十四話・イトコごっこ
翌日、早朝からおばあさん達に混じってひとっ風呂浴びたルリコは、部屋のベッドで唸っていた。
「えー、地図と合わせて……文字の形が一緒だから」
風呂屋に観光案内だと思われる紙がいくつかあったので、何枚か持ってきて地理と文字の勉強をしていた。
「今いる所が西の国、あ王国だっけな。大きい文字の島がこの隣だな、砂地で続いてるし……今更だけどすっげえ流されたな。あたしも少年も良く生きてたよ……」
ルリコは地図のほぼ中央にあった島をちらりと見てから起き上がり、地図と案内の紙をまとめて棚に置いた。
衝立の向こう、少年の様子を見ると、今起きたのか布団から起き上がろうとしていた。ルリコは近寄り、少年の額に手を当てる。
「うん、大分下がったな。でも今日位は寝てな。喉痛かったり、咳は出ない?起き抜けだから水分取るか?」
言いなが水に栄養剤を混ぜて少年に手渡すと、少年は少し戸惑いながらも水を飲み干した。ルリコは少年からコップを受け取ると、少年を見つめ話しかけた。
「少年、あたしが昨日言ったことを覚えてっか?」
少年が頷くと、ルリコはテーブルにコップを置き、足を組んだ。
「まずは少年の名前を伺う所なんだが、色々あって勝手に名付けさせて貰ったよ。少年、君の名前は“カイリ”。申し訳ねェが、この島にいる時は“カイリ”で過ごしてくれ」
ルリコは右手で自分を指しながら微笑む。
「あたしの名前は“ルリコ”。ぶっちゃけ偽名だけど、少年をどうにかしようとか全く思ってないから安心しな。宿屋取った時に“従姉弟”って言ったから」
足を戻しルリコは少年――カイリに近づくと、口を開けさせ喉の奥を見たり、耳の下から首をを触ったりした。
「体温高くないし、扁桃腺も腫れてないし、リンパ腺もフツーだな。解熱剤は要らん、と。少年、もとい、カイリ。ご飯食べれる?カイリのはお粥だけど」
カイリはされるがままだったが、ルリコの手が離れると顔をぶんぶん縦に振った。
「よーし、じゃ朝食にすっか。あとカイリ、トイレは部屋出て左進んで、途中のガラスの扉の先だけど行けるか?」
カイリは顔を赤くしながら、ルリコにトイレを付き添って貰った。
ドアが四回、一定感覚でノックされる。もはや反射でルリコは返事をした。
「どぞー」
「おはようございまーす!朝食ですよー!」
イロが元気良く入ってくると、きっちりワゴンを置いてからカイリに抱きついた。
「カイリ君起きたのね!良かったー!」
イロは遠慮なくカイリをぎゅうぎゅうと抱きしめる。カイリは顔を赤くして抵抗しようとするが、どうしたらいいのか分からないのか、シーツを握りしめルリコに縋る様な視線を向けている。
(思った以上に純情少年だ……色々触っちまえばいいのに。従弟はそうしてたしな。でも年上好きは丁度イイか。“思春期《難しいお年頃》”という言葉で誤魔化せる)
ルリコはイロが放棄した朝食の用意を手早くこなしながら、“年上の女性に好いようにされる少年”を生ぬるく見つめた。イロは満足したのかカイリを胸から離すと、朝食の用意をするルリコに驚き、素早く近寄る。
「やだごめんなさい!すぐやるわ」
イロはルリコの手からおたまをひったくり、スープを器に盛り始めた。
「あとルリコさん、洗濯物届いてるから後で取りに着てね。古着もその時持ってくるわ、カイリ君の分も含めてね」
カイリがテーブルに歩いてくると、小鍋をワゴンに戻しながらイロはカイリの髪を撫でた。
「カイリ君もいいわねー。美人のお姉さんと一緒に旅行なんて」
カイリは髪を撫で回され、少し戸惑っている。ルリコはテーブルに置かれた薄いオレンジの果実水を注ぎながら呟いた。
「美人は言いすぎ。カイリとはそんなに年変わんないけど。あたしだってまだ十六だし」
「「え!?」」
「……なにカイリまで驚いてんの」
ルリコは呆然とするカイリに口元を引きつらせた。イロまでおろおろしている。
「アタシてっきり二十くらいだと思って……」
「――まあ、慣れてるから気にしないよ」
ルリコは百七十センチ近い長身で、長い髪を金に脱色し、ヤンキー特訓故に落ち着いている為、元の世界でも年上に見られていた。
「ところでイロ、牛乳ない?」
