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十二話・風呂に入らせてくれ

 医者は少年――カイリの額にもう1度手を置いて言った。

「そうか……まあ、体が冷えただけの風邪だな。三日程寝込めば治る。咳もしてないしだるさが残るだけだ」

医者は鞄をテーブルの上に置き、中身を広げ始めた。

「朝に解熱剤、頭痛の鎮痛剤、胃薬と……熱が下がったら栄養剤も二倍に薄めて飲ませて、咳が出るなら咳止めを飲ませること。薬は水に混ぜて飲ませてもいい。解熱剤は熱が下がったら飲ませないで」

 医者は種類ごとに分けたのか、幾つもの薬を順々に机に置いた。薬は色違いの薄い紙で包まれており、文字が読めないルリコは必で薬の順番を覚えた。栄養剤は茶色のビンに入っているのでわかりやすい。

「飲み物も栄養価の高いものがよいな。ハルモモサンゴの果実水がいい。この宿屋の下が料理屋だから手配して貰える」

 医者は一通り言い終わると、じっとルリコを見た。

「君も海に落ちたんだよね。平気?」

 ルリコは両手を横に振った。

「わたしは平気です!割と鍛えてるので」

(なんせ人間辞めちったからな……)

 心の中でルリコは自嘲した。しかし、医者は怪訝そうに顎に指を当てる。

「今は緊張状態にあるから、疲労に気付かないのかもしれない――君の分の薬も出しておこう」

「……ありがとうございます。後、消毒液も貰えませんか?」

「消毒液?怪我をしてるのか?」

 医者は眼鏡を少し光らせた。ルリコは慌てて言い返す。

「いえ、ピアスの消毒をしたいので……」

 ルリコは今まで、何日経過したかいまいち不明だが、ピアスをお湯で拭く位しかしなかった。向こうの世界にいた時は消毒液をつけたコットンで、使ったピアスを消毒していた。ピアスホールも洗ってない。

「そうか。ならついでにピアスホールも洗浄してあげよう。薬用の石鹸もあるし」

 医者はすたすたと歩き、部屋から顔を出し「湯持って来い!」と大声で言った後、ルリコの目の前に来た。

「さ、じゃあ隣のベッドに横、いや仰向けになって」

「だ、大丈夫ですが……」

「医者の言う事は聞くものだよ。さあ」

 ルリコは医者にじりじりと後退させられ、仕方なくベッドに仰向けになった。ヘアクリップが痛いので外すと、髪がさらりと広がる。

「ちょっと興奮するね〜」

 医者は鞄からビンと金属の箱を取出しながら、小声で呟いた。

(聞こえてるぞエロ医者ァァァ!)

 ルリコが心の中で怒鳴ると、四回ノックの後「お湯持ってきました〜」とイロが入って来た。

「ああ、テーブルの上に置いて。手拭きも使わせてもらうよ」

 イロはベッドに仰向けになったルリコを見目を瞬かせたが、静かに退室していった。

「先ずは右からだね」

 医者は嬉々として、金属の箱から出した薬用石鹸をお湯で泡立て、ルリコの耳を洗う。

 他人に耳を撫で回される感覚に、ルリコは身を堅くした。

(なんか……いたたまれねぇ……微妙に、恥ずいし。うっ!ね、熱心に拭うなァァァ!)

 ルリコは背中に変な汗をかきながらも、敵グループの頭と一人で対峙した時を思い出しながら、医者の仕打ちに耐えた。

「――よし、次は反対」

 医者はお湯に浸した手拭きでルリコの右耳を丹念に拭いた後、身を乗り出し左側に取り掛かった。少々形状の違う白衣から消毒液の香りがした。

「はい終わり。起き上がって良いよ」

 左耳も拭い終えた医者は、桶に手拭きを戻しながら言った。ルリコは疲労感を感じながらゆっくりと起き上がり、手早く髪を纏めた。

「君は東の方から来たの?」

 ルリコは耳に触れないように、少し口を尖らせて医者を見た。

「この辺は気温が高くて雨が多いから、ピアスしてる人少ないんだよ。土地柄、膿み性の人が多いのか無理に開けると膿んだりするし。南でもするけど、既婚者か婚約中の人しかやらない。君の様な若い子がピアスしてるのは珍しくてね」

