二十三話・優しい海のお友達
早朝、日が昇る前にルリコが起床すると携帯がチカチカ光っていた。
「げ、電源切っとくのわすった……」
薄明るい中で携帯のディスプレイを見ると妹からメールが二件来ていた。
一つは学校のこと。意外と学校の皆にルリコは心配されていたらしい。
もう一つは、妹からの質問だった。
国の風習はどんなの、食べ物は変わらないの、ケモノミミが生えた人はいないの、等。 何より気になったのがこの一言だった。
『お姉はそっちで暴れたりしないの?』
「……アイは何か勘違いしてんな」
ルリコとて、好きで問題を起こしてるわけではない。日本人らしく“平和が一番”と思っている。
「ま、ヒト殴ったり蹴ったりしないのはいい事だな。拳も爪先も靴も痛まないし」
どこかズレたことを言いながらルリコは水着に着替えた。
青竹亭の裏にある階段を下り、ルリコは小声で呼んだ。
「セター、イルカどもー、いるー?」
暫くすると、イルカ六匹が右手から現れた。
<……おはようございます>
<姐御、朝早ぇっ!>
<出かけるんですか?>
<おーはーよー。姐御ー>
<おッはよーーございますッ!>
<俺ら、何処でも付いてきまスぜッ!>
「一気に言われると誰が誰だかわかんねぇよ。とりあえず、おはよ」
ルリコはイルカ六匹の前でしゃがむと、腹を見せている傷だらけの灰色イルカをつついた。
「息絶えた?」
<……生きてるー。いきてるよー>
灰色のイルカ――セタはゆっくり回転するとルリコに顔を見せた。顔面はイルカなので判別不能だが、声?がとにかく眠そうだ。
「イルカの癖に朝弱ぇのかよ」
<イルカはー、関係ないよー>
五匹のイルカは楽しそうに、船着場に乗り上げたり周りをぐるぐる泳いでいるのに、セタだけぴくりとも動かない。
因みにルリコは、この世界に来て常に七時間睡眠の為、毎日朝早く起きている。
「まあいいや。なあ、どうやったら人魚になる?風呂で泳いでも変態しなかったんでな」
<あまり変態って言葉は使わない方が良いですよ。姐御>
黒っぽいイルカが話しかけてきたが、黒いイルカは向こうでぐるぐる泳いでいる。違いは物凄く微妙だが。
「そういえばセタの名前しか知らないや。あんたらの名前、何?」
<はっ、ご紹介が遅れて申し訳ないです。私はハンです>
<俺はゴリっス!>
<ボク、テホって言います!>
<オレはイル。よろしくな!>
<……ヤムだ>
微妙に喋り方、いや、超音波の出し方に違いを見出したが、太陽がまだ昇らない薄明かりの中では色の違いは判別しがたい。辛うじてわかるのは白いイルカ(多分イル)のみ。
<あー、姐御さァ、なんか買ってきてくれればコイツらに付けるよ?ヒトにとって色の違いは微妙だしねー>
セタは腹を見せたまま話し出した。
(イルカって、上の穴からの肺呼吸じゃなかったっけ?まあ、とんでもイルカだからいいけど)
「んー、じゃ何か考えとく。で、どうやったら人魚になる?南東の島行きたいんだけど。無理なら普通に泳いでいくけど」
<……結構ありますが>
(多分)ヤムが言ったが、ルリコ不敵適に笑って腕を組んだ。
「往復十キロ位ならヨユー。よく寝たし沢山食べてるから」
<さすが姐御でさァ!>
<姐御!カッコイイ!>
(恐らく)イルとテホが騒ぐが、知っていると思うセタはぴくりとも動かない。見かねた(何となく)ハンが、セタの脇腹あたりにタックルした。セタの体がくるくる回って顔部分が見えた。
<……ゴリー、テメ、覚えてろよ>
予想が外れてルリコはちょびっと悔しかったが、大人しくセタの言葉を待った。
<わかんなーい>
「……何だって?」
