十一話・アジアっぽい島で
島に着きました。暫くは島での生活が続きます。
助けた子供を背負ったルリコは、ようやく四十三段の石段を登り終えた。息を整えながら前方を見ると、まばらな竹林の向こうに建物が見える。沖縄の家を思わせる長い瓦の平屋と、先程灯りが見えた、飾り窓が印象的な二階建の家屋。
「うわ、水溜まりデカッ!ちっと遠いけど平屋に行くしかねぇな…」
ルリコは子供を抱え直すと、平屋に向かって身長に歩き出した。歩いてゆくと、雨が降りだしたのでペースを上げる。軒下に着くと同時に、雨はバケツをひっくり返した様に勢いを増した。
「ぎ、ギリギリ……」
ふう、とルリコは息を吐くと、目の前の扉が開いた。
「あ〜、また降ってきた!」
赤い簪を差し、作務衣に似た服を来た焦げ茶色の髪の女性は、軒下にいたルリコと子供を見て軽く飛び上がった。
「やだ!お客さん達びしょびしょじゃない!入って入って!」
女性は驚く程の早さでルリコの背後に回り、背中を押して平屋に突っ込んだ。ルリコがあまりの素早さに呆然としていると、籐に似た寝椅子を引きずり、布をばさばさとかける。 玄関は広く、四角い青竹に似た色の石が敷き詰めてあり、右手には複雑な木目の長い机がある。机の後ろは竹模様の布で仕切られていた。
「おぶった子置いて!」
「は、はあ」
ルリコはゆっくりと子供を寝椅子に寝かせると、乾いた布を大量に渡された。タオルほどの厚みは無いが、そこそこ厚い。
子供の顔や髪を拭いていると、頭に厚い布を被せられた。
「わ!」
「この子はアタシがやってあげるから、自分拭いて!風邪引いちゃうわ!」
女性は奥に引っ込み、直ぐに布を抱えて来た。手早く顔を拭いていると額に手を乗せ、顔を曇らせる。
「――熱がある!雨が止んだら医者呼ばなきゃ!部屋の希望はある?ああ、ようこそ!“青竹亭”へ!」
いきなり営業スマイルをした女性に、ルリコは戸惑った。しかし宿屋らしいので都合が良い。きっと風呂に入れる。
「え、えーと、希望は特にないです。後、着替えも貸して貰えませんか」
「もー、お客さんたら敬語なんか使っちゃって〜……ん?」
何事も敬語を使ってしまうのは日本人の悲しい性だ、とルリコが思うと、女性は申し訳なさそうにルリコを見つめている。流石のルリコもちょっとたじろいだ。
「お客さん、随分軽装ね?……こんなこと聞くの失礼だけど、お金はある?無いなら従業員室に運ぶけど?」
「お金は大丈夫で……大丈夫。びしょ濡れだけど」
「いきなり聞いてごめんなさいね。じゃ客室に案内するから、ちょっと待って」
女性は作務衣の袂から車輪三つを取り出した。車輪は中央に穴が空き、突起物が着いている。
「よっ!」
女性は勢い良く寝椅子を持ち上げ、車輪を突き刺した。続いて前方、反対側二ヶ所に車輪を突き刺し、寝椅子の頭部分を持つ。
「二の間に案内するわ。ついて来てね!」
車輪を装着した寝椅子をゴロゴロと押しながら、廊下を進む女性に、髪を拭きながらルリコは続いた。
様々な小石が敷き詰められた廊下を歩くと、女性が停まって引き戸を開け、寝椅子を部屋に押し込んだ。ルリコが続いて部屋に入ろうとすると、引き戸の中央に二つの青い金属片が打ち付けてあるのが見えた。
部屋は十畳程で、左右に棚が打ち付けてあり、ベッドが二つ。ベッドのフレームは竹で出来ている様だ。二つのベッドの間に細長いテーブルがあり、椅子が二つと硝子細工の水差しとコップがあった。カーテンと敷物が青竹色で統一され、涼やかな印象を与える。入って直ぐ右手には、紙を張った竹の衝立てと焦げ茶色のキャビネットがあり、上には白い細身の花瓶に桃色の花が二輪、活けてあった。
アジア風の部屋にルリコが見とれていると、ぼふ、と音がした。女性は子供をベッドに乗せ、布団をかけてやっていた。
「言った通り、雨止むまで医者は呼べないわ。でも二時もすれば止むから安心して。じゃ着替え持ってくるわね」
女性は布団をぽんぽん、と叩いた後、寝椅子を押し素早く部屋を出ていった。ルリコは水差しを持ちコップに注ぐと、子供に近寄った。片手で子供の半身を起こし、半開きの口元にコップを当てる。
「飲めるかな……」