「牛乳?」
ルリコは昨日のデザートに練乳が使ってあった為、牛乳があるか聞いてみた。高身長は牛乳のおかげ、とルリコは勝手に思っている。
「ちょっと下の島で牛飼って乳製品作ってるけど、最近暑くなって来たし、加工前のものはウチでは難しいわね」
「うー、そっかぁ」
「練乳溶かして飲む?」
「それはイヤ……」
ルリコはげんなりした表情で首を振った。
「じゃ、食べおわったらワゴンに置いて洗濯物取りに来てね」
イロはワゴンを押しながら、軽快に部屋を出ていった。
「さて、カイリ」
ルリコは注いだ果実水をカイリに渡しながら言った。
「聞きたい事があるならどうぞ。あたしの答えられる範囲なら答えるよ」
小魚を箸で摘みながらルリコは言った。カイリは木の杓子を持ってじっとルリコを見ている。
(銀髪に青緑の目……本当に異世界カラーだよな。眉毛や睫毛まで銀色だし。向こうで脱色したら、髪というか毛根ごと死ぬな)
ルリコはカイリの視線を気にせず、小魚を咀嚼した。小さな卵が沢山入っていて美味しい。
「……ルリコに聞くが」
「お姉様でも構わないけど?」
ルリコの思わぬ反撃にカイリはぐっ、と息を詰まらせたが、果実水を一口飲み言い直した。
「ルリコはどうして、儂にここまでしてくれるのだ?」
カイリの言葉を聞きルリコは、二匹目の小魚をスープの中に落とした。
(わ、儂……。ずいぶん、ジジむせぇ言葉で話すな。いや、異世界だし民族的な問題かも。あたしも口悪いし。触れないでおこう)
スープから小魚を摘んでから、ルリコはカイリを見た。
「あたしは、この国で出会った人達に親切にしてもらったし、溺れてる子供を見捨てる程冷血人間じゃねェ。今は持ち合わせがかなりあるし、カイリの方も……まあ、何だか面倒な事になってたしね。本来なら海上警備団で保護して貰うのが妥当だけど、な」
「……すまぬ」
カイリは俯き今にも泣き出しそうだ。
「お粥食べながらでイイから。冷めると美味しくないよ」
ルリコが行儀悪く箸でお粥を指すと、カイリは俯きながらも杓子でお粥を少しずつ口に入れた。
「……それでルリコ、ここは何処なのだ?」
「オ・ル・マリーヴェスタ群島諸国連合の西、イスタヴェラ王国。一番大きい島、イスタンヴェストの隣の島、テキルダ島の宿屋“青竹亭”の二の間」
(よっし、完璧か?ちょっと間違って覚えてたからな……)
今いる部屋まできっちり言うと、カイリは杓子をくわえてお粥を見た。
「……群島、西か。そうか、わかった」
カイリはため息を付いてから、お粥を食べ始めた。
「ルリコはずっとこの島にいたのか?」
「違う。当面は観光目的って言っちまったし、カイリの具合が良くなったら近くのメルジフォス島に観光に行かなきゃならねェ。宿はそれまでしか取ってねぇし」
ルリコはサラダを咀嚼しながら言った。食事中にも関わらず、発音はしっかりしている。
「質問終わり?」
「い、いや、まだある。用事はないのか?この国にルリコは用事があるのではないのか?」
「用事、か……あるにはあるけど長期戦覚悟だし、この国で見つかるかもわからねぇ。あたしの事は気にすんな。カイリは、どこに行きたい?」
遠い目をして果実水を見るルリコを見、カイリは何故か不安に思った。
「……ルリコ、儂は取り敢えずメルジフォス島で構わん。そこに行けば知り合いも居る故、ルリコが儂の為に使った金も返せる。済まんが、その時まで待ってもらえぬか?」
カイリがそう言うと、ルリコはじろりとカイリを睨んだ。
「金は返さなくていい」
「し、しかし……」
「少年から金巻き上げる程不自由してねェよ。子供は遠慮すんな。甘えてろ」
ルリコは言い捨てると、野菜スープを飲み始めた。スープを飲むルリコを見て、カイリは不満そうに呟く。
「儂、もう七十七なのだが……」
その言葉を認識したルリコはスープを吹き出しそうになるが、根性で押し留めた。
「ななじゅう、なな……歳?」
「うむ」
ルリコは皺一つ無いカイリの顔を凝視した。顔も杓子を持つ手にも余計な皺が無い。
(えー、落ち着け。妹が言った通り異世界、何があってもおかしくない。年取る程若返る、そんな映画もあった!)