<だから、わかんない。足を戻すのだって人魚がやってたの見ただけだし。そーいうのはさ、自分の意識が大事なんじゃないー?>
投げやりなセタの言葉に、ルリコは無言でサンダルを脱ぐと、セタの頭部を思いっきり叩いた。
セタは何も言わす、叩かれた後くるくる回り沈んでいった。
「良く考えれば、テメェのような海豚野郎を当てにする事が間違ってたな」
ルリコはサンダルと上着を脱ぎ捨てると、ジップロックに入った財布等を置き、軽く準備運動をして海中に入った。少し冷たい海水に体が震えるが、すぐに馴染む。思い切って潜水をすると、自分の服装が目に入る。
予備で鞄の中に入っていたタンキニの上に、小さい貝殻の描かれた巻きスカート。
(真珠換金したら、水着作ってもらお)
海底近くから目を閉じたままゆっくり浮き上がる。あの足の感覚を思い出すように念じると、巻きスカートが解けるのを感じた。
目を開けると、薄く光が揺れる海面が見える。巻きスカートが海中に漂っていた。
足は、いつの間にか魚の下半身に変わっていた。足先は透ける青い尾鰭に変化している。
(この、感覚か。人前でならんよう注意しねぇとな)
巻きスカートを掴み海面に出ると、少し息苦しく、慌ててジップロックを取ると海中に戻った。感覚的に深呼吸すると、首の下と脇腹に変な感触がした。触れてみると、何やら切れ目が入っているようだった。
「エラ、か。本格的に人間やめてるなー……」
ルリコが呟き、ジップロックとサンダル、上着を巻きスカートで包むと海面に出て方向を確認した。
<姐御、上手くいったみたいですね。どちらに行くんですか?>
(今度こそ)ハンが尋ねると、ルリコは南東方向を指差した。
「タムジャ島。こっちだっけ?」
<ん、大体あってんじゃん?>
<……そうもいかんだろ>
<姐御!ボクたち案内します!>
「いいの?」
ルリコがイルカ達に尋ねると、五匹がキュイキュイと鳴いた。
<兄貴役に立たないんじゃ申し訳ないッス!>
<場所も多分、合ってる、ハズ?>
<間違ってはいない筈です。行きましょう>
イルカ達は前に二匹、後ろに三匹に並ぶとゆっくり泳ぎだした。ルリコもスピードを上げないように付いていく。
このあたりは透明度が高い様で、うっすらと刺して来た日の光が海底近くまで照らしていた。稀に、ジュゴンやウミガメが出てきて、
<うぉお!人魚じゃ!>
<ギィャーー!人魚おる!>
<げ!マジ!?オイラ殴られたくねぇわ!>
と散り散りに逃げていった。
ルリコも「あ゛あ!?」と柄悪く睨んでしまったのも有る、かもしれない。
<姐御ー!もうすぐだよ!>
テホ(の気がする)が声をかけると、海の底が近くなってきた。岩が多かったが、細かい石になり、砂になってゆく。
「ここまででいいや。ありがとな」
<帰りも付き合うよ!姐御!>
<兄貴の代わりでさァ!>
<どちらにしろ戻らねばなりませんから>
<……遠慮するな>
<オレ、まだ飛ばし足らねーよ!>
イルカ達はルリコの真上で旋回している。
「わかった。ありがと。昼メシ奢る」
<オレ!海老がイイっす!>
<貝柱も美味しいですよ>
<肉を忘れるな>
「あー、後で希望聞くから。じゃちょっと待っててくれよ?」
ルリコは海面に上がり、深く深呼吸すると上に登れそうな場所を探した。先に牧場の様な低い建物がある。モーモーとも、聞こえる。
「乳牛だといいけど」
右手に登れそうな場所を見つけたので、慎重に近づいていった。
「おはよーございまーす」
牧場の従業員と思われる飼葉を抱えたおじさんは、ルリコを見て慌てた。
「ど、どどどうした嬢ちゃん?ずぶ濡れじゃねぇか!?」
「あはは、泳いできましたから」
ルリコは布で髪を拭いながら笑った。おじさんは目を見開き、ルリコを見つめた。