子供の口に少しずつ水を流し込むと反射行動か、細い喉がこくり、と動く。ルリコは喉の動きを確認しつつ一定感覚で水を流し込み、コップ一杯分飲ませると布で軽く口元を拭ってやる。汗で湿った額も拭うと、髪の色が銀色なのに今更気付いた。
男、とイルカ――セタが言っていたが、柔らかな頬と長めの髪、長い睫毛は少女めいていた。ルリコはぽりぽりと頬を掻く。
「――ふぅ、アイを看病した事が役に立ったな」
ルリコが呟くのと同時に、扉が四回叩かれた。
「どうぞ」
ルリコがコップを置き返事をすると、先程の女性が服を抱えて入ってきた。
「上着と下履きは持ってきたけど、下着は新しいのがなかったの。だからタダでいいわ。アタシのお古だし」
女性は申し訳なさそうに言うと、ルリコに服を押し付け、子供が寝ている布団を捲った。 ルリコは少し慌てて女性に言い返した。
「あたしがやる!」
「遠慮しない!早く着替えなさいよ、衝立て二つあるからね」
女性は慣れた手つきで子供のボタンを外してゆく。
(しかたねぇ、プライバシーの保護だ!)
ルリコは力ずくで女性の手を止めた。ルリコの力の強さが意外だったのか、女性は驚いた顔をしていた。
「えー、言いにくいんだけど……この子、男の子なんだ。かなりの照れ屋だから裸見られた、とか分かっちゃうと、あたしに殴りかかってくるかも」
ルリコが手を話すと、女性が目を見開き子供を見つめて。とっさに付いた嘘だが“言わなきゃ良くね?”等の反論はない。確実に女の子と思っていた様だ。
「へー…………こんなにカワイイのに。神様が性別、間違ったのかもね……」
「本人の前では言うなよ。怒るから」
ルリコが肩をすくめると、女性は濡れた布を回収していった。
「それじゃ着替えは任せるね。そこの竹籠に濡れた服入れとけば、業者に洗濯してもらうわ。もちろん別料金だけど。時間を開けたらまた来るね!…アタシの名前はイロよ」
「わかった」
イロは両方に布を抱えたまま、器用に扉を開け閉めしていった。
「よーし、着替えるか」
ルリコは鞄を外し、勢い良く制服の上着を脱ぎ捨て、竹籠の中に入れた。びちゃっと湿った音がする。ロングスカートも脱ごうとしたが、下着を履いていなかった事に気付き、止めた。布団に置いた子供のものらしい服を広げ、服を脱がせ始めた。薄く肋骨が浮き熱で火照った肌に、何故か背徳感を感じる。
「考えてみれば、イルカの言うことだしな。間違ってるかも!」
前向きに考え直し、まだ濡れていた服を剥ぎ取った。
子供は少年だった。イルカの言う通り。
作務衣とズボンを履かせたルリコは、少年の顔の汗を拭った。
少年は桃色で赤い小花の刺繍が入った作務衣上下。どう見ても女物。
ルリコは青のムラ染で袖丈が長めの作務衣に、白く透ける帯、花柄の巻きスカートを着用している。この形態は二部式浴衣に似ている。当然、下着は新しいのを履いた。水分と塩分を含んだ髪を、白いヘアクリップで纏めアップにしている。部屋に大きい鏡があって良かった、とルリコは満足気だった。
髪がボロボロなのは、今は気付かなかった事にする。
扉が四回叩かれたので、ルリコは「はーい」と返事をした。
「失礼しまーす。ちょっと小降りになってきたからウチの従業員向かわせたわ。多分一人くらい手空いてると思うし」
先程の女性――イロは厚い冊子を抱えながら言った。腰にベルトを付け、細長い棒が出ている。筆記具の様だ。イロはテーブルに冊子を置き、椅子を引き出して言った。
「そのままでいいわ、宿帳に書くだけだから。お客さんの名前は?」
「ルリコ。ルリコ・ディープシー」
少年の汗を拭きながら答えつつ、ルリコは安心していた。
(顔を見られないなら、声だけ動揺しないようにするだけだ。…ああ、また嘘付きに……)
「――ルリコさんね。弟さんの名前は?」
ぴくり、と一瞬手が止まった。
(そうだ!どーしよ!?適当に付けて変な名前だったら可哀想だし!絶対名前ある筈だし!……うーん、仕方ねぇ)
「名前は、カイリ。厳密には従弟なんだけど」
一瞬考えた末、自分の従弟の名前を使う事にした。意識的に呼びやすいからでもある。
「はい、ルリコさんとカイリ君ね。宿泊日数は、とりあえずどの位?延長もできるけど」
「えー、一週間で」
「一週間――、十日ね」
(十日!?)
