチに来な』って言ってくれるけど、世話になりっぱなしじゃ気が引けるしな…どっか住み込みで雇ってもらうしかねぇ)
地球で、日本で、自分が健康で学校行けて好きな事が出来る場所じゃないんだと実感し、ルリコは組んだ腕に顔を埋めた。
(やっぱり伯母さんを継ぐ漁師や、栄造さんを継ぐ骨董商よりも、ヤンキー辞めて地道に公務員目指すのがイイかもしれねぇ。
……あー、今更こんな事考えるなんて異世界効果?アナザーワールドズメランコリー?ディファレントの方が良いか?)
うだうだ悩んでいると、上から声が聞こえた。
「お、おまえ見た、ことない。だれだ?」
低めの男の声だが、何故か舌足らずだ。ルリコが上を見上げると、甲板から階段で上がる二階の様な部分に太った男がいた。ルリコは身軽に立ち上った。
「わたしはルリコです。漂流していた所を助けて頂きました」
ルリコが言うと、太った男はのたのたと階段を降りてきた。手には鉢を持ち、黒い葉を持つ植物が植えられている。
「おまえ、アタミが言ってた、ながれてたやつか。お、おりぇは、せんちょうのぺりゅっつ、だ」
「(結果的に)あなたのお陰で助かりました。有難うございます」
ルリコは近くに来た船長に会釈をした。
「おれい、しなくていいんだ、な。人魚は見れなかった、けど、ひとだしゅけになって、ほめられた。うれ、しい」
船長はしゃがみ、嬉しそうに甲板に植物を置いた。
「うみ、のみずでそだつ、しーむろぉーじは、うみかぜが好きなん、だ。青いはなが、たくさん、さくんだな」
「花は綺麗ですか?」
「う、ん、きりぇい。海みたいに、あおいはな」
船長が、ニコニコしながら鉢植えを見ている。すると、甲板から船室へ行く通路からドルシアが走ってきた。
「ここにいたんですか!風が冷たいので船長室へ戻って下さい!」
ドルシアが嗜める様に言うと、船長は身を竦ませた。
「し、しーむろぉーじに、かぜを当てて、た。せんしつは風、が、ないんだ」
「………では、後で私が戻します。風が強くなると揺れますし、危険です。船長は戻って下さい」
ドルシアが言うと、船長は渋々階段を上がっていった。
扉が閉まる音がすると、ドルシアはルリコに向き直った。
「びっくりさせたかしら。彼が、船長のペルッツ・ヴィルヤネンよ。私たちの働く商家の長男。変わってるけど、悪い人じゃないわ」
「無垢な方、ですね」
ルリコがそう言うと、
「………そうね。色々、あったから」
ドルシアはタライに目を向け、魚を見て驚いた。
「すごいわ、大漁!ルリコは釣りが得意なのね。私はあの虫がダメで出来ないわ」
「この魚と釣り道具、どうすれば良いですか?ニコスさんは、何も言って無かったのですが」
ドルシアは、ニコスの名が出ると微かに眉を寄せた。
「あの男、ここで遊んでたのね……釣り道具は良いわ。ニコスに片付けさせる。魚は厨房からザル持ってくるからこのまま。ルリコも部屋に戻った方が良いわ。じきに雨になる」
「いえ……風に当たりたい気分なので。道は分かるのですぐ戻れます」
「わかったけど、注意してね。冷えて風邪でも引いたら大変よ?」
ドルシアは鉢を持ち、二階部分へ向かった。多分船長室なんだろう。実質的な船長はアタミに違いないが。
ルリコは甲板の柵にもたれ、遠くを眺めた。向かっている先は薄曇り程度だが、進んで来た方は水気にけぶっている。海面に、イルカが何匹か跳ねた。
「あ、ケイタイ持ってくれば良かった……でも晴れてる時でいいか」
先程よりも冷たくなった風に、ルリコは両腕を擦った。
「っくしゅッ!……うー、冷えた。マジで風邪ひきそう。……戻ろ」
甲板には、いつの間にかルリコ以外誰もいなくなっている。
ペタペタと足音をたてながら、ルリコは船室への通路に向かった。