「お?お、おおおお泳いで!?どっからよ!?」
「テキルダ島からです」
「はーーーー」
おじさんは口を半開きにしたままルリコをじろじろ見た。暫く見ると、若い娘の濡れた姿を見るのは失礼、と思ったらしく顔を引き締めた。
「まー嬢ちゃんが泳ぎが得意なのはわかった。で、ウチに何か用か?」
「あのですね、牛乳を売って貰おうと思いまして」
「牛乳……?ん。確かに、季節柄テキルダ方面には送れんなあ。よしわかった、すぐ用意しちゃる」
「帰りも泳いでくので密封して下さい」
「おっしゃ、待っとれ」
おじさんは飼葉を抱えたまま威勢良く奥に走って行った。
ルリコが陸に上がった場所に戻ると、イルカが五匹、鳴きながら集まってきた。
「待たせたな。じゃ帰るか」
昔懐かしい、革紐の付いたアルミの牛乳容器を抱え、ルリコは海面に飛び込んだ。
サンダルを軽く洗い、上着を畳み包むと潜水しようとしたが、テホ(推測)が鼻先でルリコを突付いた。
<姐御、泳がなくてもイイよー>
「なんで?」
いつの間にか、イルカと会話することが普通になってしまい(どんな不思議チャンだよ……)と少し落込んだが、全く表情には出さなかった。
<疲れたと思われますから、乗って下さい>
<……話し合いの結果、イルに決まった>
<俺らも援護するんで、さぁドゾー!>
<さ、さ、姐御ッ!早く行こうぜ!>
白いイルカ、イル(認識済)がルリコの股の間に潜り、背鰭の後ろにルリコを乗せた。
(ちょ!あたしパンツ履いてない!)
ルリコは一瞬慌てたが、相手は海洋哺乳類なので気にしない事にした。イルカと言っても、皆三メートル程はある。ルリコ一人位は軽いのだろう。
<姐御。意外と重いな>
ルリコは容赦なく、背鰭の根元を親指でグリグリと押した。
<痛!痛い痛い痛い痛い痛いッ!>
「どんな生き物でも、女性にそれは禁句。よく覚えとけ」
<……は、ハイ>
イルは神妙に返事をした後、ゆっくり動き出した。後の四匹も続いて泳ぎだす。
<姐御!背鰭にしっかり掴まってくれよ?ハン、隊列どうする?>
<本来なら波鳥の陣を押したいですが、どうせ飛ばしたいんでしょう?姐御、荷物を私にかけて下さい>
<じゃ矢の陣でイイんだな?姐御早く早く!>
「おま、急かすなよ!」
ルリコは急いで目の前のハンに牛乳容器を巻きつけた。体ごと巻きつけるようにしたので、体がツルツルしていても平気だろう。
<終わった?終わった?じゃ、いくぜー!>
イルは、アクセルを踏み込んだスポーツカーの様な急加速で泳ぎだした。
あまりの速さに濡れた水着が冷たく感じるが、輝きを増した太陽光線が背を暖めるので不快ではない。
「自分で泳ぐのもいいけど、これも悪くない」
<だろー?もっと飛ばすぜ!>
イルは機嫌良さそうに速度を上げてゆくが、ふとルリコが背後を見ると四匹の先頭のヤム(憶測)がかなり後方にいた。
「イル、飛ばしすぎじゃね?」
<いいっての。あと少しだし!普段こんな飛ばさねぇから!な!>
イルは速度を上げ続けながら、瞬時に漁船の脇を通り抜けた。
網を持ったマッチョなオッサン達が、呆然とイルカに乗ったルリコを見ていた。
<ヘッ!オッサン等ぼけっとしてら!>
ルリコはオッサン達の呆然としていた顔を見ながら、三月にあった家族カラオケを思い出した。
母――知恵が歌った歌手は、イルカ。
(いや!もっと何か……)
また漁船の脇を通ると、呆然としたオッサンに混じり、若い坊主頭の兄さんがルリコに手を振っていた。
しかしルリコは思い出すのに必死なので気付かない。それ以前に、船ですれ違った人々に、例え子供であろうが、手を振り返すほどノリは良くない。
(そうだ!イルカに乗った……!)