ルリコは一週間が十日と言う事にかなり驚いたが、態度には表さなかった。
「じゃ、メルジフォス島の巨大蓮を見にきたのね!海竜船にも乗れるし。小さい子は、海竜好きだからね〜。群島諸国でもこの辺しか乗れないし!」
「――ま、そんな所かな」
勘違いしている事を幸運に思いながら、話を合わせた。ちらり、と入口近くにかかった白い蓮の絵の紙を見る。ポスターだとは気付かなかった。。
「カイリ君良くなったら言って!海竜船の切符はここでも買えるから。すぐには取れないかもだけど」
イロは宿の事を売り込みながら、宿帳に書いているのだろう。カリカリと音が聞こえる。
「えー、それじゃあ二の間に十日で……一万二千になりまーす!群島共通通貨でだけど、持ってる?今じゃなくても良いけど」
「いや、大丈夫」
ルリコは振り向くと、鞄を取り出してこっそりと半開きの湿った財布を開けた。中が水分でびちゃびちゃだった。二十枚ある紙幣から二枚取り出し、ちらりと柄を見る。縦棒一本に二重丸二つに青い鳥の印刷。あのツリ目――イオシフから丸がゼロにあたる、とルリコは学習していた。
「じゃ、これで。濡れてるけど」
「はいはーい。乾かせば済むからイイわ。じゃ八千のお釣りね」
イロはベルトに付けた布袋を漁る。ルリコはある事に気付き、イロに付け加えた。
「二千分は崩して」
「……ルリコさん、しっかりしてるわね。あるかなー?」
イロは布袋をひとしきり探った後、「あった」と残念そうに言った。
「いち、にー、さん、し、はい、八千のお返し」
イロは紙幣二枚と、大きさが違う硬貨を十枚渡した。
(おー……硬貨はこんなのか。穴開いてるのもある。日本的で安心するー)
硬貨を眺めた後、財布にしまった。すると、イロが入ってきた時と同じく扉が四回叩かれる。イロがちらり、と視線を寄越したので、ルリコは少年の布団を整えた。
「どうぞー」
ルリコが声をかけると、そばかすの青年と、黒い鞄を持ったメガネのひょろ長い男が入ってきた。
「イロさん、医者呼んできましたよ」
「ありがと。タネク」
イロがそばかすの少年に礼を言うと、ルリコは席を立ち端に寄り、医者に頭を下げた。
「患者はそこの子か」
「はい」
「お願いします」
イロとルリコが口々に言うと、医者はツカツカと少年が寝たベッドに近寄り、鞄を下ろし椅子に座った。額に手を当てたり瞼を開けたりしていると、イロとそばかすの青年は静かに部屋を出ていった。ルリコは二人に向かい、軽く頭を下げた。
診察中の医者を見ると、耳の後ろを触り口の中を見た後、手首を取り脈を計っている。
(あまりやり方はあっちと変わんねぇなー。ま医療ってのは、何よりも先に進歩しないとダメだけどな)
ルリコが診察の様子を見ていると、脈を測っていた医者はちらり、とルリコを見た。
「熱を出した理由は?」
(――この人、嘘見破りそ……メガネ光りそうだしよ)
医者を“注意人物”と認識したルリコは目を伏せ、躊躇いがちに話し出した。嘘がバレないよう、必死に演技をしながら。
(バレたら“男児誘拐罪”とかになって前科者になっちまう。異世界に来て犯罪者にはなりたくねー……詐欺罪は認めるけど)
「……港を歩いていたら、カイリ――この子です、踏み外して海に落ちてしまって……。わたしも急いで飛び込んだのですが、潮に流されてしまって、カイリを抱えて何とかこの島まで泳ぎました」
不安そうに見える様、ルリコは胸元を掴んだ。医者は驚き、振り返ってルリコを見る。
「君まで落ちたのか」
「――平気です。それより、カイリはどうですか!?」
(これ以上突っ込まれたらマジ困る!早く、早く結果を!)
ルリコは祈る様な気持ちで医者を見た。