「……まあ、そんな所です」

 医者は、少年の額に置いたぬるんだ布を水で洗った。

「机にある青色のビンが消毒液。消毒する時には使う量に対し、二、三割の水で薄める事」

 医者は少年の額に冷えた布を置くと、髪を掻き上げた。耳に三つ、銀色のピアスが見えた。

「じゃお代は――三千でいいや。おまけ」

 ルリコはベッドから立ち上がり、鞄を開けた。“おまけ”部分は聞かない方が良いと思うので、無言のまま金を取り出す。

「では、これで」

「じゃ二千のお釣だね。そこの少年、咳やくしゃみが止まらない様なら診療所に連れておいで。誰かに聞けばすぐわかるから」

 医者は後ろを向き言いながら立ち去った。

 ルリコは置き去りにされた盥を片付けようと持つと、イロがノックもなしに入って来た。

「あ、お医者さんもう帰っちゃった?湿布貰おうと思ってたのにー」

 ぶつぶつ文句を言いながらルリコから盥をひったくる。

「コレはアタシの仕事――あ、そうそう」

 イロは片手で盥を抱えながら、緑の紐を付けた木の板を二つ渡した。木の板には文字の焼印と竹と花の絵が彫られている。

「下の坂少し下るとお風呂屋さんがあるの。白と橙色の屋根だからすぐわかるわ。この板見せれば、店開いてる限り無料で入れるのよ。はい」

 ルリコは受け取った木の板を凝視した。

(風呂…………!!)

 まばたきもせず木の板を凝視するルリコを見て、イロは首を傾げた。

「えっと、ルリコさん、お風呂入りたい?」

「ものすんごく」

 間髪入れず答えたルリコにイロは少し考えていた。

「ちょっと待ってて。手が空いている人探してくるから」

 イロはそのまま盥を抱えながら出ていく。ルリコの頭の中は風呂の事でいっぱいだったが、それでも熱を出した少年の事は忘れていない。薬を混ぜた水を飲ませ、温くなった布を水で濯ぎながら、イロの事を静かに待つ。


 暫く待っていると、四回ノックの後、イロと女性が入って来た。

軽く波打った焦げ茶の髪と、口元の黒子ホクロが色っぽい。

「お待たせ!ウチの母さんが看病してくれるって!」

 イロは隣の女性の肩を叩いた。若々しく、イロと並ぶと姉妹の様にも見える。

「ルリコさんね?私はこの店の経営者のキラよ。宜しくね。カイリ君は私が見てるからお風呂行っていいわよ」

 イロのお母様――キラは寝込んだ少年の顔を見て、何故かとても喜んだ。

「あら、ほんとに可愛い!ねぇ、ルリコさん、汗かいたら剥いちゃっても良いかしら?」

 キラは目を輝かせながら嬉しそうに言う。

「いや、それはちょっと」

 ルリコが断ると、キラは頬に手を当て眉を寄せた。可愛い仕草だが、やはり色っぽい。

「おばさんでもダメ?」

 ルリコはしつこく食い下がるキラの扱いに困った。

(……現代には子供にもプライバシーがあるのに、異世界はされるがまま、玩具オモチャか……可哀想に。よし!)

 ルリコは申し訳なさそうに見える様、眉を下げて愛想笑いを浮かべる。

「カイリは、隠そうとしてるけど、年上の女性が大好きなんで。イロやキラさんの様な美人に裸見られたと分かったら、あたしも口聞いてくれないかも。だから着替えはあたしか、男の方で」

 必死で誤魔化すと、イロは「ん?」と顎に手を当てた。

「ルリコさんは平気なの?」

「あたしは小さい頃から、おしめ替えたりお風呂入れたりしてるんで」

(本当の従弟――沖縄在住の海吏カイリにはそうしてたしな。小学生四年までは。この少年は見た目……中学生なりたて位だけど)

 従弟のシャンプーに苦労した事を思い出しながら、ルリコは嘘をつく。

「あら……残念」

 キラはため息を吐いて両肩を竦めた。

「そうそうルリコさん、着替え要る?イロとイラの着ない服沢山あるからルリコさんにあげるわ。勿論タダで」

「そーね。アタシも姉さんも古着屋に売れって散々言われてるし。好きなのあげるから持ってこよっか?」

「嬉しいけど……タダは申し訳ないので幾らかで買い取ります。気持ちなので。帰ってきたらお願いしますね」

「ルリコさんったらしっかりしてるわね……じゃカイリ君は任せてね」

「任せます。着替え以外」とルリコはしっかりと釘を刺し、荷物を持って反対側のベッドの方へ向かった。壁に据え付けた棚に手早く荷物を広げ、必要な物だけを白いバックに入れる。バックはまだ湿っていたが、此方にはジップロックという文明の利器がある。ルリコは自分の運の良さに感謝した。