完璧に思い出すと、ルリコはいきなり恥ずかしくなった。しかも、先程から思い切り目立っている。漁師の皆さんがびっくりだ。
「は、恥ずかしい……」
顔を下に向け、イルのツルツルした体表を見ていると、イルが驚いた様に叫んだ。
<お、姐御。花束流れてきた>
「取るな!絶対取るなよ!」
赤い顔のルリコが必死に叫ぶと、イルは驚いて反論した。
<取らねぇよ!多分海で亡くなった人用だし!おっ、カモメ集まってきた〜>
「やっやめてくれ!散れ!散ってくれ!」
<どした姐御?なんか変>
集まってきたカモメを散らすように、激しく手を振るルリコにイルは不審がった。
「何でもない……何でもねぇよ」
ルリコは首を振りイルの背鰭に抱きつくと、いきなり力いっぱい叫んだ。
「財布と上着忘れたーー!」
<あ゛>
イルは急ぎ旋回し泳いだが、後から追いついてきた先頭のヤム(憶測のまま)が上着の包みをくわえていた。
<姐御、不注意だ……>
「ありがとう、そして、ごめんなさい」
ついでにルリコはヤムだと確認した。
<あ!皆して何処行ってたの?オレだけ仲間はずれッ!?酷いよ!>
太陽が昇り、すっかり覚醒したセタが喚いていると、ルリコと五匹のイルカは横を通り過ぎ自然に無視した。
<姐御!気持ちよかった!?>
「気持いいってのは……ちっと語弊があるけど楽しかったよ。人に見られるし目立って恥ずかしいけどな」
<だから姐御、顔赤かったんだー!>
<深夜や早朝なら良いと思いますよ?場所外せば漁船もいませんし>
<……長距離でも平気だ>
<皆で今度は夜の海に行きましょうぜ!>
一人と五匹が賑やかに話していると、取り残されたセタが固まっていた。ギギギ、とゆっくり旋回して賑やかな皆さんを見た。
<な、なんで無視すんのッ!オレ泣いちゃうよッ!姐御!イルッ!ヤムッ!ゴリッ!ハンッ!テホッ!>
「っせぇ。海豚野郎」
<姐御酷いッ!せめて視界に入れてよッ!>
「テメェの豆粒大の目なんか見えねぇ」
<兄貴、自業自得です>
<昼飯抜きでやんの兄貴ー!ヘヘッ!>
ルリコは笑うイルの上から身軽に降りると、上着を着てスカートの裾を直し、ハンから牛乳容器を受け取った。
「皆、ありがと、助かった。昼は希望のモノ持ってくからな」
<やった!ありがとー姐御!>
<塩は少なめでお願いします>
<……同じく>
<俺、大きいのをお願いしやすッ!>
<じゃな。また泳ごーぜ姐御!>
五匹は仲良く並び、ルリコを見送った。
<……えっと、姐御?オレのは?>
セタが恐る恐るルリコに問いかけると、ルリコは冷たく言い放った。
「海豚野郎に食わせるメシは無い」
セタは大げさに嘆きながら海に沈んでいった。
来週からは二話ずつの更新になりそうです。
その分文字数は増える、かもしれません。