ルリコはひとしきり余計な事を考えて気持ちを落ち着かせた後、ふう、と息を吐いた。
「だったら尚更だ、喜寿のご老体。老後や孫の為にも金は残しておけよ」
「むっ、無闇に年寄り扱いするでない!儂はまだ若いぞ!それに未婚じゃ!」
「それなら未来の嫁との生活の為に残しとけ。はい、この話は終了ー」
「ルリコ!」
「カイリ?お姉様の言うことが聞けない?」
「……」
カイリはようやく黙り、頬を膨らませながらお粥を掻き混ぜた。子供が拗ねている動作そのものにルリコは苦笑する。
「あ、カイリ、頼みがある。あたし文字分からないから教えて欲しいんだけど」
「そうなのか?」
「そう。マジで困ってる。メニューも読めないし地図もわかんないし」
カイリは顎に手を当てて「ふむ」と聞き入っている。見た目が少年なので似合わない、とルリコは思った。
「それならば教えよう。群島連合の文字は少々厄介じゃからな」
「頼んだよご老体」
「ご老体言うな!見た目通りの立派な男性じゃ!」
(男性……?どうみても少年だよな?いや成人年齢が若い民族なのかも。異世界だし。それに男性って自称しても“お姉さん達の玩具”になるのは間違いねェな。見た目変えねぇと)
ルリコは失礼な事を思いながら、頬杖をついてカイリを見る。じっと見られてカイリは動揺し、お粥をこぼした。
「立派な男性ねぇ……
ツルッツルなのに?」
カイリはお粥を派手に吹き出した。顔が真っ赤になり杓子をくわえて睨んでいる。
「………………見たのか?」
「着替えの為。緊急措置だ。それとも、宿屋のお姉さん達に集団で剥かれる方がお好き?」
カイリは赤い顔のまま布巾を持ち、こぼしたお粥を拭いた。ルリコはため息を吐くと、海苔巻きを口に入れる。
「安心しな。あたしは年下好みじゃないし、着替えは四つ下の従弟で慣れてる」
“気にするな”といったのだが、カイリは依然顔を赤くし睨んでいる。
(反抗的だな……可愛くねぇ)
眉を顰めたルリコはデザートの、オレンジの様な果物とゼリーの練乳がけをカイリの目の前に置いた。
「お粥食べたらコレやるから。病み上がりは食べたら薬飲んでさっさと寝な」
ルリコは朝食が来た時、カイリの視線がデザートに注がれていたのをしっかりと見ていた。カイリは物欲しそうにチラチラ見ながら「良いのか?」と小声で聞いてくる。
「ああ。昨日似たもの食べたしな」
食器を端に片付けると、ルリコは棚に行き財布を持った。
「あたしは洗濯物取りに行ってくるから。食べたら外に片付けろよ。薬各種はテーブルの上だから飲んどけ」
「承知しておる」
カイリはすごい早さでお粥を食べ終えると、目を輝かせてゼリーを食べている。
(デザートで誤魔化されるなんて子供だな)
ルリコはお粥の皿も持ち部屋を出て、外のワゴンに載せた後ロビーに向かった。
ロビーには焦げ茶色の髪を左で結んだ女性が布を畳んでいた。ルリコに気付くと、微笑む。営業スマイルだ。
「おはようございます。ルリコさんですね。私はイロの姉のイラです。どうぞ宜しく」
「こちらこそ。洗濯物と果実水のお金払いに来たんだけど」
「はい。では……合わせて四百になります」
ルリコがお金を払っていると、イラは籠に入った洗濯物を出し、更に中央に文字と花の入った紙袋を出してきた。
「こちらが古着です。カイリ君のは三着しか入ってませんが、ルリコさんのは十着程ありますので、気に入らないのは売って結構ですよ」
「ありがとう。お金は……」
「お気持ちで結構です」
ルリコは微笑を崩さないイラに困った。
(あんまり物価わかんねーけど……気持ちって一番困るって。昨日の意趣返しか?)
ルリコは財布から三千を出したが、イラは二千しか受け取らなかった。
「こちらで充分です。そのお金でカイリ君に何か買ってあげて下さい」
「――わかった」
ルリコは渋々お金を戻すと、閃いた。
(気持ちって事は、お金じゃなくてもイイんだよな?)
ルリコは愛想よく微笑むと、イラに話かけた。バイトで培った営業スマイルだ。
「少ししたら買い物に出かけるので、その時はカイリの着替えをお願いしても?」
茶色のイラの目が鋭い光を帯びた。
「宜しいのですか?」
「生意気だったのでお仕置きです」
イラが右拳を力強く握り締めたのをルリコは見逃さなかった。
(血の宿命とは怖ぇえな……あたしも妹や母に似ないようにしよ……)
「では、お出かけの際はこちらに一言」
「わかりました」
先程よりも愛想が増したイラに見送られ、ルリコは服と籠を抱えて部屋に向かった。