 忘れずに木の板を掴み、お風呂セットを手早く用意したルリコはカイリを覗き込んでいるイロ母子に苦笑しながら言った。

「それじゃ宜しく」

「分かったわ」

「じゃね母さん」

 キラが少年の顔を拭いているのを見ると、ルリコとイロは部屋の外へ出た。二人は並んで石造りの廊下を歩く。

「鍵はルリコさんが帰ってきてから渡すね。母さんが持ってるから。道案内する?」

 イロの申し出にルリコは首を振る。

「大丈夫。覚えたから。後、ハルモモサンゴの果実水が欲しいんだけど」

「はーい!手配しとく」

「ありがと」

「それじゃ、いってらっしゃーい」

 宿の出入り口から、イロに見送られルリコは風呂屋に向かった。

 宿の竹やぶを抜けると、石畳の広い道に出る。少し下がった場所には平屋造り店が並んで建っていた。すぐ右側は行き止まりだったので左へ進むと、さらに広い道に出る。まだ曇っているが、雨が止んだのを確認したのか、様々な店舗から人が出てきていた。

 ルリコはイロに言われた通り、緩やかな坂道を下る。下っている途中、正面に長い砂浜が見える。砂浜は長く、斜め左手に見える大きな島に繋がっていた。

「晴れたら写真撮りてぇな」

 ルリコが呟きながら歩いていると、右の椿に似た木の横に白と橙色の瓦の建物が見えた。目の前に付き、入り口の前に立つと、一つ問題が生じた。

 藍色の暖簾がかかった入り口は二つあり、右には竹の絵、左には椿に似た絵が描かれており、絵の上には白抜き文字がある。

 しかし、ルリコは文字が読めない。

(……あー、文字わかんね。普通に考えて、女は……花だよな?)

 覚悟を決めて椿が描かれた暖簾を潜り、竹の戸を開けた。

 開けた先には、お婆さんが二人、椅子に腰掛け茶を飲んでいた。頭に椿の布を付けたお婆さんが素早く、番台に飛び乗る。

「おや、いらっしゃい」

 ルリコは軽く会釈し、イロから渡された木の板を出し、番台にいるお婆さんに見せた。

「コレで」

「はい、青竹亭さんね。戸を開けたら、同じ模様が入った列の棚を使って。体拭く布は、白い籠に入ってるから、使ったのは青い籠にね」

「はい」

 ルリコはブーツを脱ぎ、置くところがなかったのでそのままにした。板張りの床を歩き、蓮の絵のポスターが張られた戸を開ける。

 戸の向こうは、旅館の脱衣場そのままだった。但し照明は紙を張ったランプであり、壁に面した場所には大きな鏡と水道、手桶と水桶がある。見上げると、天井に所々採光窓があるが少々薄暗い。

(いけね、早く風呂入んないと少年が剥かれちまう)

 誰もいない脱衣場を歩き、ルリコは竹と花の絵が描かれた棚を見つけ、荷物を置き服を脱いだ。脱ぎ終わったらジップロックに入れたお風呂セットを取出し、ガラスの引き戸を道場破りでもするかのように勢い良く開ける。

「うおおー!」

 風呂は広く、二十人は入れそうな大きな石造りの浴槽があり、三つある小さめの浴槽にはピンクの花びら、オレンジに似た赤い果実、網に入った木片がそれぞれ浮いていた。上には大きな採光窓が有り、椿の木が見える。所々にある緑色の紙を巻いたランプが幻想的だ。

(お〜アジアンリゾートぼい。温泉じゃないけどタダで入り放題だもんな!有難う異世界!) 現金なルリコは、竹製のすのこが敷かれた床を歩き、一番手前にお風呂セットを広げた。

 蛇口をひねると水しか出なかったので、近くにあった手桶を取り、大きい浴槽から湯を掬い体を洗った。 隅々まで体を洗うと手桶を持ち、浴槽へ向かう。三回ほど体に湯をかけると手桶を置き、浴槽にゆっくり浸かった。

「あー……」

 深く息を吐きながら肩まで浸かると、ルリコの両目から涙が流れた。一切表情の変わらない男泣きだ。

 今度の涙は真珠にはならなかった。



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